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「ねえ、トリッシュ…トリッシュさん?よかったら一緒にどう?このお菓子すっごくおいしいの。あ、今買い物に行ってるナランチャには内緒ね。いつもちょうだいちょうだいって言ってほとんど食べられちゃうんだから」 「…いらない」 そっ…かあ〜、と大人しく引き下がって、私は彼女のいるソファーの向かい側に座った。ソファーの肘掛け部分に肘を置いたトリッシュは、床をじっとつまらなそうな顔で見つめるだけ。事実暇というか、何をすればいいのかわからないのだろう。私達にだってよくわからない。ボスの命令で彼女を護衛すると決まって、隠れ家で監視してはいるものの。具体的にこの間彼女にどう過ごしていてもらうべきかとか、何も決まってはいないのだし。とりあえず目を離さないようにと、私はむしゃむしゃばくばくとお菓子を食べながらトリッシュを向かい側の席から眺めていた。ふいに彼女がこっちを見る。 「お菓子の食べかすが床にボロボロ落ちたら気になるわ。もっと綺麗に食べてくださる?」 きょとん、と数秒黙ってから、私は肩を縮こませて「はあい」と返事をした。私の返事を聞くと、トリッシュはまた視線を逸らす。「ダメだね、私いっつもそういうとこガサツで。チームが男所帯だから余計に気にしないようになっちゃってるのかなあ」なんてへんてこな言い訳を並べて、お菓子の袋を一旦テーブルに置いた。ナイフとフォークで食べたらお上品かしら。でも食べづらそう。 「ああいう連中だし、こういう仕事だし、ちっとも私のこと女扱いしないのよ。家族みたいでらくちん。まあ事実私の家族は他にいないから、いいんだけど」 「……」 「…あ、ごめんね。あなた母親亡くしたばっかりだったっけ。でも父親…」 「あなた、おしゃべりね」 よくいわれる!そしてそういわれるときは大抵、「うるさい」と同じ意味だ。だけどさっきは「綺麗に食べて」と具体的に注文してきたトリッシュが「黙って」とは言わない。きっと暇で仕方ないので、一応は話を聞いてくれるということだ。私はおしゃべりだけど、それが活かせるかもしれない。「だって私、おしゃべりしたいんだもの。あなたがちょっとは退屈じゃなくなったらいいなって」トリッシュは何も答えなかった。まっぴらごめんよ!とも言わなかった。ナランチャに頼んだ買い物がここに届いたら、彼女の機嫌ももっと良くなると思うのに。早く帰ってこないかな。 「ね、ナランチャに頼んだ買い物、なんだっけ…えと、ストッキングとほお紅?間違えないでちゃんと買えるのかなあ」 「…間違ったもの買ってきたらあたし、使わない。そのときはあなたが使ったら?」 「えぇ?ダメダメ、私こんなだもの。一度ちょっぴり好奇心で口紅を塗ったら、『人でも食ったのか?』って指さして笑われたの!私おしゃれできないのよ!」 「…」 「やっぱり私、普通の女の子じゃなくなっちゃってるのかしら。マズイかな?ギャングの端くれだからべつにいいのかな?」 「ちょっと、こっちにきて」 うーんうーんと唸っていたら、トリッシュが私をじとっと睨みながら自分の座っている隣をぽんぽんと叩いた。ボスの娘の頼みだし、拒否する理由もなかったので素直に彼女の隣に移動した。すると彼女は私のほっぺたを両手で挟んで、ぐいっと自分のほうに向けさせた。強引。じーっと私の顔を観察すると、彼女はつらつらと話し出した。 「なんだって派手な色にすればいいってものじゃあないのよ。あなた、きっと真っ赤な口紅よりオレンジがかった色のほうが似合うわ」 「へっ」 「あなた用の口紅も買ってくるよう言えばよかった。口紅を塗るとき、ちゃんと鏡を見ながらやったの?ちゃんと輪郭を意識しなくっちゃダメよ。はみだしたなら拭くの」 塗るならまずここからこう塗って、とトリッシュの綺麗な指先が私の唇に置かれる。睫毛の長さまでわかるようなこの距離で、トリッシュはなんの恥じらいもなく私の唇を見つめているのだ。柔らかい感触が、ツツー、と唇を滑っていく。彼女の言葉をぼんやり耳に入れて、突然あっ、と私は気付く。 「トリッシュ、私さっきお菓子食べたから唇きたないかもしれない!」 私は自分の服の裾を引っ張って、トリッシュの人差し指をとりゴシゴシ拭った。それまでつらつら喋っていたトリッシュがぎょっとして口を閉じる。トリッシュは綺麗好きのようだったので、指が汚れたら大変だ。拭き終えて手を離したら、その指をトリッシュはしばらく呆然と見つめていた。自分が何をしていたのか、何をされたのか、信じられないみたいな様子だった。 「…どうして…あなたの服が汚れるじゃない」 「え?でも、フーゴも上着で拭いてたでしょう」 「……」 「…あっ!これも普通の女の子はやらないこと?ダメだったかな…」 しゅん、と肩を落としたら、黙り込んでいたトリッシュが、我慢ならなくなったみたいにパッと顔を上げた。 「あなた、もったいないわ。もとが良いのに」 「この服のこと?汚れても大丈夫よ!洗えばいいんだもの」 「……あたしッ、きたないかもしれないなんて思わなかったわッ!」 このわからずや!とでも言うように語尾を強めたトリッシュは、私にそっぽを向いて、背中を丸めて寝る体勢に入ってしまった。ああ、機嫌、悪くしてしまった。慌てて、さすがにもううるさいおしゃべりはやめようと、口を結んだ。でも、やがてトリッシュがそっぽを向いているのを確認しながら、私はそーっと自分の唇に指でふれてみる。まだ残ってる感触を確かめるみたいに。普通の女の子は、女の子に唇を触られてもこんなにどきどきしないのかしら。 |