「ねえ、。トイレの、」
「ん?」
「壁に貼ってあるポスター、素敵だね」

私の部屋に帰ってきて扉を後ろ手にパタンと閉めるなり辰也がなんだかすごく微妙な顔で笑うので、私の手からずるりと携帯が滑り落ちた。笑っているのだから、微妙な顔なんかではないんだけど、でもやっぱり、複雑な色のする顔だったんだ。苦笑い、というよりも、微妙な笑顔。言葉にするとますますよく分からないんだけれど、この表情は今まで辰也しかしてるところを見たことがないので、辰也にしかつくれない表情なんだと思ってる。なんて、そんなことはどうでもいいのだ。どうしてさっき辰也がトイレ借りるねと部屋を出た時にすぐ気づかなかったんだろう。私はサーっと顔を青くして、いや、むしろカーっと赤くして、辰也に詰め寄る。

「ち、違うよ辰也…!あのポスターは私のシュミじゃなくてお姉ちゃんのだからね!?」
「ああ、そうなんだ?がファンなのかと思った。日本では韓流がブームだって聞くし」
「お姉ちゃんとママが、好きなの。韓国の、ドラマとか…アーティストとか…」
は?」
「私は…べつに。どっちかっていうと、アメリカとかのドラマがいい。あの、わざとらしい笑い声入ってるやつ」
「そうだね、俺も好きだよ」

最初は確かに切羽詰まった感じですごく食い気味に辰也に詰め寄っていたっていうのに、辰也があんまり普通に構えるので、だんだんと落ち着いてくる。そういう余裕があって、落ち着いてるのって、多分辰也の最大の魅力なんだろうなあと改めて思った。家のトイレの壁には姉の大好きな韓国スターのポスターがどーんと、お客さんに見られたらめちゃくちゃ恥ずかしいくらい、それはもう大胆に貼ってある。というかごく最近貼り始めた。多分初めて見たら誰だってビクッてするだろうってくらいには、大胆に。だから辰也も正直ウワァって思っただろうに、私に気を遣って「あれ素敵だね」だなんて言ってくる。

「お姉ちゃん、本当常に考えなしというか…飽きるまでが早いんだけど後先考えずにああやってポスター買ったり貼ったり…」
「好きになったらそういうものだよ、きっと」
「…そうなのかな」
「そうだよ。のお姉さんって、愛情の見せ方がすごくストレートで、俺は好きだな。ああいう性格」
「……よく言えば、そうだけど。悪く言えばただうるさいだけ、だよね」
「可愛い人だよ」

テーブルの上に置いてあるお茶の入ったグラスを揺らしながら、茶色い液体がゆらゆら揺れるのを見ながら、辰也は微笑む。辰也は何度か私の姉に会っているのだ。私が初めて辰也を家に呼んだときも、いないと思ったら途中で帰ってきてずかずか私の部屋に入ってきて、辰也が「おじゃましてます」とにっこり笑った瞬間近所迷惑なデカイ声で騒いだ。「キャーーー!!えっ何マジかっこよくない!?ねえ!なにこれ!なんでこんなイケメンがの彼氏なの!?ねえおかしくない!?えっちょうかっこいい写真撮っていい?やばーい超やばーい!」辰也はにっこり笑っていたけれど、私は恥ずかしくて恥ずかしくてしょうがなかった。結局無理矢理部屋から追い出した。そのときも辰也は笑っていた。「可愛い人だね」と。

はお姉さんと仲良しだな」

さらりと言って、辰也はグラスに口を付けた。その様子が一枚の絵のように思えて、目を逸らさずに私は見つめる。この目の前の風景を切り取って額に入れて美術館に飾ってやりたい。タイトルはなんか適当に「喉を潤す美少年」とかでいいから。本当、姉が初めて見たときああも騒ぎ立てる気持ちが、分からない、わけがない。私だって初めて辰也を見たとき、どうしてこんな綺麗な男の子が私の前で呼吸しているんだ存在しているんだ、と衝撃を受けた。テレビの中にしかいなそうな、そんなかんじ。きっと初めて宇宙人と会ったら私は同じ様な反応をするんだろうなってくらいには、衝撃。いいや宇宙人に会ったって私は「辰也を初めて見たときのほうがもっと衝撃的だったわ」と感動を勝手に薄めてしまうかもしれない。(そんな私を隣で辰也が笑ってくれたら、もっといいなぁ)

「似てないからね、私とお姉ちゃん」
「そう?似てるよ。目元とか」
「ううん、中身。似てない」

私は辰也を真似るように涼しい顔で微笑んでみせる。事実だ。私と姉は、似ていない。ううん、顔は似ていると小さい頃からずーっと言われてきたけど。そのせいで、「そのせいでさ、小学生の頃も中学生の頃も、廊下でしょっちゅうの妹だー!って先輩たちに声かけられてさ」年の近い姉。私は学年の中でもかなり目立たない部類の人間だったんだけど、姉は違っていた。いや、まあそういうモノなのかもしれないけどね。姉の友達が「お前の妹だろー」と私に声かけるのは気軽に出来るだろうけど、私と同じ年の人間が仮にも年上の姉に「あんたあいつの姉貴だろー」て、気軽に出来るもんでもない。……いや、うん、わかってるさ。姉が同学年にたくさん友達がいて、あの騒がしい性格で、「大人しくて目立たない」ような人間なわけがない。だから私はしょっちゅう年上の先輩方に声をかけられたものだ。

「あのの妹だから、さぞ明るくて面白いやつなんだろうなーみたいなノリで、声かけてくる人いっぱいいたなあ」
「へえ」
「けど私本当人見知り激しくてさ、全然知らない先輩たちに声かけられて、わりと怖くて」
「うん」
「怯えたり、黙ったり、無視したりしちゃっててね」
「ふふ、すごく想像つくよ」
「そうしたら、姉の同学年の人達から私すっごく暗くて笑わない子ってレッテルを貼られて」

グラスの中の氷が、カランと音を立てる。辰也は笑ってるんだか笑ってないんだか微妙な表情で、もう一度「うん」と相槌を打った。「中でも凄く印象的だったのが、中学時代姉が好きだった男の先輩に『姉と違って全然笑わないけど、そういう明るい部分、全部姉ちゃんに取られちゃったんじゃねえの』って言われたことかなあ」あれは、結構キタなあ。なんか人間として欠落しているとでも言われたようで。そんなに私は、知らない人たちの前で、苦手な人達の前で、無表情だったんだろうか。感情全部置き忘れてきたみたいな、そんな表情だったんだろうかって、考えたっけな。

「その『彼』は、失礼な男だね」
「そう?」
「そうだよ。お姉さんがからいろいろ横取りしたみたいな言い方だし、それに」
「うん」
はちゃんと笑う時は笑ってくれるだろ。ただ、その人達の前では笑う理由が無かったってだけなのに」
「そう、かな」
「そうだよ」

そう言って、辰也がグラスを傾ける。中身が空になったから、私の横に置いてあったペットボトルのお茶を彼のグラスに注いであげた。ありがとう、とお礼を言って、辰也は変わらず笑う。その笑顔を眺めて、ぼんやり、思った。私も本当は辰也を初めて見たとき、お姉ちゃんみたいに、騒ぎ立ててやりたかった。大きな声で、何この人超かっこいいんですけど!って周りに話してやりたかった。それで、ちょっと困ったように、でも余裕そうに笑う辰也を、見たかった。私の出来なかったことを、私がやりたかったことを、いつだってお姉ちゃんは簡単にやってしまうから。つくづく、中身が似ていないんだろうなあと、おもう。だって私は辰也をはじめてみたとき、黙りこむだけで、なんにも言わなかったんだから。

「よく、言われるのは」
「うん?」
「お姉ちゃんはうるさいし、私は静かだし、半分こずつだったらちょうどよかったのにねって」

ぽつりと呟く私はきっと、先ほどのように辰也に「それは失礼な話だ」と否定して欲しいんだろう。わざとらしく、こんな話を持ち出す。私は自分の分のグラスを両手で持って、ぐいと傾けお茶を口の中へ流し込む。こくんと喉を鳴らせば、辰也は黙ってそんな私を見つめ、それから、たっぷりと間を空けたあと、「俺はね、」と話を切り出す。なあに、も言わずに、私は辰也の綺麗な顔をじっと見つめた。ほんとうに、綺麗な、男の子だ。

「君の中身が半分しかなかったら、それはもうじゃないと思う」
「え、そう…かな」
「君が半分しかなかったら、俺は君を好きになってなんかいないと思う」

それは凄い衝撃だった。はじめて辰也を見た時と同じ様な感覚。ここにきて新たな、むしろ本物の辰也をこの目で見たような、そんな気にさせる言葉。私はぽかんと口を開けて、目をぱちくりさせて、固まっていた。辰也だけは固まってなんかいなくて、グラスを揺らして、小さく笑っている。余裕の笑みとは少し違う。色のない、優しい雰囲気でもない、ただ、笑顔みたいな、顔。

「けど、辰也」
「なに。
「私のいいところと、お姉ちゃんのいいところを合わせたらって意味だし、今の私よりずっと辰也の好きそうな人間が、出来上がるかも」
「どうしてそんなことが言える?」
「どうして、って。私のいいところだけ集めて、そうしたら、私もっといい子に、辰也に、好かれるかなって」
、俺は」

「俺は、君のいいところだけを好きになったんじゃないんだよ。

辰也はグラスをテーブルに置いて、私を真っ直ぐに見ていた。真っ直ぐに、私を射抜いていた。気づけば私もグラスをテーブルに置いて、姿勢をもぞもぞと正して、辰也を見つめていた。彼の目は、素敵だなぁ。何がって、分からないけれど、まっすぐだな。綺麗な真っ直ぐというよりも、私の弱いところを全部見つけてくれそうな、そんな小さな残酷だか優しさを宿しているから、好きだな。

「好きな人の魅力はと聞かれて、全部と答えるのが求められる恋は、少し違うと思うんだ。子どもじゃないかな、とても。相手の悪いところも、嫌いなところも、俺はちゃんと見つけてあげたいよ。好きな理由に、いいところだけを挙げるのは、違うんじゃないかって。ここは嫌いだけど『だから』好きって、俺はちゃんと言える人間で在りたいと思っているんだ」

辰也はたまに、大人過ぎて怖いなあ。私は彼の言葉を耳に入れて、こくんと頷く。こくこくと、頷く。「俺は嬉しいよ。という、半分じゃない一人に出会えて、とても。好きになれて、とても」私はもう一度、頷く。私のいいところは、「いいところだけ」じゃないって、言ってくれる。私である価値は、いいところだけにあるんじゃないと、彼は言う。そこだけが好きなんじゃないよって、言う。ねえ、辰也、あなた少し、拗ねているんでしょうか。愛を勘違いしないでくれって、見くびらないでくれって、そう言いたいんでしょうか。

「辰也は私の、よくないところも分かった上で、だから好きだって、言うの?」
「もちろん。そのつもりだ」
「…でも、ごめん辰也。私、あなたのよくないところ、思いつかないかもしれない」
「そうかい?じゃあ俺は今、一つ君の悪いところを増やしてしまったね」
「なあに」
「俺の悪いところを見つけられないところが、きみの悪いところだ」

辰也はたまに、大人過ぎて、難しい。だけど私はこくんと頷く。教えこまれたように、こくこくと。そんな私を見て辰也は肩を揺らして笑った。「ねえ、」私を呼ぶ声はいつだって優しい。なあに、と尋ねれば、おいでと言われる。言葉通り近付いてみたら、ぎゅっと腕の中に閉じ込められた。「ねえ、、俺はね」なあに、なあに辰也。なんだって言って。何度だって呼んで。私は切にそう願って、その腕に顔をうずめる。

「この広い世界で、半分じゃない『』を見つけることが出来て、幸せなんだ」

広い世界、なんて、大げさだ。私は辰也の背中に手を回して、抱きしめ返して、思う。広い世界なんて知らない。私の世界は、多分彼のこの腕の中にしか今はもう無いのだ。「私、半分じゃなくって良かった」囁くくらいの声でそう言えば、辰也はくすっと笑って、ねえあのさとまた私を呼ぶ。なあに辰也と私はまた答える。「君の姉さんがまた帰ってくる前に、キスをしようか」


消えたダイヤモンド