|
「敦さん、矢っ張り申し訳無いですよ。私が持ちますから、敦さん」 「えっ?あ、いいですよ、そんな…これくらい軽いですから」 「いいえ。そう云う訳にはいきません。私に任された仕事ですもの」 そう云って僕の手から紙袋を四ついっぺんに取り上げようとするさん。確かに僕が勝手に荷物を持ったけれど、彼女のこのきっぱりとした言い様は、僕に遠慮していると云うよりも、自分の仕事を取り上げられて意地になっている様に見える。普段淑やかな女の子だけれど、実際は強情で時に頑ななんだと、以前太宰さんが言っていたのを思い出す。成程、確かに。きっ、と真っ直ぐに僕を見据える瞳に圧倒されて、「ええと」と視線を泳がせた。 「でも、重いでしょう、こんな大荷物。事務所で使う消耗品とか…」 「大丈夫ですよ。国木田さんに頂いたリスト通りに購いましたから。余計な物は何一つ無いはずです」 「え!?い、いや、そういう事を云ってるわけじゃ…」 「女性だからと云って必要以上の気遣いは無用です。今は男女同権の時代ですよ!さあ、渡してくださいまし!」 「ちょっ!?あ、待っ、」 高らかに宣言して意気揚々と僕から荷物を取り上げたけれど、その瞬間重力に耐え切れずさんの細腕がガクンと崩れ落ちた。べしゃ!と尻もちを付いたのは紙袋の底だけだったけれど、さん自身ももちろんバランスを崩す。慌てて僕が支えると、一瞬の沈黙の後、ぎぎぎとさんが首を動かし、僕の顔を振り返る。恥ずかしかったのか、声にならない呻き声を上げて、何か言い訳をしたそうにこちらを見ている。 「〜〜っあの、これは、敦さん、違うンですよ、ええ、ええ、本当に」 「あ…ハイ、ええと…とりあえず半分こでいいですか?荷物…」 本当は全部僕が持ってしまっても構わないけれど、それじゃあ何時まで経っても彼女は納得してくれなさそうだ。僕の提案に大人しく頷いたさんに、なるべく軽い袋を二つ選んで渡して、改めて探偵社の事務所へ向かって歩き出す。先程まで荷物を持たせて持たせてと矢継ぎ早に抗議してきたのが嘘みたいに、さんは俯いて、黙りこんでとぼとぼ僕の後を付いてくる。若しかして、いや若しかしなくても、かなり落ち込んでいるんだろうか。僕は何か間違ったことをしてしまったんだろうか。買出し中のさんに偶然出くわして、それとなく荷物持ちを請け負ったんだけど。だって彼女の持っているリストに書かれた買い物、明らかに女性一人で持てる量じゃなかったし。良かれと思って遣ったけど、本当は遣らない方が良かったんだろうか。ぐるぐると頭の中で思い悩んでいると、後ろからさんに「敦さん」と名前を呼ばれる。振り返るより先に、僕の隣へさんが寄ってきた。 「すみません、本当に。気を悪くしたかもしれませんが…その…」 「い、いえ、こちらこそすみません…気を悪くさせちゃったのは此方の…」 「……」 「……」 お互いに暗い顔でしょんぼりと謝り合う。そんな、端から見たら可笑しな遣り取りに、僕とさんはどちらからとも無くクスッと笑った。たったそれだけで、僕ら二人の間にあったどんよりとした空気が変わる。 「お優しいんですね、敦さんは」 「いや、そんなことは…」 「…さっきの、本当に、ごめんなさい。せっかくのご厚意を、突っ撥ねるような言い方をしてしまって」 「そそそんなに謝らなくても…!僕の言い方もその、ほら、押し付けがましかったといいますか…」 「いいえ、敦さんが優しい方だって、私知っていますから。善意で言ってくださったの、ちゃんと伝わっていますよ」 にっこりと微笑んで、僕のことを優しい優しいとこれでもかってくらいに褒める。なんだか無性に照れくさい。だけどこの穏やかで淑やかな振る舞いこそが、いつも通りのさんだった。さっき見せた強気な一面が、珍しいんだ。そんなに、荷物が持てないと思われたことが癇に障ったんだろうか。頼まれたからには遣り遂げたい、責任感の強い人なのかな。それとも…「女性だからって」とか「男女同権なのに」とか口にしていたし、「そう云う扱い」が嫌いなのかな。考えていたら、じぃっと彼女の顔を凝視していた様で、さんが僕に「どうかしましたか」と首を傾げる。はっと我に返って、「いやあ、その」と視線を泳がせた。 「なんと云うか…国木田さんも薄情ですね、こんな量の買い物を一人に頼むなんて…あ、えっと、女性一人にって意味じゃなくて!人数的な意味で無茶だなーって」 「ああ…いえ、その、違うンですよ」 「え?」 「国木田さんもそこまで鬼じゃありません。優しい人です。ちゃんと『一人じゃ大変だから、他の誰かに声を掛けろ』と云ってくださいましたから」 「え…じゃあ…」 「…私が勝手に、『一人で遣ってやる!』と意気込んだだけです。…なのに情けないですね。敦さんに気遣って頂いたのに強がってしまうし…そのくせ結局持てなくて迷惑を掛けて、元も子もないというか…」 はあ、と心底落ち込んだ溜息。本当、しょんぼりとしている。そんな彼女になんて声を掛ければ慰めになるのか、考えても、すぐには気の利いた言葉が出てこない。口元に手をあて、うーんと唸って、悩んで、ようやく出てきた言葉は、何処にでもありそうで、誰にでも言えそうな、当り障りのない言葉だった。 「その…国木田さんが『誰かに頼れ』って云ったのは、さんが頼りないからじゃなくて、その方が効率が良いからじゃないでしょうか」 「…効率、か。確かに国木田さんの考えそうな事だけれど」 「はい。女性だから、とかじゃなくて…」 「だけど敦さんは、一人であの量の荷物を持てたでしょう?」 「それはー…」 「男だから、と仰る?…矢っ張り、鍛えないと駄目ね…頼ってもらえない」 斜め下を睨みながらのその呟きは、僕に向けてではなく、自分に言い聞かせている様だった。駄目だ、ちっとも励ませてない。ぶつぶつと自分の力の無さに対する恨み辛みを吐いているさんは、また穏やかな通常形態から強情な彼女にスイッチが入ってしまった様で、隣にいる僕に構いやしない。どうしてそこまで、一人で遣り遂げることに拘るのだろう。 「…与謝野さんなんて、出掛ける前に荷物持ちを見付けて全部持たせちゃうのになぁ」 両腕で抱えきれないくらいの荷物を持たされて、与謝野さんはずんずん先を歩いて、それでいて時折振り返って、落とすンじゃないよ、と忠告された時の事を思い出す。あの時荷物持ちに指名されるのを他の皆が嫌がって逃げたのを見るに、毎度毎度あんな感じなんだろう。それに比べてさんは、荷物持ちなんて要らない、と一人で買い出しに行く。同じ女性でも、こうも違うなんて―。と、視線を感じてそちらを見ると、さんが目を丸くして僕を見上げていた。何か変な事を口走っただろうか。 「…さん?」 「あ…いいえ、何でも無いです」 「そうですか…?」 「ふふ、与謝野先生ですもの。当たり前ですよ。あのひとに荷物を持たせるなんて、とんでもない」 「あはは…まあ、そうですね。社員の皆怪我が絶えなくて何時もお世話になってますし、頭が上がらないのかも」 「ええ、だって先生の荷持ちになら、誰もがすすんで為りたがるでしょう?」 「あはは…そう、……、…え」 ひく、と口元が引き攣った僕に気づかず、さんは先を歩く。なんだか会話が噛み合っていない気がする。だけど彼女が「与謝野先生ですもの」と口にした時、その声はとっても、楽しげで、誇らしげで。あのぅ、とその後姿に声を掛けたら、それと同時に、「そうだ!」とさんは振り返る。多分、僕の声に応えたわけでなく、何かをタイミング良く思いついただけなんだろう。 「忘れる所だった!和菓子屋さんに寄って行きましょう、敦さん」 「え?」 「買出しついでに少し寄り道したって国木田さんは怒りませんよ。付き合って頂いた御礼に私が奢りますから、さあさあ」 「は、はあ…さん、和菓子が好きなんですか?」 「先生がお好きなんですよ、あそこのお店のお菓子」 「先生…って、与謝野さん?」 「ええ、ええ勿論。先生にお土産を購って行かなくっちゃ」 「はは…頼まれていたんですか?」 「いいえ?私が先生に食べて頂きたいから」 足取り軽く和菓子屋に入っていく後ろ姿をぽかんと見つめ、彼女がこちらへ帰ってきたと同時にお饅頭を手渡される。戸惑いつつもお言葉に甘えてそれを受け取った。…事務所でも、さんがいつも与謝野さんと一緒にいるのは分かってる。さんは異能を持たないけれど、与謝野さんの付き人の様なものだと思っておきなさいと、以前太宰さんから説明を受けた。そう、前からさんが与謝野さんを慕っているのは知っていたけれど、なんというか、ここまでだとは。(だって与謝野さんの話になった途端、さんとってもイキイキしてる) 「さんは本当に与謝野さんの事を慕っているんですね」 「ええ。それは勿論、あんなに格好良くって強くって美しい女性、他にいないでしょう?」 「それは…」 「おまけに優しくって慈悲深く素敵なお方…慕わずにいられるものですか」 「そ、そう…なんですかね…?」 話を聞いているとつらつらとまるで聖女のようだとでも云う様な例えが飛び交って、与謝野さんが凄い人だと云うのは分かっていても、さんの崇拝っぷりに思わず後ずさる。そんな僕に気づいて、ぴたりと口を閉じたさんは、その直後にふふ、と肩を揺らして笑った。可笑しそうに笑った。 「殿方には判らないでしょうねぇ、ええ、えぇ、本当に」 愉快そうに口にしたその言葉に、一瞬ぽかんとするけれど、考えてみれば、確かに。「同じ女性としての憧れ」と云うものがあるのなら、男である僕には分かり得ない部分があって当然なんだろう。そう云えば与謝野さんも、「女の癖に」と罵られた時、かなり色濃く怒りを露わにしていた気がする。荷物が持てなくて「女」であることを気にするさんにとって、強い女性である与謝野さんは本当に憧れなんだろう。 「あはは…そうかもしれませんね。でも、僕にとってはさんも、与謝野さんと同じ様に、強くて格好良い女性ですよ」 芯があって、真っ直ぐで。ここぞという時、一歩も引かない強さがあって。力が無いと頼ってもらえないと悲観する必要は、無いと思う。僕にとっては、頼れる人だ。というか、探偵社の人たちは皆、頼れる人ばかりで。僕なんかの言葉で勇気づけられるとは思わないけど、それでも僕は思ったままに、彼女に伝える。そうするとさんはきょとん、とまばたきを繰り返して、何か言いたげに薄く唇を開いて、それから――、笑った。とても綺麗に、ふわりと。一瞬見惚れるけれど、何故か、僕は分かってしまう。その笑みは、喜びからの物ではないんだと。諦めたように、さんは笑った。 「ありがとう、敦さん。でも、私は―…」 和菓子屋の包みをぎゅ、と抱え直しながら、さんは静かに目を伏せた。長い睫毛を一本一本数えるように、僕は彼女から不思議と目が離せなくなる。だけどその直後、ピピピ、と彼女のポケットの携帯電話が鳴った。しん、とお互い目を合わせたまま黙りこむ。僕がハッとして「どうぞ」と声を掛けると、申し訳無さそうに苦笑いして、さんは携帯電話を取った。その電話の相手の名前を見ると、ぱっと表情を明るくする。 「もしもし、先生?…ああ、違うンです。昨日はお疲れだったでしょう、今日は一日ぐっすり休まれた方が良いと思って…ええ、…ああ、判りました。勿論です、はい…ええ、では、すぐに」 電話を切ると、くるりと僕を振り返って、「帰りましょうか!」と明るく笑いかけた。若しかしたら電話口で、それとなく「早く帰っておいで」と言われたのかもしれない。与謝野さんに。嬉しそうな表情に微笑ましさを感じつつも、さっきの諦めたような微笑と、「でも、私は」に続く言葉が気になってしまう。いいや、タイミングを逃してしまったし、諦めよう。忘れよう。そう言い聞かせて歩き始めると、思っていたより簡単に、軽く、さんが「そうそう、さっきの話の続きだけれど」と口を開いた。 「私が男の子だったら、与謝野先生の荷持ちを何時だって一人で買って出ます」 「……え?」 「私が男の子だったら、何時だって先生の傍に控えて、危険な役割を肩代わりさせてもらいます」 「は、はあ…」 「私が男の子だったら、強くて逞しい殿方になって、何時だって先生をお守りします」 「ええと…」 「私が男の子だったら、外出の帰りには必ず先生の好きな和菓子を購って帰って、お茶を淹れてさしあげたい」 「あ、あのう、さん」 「まだありますわ。私が男の子だったら、先生の身の回りの事全て遣ってさしあげたい。お料理もお裁縫もお洗濯も、何だッて私が遣ります。先生が喜ぶ事なら全部。先生が治療する相手が居なくて退屈になった時には何時でもすぐに体を差し出す事だって」 さっきの話の続き、なんだろうか?本当に?「でも私は」の続き?放っておくとまだまだ続きが飛び出しそうなさんに何故か急激に焦って、胸の前でブンブンと手を振りながら「お、落ち着いてさん!」と声を掛ける。はっとするわけでもなく、さんはキリッとした表情で「落ち着いていますよ平常運転です」と返事をした。ええ、いやあ、そういうンじゃなくて!さんが与謝野さんを本当に慕っているのはよく判ったから! 「大体、和菓子を購って帰るのも、身の回りの事をするのも、男にならなくっても出来る事じゃないですか。どうして…」 どうしてそこまで、「男だったら」に拘るんです?与謝野さんに憧れているのなら、同じ様に強くて格好良い女性を目指せばいいだけじゃないですか。「どうして女のままじゃ駄目なんです?」――僕の言葉を聞いて、さんは丸い瞳をもっと丸くして、ぽかんと口を開けて、足を止めた。深い意味なんて無かった。思ったままの疑問を口にしただけだった。だけど、僕はなんだかとっても、口にしてはいけない事を口にしてしまった気持ちになって、はっ、と口を覆った。だけど、どうして僕がそう思ったのか、どうして僕の手は口を覆うよう自然に動いたのか、僕にも判らない。判らないけれど、唯一つ判った事は、 「…殿方には判らないでしょうねぇ。…ええ、えぇ本当に」 そう云って小さく微笑んだ彼女はちっとも心から笑ってなんかいないって事。そう、そうだ、その通り。僕には彼女の気持ちが、一生懸かっても判らないんだろう。男である自分には、判らない。だって、彼女が一人で荷物が持てるくらいの力が欲しいのは、女だからと舐められるのが嫌だからじゃない。与謝野さんの荷持になれたらいいのにって、ただそれだけの理由なんだ。そんな彼女の気持ちを、僕は理解してあげる事が出来ない。僕が先ほど口にした「さんだって与謝野さんと同じ強くて格好良い女性ですよ」という言葉は、どんなに努力をしようが貴女が女性である事は変えられないンですよ、と、そんな当たり前の事実を彼女に突き付けただけだった。その事実を、彼女がどう思うのか、矢っ張り僕には判らない。だって僕は、男だからだ。彼女が「自分は女だから」と云う理由だけで胸の内に押し留めている、大好きなひとへの気持ちを、僕は永遠に知る事は無いんだろう。 「先生、先生、只今戻りました」 「あぁ、お帰り。おや、敦も一緒だったとはねェ。珍しい組み合わせじゃないか」 「先生、お菓子を購って来ましたよ。すぐにお茶を淹れますね」 「アンタは本当に気が利くね、流石は妾の可愛い可愛いだ」 「ええ、ええ、は先生の為のですもの。何だッてしますよ、先生」 「そいつは頼もしいねェ。……敦?さっきから何を呆けてるンだい?」 戻れない胎盤 (私が男の子だったら、貴女に「頼もしいね」なんて嘘を吐かせる事もなかったのに)そんな声が僕には聞こえる。 |