「言っただろ、出るはずねーって!」


呆れたように、怒ったように、けれど少しほっとしたようにそう声を上げた火神に、黒子がゆっくりと首を傾げた。「火神くん、その割にさっきから僕の後ろ歩いてますよね。怖いんですか?」いつものぼーっとした無表情に、少しの悪戯心を隠しながら。真っ暗な闇の中、頼れるのは窓から差し込む月明かりと、前を歩く黒子の手に握られた懐中電灯の明かりだけ。歩く度にぎしぎしと嫌な音を立てる床。埃っぽい、暗闇。自分たちの他に人の気配が辺りにない。それだけで十分、気味悪い、異常な事態だ。特に火神にとっては。


「そんなわけねーだろ!お前がいつになく張り切ってやがるから先頭を譲ってやってるんだっつーの!いーぜそんなに俺に前を歩かせたいんだったらやってやろーじゃねえか後悔してもしんねーかんな!おら懐中電灯貸せ!俺が前歩いてやるよ!!言っとくけどなぁ去年の肝試しの時みたいになると思ったら大間違いだかんな!!分かってんだろうな!」
「頼もしいですね火神くん。早く行きましょう」
「ちょっ待て馬鹿!電気持ってんの俺だろ!なんで先に行こうとすんだよ!闇にとけようとするな!こえーだろ!…いやべつに怖くねえけど!?」
「今日の火神くんちょっとうるさいです」


日中ほどではないとしても、今は夏だ、暑い。異常に必死な様子の火神を相手にしていると気分的にとても涼しいとは言えない。そもそもこの屋敷の中にはクーラーも扇風機も無いのだし、開いた窓から少し風が入るとはいえ、暑い。首元の汗を拭い、黒子はヤレヤレと肩を竦めて火神の隣に並んだ。後ろにいても前を歩いても何かしら文句を言われそうだ。


「僕らが一番乗りですかね」
「そりゃ、最初にスタートしたしな」
「なんでもカントクの話だと、目的の部屋には缶の他に宝箱が設置してあって、早い者勝ちでその箱の中のアイテムを好きに使っていいらしいですよ」
「宝箱だぁ?…去年と一緒でプロテインの缶持ち帰ってくるだけじゃねえのかよ」
「屋敷探索をより快適にするためのラッキーアイテムだそうです」
「快適もクソもあるかよ…」


彼らは誠凛高校バスケ部の夏合宿のお約束となってしまった「肝試し」の最中だった。火神たちにとっては二回目、というか二年目の行事である。去年は山合宿の最終日に息抜きのような目的で行われたのだが、いろいろあって散々なイベントとなってしまった。しかし「今年はやんなくてもいいんじゃねえすか」という火神の主張を無視して、今年もこうして決行されているのだ。リコカントクがやると言ったらやるのだから仕方ない。この手のイベントが好きではない火神は、おばけなんてへっちゃらといった涼しい顔の黒子と共に、薄暗い屋敷の中を嫌々歩き回っていた。


「けど、去年より僕もちょっと怖いです。出発前に伊月先輩から聞いた話、覚えてますか?」
「だっだからあんなの作り話だろ!出るわけねーよ!ユーレイなんて!!」
「幽霊というか、首を吊った少女の霊、ですよ。なんだか具体的に言われると出」
「出ねえよ!!俺が出ねえって言ったら出ない!」


そう、肝試しが始まる前。今年の肝試し会場はここだ、と発表されたときに、伊月が部員たちに声を潜めてとある噂を話したのだ。「この屋敷は本当に『出る』らしい。ここらじゃ有名な心霊スポットだ。なんでも、何年か前ここで首を吊って死んだ俺達くらいの歳の女の子がいて…」伊月の言葉を思い出して、火神はブンブンと首を振った。ない、そんなのありえない。嫌な想像を振り払うように、首を振る。と、黒子がある部屋に入り、入り口のすぐ傍でいきなりしゃがみこんだ。ビクリとそれに驚き、「なんだよ!?」と火神が声を上げる。


「火神くん、出ました!」
「ででででたって何が!?」
「宝箱です。中身は…懐中電灯ですね」


出ました、なんてわざとらしい紛らわしい言い方をするな!と内心イライラしつつも、黒子が床に置いてあった箱から取り出した懐中電灯に、少しほっとする。「ま、まあ明かりは多いほうがいいよな、うん」と頷き、黒子もこくりと頷く。「じゃあ、一人一つずつ持てますね」「そうだな」「じゃあ二手に分かれて探索もできますね」「!?し、しねえよ!ペアになって探索ってルールだろ!?」「冗談ですよ」「(コイツ…!)」そんなやり取りをしつつ、溜息を吐きながら火神が部屋の奥を懐中電灯で照らそうとしたときだ。妙な違和感、というか、気配を感じた。人の気配、というよりも視線だ。誰かに見られている気がする。それは本当に一瞬、全身を駆け巡った危険信号に近い。何かに呼ばれるように、恐る恐る火神はそちらに目をやる。暗闇の中、月明かりに照らされたその部屋の隅。


「…、……」
「火神くん?」


完全に沈黙している相棒に声をかける黒子。彼は「異常」に気づかない。火神だけが、部屋の隅を見て、絶句していた。みるみる目が見開かれ、薄く開いた口は、気づけばぱくぱくと金魚のように動いていた。ただ、声の出し方を忘れたように、無言。火神には、見えていた。そこに「いた」のだから。暗闇にしっかりと馴染んでいるのに、青白く光り、ぼんやりと存在を主張するその人物が、見えていた。普通の人間なら、こんな闇の中では懐中電灯を向けないとその姿は見えないはず。だけど、その人物は、見える。けれど人の気配は伴わない。ただそこにぼうっと映しだされた映像のように、佇んでいた。

黒い髪、セーラー服姿の、少女が。


「で、出たあああああ!!」
「…?火神くん?どうしたんですか」


尻餅をついて倒れる火神を、不思議そうに黒子は見下ろす。ほんとうに、心底不思議そうな顔で。そんな黒子に、火神はこちらこそわけがわからないというように「はあ!?」と裏返りそうな声で叫んだ。尻餅をついた拍子に床に落とした懐中電灯を拾うのも忘れて、がたがたと震える人差し指を部屋の隅のソレに向け、半狂乱になりながら「あれだよ!!あれ!!見えねえのかよ!?」と主張する。黒子はじっと眉を寄せ、それから右手の懐中電灯ですいっと火神が指差す方向を照らす。


「なにもいませんよ?」


その一言にさあっとますます火神の顔から血の気が失せた。混乱し狼狽えながらも、懐中電灯の光の先をハッと見る。もしかして自分の見間違いで、黒子の言うとおり誰もいないのでは。そう淡い期待を抱きつつ、改めて部屋の隅を見やった。しかし、いるのだ。確かにその彼女は、いる。ごくごく普通の人間のように、黒子に向けられた懐中電灯の光をまぶしそうに、鬱陶しそうに片手で遮り目を細め、こちらを見ていた。睨んでいる。この事態に余計火神はうろたえる。幽霊だったら、光を向けたら消えるとか、そういうこともあるだろう。しかし視線の先にいる少女は、明かりを頼りに見た限り普通に足もついているし、いきなり光を当てられて眩しいな、という反応しかしない。なら、普通の人間かもしれない。自分たちの他にここにやってきていた高校生かもしれない。しかし、黒子は「なにもいない」と言った。黒子には見えていない。


「あ、あれか?実はカントクが脅かし用に雇った女子で、俺をビビらす為にお前は『見えない』とか言ってるんじゃ…」
「…言ってる意味がよく分からないんですが。女子って、なんのことですか?誰もいませんよ、ほら」


そういって、黒子は懐中電灯を無意味に軽く振って、彼女を照らすまあるい光が飛び回る虫のようにぶんぶんと揺れた。黒い髪の、見たところ自分たちと歳は変わらなそうな女子は、余計に迷惑そうに顔をしかめた。しかしそれに黒子はまったく気づかないのだ。本当に、「見えていない」と言わんばかりの反応。呆然とする火神に、黒子はふと思いついたようにポンと手を叩いた。


「もしかして僕のこと脅かそうとしてるんですか?」
「は、はあ!?」
「迫真の演技ですね、火神くん」


勝手にそう納得した黒子を、火神は「信じられない何言ってんだコイツ」という絶望しきった目で見つめた。まだ食い下がらず文句を言おうとした火神の声を遮って、誰かの悲鳴が二人の耳に届いた。「ギャアアアア!!」「助けて助けて誰かああああ!!」尻餅をついたときの火神に負けじと情けない絶叫。「下の階からでしょうか。降旗くん達の声ですね」ごくごく冷静な黒子の声。火神にとっては、それどころじゃない。他人の心配などしている場合ではない。何故かって、本物の幽霊っぽいものがすぐそこに突っ立っているのだから。しかし、傍に立っていた黒子が発した台詞は、火神にとっては信じられないものだった。


「行きましょう、火神くん」
「…い、いくってどこへだよ!?」
「降旗くん達のところです。なんだか助けを求めているみたいですしそれに楽しそうです」
「最後!!最後なんつったおまえ!!それ目的だよな!?つーか、行くっつったって、」


言いながら、怖怖と部屋の隅に視線を移す。…と、そのときだ。黒子が「じゃあ僕だけ少し様子見てきます。すぐ戻りますから。懐中電灯もう一つあるんだし大丈夫ですよね」と早口に告げて、その部屋から出ていく。いきなりの、予想もしない急展開に、火神は一瞬固まり、それから大きな声で「はあ!?」と叫んだ。しかしすでに黒子は廊下に姿を消し、「すぐ戻りますから」という声がだんだんと遠ざかっていく。


「待っ、な、くくく黒子!?おい!ふざけんなよ!!この状態で置いてくとかお前!!」


やけくそに叫んでも、黒子の返事はない。しんと静まり返った部屋に、一人取り残された。当たり前だ、話相手がいなくなったのだから、沈黙しかやってこない。静寂、暗闇。どくどくと急かすように嫌な音を立てている心臓をおさえながら、火神はぐっと唇を噛む。目を瞑り、深呼吸。落ち着け、落ち着け大我、クールになれ。そう唱えながら、近くに転がっていた懐中電灯に手を伸ばす。その、直後だ。


「さっきから黙ってればあんたら、人を幽霊みたいに、何なわけ?」


聞きなれない、凛とした声が鼓膜を揺らす。バッと顔を上げて、目を疑う。先ほどから黙って黒子と自分のやり取りを見守っていた彼女が、自分をじとっと睨んでいた。腕を組んで、仁王立ちになりながら、情けなく地面に座り込んでいる自分を見下ろしている。いつの間に距離を詰められていたのか、すぐ目の前にいるのだ。さっきまで部屋の隅にいた彼女が、すぐ目の前に。思わず「うおっ!?」と短く悲鳴を上げると、目の前の女子はハンっと鼻を鳴らした。


「ださっ!情けなさすぎ!ばっかみたい!体でかいくせにかっこわるい!」
「ああ!?なっ、お前さっきからなんなんだよ!?」
「あんたこそ何なのよ、さっきから」


その少女は拍子抜けするくらい、「普通に」喋ってきた。てっきり、すすり泣いたり気味悪くけたけた笑ったり、うらめしやーとか言ってくると思って身構えていた火神は、未だ若干混乱しつつもそのユウレイに「ムカつく」という感情を抱けるまでには我を取り戻していた。…とはいえ、目の前に光景に非日常を感じるのは確かだ。後から考えればかなり間抜けな質問だったが、彼は思わず、自分を見下ろす少女を指さし、こう尋ねていた。


「お、おまえ、ユーレイじゃねえのかよ…?」
「……」
「……」
「はあ?」


すっと顎を上げ、視線だけそのままに。見下ろすというよりも見下すような憐れみと怒りの混じった視線をくれてやった彼女に、火神は言葉を失くす。床に尻餅をついている自分の体勢が悪いのかもしれないが、ひしひしと伝わってくる威圧感が実につらい。鬼カントクの「はあ?」と少し似ているような気がした。背後に般若が見える。とにかく、分かりやすく機嫌を損ねた「彼女」は長い溜息を吐くと、くるりと背を向け、窓際まで歩いていく。その後姿を、ぽかんと口を開けながらみつめる。すらっと伸びる手足は、とても「肌色」とは表現しづらいように思えた。青白い、それ。窓枠に片手をそっと添えて、こちらを振り返った彼女は、月のひかりを背に、さっきと打って変わって微笑んでいた。けれど顔色から生気は感じられない。淡く揺らめく光が、いたずらに人間の形に見せているだけの存在のようで。


「名前なんていうの?」
「…か…火神大我」
「ふうん。ねえタイガ、私死んでなんかないよ」


死んでなんかない。言い聞かせるようにそう繰り返した彼女は、真っ直ぐに火神を見つめていた。薄く微笑むその表情は、火神が今まで見てきた誰のどんな笑顔よりも、綺麗で、それでいて透明で、寂しそうなものに見えた。ごくん、と無意識に喉が鳴っていた。それからはっと、自分の手のひらを見る。拳を握ったり開いたりしながら、小さく深呼吸して、のろのろと体を起こす。よかった、動ける。先程まで怖いくらいはやく音を刻んでいた心臓は不思議と落ち着きを取り戻していて、目の前にいる人物を「怖い」なんて思えなくなっていた。「なんだ、ユーレイじゃねえのかよ、びっくりした」口の中でそうもごもご呟く。「こいつはユーレイじゃない」と自分に言い聞かせていないとヤバイ、と無意識に理解していたのかもしれない。


「ふふ、当たり前じゃん。幽霊なんかいないって」
「そ、そーだよなあ!?べつに俺だって信じてたわけじゃねえけど、先輩が首つった女の霊がどうのこうのとか言って脅かしてきやがって…」
「だからって失礼ねえ!人の顔見て腰抜かしたりしてさ!」


おかしいということには、気づいていた。けれど、気づかないふりをしなくてはいけない気がした。(なんで黒子にはお前の姿が見えなかったんだ?)(この屋敷には何年も前から人住んでねえはずだろ)(だいたい昼間にカントクがここに肝試しの仕込みに入ったはずだし、人が住んでたら気づくし、カントクはそんなこと全然言って来なかった)(だから、おまえって、)今すぐにでも確認したいことはたくさんあった。それでも、言ってはいけない。確認してはいけない。そう言い聞かせた。


「タイガ達、何してんの?この家で」
「…肝試しだよ。バスケ部の合宿で、ここの近くに泊まってんだ。明日の朝帰るけど」
「へえ!バスケ部!ってあれでしょ、鞠つきみたいにこう、だむだむだむーって」
「お、おう」
「へ〜、ふうーん?肝試しねー、だからさっきから騒がしかったんだ〜!大勢で騒いでさー」
「あー…そのー…なんだ、わ、悪かったな?うるさくして。お前のー…家、なのに…」


その言葉を聞いて、少女がふっと眉を下げてまた寂しそうに笑った。それに火神がぎくっとする。


「私、幽霊じゃない。死んでなんかない。だって、死んだ覚えなんかないから。でも、気づいたらここにいたの。この屋敷の、この部屋に。思い出せないのよ、家族の顔も、自分がどういう生活していたのかも、ここが自分の家だったかも」


それは、自分は幽霊だと主張しているように聞こえた。生前の記憶がない幽霊。自分がなぜ死んだのか思い出せない幽霊。幽霊であることを認めない。死んだということを認めない。火神は黙って、懐中電灯を片手に、一歩、彼女に近づいてみる。普段の彼には想像もつかない行動だ。幽霊かもしれない相手に自分から近づくなんて、普通じゃ考えられない。けれど、なぜだか、そうせずにはいられなかった。


「まだ幽霊だって疑ってる?あのね、全部が全部思い出せないわけじゃないの。私ちゃんと自分の名前くらいわかってるのよ。私、っていうの。
「…?」
でいい。よろしくね、タイガ」


にっこりと微笑むけれど、握手を求めてきたりはしなかった。だから火神は内心ほっとしていた。もし握手を求められてその手に触れようとした時、すうっとすり抜けてしまったら、自分はたぶん気絶するか、悲鳴を上げるかするかもしれない。…いいや、それよりも何よりも、目の前のという少女が、きっと、それはもう悲しそうな顔をするに違いないと思ったから。だから、安心した。気づかせてはいけない。彼女はきっと、悲しむから。何故だか、悲しませたくはないと思った。「死んでなんかない」と自分に言い聞かせるように繰り返すたび、彼女はとても、悲しそうだった。寂しそうだった。そう思った。


「失礼しちゃうよね。みんっな私を幽霊扱い。さっきのタイガの友達だってそう。私を全然見えてないみたいにさ」
「…あー、ああ、そうだな…」
「けどねえタイガ。私、実は嬉しいの。最近ちょっと、さすがに『私死んでたのかな』って思いそうになってたのよ。だって、誰にも気づいてもらえなかったから。だけど、そんなときにね、タイガに出会えた!」


ふふ、と肩を揺らして笑う彼女は卑怯なくらい可憐で、女の子っていういきものだった。生きたものなのかは、よく分からないけれど。両手を自分の後ろで組んで、は機嫌良さそうに火神の顔をのぞき込んだ。「タイガって、霊感なんて無いでしょう?」「ねーよ、そんなん」「だよね。霊感なんてないタイガが、私のこと見えてる。私が幽霊だったら、タイガにも気づいてもらえないもの。だからほら、私、死んでなんかない!」自信満々にそう宣言すると、同意を求めるように視線をよこした。火神はどこか気まずそうに、けれど確かに、「ああ、そうだな」と肯定した。


「……けどねえタイガ、こうやって言い聞かせてはいるけど、正直、怖いな」
「怖い…って、そりゃ…」
「なんかね、さっきタイガが『首を吊った女の子』って言った瞬間、私、首のあたりがきゅって苦しくなったの。なんでだろう。私、なのかな?私死んでたのかな、ほんとうは」
「…、」
「けど私何も思い出せない。もし私がその首を吊って死んだ女の子だとしたら、きっと生きている内に苦しいことがたくさんあったんだと思うの。けど、そのひとっつも思い出せないや。これって逆に幸せなのかしらね。家族の顔も自分の生活も思い出せないけど、それだけは」


言いながら、笑って、自分の首のあたりにそっと触れる。つられて火神も彼女の首に視線を移して、そしてはっと息を呑んだ。何か、太い縄の痕のようなものが見えた気がして、ぞくりと背筋が寒くなる。バッと大袈裟に視線を外したら、がぽかんと口を開けて、それから自分を見下ろすようにうつむく。さすがに自分の首を鏡も無しに見るのは難しいらしく、小さく息を吐いた。その直後、火神が「俺はっ!」と顔をそちらに向けて、真っ直ぐにを見据えて、意を決したように話しだす。


「ユーレイとか信じてねえし、正直そーいうのはパスっつーか、…に、苦手?だからよ、今更お前が自分は幽霊かもしんねーとか言っても、ぜってー信じてやんねえから!つーか、なら俺にお前が見えてんのおかしいだろ?幽霊と喋った、なんて体験お断りなんだよ!…だ、だからなんつーか…不安がらなくても、いいんじゃねえの。お前は、っつう一人の人間だろ。俺が、それくらい信じてやるから…俺は、お前をいないみたいには扱わねえから、それで…あー、我慢しろ?じゃねえな…あー」


うまく言葉がまとまらなくて、頭の後ろをがしがしと恥ずかしそうに掻く火神を見て、は黙りこむ。火神の顔を見つめて、言葉を失った。「だから、思い出せねえこと無理に思い出さなくても…って、なんだよ、その目は…」呆然としているを見て、ムッとした表情になる火神。せっかく人が気を遣って、慰めようとしているのに。そう不満気な顔を見て、は、ふいにくすくす笑い出した。それに火神はさらに恥ずかしくなって、「なんだよ!」と文句を言う。それでも、の笑い声はばかにしたものではなくて、嬉しそうな、くすぐったそうな声で、それが余計に気恥ずかしかった。


「すごいね、タイガ」
「な、なにがだよ…俺はべつに…」
「なんで私、死んだのかなぁ。生きている内にタイガみたいな人に会っていたら、死ななかったかもしれない」


「馬鹿みたいだよね。理由は思い出せないけど、きっと生きているときは『死んでしまいたい』って思っていたんだろうに、いざ死んだら『死にたくなんかなかった』って、『なんで死んじゃったんだよ』って思ってる。おんなじ私のはずなのにおかしいね、とっても」そこにはもう、死んでなんかないと自分を認めようとしない少女の姿はなかった。生きたかった、生きてあなたに会いたかった、と訴えかけてくる少女の霊は、火神を見つめて、すうっと目を細める、笑う。その視線を受けて、切なさや、やりきれなさがこみあげて、火神は思わず手を伸ばしていた。自分は何をしているんだろう。らしくもない。それでも、どきどきとうるさく鳴る心臓の音に背中を押されるように、少女の頬に触れる、触れたい、触れようと、したのに。その指はなんの熱にも触れずに、空を掻いた。途端に、夢から覚めた時のように、ぱちんとスイッチを切ったように、ハッとする。手を引っ込めたそのときに、彼女はそれまでで一番、幸せそうに微笑んだ。きっと彼女の今までで一番、そう、生きている内にはきっと浮かべなかったであろう、幸せな表情だ。


「“ユーレイ”、苦手なのに、怖かっただろうに、優しいのね。ありがとう、タイガ」


ふわりと窓から風が入ってきて、その声は風といっしょに火神の耳に届く。気づいた時、目の前には何も無かった。誰も居なかった。長い夢でも見ていたように、本当に、何の名残ものこさずに。「…?」ついさっき知った彼女の名前を、ついさっきまでそこにいた彼女の名前を、呆然と呟く。返事はない。一歩後ずさりながら、部屋をぐるりと見渡す。姿は無い。在るのは、最初にこの部屋に入った時と同じ。暗闇と、静寂と、生ぬるい風。どれくらい、ぼうっとしていたのだろう。誰かの足音で我に返った。「火神くん!」聞き慣れた声だ。黒子と、その後ろから降旗達もやってくる。


「遅くなってすみません。降旗くん達と合流しました。この際ですから一緒に……火神くん?」
「火神ー?」


不思議そうに、怪訝そうに尋ねるチームメイトの声を背に、火神は自分の手のひらを眺めて、それから目を閉じる。同時に拳をぐっと固く握る。――掴めなかった。触れなかった。「」は、消えたのだろうか。自分が死んだということを認めて、成仏したのだろうか。それとも、ただ自分が、火神自身が、彼女の姿を見ることができなくなっただけだろうか。先程までの黒子と同じように、そこにいるのに、見ることができなくなっただけだろうか。まだ彼女はそこにいるんだろうか。これから先また、誰にも気付かれずに、夏が過ぎるのを、噂が過ぎるのを、ただただ眺めていくのだろうか。それともそのうちまた、自分のようにが「見える」人間に出会ったりするんだろうか。そこまで考えて、ふっと軽く笑う。べちん!と気合を入れるように火神が自分の頬を叩くと、黒子が首をかしげた。けれど、その黒子を振り返った火神の顔は、明るい笑顔だった。黒子は一瞬面食らったように固まって、それから、安心したように少しだけ自分も微笑む。


「っし!行くぞ黒子!」
「はい、行きましょう。もう大丈夫なんですか?」
「ああ。もう大丈夫だ」
「怖くないんですか?」
「怖いわけねーだろ、…あんなユーレイ




部屋を出る。チームメイトと肩を並べて。少年は振り返らない。その部屋を、彼女のいた部屋を、けして振り返らない。寂しそうなあの笑顔を心配するような表情もしない。その部屋を、彼女と過ごした短い時を、怖いとも思わない。いつか彼も忘れるだろう。時間は、思い出を、記憶の片隅へ追いやっていくだろう。誰とも共有していない、彼一人のその記憶は、いつしか記憶とは呼べなくなって、夢物語と区別がつかなくなっていく。最初から何も無かったみたいに。それでも、確かに、今この時だけは彼の中にある。ただ一夏の、神様のいたずら。



ぱたん。扉が閉まる。誰もいない屋敷が、ひっそりと残されて、夏が、遠ざかる。