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「本当にゆくのか。」 ゆくよ。ゆくとも。私はそう繰り返し、赤司君の顔も見ずにせっせと準備をした。太いロープ、じゃらじゃらと白い粒の入った小瓶、剃刀、果物ナイフ、物置から拝借した鋸。こうして改めて見回すと、物騒極まりない。というか、刃物を三つも用意したのは、我ながら芸が無い。後悔したが、どうゆう意味の後悔なのかは分からないので、捨て置こう。ああそうだ忘れていた、と引き出しから白い封筒を取り出す。赤司君はその目をじ、と細めて、ゆった。書きあげたのか。私は深く頷く。 「助言通りに、感謝の言葉と、残してゆくものについて書いてみた。不思議と便箋二枚も埋まったわ。」 「そうか。良かった。僕が口を挟む前の其れは、ほぼ白紙に近かったから。」 「そんなことはないよ。白紙ではない。ただ、三行しか埋まらなかった。それだけの話だもの。」 「それだけ。それだけだから言っているんじゃないか。こういうものは、きちんと、びっしりと書き留めるものなのに。」 彼はなかなかきれいな微笑を浮かべて、呆れていた。私もおどけるように肩を竦める。それを見て、彼はさらにさらに目を細めた。眩しいものを見るような表情で、ゆった。本当にゆくのか。二度目の問いだ。変わらず私は答える。決まり文句の様に。ゆくよ、ゆくとも。それを聞けば彼は、ふうと小さく息をはいた。そうか、と。ふうむ、唸る。 「そうすると僕も、君の、残してゆくもの、になるのかな。」 呟いてから、私が何か言うよりも早く話題を変えた。 「それで、決まったのか。どれを使うんだ。」 私はあわてて視線を落とした。床に並べられた、ロープ、小瓶、剃刀、果物ナイフ、鋸。私の小さな脳味噌を絞って、用意できたのはこれだけだ。繰り返すようだけれど、刃物が三つ並ぶのは少し、芸が無いだろう。そう自分でも思っていたとき、赤司君にも指摘される。彼は床に置いてある鋸を手にとって、ふうむと唸りながらその刃を指でなぞった。ぎざぎざとした刃。ぎらりと光る刃。圧倒的な存在感を放っている其れも、何故か彼の手に中にあると、しっくりと馴染む。そのせいで、脅威には感じない。扱いを間違えればすぐ怪我をしてしまうような、そんな代物なのに。 「錆び付いている。此れはやめよう。どうも、気に入らない。」 「そう。」 「も嫌だろう。こんな錆に身体を侵されるというのは。」 「私はべつに。おわってしまえば気にならないよ。」 「僕は嫌だ。やめだ、此奴はなしだ。他にしよう。」 言うなり、鋸を横に放った。残るは、ロープ、小瓶、剃刀、果物ナイフ。どれにしようか。 「ロープの括り方は知っているのか。」 「知らないけれど、君は知っているだろうと思って。」 「その為に呼んだんじゃあないだろうな。」 「ちがう、ちがう。そんなんじゃあない。」 「じゃあ、何故。僕はどうして此処に呼ばれた。」 「視ていてほしいから。」 びいだまのように光る眼が、私を見つめた。まったく昔から変わらない、真っ直ぐで、ひとを射抜くのが上手い眼差しだ。赤司征十郎君という男は、私の旧くからの友人だった。昔から何を考えているのか他人に理解らせないのが得意で、それが趣味のような男だった。けれど彼は私にいつだったか、きみもおんなじ様な人間じゃないかとゆった。今思えばその日から私達は仲良くなったのだなあ、と遠くを見た。 「本音をゆうのなら、ね、赤司君。君も十分解ってはいるだろうけれど、私は君に殺されたいの。」 「無理な相談だ。」 「そう、そうだろうともね。けれど、ひとを殺める行為が怖いわけではないでしょう。私を殺すきみの図というのは、きっととても素敵だろうけれど、その行為のせいでその後の人生を闇に投じてしまう君なんかは見たくないもの。」 だから、それがとても無理な相談だというのは知っているの。だから、殺して欲しいと頼むのはやめた。ただみていてほしい。そもそも彼を此処に呼び出したとき、私のゆった言葉はこうだ。近々死にたいとおもうから、知恵を貸してはくれないかな。彼はほんの一瞬、まばたきの間だけ黙り、わかった、とゆった。私は死ぬと決めたあとに、彼はなんて優しいひとなのだろうなあと改めて気づいた。もっとはやくそう思ってあげれば良かったかなあとも感じたけれど、きっと彼はやさしいのだから、そんなことに不満を洩らしたりしないだろう。 「気が変わった。」 「なあに。」 「僕が殺そう。君の望み通りに。」 「ああ、それはいけない。だってそうすると、とっても君に迷惑が掛かる。」 「なに、いい。せっかくの最期だ。最期くらい、君の望む通りにしなくては。いままできっと、望む通りに叶ったことのほうが少ない君だから。冥土の土産だとおもって、僕の厚意を受け取るといい。」 「なんとまあ。赤司君。きみはやっぱり、とっても優しいのだね。」 「そんなこともない。僕がこんなに優しくしてやれるのは、だけだとも。」 そうすると、これもやめだ。言いながら、じゃらじゃらと薬がたくさん入った小瓶を手で払い、転がした。残りは、ロープ、剃刀、果物ナイフ。私は、赤司君の手で死ねるのだと思えば思うほど気持ちが昂ってくる。上ずった声のまま、剃刀もやめましょう、芸が無いし、とても地味、と意見した。そうだな、と赤司君は深く頷く。剃刀を放る。私達の前には、ロープと、ナイフ。 「ねえ、赤司君。ここまでせっかく考えたのに、なんだけれど。」 「どうかしたか。」 「きみの、素手というのはどうかなあ。君のその指で、私の喉をぎゅうと絞めるの、どうかなあ。」 「まあ、がそうしてほしいというのなら、それも有りなんだろう。」 じゃあ、そうしようか。赤司君がすうっとその指をこちらにのばしてきた。首に絡みつく前に、私が小さく彼の名前を呼ぶ。赤司君の瞳は、私の喉をじぃと見て、離されない。今に、噛み千切られるのではないかというくらい、じぃ、と見ている。ふいにその視線が私の瞳に移った。見つめ合って、彼はゆった。なんだ、、今僕を呼んだだろう。 「お願いがあるの。」 「叶えられるものなら、叶えよう。さいごだからな。」 「私の首を絞めている間、絶対に目を逸らさないで。私が意識を手放して、完全に動かなくなるまで、ぜったいに。」 「そうか。まあ、叶えられないものではないな。わかった。じゃあ、僕からも一つ。」 「なあに。」 「前々からおもってはいたんだ。ちょうどいい。僕だけ名前で呼ぶのは不公平だと。」 「ああ、成る程。じゃあ、呼べばいいの。征十郎君。」 「そう。そうだな。それでいい。」 「今更ね。」 「ああ、そうだな、とても。そうだろうな。」 お互いに納得し終えたので、いよいよ彼の指が私の首に絡められた。がっしりと、十本の指を存分につかって。その指がぎりぎりと喉に喰いこんでゆく。ああ、そうか、やっとゆける。本当にゆくのか、と訊いた赤司君の、いいや征十郎君の声が、ぼんやりと浮かんで、けれどすぐになんにも考えられなくなる。約束通り、目を離さずにいてくれた。私が醜く呻く様子を、眉一つ動かさずに、じい、と。 「やめだ。やめ。やはり、やめよう。」 気づくと手が離されていた。咳き込む私は、死のうとしていたとゆうのに、くるしくてくるしくて浅ましくも酸素を求めているようで、嗤える。ああ、だって、苦しかった!けれど、何故。手を放した彼を恨めしげに見つめると、征十郎君はとても涼しい顔で、声で、一言ゆった。気に入らないんだ。そうゆった。私はぺたりと手をついて、へたりこんで、はあ、それはどうゆう意味だろうと考えた。だけど私が答えを導き出す前に、彼がぎゅうと私の体を抱きしめてきたので、余計に意味が判らなくなってしまった。 「不公平だ。とても。僕に首を絞められて幸せそうに喘ぐ君を見ていると、僕も君の手で殺されてみたくなった。けれど、僕が君を殺してしまえば、それは叶わない。ほうら、不公平だ。気に入らない。だから、やめだ。やめよう、こんなのは。」 こんなのは。そうだ、「こんなの」だ。死にたいと私が思いついたこと、死ぬ手助けを彼に求めたこと、願望通りに手伝いをしてくれたこと、遺書の書き方を教えてくれたのも、死ぬ方法を一緒に考えてくれたのも、彼が私を殺そうとしてくれたことも、全部、「こんなの」だ。やめよう、こんなのは。私を抱きしめながらそう言った彼は、見たこともないくらい弱い生き物におもえた。やめよう、じゃなく、やめてくれと懇願されたようにさえ。薄々は気づいていたの、本当は。こんなの、おかしいってね。彼の腕の温もりが、これ以上続ければ気が変になりそうだと訴えてくる。そうだねえ、おかしいんだよねえ、もうずっとずっと、どこからだったかな、結構、ずうっと前から わたしたち、おかしくなってしまったね。 「うん、やめようか。こんなのは。」 安楽死 の すゝめ |