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「敦くん、敦くん!あの建物の名前しってる?」 「えっ!えーと…何て名前なんですか?」 「えっ……さあ…判んない!」 「ええ!?じゃあなんで訊いたんですか!」 「判んないけどおもしろい形の建物だなーと思って。何か適当に名前付ける?」 「自由すぎる…」 ゆっくりゆったりと回る観覧車の中で、外の景色を見ながらくるくると表情を変えるその人に苦笑した。僕の向かい側に座りながらも、向き合って顔を合わせているわけではなく。さっきから座った椅子の上で右へ左へ体を寄せたり、僕に背中を向けて背後の景色を堪能したり、本当に自由だ。「デートの締めといったらね、観覧車らしいよ!」という何から仕入れたのか判らない知識に倣って乗り込んだ大きな観覧車を、彼女は思った以上にお気に召したらしい。景色なんて二の次で、彼女のはしゃぐ様子を眺めてばかりの僕に、気づいていない。 「もう少し本格的に夜になったらさ、夜景?綺麗なのかな」 「…そうですね。今は夕暮れ時って感じの時間ですけど」 「そうだね、これはこれできれい」 「はい。とっても」 きれいですね、と真似るように声に出そうとして、できなかった。景色を眺める彼女の横顔が、夕陽に柔く照らされて、その眼差しがそれまでと打って変わって大人っぽく見えて、まるで知らない女のひとみたいでどきりとしたから。静かな時間はあっという間に終わって、「敦くんはさ」と話を振ってきたときにパッとこちらを向いた彼女の表情はいつも通り。そのいつも通りさに少しほっとするようで、でも身を乗り出して真っすぐに顔を見つめられると、また心臓がうるさくなってしまう。どちらにせよ僕の心臓は、彼女に脅かされてばっかりだ。 「夜の観覧車乗ったことある?」 「え…無い、ですね」 「私もない!」 「そっか…あ、じゃあもう少し遅い時間に来た方が良かったですね…」 「じゃあじゃあ、今度は夜に来よう!」 また二人で来る約束を、こんなに自然に取り付けることができてしまう彼女には恐れ入る。敵わないなあ、なんて思って眉が下がるけど、口元は緩んで、「はい!」と明るい返事を声に出していた。その返事を聞いて、僕の表情を見つめて、そのひとは微笑む。そしてまた、夕陽に視線をやった。のんびりとした時間が流れるのを感じて、その心地よさに身を預ける。平和、平穏、幸せだなあ。そんなことを考えていると、さんが口をおさえて小さく欠伸をした。とろんとした目を何度か開け閉めして、そんな様子が可愛らしくて少し笑ってしまう。 「…なんだかすっごく平和〜って感じで、眠くなっちゃう」 「あはは…そうですね、ちょっと判ります…」 「一日はしゃいだからかなあ…昨日楽しみで眠れなかったからかなあ…両方かなあ…」 僕だって、昨日の夜から…いや実はもっと前から楽しみで、当日になっても一日ずっと楽しくて。だけど、僕もです、と正直に打ち明けていいものなのかどうか。男の僕がそう言ってしまうのはちょっと格好悪いかな、なんて迷った。結局口にしないまま曖昧に笑っていたら、さんが一度咳払いをして背筋を伸ばし、「敦くん」と僕の名前を呼ぶものだから、何事かと僕も慌てて背筋をまっすぐに伸ばした。 「三分間だけ眠ってもいい?」 「……へ?」 「眠いです。仮眠をください」 きょとんとした僕の目の前で、さんは子供みたいに目をこすった。なんだか彼女らしくって、思わず噴き出してしまう。ゆうっくりと回り続ける観覧車は、一周するのに十五分くらい要するらしい。つまりまだ地上に着くには時間がある。それなら。「ちゃんと起こすので、大丈夫ですよ」と促すと、さんはへらりと照れ臭そうに笑って―…それから、僕の隣に移動した。ぎょっとして体を強張らせる僕に構わず、彼女はさらに、僕の肩にこてんと頭を乗せた。 「…あの、さん、ええと…」 「だーって向かい側で寝たら寝顔見られて恥ずかしいもん」 「えぇ…!?こ、この距離で眠る方が恥ずかしいと思うんですけど…!!」 「おやすみー…すぅ」 「早すぎる…」 肩に乗っかったぬくもりに、体の動きが封じられた。動いたら悪い気がして動けない。本当に、この体勢で寝てしまうつもりらしい。文句らしい文句も言えずに、僕はぐっと黙り込んだ。いや、文句を云えるほど嫌なわけでもなくて。嫌じゃなくて。ただ照れ臭いだけで、「嫌」とは真逆の気持ちだ。安心しきったように僕に体を預けてくれることが嬉しい。そうっとそうっと首だけを僅かに動かして、さんを見る。この距離で、この角度から、見つめるのは初めてだ。新しい発見。長い睫毛一本一本を数えられるくらいにじっと見つめて、やがて時間差で恥ずかしくなって視線を逸らした。 「……」 「…すぅ…すぅ…」 「さん…本当に寝てる…?」 「……すぅ…」 「…可愛いひとだなぁ」 ぽつりとこぼした独り言に、なんだかじわじわとおかしくなって、僕は小さく笑う。本当、こどもみたいに楽しい人で、可愛い人で、だけどたまにどきっとさせて、僕の一生敵わない、女のひとだ。さっきまで緊張のあまり太腿の上で硬く拳をつくっていた手を、そっと開く。無防備に眠る彼女の手の上に、静かに重ねた。「…また、一緒に来ましょう。どこへだって、一緒に。今度は、もっと…」もっと、きっと、今日より楽しい一日になるに違いないから。祈る様に目を閉じて、この平和であたたかな時間に身を委ねる。 と、もぞもぞと僕のすぐそばで彼女の頭が動いた。直後、僕の頬で小鳥が鳴いた。ちゅ、と可愛らしく、いたずらっぽく。数秒、頭がついていかなかった。けれどみるみる自分の体温が上がっていく。恥ずかしさのあまり身を剥がすどころか、思わずぎゅううっと重ねた手を握っていた。 「…、……さん…ッ!! 起きてるじゃないですか…!!」 「えー?起きてないよー。寝てるよー」 「寝てる人間は返事しませんからっ!」 ゆうぐれ、あか、 君に染まる |