|
思い出していた。リストランテでみんなとばかみたいに笑いあった日を。記憶の中のブチャラティが微笑む。「お前にとっての『素敵な出会い』ってどんなのだ?」 私は答える。「それはもう、『運命の出会い』ってヤツだよ。話したのが、目が合ったのが、数時間だろうが一瞬だろうが、もう一生忘れられないものになるのよ。そーゆーもんなのよ、『運命』は。もう、逃げらんない感じ! 糸でぐるぐる巻きにされてる感じよ!この人から離れちゃダメだー!ッて」 ミスタだったか、ナランチャだったか、誰かが茶々を入れた。「曖昧だなァ。具体的には?」 私は、答える。そんなの、 「私、まだ出会ってないもの! わかんないよッ!」 けらけらと笑う声。アバッキオも、フーゴももちろんそこにはいた。みんながいて、笑っている。家族のようなもの、か。きっともっと言うなら「兄みたいなもの」だった。口も悪いし行儀も悪いお兄ちゃんばっかりだけど。彼らは私に言う。冗談交じりに。「じゃあその『運命』がやってきたら、オレたちで見定めてやろう」 お前を幸せにできる相手かどうか。オレたちの元から離れるだけの『理由』に、なるかどうか。 コロッセオは、静寂に包まれていた。ほんの少し前まで、死闘を繰り広げていただなんて思えないくらい、私たちの心は静かだった。そこで私たちを待っていたのは、ブチャラティ――の、死体だった。もう動くことはない彼の体に触れると、冷たかった。門の近くにはナランチャの亡骸もある。弔ってあげなければ。故郷の空の下に、お墓を作ってあげなければ。 本当に、たくさんのことがこの短い間に起きすぎた。人生の中の、ほんの何日かなのに。失うものが多すぎた。これから向き合わないといけないものも大きすぎる。疲労感も、喪失感も。 「」 聞くものの背筋を、自然としゃんとさせるような凛とした声だった。大好きだったブチャラティのそれと似ている。名前を呼ばれただけなのに、何か一つ命令されたような気分だ。私はジョルノを振り返る。 彼だけは、ブチャラティの秘密を知っていた。死体のままに私たちと共に行動し、私たちを導いてくれたブチャラティ。そして今そのブチャラティはいない。宿敵であったディアボロもジョルノが倒した。これから、ジョルノがしようとしていること、それがどんなに大変で、壮大で、困難なものであるか、なんとなく分かっていた。 「君は来なくていい、って言うつもり?」 「……」 「これからきっと忙しくなるよ、ジョルノ。水臭いこと言わないでよ。私、ブチャラティの意志を継いだ人間がどんな世界を作るのか見たい。それを手伝いたい。どんな形でもいいから」 「……もし此処にブチャラティがいても、同じことをきっと言う。君は、ここまででいいはずだ。もう組織とは関わりのない、」 「そうだね。きっと言う。でも同じことを返すよ。それでも傍にいさせてほしい」 「……」 「だって私は信じてブチャラティについてきたんだもの。最後まで曲げたくない。もう必要無いなんて言わないでよ。どうしても要らないっていうなら、今ここで私の脚を圧し折るなり殺すなりしてほしい。殺されたとしても、化けて出るかもしれないけど」 ジョルノが困ったように私に笑った。眉を下げて、ほんの少し、悲しそうに。 「それが、『彼女』との別れを意味していても?」 私も、ジョルノと同じような笑顔だったのかもしれない。それでも、笑った。 「……いいのかよ、」 すぐ傍で話を聞いていたミスタが、私にそう尋ねる。真剣な声だった。後悔するんじゃあないか、って、心配してくれている。もう随分と少なくなってしまった私の「兄」。もう、ミスタだけになってしまった。だけど、逆に言えば、ミスタだけは生きていてくれた。そこにいてくれる。もうすでに、私なんかよりも先に、ミスタはこれからのことを「決断」していた。 「もちろん。だって、ミスタがいるしね」 「へッ、調子いいこと言うなよ。オレ一人にゃ荷が重いぜ。お前のお世話はよ」 「こっちの台詞だよ!私一人でミスタの面倒見れるか心配だってば」 「へーへー、言っとけ! つーか、そうじゃあなくてよォ……」 声を少し小さくして、気遣うように視線を落とす。わかってる。ミスタが何を言いたいのか。何を、「それでいいのか」と言ったのかを。私は、コロッセオを見渡す。私たちとは少し離れたところにいる、彼女の――トリッシュの背中を視界に捉えた。 彼女もジョルノに言われたのだ。「君はここまでだ」と。これ以上は首を突っ込まなくていい、と。戸惑いに揺れた彼女の瞳は、一瞬だけ私の方へ向けられた。私が目を合わせないのをわかって、すぐに逸らした。一緒にボスに立ち向かった仲間とはいえ、彼女は元々「一般人」だ。ボスを倒した以上、ここから先は、「組織」での話になる。だからはっきりとジョルノはトリッシュに告げた。トリッシュも、何か文句を言うわけでもなく、ふらりと立ち上がって、コロッセオの石畳を一歩、二歩と進み、私たちから距離を取った。私たちとトリッシュの間に、見えない線が引かれたような気分だった。 「マァ、アレだ。女同士、二人で話したいこともあんだろ。挨拶して来いよ」 「……うん。そうだね」 見えない線を踏み越えて、私はトリッシュの元へ向かう。 屋根のないコロッセオで、トリッシュはじっと、空を見上げていた。その背中に向かって、私は声を掛けようとする。だけど、なんて言っていいのか分からなかった。さっき、咄嗟に目を逸らしてしまったことに対しても後ろめたい気持ちがあったから。もう遠い昔のようだけれど、隠れ家でトリッシュの機嫌を取ろうと、おっかなびっくり名前を呼んだときのことを思い出す。 「……ねえ、トリッシュ?」 彼女が振り返って目が合ったら、なんて言おうか。考えていたけれど、トリッシュは振り返らなかった。聞こえていないわけではないと思う。無視されている。もう一度、呼ぼう。トリッシュ、ねえ、怒っているの? 「ねえ……泣いてるの?」 言葉尻が小さくなる。それでも、ちゃんと聞こえたらしかった。今度は、トリッシュがくるりと振り返った。私を見る。 「泣いてなんかないわ」 トリッシュの言葉通り、べつに彼女の声は震えていなかった。顔を歪ませて涙を流しているわけでもない。ただ、真っ直ぐに私を見つめる。その瞳は濡れていないし、悲しそうでもない。真っ直ぐに真っ直ぐに、私を見ていた。逸らさずに。いつもの、強い眼差しで。 「そっか……よかった」 「……何がよ」 「なに、って……その……トリッシュが泣いてないから」 「さっきまで泣いてたわよ。ブチャラティの死があんまりにもショックで」 「それは、私だってそうだよ……」 「ようやく頭の中が落ち着いてきたと思ったら、『お前には関係ないからあっちに行け』なんて薄情な扱いもされるし」 「あ……え、と……ごめん」 「さんざんな冒険だったわね」 トリッシュの傍にそっと近づいて、そのすぐ隣に並ぶ。なんとなくその目を見つめることができなくて、私たちは揃って空を見た。 「怖い目にも遭うし、あたし、まともにお風呂も入れずに土まみれだわ」 「あはは……」 「お気に入りの口紅も無い。服も髪もボロボロよ」 「でも、トリッシュは……いつも綺麗だったよ」 どこかしらじらしいような会話だったけれど、本心だった。 「綺麗じゃないわよ。そういうお世辞は今要らないの。あたしのプライド的にもね、気休めはいいわ」 「えぇ……気休めとかお世辞じゃないんだけどなぁ」 「そういうのは……もっとちゃんと、本当に綺麗にしているときに言われたいものなのよ」 「そうなの?」 「そうよ」 「でも、そっかあ。女の子ってそういうものかもね」 「……そうよ。こんな格好じゃなくて……」 「……」 「とびきり、気合の入ったメイクをして、お気に入りのドレスを着たところ、あなたに見せてやりたいわ。きっとあなたのことだから、うるさく騒ぐのよ。綺麗だ、素敵だ、って。照れもせずに。想像つくもの」 「ふふ」 「むしろ、そう褒めなかったら引っ叩いてやるわ」 「ひ、ひどーい!ボーリョクだ!……心配しなくても、たぶん褒めるよ。想像しただけで素敵だもの。でもきっと、想像以上に綺麗なんだろうなあ」 「……それで……お揃いの口紅を買うの。ほお紅も、あなたに合ったものをあたしが見つけてくるわ」 「うん……素敵ね」 「素敵でしょ」 楽しい話をした。トリッシュのする話の中の私たちはとても楽しそうで、幸せそうだ。普通の女の子みたいに。ギャングの端くれでも、組織の元ボスの娘でもなんでもない。私たちは普通の女の子で――普通の、友達だった。そんな出会いをしていたら、たしかに、私たちは仲良く友達として過ごしていたに違いない。きっと。 でも、私たちは違う。そんな出会い方をしていない。そして、この先にも、私の未来に、彼女はいない。 「……女友達、って、さ。私、初めてだったな」 「……」 「え……と、そう?なんだよね? 私たち、って」 「…どうかしらね」 「あは……初めてで、なんか…わかんないや……」 「……」 「ずっと、考えてたの……いつかくるこのときに、トリッシュになんて言うか」 きっと別れがくるのだとわかっていた。「一緒に行こう」が許されないことはわかっていた。それを望んでいるわけじゃない。もし、「行きたい」って彼女の方から言い出したとしても、私たちは首を横に振っただろう。そうしないといけなかった。 私はようやく、トリッシュに向き合う決心をした。視線を空ではなくて、隣にいるトリッシュへ向ける。その視線の意味がわかっているみたいに、トリッシュも私を見る。体をそちらに向けて、お互いに、真っ直ぐ見つめる。向き合う。私は今、どんな表情をしているのだろう。トリッシュの唇が動いた。「わかってるわ」って。「もう、わかってるのよ」って。 「その初めての友達に、今、さよならを言おうとしているんでしょう?」 強がるような声だった。あなたの考えることなんてお見通しだ、って。そう言うみたいに。きっと笑って言おうとしたのだ。トリッシュの口元が笑みをつくろうとして、その唇が震えて、トリッシュの眉が下がって、くしゃり、歪む。瞳いっぱいに涙を浮かべて。私は、一歩距離を詰めた。ねえ、私も今、同じ顔をしていた? 「ちがうわ。愛してるって言おうとしたのよ」 触れ合った唇が柔らかくて、いいにおいが鼻をくすぐる。ただ、その感触をずっと忘れないようにと、祈るように目を閉じていた。頬にする挨拶みたいな可愛らしくって軽い気持ちのキスではないことを、自分自身で理解している。いやだったら突き飛ばしてほしかった。トリッシュは突き飛ばしてくれなかった。であれば、少しだけ長めのワガママとして受け入れてほしい。きっと友達にするキスじゃないね。きっと、友達に告げる気持ちではないね。わかっているの。私、やっぱり、「友達」にはなれなかった。 「……ばかね。。あなた、本当にばかだわ」 唇を離して、ひどく近い距離で視線が絡む。トリッシュの綺麗な手が、私の頬に向かって伸びた。両頬をその手で包んで、トリッシュが笑う。その目尻から涙が零れるけれど、私の方がもっと泣いていた。頬に添えられたトリッシュの柔らかな手を、私の涙で濡らしてしまう。顔を背けることはできなくて、ただお互いに見つめ合って、泣いていた。きっと私はかわいくない泣き顔なのに、トリッシュの涙は綺麗だ。ああ、ずるいなぁ。 「好きよ、大好き」 やがて二人でその身体をぎゅっと抱きしめ合う。お互いの未来が、幸せなものであるように祈りながら。その未来に、あるはずのない自分の存在が残ってしまえ、と念じながら。ねえ、トリッシュ、もしまたどこかで出会えたなら、そのときは――なんて、なんでもないよ、うそだよ。ねえ。 「さよなら、トリッシュ」 |