ボスからの指令が入ったのは、ナランチャが買い物に「失敗」してぼろぼろの状態で帰ってきてからすぐのことだ。敵に勘付かれてしまった私達に、即座に逃げる方法を用意して指示してくれるボスって、きっとすごく頭が良い。さすが組織の長だ。安全に逃げるための「鍵」は、フーゴ達が取りに行くことになった。そして残った者でトリッシュを守る。…という手筈になったことは、たった今ブチャラティに聞かされた。みんながそういう作戦会議をしている間も、私はトリッシュと隠れ家の二階で過ごしていたからだ。常に誰かしらトリッシュの傍にいなくてはいけなくて、着替えだろうがトイレだろうが、一番近くまで行けるのは私だけだろうということで、今後基本私は戦闘よりも「トリッシュの傍にいること」が仕事らしい。ブチャラティにそう言われたとき、なんだかちょっと嬉しくなって、にこにこ大きく頷いた。べつに、らくちんそうだからじゃないよ。そうじゃなくて、自分でも分かんないけど、まだトリッシュとおしゃべりしてていいんだな、って思うと、嬉しかったんだ。……けど。

「トリッシュ、怒ってる?」
「……」
「でも、ナランチャ結構ひどい怪我だったのよ。あんまり責めないであげて」
「…べつに」

 窓を開けてじっと外を見ているトリッシュ。私のこの位置からは、その表情は読めない。きっとナランチャに頼んだ買い物が手元に届いたら、少しは気持ちが上に向いてくれると思ったのにな。敵との戦闘で、買った物は炎に巻き込まれて全部ダメにしてしまったらしい。悠長に買い直す暇も無く、頼んだものは何一つ持ち帰ってこないままの帰還だった。がっかりしてるかしら。ちょっと連帯責任を感じて申し訳なく思いつつ、「ねえ、あんまり窓際にばかりいると、外から誰に見られてるかわからないから危ないよ」とやんわり声を掛けた。すると、くるりとこちらへ向きなおったトリッシュが、少し強い口調でこう言う。

「べつに責めてないわ。今のあたしはホオ紅一つ満足に買えなくて、ちょっと窓際に立つことも許されないのね、って思っただけ」
「そりゃ、いきなりそんな立場になって嫌だろうけどさあ…」

 ツンとした言い方だ。昨日まで普通にできた生活が今日いきなりできなくなる、なんて誰だって嫌だろうな。平和だったのが、いきなりギャングの世界のアレコレに巻き込まれて。彼女にとっては踏んだり蹴ったりで、嫌な事だらけだろう。こんな嫌な状況でも、「けどこれだけは良かったんじゃない?」って言えるプラスの事態が何かないかな、と私は頭を捻る。

「でも、ひとりじゃなくなってよかったよね。お母さん亡くなって、ひとりぼっちになったと思ったところに、父親の存在がわかったんでしょう?」

 思いついた彼女にとっての一つの幸運を、口にしてみる。トリッシュがしばらく黙り込んで、やがてまた棘のある言い方で言った。

「アンタ達みたいな連中のボスでも?」

 たしかに、その父親がギャングのボスのせいで、母を亡くして一人になったとはいえ「普通の生活」を送るはずだったのが一変、護衛兼拉致され命を狙われ…になってるわけだから、いいことではないのかも。でもどーにか私は、「いいこと」だと思ってほしくて、無茶苦茶を言った。

「たしかに、私もボスのことは知らないけど、でもこんな大きい組織をまとめるのってきっと頭良くないとできないからすっごく頭良いと思うし、あとー…きっとかっこいいよ」
「…何それ。顔見たことないんでしょ。誰も」
「ないよ。でも、だって…トリッシュはお母さんと似てる?」
「え?」
「目が大きいのとか、睫毛長いのとか、肌が綺麗なのとか、形のいい唇とか、瞳の色とか髪色とか…」
「それは…」
「お母さんに似てるところはお母さんで、お母さんに似てない部分のトリッシュのいいところはボス譲りだよ」

 だから、まったく見たことはないけど、きっとかっこいいんだと思う。だってトリッシュが、かわいくて、きれいな娘さんだから。その元になった遺伝子も、いいんじゃあないかしら、っていう理論。うんうん、とひとり納得していると、ぽかんとしていたトリッシュが、呆れたように肩を竦めた。

「いいところだけくっつけて子供が生まれるわけじゃあないのよ」
「そうなの?わかんないよ?トリッシュも父親見たことないじゃん」
「……そうね」

 「そういわれると、そうね」って、気が抜けたように繰り返した。

「それを言うなら、あたしの悪いところが、全部父親譲りかもしれないわ」
「トリッシュの悪いところ?……、…ど、どこ?私じゃあ見つけられないのだけど…」

 彼女の頭のてっぺんから爪先を見下ろして、真剣にそう言った。いくら探しても、分からない。美人だし、スタイルだっていいし、悪いところってどこかしら。眉を寄せている私に、トリッシュが、くくっと小さく肩を上げて笑った。おさえるような小さな笑い声だったけど、確かに笑った。ずーっとツンとしているか無表情だった彼女が。

「そりゃあ、アレコレいっぱい挙げてきたら、失礼ねって引っ叩いてるわよ」
「あ!そ、そっか…ごめんね。探そうとしちゃった。見当たらなかったけど」
「あなた本当、ヘンね」

 変わってる。そう言って、トリッシュは私の向かいのソファーに腰を下ろした。私の持ち込んだお気に入りのクッキーを一枚、綺麗な指先でつまみあげて口に運ぶ。その表情は、それまでより少し、気を許してくれているように見えた。胸の中がポワッとして、嬉しくなる。ごめんね、トリッシュにとっては巻き込まれただけの迷惑な出来事でも、私にはもうちょっと続いても良いかなっていう時間なの、今のこの瞬間。(ちょっとでいいから貴女もそう思ってくれないかなあ、だめかなあ