これは由々しき事態だと思う。ゆゆしい。放っておくと今後もっと困るっていうか、早めに解決しておかないといけない気がする。私の世間体?みたいなもののためにも。ただその解決には、協力者が不可欠だ。つまり私一人では解決できない。そういうときに頼る相手に、真っ先に彼の顔が浮かんだのだけど、果たしてこんなことのために電話していいものか……いや今更なんだよな。流しそうめんしよう!で呼びつけた過去をもつ女が何をいうんだ。しかも由々しき事態じゃないのか。いやでも私以外の人間にとっては「こんなことのために」だと思うんだ。迷う。うーん。今一度、台の上の物体を睨む。そして、自分の手に握った道具を見る。
うん、電話しよう。聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥っていうし。もう今更「こいつ……そんなことも知らなかったのか……」ってドン引きされることもないだろう。ないはず。ないと思う。もう恥ずかしいことはさんざん赤司くんの前でしてきた。
「あのね赤司くん……缶切りの使い方ってわかる?」
『……缶切り?』
「そう。めったに使わないから毎回わかんなくなるんだよね……思い出したらああそうだったこう使うんだっけ~ってすっきりすると思うんだけど……」
『なるほど』
「シーチキンの缶詰しか開けてこなかった弊害だ……そう考えるとシーチキンって優しいね。美味しいし」
『そうだね。シーチキンに対して優しいと評価する発想はなかったが、そうなんだろうな』
たぶん本当は「シーチキンに対して『優しい』ってなんだよ!ってツッコまれるはずだったところを赤司くんのやさしさでスルーされたんだなということを思い知る。そこまで言うならつっこんでほしい。逆に恥ずかしい。いろいろとあきらめないでほしい。いや諦めるほどもう赤司くんが私のおろかさに毒されてるのか。
私は握った缶切りをミカンの缶詰の蓋部分にコツコツと何度かあてる。力が足りないんだろうか。ガッ!と叩くようにあててみる。使い方は思い出せないけどちゃんとキッチンの引き出しに入っていたってことは多分過去にも必要なことがあって買ったはず。そのときどうやって使い方を思い出したのかわからないけど。っていうか使ったのかな?なんとなく買っておいただけ?
「そもそもこれ……あてるとこあってる?この尖ったほうだよね?」
(
ガッ!ガッ!)
『。今開けようとしてるのか』
「ごめん、すごくくだらないことで電話して。令和のゆとり世代ちゃんみたいなこと言って……」
(
ゴッ!ゴッ!)
『俺が開けるからそのままにしておいてくれ。絶対にその使い方ではないから。怪我をする前に缶切りを手放して』
「あっそっか!そうだ、ネットで使い方見ればいいのか!今たぶんユーチューブとかでもありそうだね?令和の勝利だ……ごめん赤司くん!お騒がせしました!ちょっと調べてみる。そんな、赤司くんにわざわざ……」
ピンポーン、と音がした。部屋のインターホンが鳴ったけど、赤司くんと繋がっている電話の向こうでも鳴った気がした。
「ちょうどの家に向かっていたところに電話があったんだ」
「赤司くん……」
「ネットで調べるより早いと思うよ。大人しく手に持っているものをこちらに渡してもらおうか」
「あっはい……すみませんでした……」
赤司くんが缶切りを缶のふち部分に引っ掛けた瞬間、「あ~!そうだそうだなんかそんな感じの使い方だった!」って感動してしまった。刃先が蓋に沈み込んで穴が開く。そうだそうだ、そこからこう、なんか、回して開けるんだ。思い出してきた。私はそれを真剣に後ろから覗き込みながら見守った。いや、でも見守るだけっていうのもな。なんか。
「赤司くんありがとう、思い出してきた。そこからなら後は私できると思うからやってみてもいい?」
「いや、いい」
「えっでも絶対できるよ?やらせてやらせて」
「いや、いい」
「でもやらないと今後に活かせないっていうか……自分でやらないと覚えないっていうか……」
全然こちらに渡してくれる気配がないまま、きこきこざくざく、缶の蓋が開いていく。「赤司くんがいない日にまた同じ状況になったとき、開けられなくて困っちゃうでしょ」
そう言ったら、赤司くんの手がようやく止まった。顔を上げて私を見る。それをしぶしぶの「わかったよ」の合図だとみなし、私は赤司くんの隣に移動した。赤司くんが缶切りから手を離すけど、先端は缶詰の蓋に刺さったままだ。それを選手交代して私が続きから蓋を切っていく。赤司くんのやっているのを見ているときはずいぶん簡単に開けていたと思ったのに、自分でやり始めるとなかなかうまくいかない。え、赤司くんあんなに軽々やってたのに?なんで?「絶対できるよ」とか言って横取りしてしまったので今更ひけない気がしてちょっと焦る。
「。缶切りは横に傾けないで、上体を起こして使うんだ」
「えーと……こう?」
「こう」
隣にいた赤司くんがすぐ後ろに移動して、その手が缶切りを持っている私の手に重なる。ドキッとかギクッとかビクッみたいな音を立てて一瞬心臓が飛び上がるけど、赤司くんは特に意識していないようだったので私も動揺を表に出さずに飲み込んだ。というか表に出すタイミングを失った。時間差で騒ぎだすこともできないし、私は邪念を振り払い、目の前の缶詰に集中することにした。赤司くんの手が触れたまま、赤司くんに促される通りに、缶切りを動かす。さっきまでが嘘みたいに簡単に蓋が切れる。
「すごいね缶切り……知識さえあればこんな頑丈の蓋も開けられる……無知な人間は蓋を叩くことしかできない……」
「……まあ、しかも使い方を誤れば怪我もするだろうから、知識は大事だろうな」
「あ、私怪我してないよ?」
手を止めて、首を動かして赤司くんを見る。話の流れ的に思わず。思っていたよりすごく近い距離に顔があった。重ねられていた手がそっと離れる。
「あのままいけばしていたよ」
「……そうかな」
「俺がいないときに缶を開けることがないように祈ろう」
「私もう覚えたよ?使えるよ?」
「どうかな。次に缶切りを使うのが、数年後になってしまったら忘れているかもしれないから」
「そ……そのときはまた赤司くんに電話しちゃうかもしれないけど……」
あんまり「絶対できるよ!」とか言わない方がいいな、首を絞めることになるな、って学んだので、私はそう言った。それ以上の深い意味をこめたつもりではないけど、赤司くんはちょっと意表を突かれたみたいに目を丸くする。だけどすぐにふっ、と笑う。その笑いの真意がわからなくて、なあに?って目で尋ねる。わからないけど、嫌なものではなかったから。
「なら、『俺がいない未来』じゃないな、と思って」
「え?」
「がさっき、俺がいなくて同じ状況になったときのため、と前置きしたのが少し引っかかったんだ」
「え……だって今日はたまたま来てくれたけどさ、24時間365日赤司くんがいるわけじゃないし。そ、そんな大げさな意味で言ったわけじゃないよ」
「そうか、そうだな、たしかに」
「そんなこと気にしてたの?変なの、赤司くん。……えっ、ごめん……もしかして、余命が短いとか、そういう…縁起でもない…?」
「本当に縁起でもないな。そうじゃなく」
「そうじゃなく?」
「俺は、できる限り24時間365日、に何かあれば駆け付けたいと思っているよ。だから、これからも一番に頼ってほしい」
大げさだ。なんか、この先ずっと一緒に過ごそうって言ってるみたいだ。「プロポーズみたいだね」って呟いたら、赤司くんがまた少し驚いたような顔をする。何か言いたそうに口を開いて、でも私はタイミング悪く、それを遮るみたいに話を続けてしまった。
「缶切りが使えないとか、瓶があかないとか、重い荷物持ちあがらないとか、ゴキブリが出たとかの理由で呼ばれちゃうかもしれないよ?」
「……まあ、そういう理由でもいい。頼ることに後ろめたさは感じないでほしい、ということをわかってくれれば。下手に自分で解決しようとして怪我でもされたら大変だ。缶切りの使い方も、忘れたら何回でも教えるよ。だから開けるなら一緒にいるときに…」
「えっ、毎回今みたいに教えてくれるの?今みたいにこう……」
こう、手を重ねて、こう……。と、言いかけて、はっと我に返って首を振った。なんでもないよなんでもない。赤司くんがなんにも言わないんだからさっきのを話引っ張るのはいけない気がする。赤司くんにそんなつもりなかったと思うし。私もべつに嫌だったわけじゃないんだし。ぜんぜん。
誤魔化したつもりだったけど、赤司くんはすぐに、ああ、と気づいたみたいに、でも照れるわけでもなくいつも通りふっと笑う。「もちろん。毎回、今みたいに」
わかってて言ってる?いやむしろ、わかっててやってた?
「それで、どうして急にみかんの缶詰を?」
「あ!そうそう、実は冷蔵庫に入ってた牛乳の賞味期限が昨日までだったことに気づいてね。昔よく母親がガラスの、こう、大きくて四角い、なんかグラタン皿みたいなやつで、牛乳寒天作ってくれてたな~と思って。ミカン入ってるやつ。それをフライ返しで切り分けてみんなで食べてた。それが手っ取り早い消費方法なんじゃないかと思って。飲むより。っていうかむしょーに食べたくなったから」
「そうか。それで……その一番大きい皿で」
「うん。冷やすの時間かかるかもしれないけどできたら赤司くんも食べ……えっ!?駄目だよ!?」
「駄目?」
「期限の切れた牛乳を使った料理なんて……自分とか家族ならいいけど他人に食べさせるもんじゃないよ……」
「べつに、数日切れたくらいは問題ないと思うんだが」
「そういう食べ物に関する冒険は自分だけならいいんだよ、他人を道連れにするものじゃないよ」
あけたミカンの缶詰の中身を別の容器に出して、一個フォークでさしてつまみ食いしたりしながら冷蔵庫から牛乳を取りだして。そんな準備にとりかかっている私を赤司くんが見ていた。視線に気づく。物申したそう。私はフォークでもう一個ミカンをさしておそるおそる赤司くんに向けた。
「そうか。缶詰を開けた報酬はこれだけか」
「うっ、いや、もっとたべていいよ……ミカン食べていいよ……私ミカンなしの牛乳寒天でもいい……」
「そもそも、その大きさで作って一人で食べきるつもり……いや、それはならできるか……」
「違うよ?独り占めしたくて言ってるんじゃないよ?私だってできれば食べさせたいし、缶詰あけてくれたのに食べさせないって最低だって思うんだけど、誰のおかげで食べられると思ってんだって感じだけど……でもさぁそんな、賞味期限切れた材料で…そんな、なんか申し訳なさが……赤司くんだってそんなに食べたいわけじゃないでしょ?そもそもこんな、牛乳とミカンを固めるだけの食べ物だよ……今度ちゃんとしたの作るから……」
「食べたい」
たべたい、ってぼそっとした言い方がなんか子供っぽくて私は目をまたたかせる。私が立ち尽くしてる間に、赤司くんが私の向けていたフォークからミカンを食べた。
「俺は、と同じものを、と一緒に食べたい」
「お……お腹もしこわしても知らないよ……」
「そのときはそのときだ」
「まあ……そのときは私も一緒か……死ぬときは一緒だね」
「そうだね」
「なんかプロポーズみたいだね?」
「……、それ、何にでも言うのか」
言われて気づいた。「と同じものをと一緒に食べたい」のほうがプロポーズっぽかったな。(
なんか、嬉しい言葉だな。それって)