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Q:誰にチョコ渡す?→A:織田作 頭上で何かが動く気配があった。寝惚けた頭でも、その「何か」が人間であり、昨晩隣で眠りについた人物であるのだと察するのに時間は掛からなかった。その人物はやけに機嫌よく鼻歌を歌いながら、がさがさと何かの袋を漁っている。 「おっださっくさんが〜起っきないうっちに〜」 鼻歌にそんな歌詞が付いたが、正直、枕元で歌を歌われたり袋の音を立てられたりすれば、よっぽど深い眠りについていない限りは嫌でも目が覚めるということに気付いてほしい。寝たふりをしてやるべきか、素直に起きるべきか、しばらく考える。目を閉じていたが、何かを自分の枕元、すぐ頭上に置かれたのが気配で判った。悪戯を仕掛けているのだろうか。迷った末に薄く目を開けて、右手をそうっと自分の頭の上に伸ばす。自分の頭上など首を捻らないと自分では確認できないが、適当に触れたものを軽く掴んでみると、彼女の腕だったらしい。いきなり腕を掴まれて驚いたのか、「わっ」と短く声を上げたその人物は、丸い瞳でこちらの顔を覗き込んできた。 「あれ?起きた?」 「何してるんだ?」 「おはよお」 「ああ。おはよう」 何をしているのか、という質問の答えはすぐには返ってこないが、こればかりは向こうが正しい。一日の始まりはまず「おはよう」から、という心掛けは感心する。こちらを覗き込んで、へらりと笑う彼女と、その奥に見える天井。電気を付けたわけでもない視界のこの明るさは、矢張り、一日の始まり…朝だ。少し、不思議な感覚だった。妙な違和感。理由はすぐに判った。いつもなら先に起きるのは自分で、彼女に起こされるという経験が初めてだったからだ。 「…今朝は早いな。珍しく」 「そりゃあ頑張りましたから!織田作さんより早く起きるの大変だった!」 「俺が起きない内に…、と云っているのは聞こえたが…それで、今何をしていたんだ?」 「ふっふー。なんだとおもう?」 早起きに関しても得意気だったが、「何をしていたんだ」の質問にもにやりと笑っている。一体なんだ、と少し体を起こして首を捻ると、先ほど枕元に彼女が置いたであろう物が目に留まった。四角い箱が、ぽんと置かれている。リボンを掛けて包まれたそれは、成る程、見るからに「贈り物」という事が判る。今日は自分の誕生日では無いが、と首を傾げたところで、「今日はね、」とから説明が入った。 「ばれんたいんでーだよ!」 「…バレンタインデー…か」 「そう!チョコレートあげる日だからね、実は昨日の内に用意してあったのです!」 「成る程」 「そして織田作さんが眠っている間に枕元に置いておくの。朝起きるとびっくり!完璧です」 「……枕元に置くのはサンタクロースだぞ」 「そうだっけ」 「確かそうだった様な気がする」 「そう云われるとそうだった気もする」 「俺もその手の行事には疎いからな、あまりピンと来ないが」 ぴんとは来ない。…が、有り難く貰っておくのが普通なんだろう。礼を云うと、明るい笑顔が返ってきた。 二月をちょうど半分過ぎた頃。今朝も寒い。布団から出ることは一旦横に置いて、とりあえず上半身だけを起こし、貰った箱をまじまじと観察する。チョコレートをあげる日、と云っていたからには、箱の中にはそれが入っているんだろう。隣を見やると、チョコを贈った本人が落ち着きなく、こちらの手元を見つめていた。うずうず、というか。そわそわ、というか。開けてみてほしい、という眼差しなのだと判る。 「…開けていいのか」 「勿論!」 綺麗に包んであるものを開くのは少し苦手だ。なんだか勿体無いような、そんな気持ちになる。手先の不器用さもあって、すぐにビリ、と嫌な音がした。折角なら綺麗に包装を剥がしたい、という思いは、そんな音と、隣から注がれる「早く開けてほしい!」という眼差しで、案外どうでもよくなった。包装紙を破いて、その下から顔を出した箱の蓋を持ち上げる。幾つかの仕切りの中に、丸や四角、白や茶色の小さなチョコレートがそれぞれ入っていた。自分の云うべき台詞なのかもしれないが、それより先に隣から「おいしそう!」と歓声が上がる。 「お前が選んだんじゃないのか?」 「選んだよ!一番おいしそうなの選んだんだー」 「そうか」 「おいしそうだよね!」 「そうだな」 「あのね、こっちのピンクはね、イチゴ味のチョコでね、多分これが珈琲味でね」 一つ一つを指差しながら説明するその目が輝いている。そうか、と説明に頷きながらも、自分の視線と意識はチョコレートよりもその笑顔に向かっていた。余っ程、彼女の目には美味しそうに映るのだろう。これを店で購う時も、あちこちのチョコレートに目移りしながら、そのどれもに「おいしそう、おいしそう!」と頬を緩ませていたに違いない。そんな想像と、部屋に香るチョコレートの甘い匂いだけで、自分は満足してしまう。 「食べるか?」 箱の中身の内の一つをつまんでそう尋ねると、ぱっと嬉しそうな顔をして、しかし直ぐに何かに気付いたようにハッとして、首を横に振る。「駄目だよ、織田作さんにあげたんだから」成る程、それはそうだが…それなら、貰った自分が「食べていいぞ」と許可を出せば、それは所有者の許可となるのだし、問題は無いのではないだろうか。口を少し突き出して、指でバツを作って視線を反らした彼女の頑なさには、愛しいものがあるが。 「織田作さんに喜んでほしいからあげたんだよ。だから織田作さんが食べて!」 「…お前が食べたら俺はもっと喜ぶぞ」 「え、なんで?」 「なんでだろうな。そこは自分でも不思議だ」 「うーん…じゃあ食べる!」 短い思案の末に明るい声で彼女が答えた。そうと決まれば、とでも云うように、嬉しそうに口を開ける。その口の中にチョコレートを放り込んでやると、口を閉じるなり両頬を押さえてふるふる頭を振った。悶えるくらい美味しい、というなりの表現なのだろう。へにゃりとだらしなく笑う顔を見ると、そんなに美味しいのか、そこまでか、と興味が湧くが、きっとそれも、彼女の反応が大袈裟なのでそう思えてしまうに違いない。 「美味いか?」 「ん!うまい!」 「そうか。良かったな」 云いながら、また別のチョコレートを一つ選んで構える。今度はなんの疑問も抱いていない様子で、口を開けた。また別のチョコレートを口の中でゆっくり味わいながら、ぐにゃぐにゃ溶けきったような至福の表情を見せる。もう一度、「美味いか?」と尋ねると、こくこくと何度も頭が動いた。そういえば、彼女が何かを「まずい」「おいしくない」と云いながら食べているところなどあまり見かけない。何を口にしても、食べることを全身全霊で楽しむような反応ばかり見せる。 そんなやり取りを何度か繰り返した後、唐突にが「あっ!」と何かに気付いたように声を上げて、直前まで幸せそうだった表情が一変、拗ねるような顔を此方に向けてきた。 「…織田作さん、ずるい」 「……ずるいことをしたつもりは無かったが」 「だって!そういうことをされたら人間はみんな口を開けてしまうんだよ。ついつい食べちゃうんだよ」 「そういうものか」 「織田作さんだって目の前にカレー出されたら食べちゃうでしょ!」 「…確かに」 「わあもうちょっとしか残ってない!織田作さん食べてないのに!」 「もう一つ食べていいぞ」 「織田作さんが食べるの!なんでなんで?なんで織田作さん食べてくれないの?チョコ嫌い?」 「嫌いというわけではないが…」 あまり甘い物を好んで食べる習慣は無いな。…とは云え、あまり否定的な事を云うと購ってきたに悪い。悲しそうな顔をするに違いない。事実、何も自分はチョコレートを食べたくない、という訳ではなかった。 「ただ…お前に食べさせるのに夢中になっていた」 「…なんで?それ楽しい?」 「……」 「…」 「……動物に」 「うん?」 「自分の手から餌を食べてもらえると嬉しいか?」 「手をお皿にしてご飯あげるってこと?うん、嬉しいよね!やったー食べてくれたーってなる」 「それだ」 「それなの!?」 我ながら上手い喩えを持ち出したと思ったのだが、は口を尖らせて、む、と納得行かなそうに此方を見つめてくる。そんな顔をしなくてもいいだろ、と云ってやろうと思ったが、きっと彼女は自分が今どんな顔をしているのかなんて判らないのだろう。チョコレートを食べた時、自分がどんなに幸せそうな顔をしているかだって、判っていない。その顔を見ていたくて、もう一粒、あと一粒、とチョコレートを手に取る人間の気持ちを、知らないのだから。 機嫌を取ろうと彼女の頭に手を置いて撫でてみると、拗ねた表情のまま此方を見上げてきた。「動物じゃないよ」と云われた。そういうつもりで撫でたわけじゃない。 「機嫌を直せ。今度代わりを購ってやる」 「それ、ぜーんぜん意味無いよね!?」 「そうか?貰った側は“お返し”を購うものなんだろう」 「あ、そっか。ホワイト……でもなんかちがーう!織田作さん食べてないのにお返し購うの変!」 「変じゃない」 「へん!だって……あ!」 両手を叩いて、判りやすく「良いことを思い付いた」という明るい顔になったは、すぐさまぴったりと横にくっついて来たかと思うと、箱に残っていたチョコレートの一つを手に取った。そしていまいち現状が飲み込めていない此方の顔をずい、と覗き込んでくる。「はい、どうぞ」という言葉と共に、右手に持っていたチョコレートを近付けてきた。彼女の手元と、彼女の顔を順番に見比べる。どちらも至近距離だ。黙っている間にも、ぐいぐいとその距離は縮められていく。 「…俺はいい」 「よくない!織田作さんだけってずるいから!」 「そういう、」 云い掛けたところで、チョコレートと自分の唇の距離が零になった。根気強くが、チョコレートを口許にぐいぐい押し付けてくる。口を開けてくれるまでやめない、という強い主張が見て取れる。む…、と彼女の表情を見下ろして、その表情が思った以上に楽しそうで、はしゃぐような表情だと云うことに、少し頬が緩みそうになった。無駄な抵抗だろうな、と早々に白旗を上げて、口を開ける。参った。お前のそういう顔には、敵わない。途端に口の中に広がる甘さに、美味いかどうかを考えるより先に、朝起きて一番に食べる物がチョコレートだなんて経験は今日だけだろうな、と思った。いや、若しかしたら来年の今日も同じ事になるかもしれないが。 「美味しい?」 「…ああ」 「やった!…む…でももっといっぱい食べてほしかったのになー…織田作さんが食べる前に食べちゃったからなー…」 「そう落ち込むな。お返しを購うときは沢山個数が入っている物を探す事にする」 「本当!?じゃあねえ、ホワイトデーには食べさせ返しするから!今度はね、織田作さんが購ったチョコを、織田作さんに食べさせるからね!」 「…いや、多分またお前に食べさせる事になると思うぞ」 「なんで!?駄目だよ!」 首を振って、またすぐにハッと思い付いた顔をして、チョコレートを一つ彼女がつまんだ。「織田作さん、あーんだよ!あーん」それが口に押し付けられるより早く、掠め取って彼女の口に放る。しまった、とショックを受けた表情はほんの一瞬だ。次の瞬間には両頬を押さえながら目をきゅっと瞑り、ふるふると頭を振った。「美味いか?」尋ねれば、ぱっと顔を上げる。きらきらと目を輝かせて、大きく頷いた。自然と自分の口元が緩むのが判る。気付いた時には、彼女の頭を撫でようと腕を伸ばしていた。動物扱いはしていない。犬より猫より、お前だから愛らしいんだ。 チョコレートを 吐いた指
(どんなに甘いそれだって、彼の、彼女の、甘さにはかなわない)170207
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