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「…、何むくれてんのォ〜?」 「……」 「それ食わねーの?オレ食ってやろーか?」 皿の上のスパゲティを時折フォークにぐるぐると巻き付けるだけで、いっこうに口へ運ぶ気配のないを見かねて、ナランチャがそう言った。具合が悪そうだ食欲が無さそうだとか、しょぼくれて元気が無さそうだとか、そういう感じではなかった。ピンク色をした唇をくちばしのように突き出して、食べる気のない料理をいじいじとつっつく様子は、明らかに「むすっと」している。 ナランチャがそれ――彼女の食が進んでいないことと唇を尖らせていること――に気付いたのは、たまたま仲間たちとのおしゃべりが途切れて、たまたまそっちを見た時だった。仲間たちの会話にが参加していなかったことや、このテーブルについた時からすでに機嫌が悪そうだったことに気付いていて気を遣ったわけではなかった。 「本当だ。君、そのスパゲティお気に入りだったでしょう。どうしたんです?」 「虫でも入ったんじゃあねーのか。ツイてねーなあ、別のモンでも頼んだらどうだ?」 ナランチャの言葉で他の人間もの方へ視線をやった。彼らの中で唯一、アバッキオだけはナランチャが気付くより先にの様子がおかしいことに気が付いていたが、面倒そうなので何も言わなかった。べつにその態度は彼女のことなどどうでもいいと冷たいわけではなくて、薄々その不機嫌の理由が想像ついて、想像ついた上で面倒だったので何も言わなかったのだ。 事実、黙り込んでいたがぼそりと「昨日ブチャラティがさあ」と呟いた途端、多少心配してやっていたフーゴやミスタも「ああ、なあんだ、いつものか」という呆れた顔をした。面倒なのが始まった、程度に。 「きれ〜〜な女の子に馴れ馴れしく声を掛けられてるのを見たのよ」 「あ、そう」 「『ブチャラティ、この間はどうもありがとう!』『ああ、君はこの間の。その後どうだい?』みたいな、そんな感じに。二人にしかわからないような、わざとらしーく『あのとき』だとか『あれ』だの『それ』だのって言いながら。あの娘、絶対ブチャラティに気があるのよ。もうバレッバレなわけよ。『よかったら今度改めてお礼をさせてほしいんだけど…』なんて頬を染めてさあ」 「べつに今に始まったことじゃあねーだろ。よくあることだ」 わざときゃぴきゃぴ高い声で娘の真似をして、キリッとした声の調子でブチャラティの真似をして、と忙しくその現場を再現するに、アバッキオが興味なさそうに呆れて鼻を鳴らした。そう、よくあることだ。この街ではよくある。ブチャラティは裏社会の人間でいて、この街の住人からの人望が厚い。老若男女問わず、だが、特に女性が放っておかない。そうやってブチャラティが見知らぬ女と仲良く話しているのを見て、はいつもすこし離れたところで頬を膨らませるのだ。 「私思うんだけどさ〜あ…ギャング映画も小説も、偶然巻き込まれた一般人の女だとか、敵組織の女スパイだとか、そういう女がイイ思いしすぎじゃあなーい?」 「そうかあ?」 「そう!もっとさあ、例えば同じチーム内のリーダーと部下の女がイチャイチャする話とか、そういうのないの?」 「まあ、面白味があるかどうかって話でしょう。一般人だのスパイだのが相手の方がストーリーが立てやすいんじゃあないですか」 「許されないアブナイ恋、みたいな?…え、ダメなの?同じ組織の男女ダメ?なんでよ!それ題材で面白い脚本書いてよ!」 「『例え』として言ったんです!ぼくは脚本家じゃあありませんから」 「オレあんまり映画とか観ねーけどよォ〜、ギャングが主人公で、その男のこと一方的に好きな部下の女だろォ〜?女のほう途中で死にそ…」 「なんで一方的って決めてんのよう!最後には好き同士になるのよ!」 いつの間にかの分のスパゲティの皿を自分の前に持ってきて食べていたナランチャを、が睨む。ミスタが片手に持ったフォークの先をくるっと空中で持て余しながら「へえ〜〜!死んだ部下の女のことは吹っ切って、新しい一般人の女とデキるってオチだな、そりゃあ!」と意地悪く笑った。すかさずが今度はそっちに首を動かして、きいっと睨む。 「一般人になって恋愛ごっこしたいっつーなら、今からでも組織から足洗ってブチャラティにチョッカイ出せばいいじゃあねーか」 「そういうんじゃあないの!」 グラスの中のワインを揺らしながらアバッキオが言った適当な台詞に、むきになってが返す。けれど内心、彼が軽く言った言葉は、冗談だとわかっている。そう簡単にこの裏社会から抜け出して、街でブチャラティに笑いかける娘の内の一人になれるわけがないのだし。こういった生き方しかできなくてここにいるし、ここにいるという運命がブチャラティと巡り合わせたのだ。それはわかっている。わかっているのだけど。 「…べつにさ、ブチャラティと恋人になりたいだとか結婚したいだとか、ブチャラティの子供が欲しいだとか、そういうんじゃあないのよ。そんないかにも『女』って生き物になりたいわけじゃあないの。たださ、そういう人生を考えることができる立ち位置にいるあの女の子たちがちょっぴりうらやましかったっていうかさ…そういう弱者の立場っていいな……ううん、でもブチャラティの弱点になりたいわけじゃあないから……じゃあやっぱりこのままがいいのか…」 「……」 「…」 「…」 「でも……待って…ブチャラティの子供…ちょっと欲しいかなあ〜…絶対かわいいよねえ〜〜ちっちゃいブチャラティ…」 「…オレやっぱり女の子の気持ちってわかんねーなあ」 「コイツは特に、だろ。ほっとけほっとけ」 妄想の世界に入り込んだに、その場の男性陣がみんな「はいはい、解散解散」という呆れっぷりで肩を竦めた。ちょうどその時だ。彼らのいるこの店内奥のテーブルに、先程から話の中心人物であったブチャラティが顔を出したのは。はっ、と飼い主を見つけた犬のように首をそちらに捻って目を輝かせるに、またこっそりみんながやれやれと思った。口には出さなかったけれど。とりあえず、と一番最初に声を掛けたのはフーゴだった。 「遅かったですね、ブチャラティ」 「ああ、すまない。そこの通りで人に呼び止められたんだ。気にせず先に食べていてくれてよかった」 「…人に呼び止められたって、誰に?」 数秒前の輝いていた目が一変、疑うようにじとー、と細められたの目に、ブチャラティがすこし面食らう。ミスタが頬杖をつきながら「あーあ、訊いちゃった」と言うようににやにや二人のやり取りを楽しんでいた。 「もしかして、髪が長くてさらーっとしてて瞳が綺麗な緑で背が私より高くて脚が長くておっぱいが大きくてスタイルの良いあの子!?」 「うわあ〜…勝ち目無かったんだなァ〜…」 「シッ。ナランチャ、下手に刺激すると面倒なことになりますよ」 「ああ…確かに美しいひとだが…なんだ?もアルバーニさんのところの娘さんに会ったことがあるのか?」 「あっ…たことはある、けど!昨日!昨日、だって、ブチャラティに話しかけてたじゃない…!」 うう、と呻くように声がしぼんでいき、は結局視線をブチャラティから外して、唇をへの字に曲げてしまった。眉はハの字だ。顔は上げないまま、「…なんの話してたの」と小さく呟いた。目を合わせて訊ねることはできないらしい。自身、こんなこと問い詰められるような立場の人間ではないと重々承知しているので、なんでお前にそんなこと教えないといけないんだ?関係ないだろ?と言われるのが怖かった。けれど言われて当然とも思っていた。そんな後ろ向きの気持ちのせいで、顔は上げられないし、声も小さくなった。 面倒な乙女心を知ってか知らずか、降ってきたブチャラティの声は随分優しいものだった。 「知ってたなら話は早いな。この間酔っ払いの喧嘩に彼女が巻き込まれてるところを助けたんだ。その時のお礼に、ってな」 「…お、お礼に何!?」 まさか「プレゼントはわ・た・し」みたいな、「おさわり一回サービスよッ」みたいな、そういう話を持ち出されたんじゃあないでしょうね。バッと顔をブチャラティの方に思わず向けると、彼はその手にあった箱をひょいと胸の高さまで持ち上げて見せた。ナランチャが「なになに〜!?何もらったんだ!?」とつい話に首を突っ込んで前のめりになる。ブチャラティが寄越した箱を受け取って、ナランチャが代わりに開けた。ふわりとおいしそうな匂いがして、もナランチャの横から箱の中身を覗き込む。 「リンゴケーキ!」 「うまそう!コレ、その子が作ったのかな〜」 思わずぱあっと再度目を輝かせただったが、ナランチャの言葉でハッとしてぐぬぬと唇を噛んだ。そうだ、これはあの女の子がブチャラティにと贈ったものだ。ブチャラティのために作ったものだ。いわばライバルの実力を見るものであって、そりゃあとってもとってもおいしそうだけど、素直においしそうと言ったらなんだか負けた気持ちになる。リンゴケーキだなんてそんな、定番の家庭的なケーキを選ぶなんて、なんてあなどれないのかしら――…しかし、ふととある事実に気づく。焦ったように顔を上げて、はブチャラティに言った。 「で、でもブチャラティ、リンゴ好きじゃなかったよね…」 焦った、というのは少し違うかもしれない。でも、その事実に気付いたとき居た堪れなくなった。胸がそわそわした。相手がブチャラティの好みを把握していないことに対して優越感を抱くどころか、自分が「ずるい」気がした。相手の知る由もないことをすでに知っている自分が、恋のライバルにずるをしている気持ちになった。相手の嫌いなものを贈ってしまったと知ったらあの子は悲しいだろうし恥ずかしく思うだろう。受け取ったときのブチャラティの気持ちを考えても、居た堪れなかった。彼はとてもやさしい人だから、申し訳なくなったかもしれない。相手を傷つけないように、笑顔を浮かべて受け取ったんだろうか。でも嘘をついてしまったのを気にしているかしら。――なんて、なんだかいろいろ二人の気持ちを考えてしまって、妙に気持ちが縮こまった。でもだって仕方ないことなのだ。ちょっとした切ないアクシデントだ。でも、なんだろう、立場が違えば自分は彼女側だったかもしれない。ブチャラティが来る前に話していた話題のこともあって、あの子の失敗がなんだか自分のことのように胸にくる。もしもの、一般人の自分。あの女の子と自分を重ねて、勝手に、頬がカッとした。 「だが、はリンゴのケーキが好きだろう?」 「……えッ」 「おまえが喜ぶと思ってありがたく貰ったんだが…なんでそんな顔するんだ?オレはいいから、その分が食べてくれ」 「…ブチャラティ……」 「えーっ!?オレは!?オレも食べていいよな?」 「…まあ、元々『みなさんでどうぞ』って大きさだろ、こりゃ」 「食後のドルチェはまだだったもんな〜。ナイスタイミング!」 余計に顔が熱くなった。リンゴのケーキを受け取ったときのブチャラティは、せっかく貰っても自分は食べられない、という申し訳ない思いではなく「ありがとう。ちょうどリンゴケーキが大好物のヤツが身近にいるんだ」と笑っただなんて!女の子が意中の相手にとびきりおいしいケーキを焼いて渡すとき、その相手の男は別の女の子の顔を思い浮かべているだなんて!その「頭に浮かんだ女の子」が、私だなんて!嬉しいんだか、罪悪感なんだか、は胸の中がごちゃごちゃした。 「こらナランチャ、適当に切ろうとするんじゃあない!ちゃんと人数考えて…」 「えぇ〜?だってブチャラティは食わねーじゃん?じゃあえっと…えっと…ここにナイフ入れたらこうだろ?」 「でも、でもね、『みなさんでどうぞ』だとしても、ブチャラティも食べてくれるって思っての『みなさん』だと思うのよ。あの子にとって」 「ン。そうだな…確かにオレが食わないんじゃあ彼女に失礼だ」 「ホラ!こっちの分な!」 とブチャラティの会話なんてお構いなしにナランチャがの目の前に切り分けたケーキを置いた。思ったより大きい一切れだったので、おそらく「等分」という言葉はナランチャの頭に無い。するとブチャラティがそのケーキを指さして、に言った。「やっぱりオレにも少しくれないか」と。はこくこくと頷きながら、なるべくリンゴを避けて食べられるような場所を、ケーキをあらゆる方向から観察し、探した。それでもごろっとしたリンゴが切り離したほうにのっかってしまって、慌てて自分の分に移しのせた。よし、これで完璧、と達成感たっぷりにブチャラティの方にケーキを差し出したら、一連ののリンゴ嫌いな自分に対する気遣いを見ていた彼は、笑っていた。べつに小さい子供の食べ物の好き嫌いとは違う。抜いてくれ食べたくないと頼んだわけでもないのに。 「は本当にやさしいヤツだな」 事実、彼女は自分が思っているより心優しい人間だった。こうやってブチャラティに褒められて、本当なら嬉しさいっぱいなはずなのに、嬉しさだけでなく、このケーキの送り主である女の子に、言葉では説明しにくい複雑な感情が沸き上がってくるくらいに。ブチャラティが他に注文を頼もうと店員の方へ向かう間に、はケーキを一口また一口と運び、さっきから黙ってこっちを見ていたアバッキオに呟いた。 「…なんかね、わかっちゃって寂しいのよね。ああ、私が一般人であってもブチャラティは私のものになんてならないな、って」 「……」 「っていうかもう、誰のものにもならないのでは?…なら、今のこの自分の位置って、すっごく恵まれてるわ。他のブチャラティのことを慕う女の子たちよりずっとイイ位置だわ。ずるいくらい抜け駆けだわ」 「そーかい。そりゃあよかった。自慢して回りな」 「そんなの、自分がすごく性格悪い女になったみたいに感じちゃうからイヤ」 「オメーはそのすぐ他人に同情する性格を直せ。『悪い女』にならねーと『ギャングのリーダーの女』にはなれねーぜ」 「でも『ブチャラティの女』には『悪い女』じゃなれないの〜」 なりたくないのー、とぐずぐず言っている。さっきのナランチャではないけれど、「女の考えって…」な呆れた様子で、アバッキオは鼻で笑った。はもぐもぐとケーキを食べる。リンゴを食べる。ブチャラティの分まで。あの一般人の女の子の、愛情も、ブチャラティに届かない分、自分が食べて飲み込んでしまおう。自分の好意もきっとブチャラティには届かないのだし。届かないと納得しているのだから、きっと心底結ばれたいというわけではないのだし。案外本当に、この位置で勝手に彼のことを想っているだけで十分満足なのかもしれない。近くで見ているだけで。それはこの街のブチャラティのことを慕う女の子たちとどこが違うのだろう。同じだというなら、同じのくせに自分だけがブチャラティの近くにいて、ブチャラティの好きな食べ物と嫌いな食べ物を知っているの、やっぱりずるい?…というかブチャラティは、あの女の子の気持ちに気付いているんだろうか。知った上で、なんだろうか。じゃあ、自分の気持ちには、気付いているのだろうか。 がそっとブチャラティの方を見ると、ちょうど目が合った。――うまいか?うん。口の周りについてるぞ。うん?―― 恋心はリンゴの形をしている // あなたはたべてくれないのです |