逮夜の落雷
 机の上に写真と書類を大量にばら撒いて、乱歩さんは機嫌良さそうに、自慢気に、私へ笑った。恋人へ贈り物をするような、嬉々とした表情だ。喜んでくれるだろう、と言いたげな、自信に満ち溢れた表情。私はその場で呆然と立ち尽くす。何が目の前で行われているのか、頭がついていかない。言葉だってどこかへ失せてしまった。何も云えずに、立ち尽くした。そんな私にお構いなしに、乱歩さんは一枚の写真を摘み上げる。そしてそれを私の眼前に突き付けて、こう云った。「約束の証拠写真だよ!」と。

「君ってば、いくら僕が説明しても認めようとしないんだから。自らの足で証拠を集めたりだとか、聴き込みをしたりだとか、そんなの僕には必要無いし面倒だからしたくもなかったんだけど、君がどうしても証拠を見ないと納得しないって我が儘を云うから仕方なく、ね!まあ、けど簡単な仕事だったよ。だって君の恋人、隠し方が雑って云うか、ツメが甘いなんてレベルじゃない。隠す気なんて無いんじゃないかってくらいだったよ。君も本当は判ってたんじゃない?気付かないってよっぽどの馬鹿だよ!気付いているのに、自分が騙されているのを認めたくなくて気づいていない振りをしていたんだろうけど。これ、浮気現場の写真。最近じゃ外で隠れて会うんじゃなく堂々と浮気相手を自分の部屋に呼んでいたみたいだから余計に君も怪しいと思ってたんじゃない?だってほらここの通話記録が残ってる日なんてさ、浮気相手が寝たベッドで数時間後君が寝たっていうことになるし。ベッド周り知らない女の匂いが残ってなかった?どうやら浮気相手の女性が使っている香水は君の恋人が数ヶ月前の君の誕生日に贈った物の、」
「もういいですっ!!」

 腹の底から声を出して遮ったら、それまでつらつらと言葉を発していた乱歩さんの唇がぴったりと動きを止めた。乱歩さんの指に摘まれた写真には、私の恋人と、知らない女が映っている。まるで普通の恋人同士の様に幸せそうに笑って腕を組んでいる。視線を下げて別の写真を視界に入れれば、そこには見慣れた車の中で知らない女と口付けを交わす私の恋人の姿があった。目眩がする。あの助手席にはいつも私が座っているのに。座っていたと思ったのに。

「私、こんなこと頼んでないじゃないですか!!調べてくれなんて言ってない!相談だってしてない!知りたいだなんて思わなかった!!こんなもの見せつけて、満足ですか!?人を嘲笑って愉しいですか!?馬鹿にして、愉しいですか!?傷つけて、こんな…っ、酷い…」

 知りたくなんてなかった。それは、騙されたままがよかったということだろうか。そんなの、それこそ惨めで、おろかで、救いようがないって、判ってる。乱歩さんのことだから、今回のことを善意でやっていたかどうかなんて知らないけど、だけど私の言葉はきっと、只の八つ当たりだ。乱歩さんは以前からしつこく私に、「君の恋人は浮気してるよ」と囁いていた。そんなわけがない、失礼だ、と突っぱねて信じようとしなかった私に、「自分の推理が間違っているわけないじゃないか」と、こうして、動かぬ証拠を突き付けて、ほら云った通りだ、と胸を張りたかったのだ。乱歩さんはいつもそうだ。他人の気持ちを考えない。真実を告げるだけ。それがいくら残酷な真実であっても、「本当」を話すだけ。
 顔を上げて、乱歩さんを睨む。涙で潤んだ瞳で睨まれたところで、この人は何も感じないかもしれないけれど。そう思って、睨んだ。けれど乱歩さんは私のそんな表情を見て、呆然としていた。唇の動かし方を忘れたように、そのまま停止していた。私はその場に留まることが耐えられなくて、背を向ける。視界から乱歩さんが消えるけれど、その直前に見た彼の表情は、どこか、子供のようだった。大人に置き去りにされて、どうしたらいいのか判らなくなっている、小さな子供のようだった。

「待って」

 私は待たなかった。早歩きでその場所から離れて、結局走りだした。後ろから、もう一度「待って」と聞こえた。今度はさっきより少し大きな声だった。私は走って、無性に泣きたくなって、だけどもうすでに泣いていたから堪えが効かなくなって、ぼろぼろに泣いた。もう「待って」という声は聞こえない。あの人が口にしていたとしても、もうここまでは聞こえない。
 しばらくして私は足を止めた。顔を覆って泣いた。ハンカチが鞄に入っていたけれど取り出すこともできなかった。子供みたいにわあっと泣いた。何度拭っても涙は溢れてきた。
 不意に後ろから、「待って」と聞こえたような気がした。私は振り返らなかった。誰かの気配がそこにあった。どうやら追いついてきたみたいだけれど、乱歩さんが全力で走る姿なんて想像が付かなかった。だから、「追いかけてきたのか」とは思えなくて、ただただ、「そこにいるのか」と思った。そこにいるということは、追いかけてきたということだから、走ってきたということになるのだけれど、どうしてもやっぱり乱歩さんが私を走って追いかけてくる姿なんて想像できなかった。
 きみが、と声がした。走ってきた人間が使うような、息の吐き方だった。私は振り返らない。

「君が、不幸なのは嫌だ」

 その声は言った。

「すごく、嫌だ!納得がいかない!」

 子供のような言い分だった。

「嫌だ!!あんな男とは早く別れろ!!僕が嫌だからだっ!!」

 駄々をこねる大きな子供が、そこに立って、私を見ていた。いつの間にか、私は彼を振り返っていた。