夢を見た。登場人物は私と、八つ年上で25歳の氷室辰也という男だった。これが腹立つくらいに綺麗な顔をした男で、高校時代だか大学時代もバスケ強くて女の子からモテモテだったとか。そんな男が、夢の中で、私の隣で、タキシード姿で立っている。びっくりして自分の姿を見下ろすと、テレビや雑誌でしか見たことないような綺麗な真っ白いドレスを自分も着ていた。小さい頃から憧れの、「ドレス」という素敵な装備に私はテンションが上がるのなんのって。手に握られているのは、これまたテレビとかでしか見たことない、実際に持つのなんて初めての「ブーケ」というアイテムで。辺りを見渡すと、仲の良い友達が笑顔で「おめでとう」と手を叩いている。ぶわりと鳥肌が立つくらいにテンションがハイになった私は、顔がにやけているのを自覚しながらも、隣に立っている彼を振り返った。私の顔を見て、彼もふわりと笑う。しあわせそうな声で、表情で、私の名前を

「――」

違う。

私の名前じゃない。

ハッとした時には私の着ている服は白いウェディングドレスなんかじゃなくなっていて、だけど辰也の着ている服は変わっていなくて、だけどだけど私の隣にはいない。彼の隣には見慣れた人物の姿がある。その人物が着ているウェディングドレスこそが本当のウェディングドレスで、私はいつのまにか、人集りのなかで二人を見上げていた。辰也が結婚相手の名前をもう一度呼ぶ。花嫁も、「辰也」と名前を呼ぶ。

そこで夢が覚めた。最悪の目覚めだ。気色悪い夢を見た。むかむかした気分のまま、私は一日をスタートさせた。





「あ、おはよう。ちゃん。お邪魔してます」

リビングのドアを開けると、まずテーブルに座っていた男と目が合った。自分でも、一瞬で不機嫌な顔になったのが分かる。ぐ、と眉を寄せて、「なんでいんの」と呟く。呟いたあとに、ああまずはオハヨウゴザイマスにすればよかった、礼儀がなってなかったねえ、と他人事のように思った。私の言葉に、男は困ったように眉を下げて苦笑いした。「ごめんね」とそれが謝るのと同時に、キッチンから「っ!!」と怒鳴り声が響く。振り返れば、八つ年上の姉が私を睨み殺す勢いで威嚇していた。その後ろから漂ってくる昼食のにおいにお腹が鳴りそうになる。姉が用意したのは自分と彼の二人分だろうけど。ああそっかもう昼時か。日曜だからバイトの時間ぎりぎりまで寝てた。

「アンタまだ辰也にそういうクチ聞いてるわけ!?いい加減にしなさいよ!」
「いいよ、俺は気にしてないから」
「あたしが気にするの!」
「うるさいなあ。おかーさんは?」
「人の話聞きなさいよ!っ!!」
「あんまり怒鳴ったら可哀想だろ?…ちゃん、お義母さんなら庭でお隣さんとおしゃべりしていたよ」
「ふーん。あっそー」

ソレの口から聞かされた「おかあさん」が、脳内で即座に「お義母さん」に変換された自分に嫌気が差す。睨んでくる姉の前を素通りして、キッチンにあった食パンを一枚拝借し、冷蔵庫からハムを取り出して適当に挟んで口へ放り込む。「座って食べなさいよ」と姉がまたイライラした声で怒るので、辰也の座っている正面…の隣の椅子に浅く腰を下ろす。顔は上げずに黙々と。食べたらさっさと家を出よう。そう思って口に詰める速度がはやくなる。そんな気も知らずに辰也がにこにこと話しかけてきた。

「今日はどこかへお出かけかい?」
「バイト」
「そう。日曜なのに大変だね。頑張って」
「……」
「俺達、今日は二人で物件探しなんだ」
「ふーん」
「引っ越し終わったらちゃんも遊びに、」
「べつに用が無いなら行かないよ」
っ!!」

また姉が怒鳴る。なんでそういう態度なのとか、いい加減にしなさいよとか、かわいくないとか、辰也に失礼でしょとか。また辰也がすぐに「いいからいいから」と苦笑いする。私が立ち上がって「もう行く」と短く告げてドアのほうへ向かうと、後ろから「今日はバイト何時まで?」と声がした。振り返らずに「七時」と答えると、「そっか、気をつけていってらっしゃい」が返ってくる。わけもなくいらいらして、わざと大きくバタンと音を立ててリビングの扉を閉めた。



初めて姉がソレを連れてきたとき、私は中学生だった。姉が男を家に連れてくるのは初めてじゃなかった。たぶん三人目だった。だけど私はソレ以前の二人の男の顔が思い出せない。氷室辰也が私の目の前に現れて、名乗って、よろしくねと微笑んだあの瞬間が、きっと人生で一番衝撃的な瞬間だった。何度目かの訪問のとき、出来心で姉の部屋を覗いたら姉と辰也がキスをしていた。それを見たときの衝撃も、酷いものだった。気づいたら二人は婚約者という位置までやってきていたけれど、私は出会った頃とは違って、辰也がウチへやって来ることが苦痛になっていた。玄関に大きな靴が置いてあるのを見る度に、とても嫌な気持ちになるのだ。実際に彼への態度も冷たいものに変わっていって、「ウチに来るんじゃねーよ」アピールもあからさまになっていた。もしも辰也が入婿になってうちに住まわれたらと思うと泣きたくなるくらい苦痛だ。だから言った。「アレと一緒に住むなんて絶対に無理だしもうウチに来ないでほしい」直接本人に言ったわけじゃないけど、聞こえるように言った。そこから姉と大喧嘩した。最近本当姉妹仲が冷え切っている。元から仲良しこよしなわけじゃなかったけど。母親も最初は私に「そんな言い方!」と怒ったけど、「まあ年頃の娘だしねえ。ちょっと気にするわよねえ」と私を庇うようになった。それで今日の――物件探し、だ。

式の日取りも見据えての同棲だ。ちょうどよかったんだろう。私の「来ないで」は姉への「出て行け」に繋がったらしい。

「でも、いくらなんでも、辰也くんのこと『あれ』とか『それ』とか呼ぶのはやめなさい」

お母さんが言う。「物じゃないんだから」と。

私にとっては「もの」だった。お姉ちゃんの所有物だった。





「あ、出てきた。バイトお疲れ様。車あっちに停めてあるから、乗って」

バイト先から外へ出た瞬間、背の高い男がこちらへ手を上げた。私は持っていた荷物をその場に落としそうになる。わけがわからない。呆然と立ち尽くす私に、彼が近寄ってくる。ハッとして、「なんでいんの」と睨んだ。全然動じずに、ソレは笑って答える。「夜までバイトって聞いたから。暗くて危ないし迎えに来たんだ」と。私は何故だか言葉に詰まって、視線だけで辺りを見渡す。まだなんにも言っていないのに、辰也が私の心を読んで言う。

「お姉さんは一緒じゃないよ」

からかうような声だった。笑って言った。私と姉が仲が悪いのを察して、私が姉の姿をびくびく探してると思って。ほっとするのと同時に、辰也の口から聞かされる「おねえさん」は脳内で「お義姉さん」に変換されないことに気づいた。そんなことに気づく自分が腹立たしかった。しぶしぶ足を動かして、促されるままに、見慣れた深い青の車へ乗り込む。

「べつにこの時間危なくないじゃん。まだ七時だし」
「もう十分暗いだろ?日は沈んでる」
「でも10時に終わる日だってあるし」
「得意気に言うことじゃないと思うよ。心配だなあ」

笑いながら、運転席のシートベルトを締める。私も助手席のシートベルトを締めた。すごく自然に助手席に乗り込んだけれど、おかしいだろうか。この助手席はきっと、姉の特等席なんだろうに。私は後ろの座席に座ったほうがよかったんだろうか。でも、わざわざ後ろへ乗るのも、変な気がする。すぐに走りだした車にほっとした。何も気にならないらしい。辰也本人は。

「…なんで迎えに来たの」
「え?だから、暗いから…」
「お姉ちゃん何も言わなかったの?のことなんか迎えに行かなくていいって言わなかった?」
「はは、言わないよ。口は悪いけど、ちゃんを嫌ったりしてないと思うよ、アイツは」
「……」
「あ、ほら。昼も怒鳴ってたけど、君の分も昼食作ってあったんだ。バイトの時間に追われてるみたいだったから、言い出せなかったみたいだけど」
「ふうん。ていうか、自分から言ったの?俺が迎えに行くって?」
「ああ、そうだよ。けど…ちゃんには迷惑だったかな」
「べつに」

ミラー越しに表情を確認された気がして、ぷいっと顔を逸らす。すぐに隣から笑い声が聞こえた。「そっか。普段はもっと嫌な顔されるから、意外だったよ」と。

「初めてかもね。こうやって君と二人きりで話すのは」
「…そうだね」
「うん」
「…でももうすぐ、新居行くじゃん。お姉ちゃんと二人で住むんでしょ。結婚もするんでしょ。私とはめったに会わなくなるね。良かったね」
「え?」

すこし、可愛くない言い方になった。ずるい言い方になった。だけどそれだけじゃ飽きたらず、「水を差す邪魔者がいなくなってよかったね。ムカつく態度のいもうとと離れられて、お姉ちゃんもおにーさんも清々するでしょ」とぺらぺら生意気な言葉が出てくる。それでも、いもうとは「義妹」じゃないし、おにーさんは「お義兄さん」じゃない。私の頭のなかの文字変換は、そう、なってない。辰也はハンドルに手を置きながら、困ったような、不思議がるような、そんなふうに笑う。

「清々するのはちゃんの方じゃないのかい」
「……」
「俺が君の家にいるの、嫌だろ?」
「でも一番嫌な思いするのはそっちでしょ。邪険に扱われて居づらいでしょ」

こんなことを私が言うのもおかしいと思う。邪険に扱ってんのはお前だろ、お前が態度を改めれば済む話だろ、と、言われておかしくない。そう言われるべきだ。あんまりにも「君に嫌われてるのは知ってるよ」と言わんばかりに話されて、少し、胸がちくちくする。罪悪感だろうか。痛い。

「うーん…俺は嫌な思いしないけど…」
「嘘。いつもいつも私に酷い態度取られて、なんにも思わないの?お姉ちゃんあんなに怒るのに?」
「何も思わないわけじゃないよ。アイツ、すぐ怒鳴っちゃうからね」
「…え?」
ちゃんを怒らないでほしいって、俺からも頼んでるんだけどな。ごめんね」
「…」
「けど、君の姉さんを嫌いにならないであげてほしい」

自分が嫌われていようがべつにいい。冷たい態度を取られても気にしない。だけど、君が、自分のせいで姉に怒られるのが、見ていられないから。だから、距離を取るのが、もう家へ来ないのが、一番いい。そうすれば姉妹喧嘩もしないで済むから。――そう言われているような気がして、ぽかんと私は口を開けた。なんだそれ。ほんと、なんだそれ。

「……お姉ちゃんの何がいいの?」
「え…?」
「お姉ちゃん、すぐ怒鳴るよ。怒りっぽい。節約とか絶対下手だし、買い物好きだから余計なものすぐ買うし、浮気とかしそうだし、子育てとか絶対できないと思うし、なんであんな女の人と結婚したいっておもうのか、わたしぜんぜん、分かんないんだけど!」

ぎゅ、と膝の上で握られた拳が痛い。何を言っているんだろう、私は。これから、近い将来、お姉ちゃんの旦那さんになるひとに。言っちゃいけないことだ。悪いイメージ押し付けて、もしこれで結婚なしになったら、別れたりしたら、二人の人生をめちゃくちゃにすることになる。想像して、拳が震えた。それでも、訂正も何も出来ずに、辰也の言葉を待った。彼が口を開くまでの何秒間かが、恐ろしく長く感じた。

「…実の姉をそんなふうに言うものじゃないよ、ちゃん」

違う。そんな言葉が聞きたかったんじゃない。はぐらかすような、子供扱いするような、そんな言葉を求めていたわけじゃない。「私、べつに、お姉ちゃんに嫌われてもいいもん」決意を込めて言ったつもりが、子供の言い訳にしか聞こえてくれなかった。事実、私が彼に言った「節約下手そうだし浮気しそうだし」とかがバレたら、姉妹の仲を断ち切られてしまうだろう。いいや、それ以前に、私が本当は辰也をどう思っているのか、辰也を初めて見たときどんな感情を抱いたのか、私が今朝どんな夢を見たのか、全部を知られてしまったら、もう、仲直りなんて出来ないだろう。だけど、それでも、嫌われてでも、私は、このふたりきりの時間が、幸せで、ずっと続いてほしいと願ってしまうんだ。

「帰りたくない」

私が、この人を、かえしたくなかった。姉へ返したくなかった。いつもそうだ。歳の離れた姉が、いつも、うらやましかった。姉が持っているものはどれもきらきら輝いて見えてしまった。小さい頃はいつも、駄々をこねれば、泣いて喚けば、姉はそれを私に譲ってくれたのに。お姉ちゃんだから我慢して、私にくれたのに。今、私が欲しいものを、どうして、お姉ちゃんが持っているの。

「駄目だよ。このまま、まっすぐ帰ろう」

どうしてこれは、私のものじゃないんだろう。どうして私は、あの人の妹なんだろう。妹じゃないと、出会えなかった人なんだろう。私だって「辰也」って声に出したい。私だって、と、呼ばれたかった。あの夢の中で、呼ばれたかった。きつく握った拳に、ぽたりと雫が落ちる。前だけ見ていればいいのに、彼が私の涙に気づく。だけどその手はハンドルから離れない。拭ってくれはしなかった。

「泣かないでくれ」

どうして泣くのと訊かなかった彼が、ひどく狡い人間に思えた。涙の理由を訊いてくれれば、私は今朝の夢の内容を話せたかもしれないのに。もっと狡くて惨めで可哀想な女の子になれたのに。彼が聞いてくれなかったから、私は、あの夢のことは誰にも話さず、墓まで持って行こうと心に決めた。彼と姉は同じ墓に入るのだろうか。それなら、その墓に一緒に埋めてしまうのも、いい。車はもうじき、私の家へ着く頃だった。








夢葬

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