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「なにそれ。浮気じゃなくて、私の方が遊びだったの?本命は向こうだったってこと?暇つぶしに私と付き合ったってこと?」 「…そうだよ。そう言ってるだろ。つーか、よく分かってんじゃん」 「……サイッテー」 「別れようって何度も言おうとしたけど…お前がしつこく付きまとったんだろ」 「なっ!…もう、いい。最低。いいよ、別れる。もう顔も見たくない。大嫌い」 付き合い始めた頃の喧嘩のように、私が嫌い嫌いと口にすれば向こうが「機嫌直せよ」と困ったように笑うのを、ほんの少し期待していたのかもしれない。我ながら、諦めの悪い、馬鹿な奴だと思う。私の言葉を聞いた彼は、怒るわけでも機嫌を取ろうとするわけでもなく、むしろ予定通りに事が進んで良かったとでも言うように満足気に「分かった」と呟いた。それからさっさと踵を返して教室を出ていく。本当に、一度も振り返らずに。私になんの挨拶もせずに。悲しいを通り越して、私は呆然とした。なんだ、これ。別れ際ってこんなにあっさりしたものなのか。あんまりにも彼の態度が淡白で、信じられなくて、ぽかんとした。あれが、2ヶ月間付き合った彼氏の取る態度なのか。いや、人によっては「たった2ヶ月」と笑うかもしれない。だけど私は、少なくとも私は、本気で彼が好きだったのだし、遊びで付き合っていたわけじゃない。私にとっては重要な2ヶ月間で、人生の中で一番輝いていた数ヶ月で。 「…って、私だけだもんな…こんなこと思ってたの」 ぽつりとつぶやくと、静まり返った教室にはその声がよく響いた。本気で好きだったのは私だけで、相手には他に女がいて。全然、愛されてなんかなくて。好きだよって言葉もぜんぶ、遊びだったわけで。本気じゃなかったわけで。その場じゃ爆発しなかった怒りやら悔しさが、じわじわとこみ上げてくる。もういいなんて言わないで、怒鳴りつけて、泣きわめいてやればよかった。だけどそんなことしたって、きっと彼は今までにないくらい面倒そうな顔で私を見るんだろう。うざいなぁとか、重いなぁとか、そんな感じのことを思いながら。 「あの、すみません。話は終わりましたか?」 どこからかそんな声が聞こえる。きょろきょろと首を動かす暇もない。というか、そうする必要もない。何故かって、その声の主は私のすぐ横にいたんだから。すぐには反応できず、私はぽかんと口を開けて言葉を失くす。それから、大袈裟に仰け反って「えええ!?」と叫んだ。同じクラスの男子がそこにいた。あまり目立つ感じではない、おとなしそうな子。申し訳なさそうに、という様子ではなかった。特に悪びれる様子もなく、私に話は終わったかと確認してくる。質問の意味が分からない。話って、なんだ。それって、私と、さっきまでいた彼氏の会話のことを言ってるんだろうか。 「え、えっ?え?い、いつからいたの?」 「いつからというか…僕、日直だったんです。最初から教室にいました」 「え」 「お二人が後から教室に入ってきたときも、僕に気づいてないみたいだったんで。出ていくタイミングを逃しました」 同じ学年で同じクラスだというのにその男子は敬語のまま淡々とした喋り方で説明し始める。日誌を書いていたら私と彼氏…いや元彼になるんだろうけれど、二人が教室内に何やら険悪な雰囲気で入ってきて。(廊下で言い争っていても面倒だと私は教室に連れ込まれたんだった)そこから修羅場が始まって、物音を立てるのも忍びないのでじっと大人しく事の成り行きを見守っていて。(つまり一部始終を聞かれて、私が振られたところを見たわけで)……そこまで説明し終えると、目の前の彼は申し訳程度に私の方へ視線を向けて、それから深々と頭を下げる。話を勝手に盗み聞きしてすみません、ではなくて。 「ご愁傷さまでした」 「……」 「…あまり気を落とさずに」 ふざけて、からかって言ってる様子じゃない。だけど心底同情してる風でもない。ただ、この場にふさわしい言葉を探した結果、それが適していると判断され、口に出しただけ。そんな感じだ。私は腹を立てることも満足にできず、ただ口元を引き攣らせて彼を見た。頭を上げてもう一度私と向き合った彼は、しばらく黙る。私だって、なんにも言えない。失恋して心にぽっかり穴が空いた直後、そんな恥ずかしい場面を他人に目撃されていたと言われても。なんだか、嘆く気力もないというか。そんな私の気持ちを察したのか、彼は何かを思案するように視線を斜め下に泳がせた後、ぽつりと、相変わらず感情の読めない声で呟いた。 「よく分からないけれど、話を聞いてる限りさんに非は無かったと思います」 思ってもいなかった言葉に、私はまた別の意味で言葉を失った。え、と零しそうになった。言葉を手探りで選ぶように、ぽつりぽつりと彼は続ける。「部外者の僕が言えることじゃないかもしれませんけど」「だけど、悪いのは向こうだったと思いますよ」「今回は、縁がなかったということで」「気休めにもならないかもしれませんが…元気出してください」まさか、まともに喋ったこともないようなクラスメイトに励まされるなんて、思ってもなかった。私は目をまたたいて、その人を見る。名前すら、思い出せない。だけど確かに、毎日この教室で顔を合わせている。そんな彼が。なんだか胸に込み上げてくるものがあって、だけど同時に照れくさくも恥ずかしくもあって、私は俯きながら、その言葉にこたえる。 「そう、かな。うん…そうだよ、ね。うん。他の女の子の、代わりにされてたんだもんね。私。暇つぶしにされてたんだもんね」 「…はあ。そうみたいでしたね」 「……でも私は好きだったの」 顔を上げて、みっともない声を出す自分が何より恥ずかしい。私の声を聞いた彼の瞳が揺れた。それから困ったようにちょっと眉を下げて、どうにか言葉を探そうと目を泳がせる。何を言ってるんだろう、自分は。こんなの困らせるだけだと分かってるのに。目の前にいる彼は、きっと、普段だったらこんなに饒舌になる人じゃないんだろう。一つ一つの言葉に慎重さを感じるし、優しい人だというのも分かる。だからこそ余計に、困らせている自分が恨めしい。優しい言葉をこれ以上かけてほしいと望んでいるんだろうか、自分は。ばかみたいだな、と自嘲するように口の中で呟き、ごめんねなんでもないよ気にしないでと言おうとしたとき、困った顔の彼がすっと顔を上げて私を見据えた。 「あの、僕が代わりになりましょうか」 「……え?」 「……」 「……」 「あ、すみません。血迷いました」 「(ち…血迷ったって…)」 その人は、にこりともしないけれど、焦りも浮かべない。ただ、深く考えずにとりあえず提案したような。だからこそ私は素っ頓狂な声をあげてしまったわけで。…けど、待って。この子いまなんて言ったの。血迷ったとかどうとかじゃなくて、「代わりになりましょうか」って。どういう意味で、そんな。話しの流れ的に、なんか、ちがくないかそれ。なんにも言えずにいる私に、当の本人はぽつぽつと話しだした。焦らず、何事もなかったように、涼しい顔して。 「好きな人の代わりを作るっていうのが僕にはよく分からないんですけど、さんの彼氏はそうすることで埋まらない何かを埋めていたわけですし。同じ事をしてみれば少しはさんの気も楽になるかなと思ったんですが」 だけどさんと彼氏さんじゃ事情が違いますし、僕じゃ役不足でお節介でした、すみません。そう告げると、彼はまた深々と頭を下げて「僕はこれから部活があるので」と教室の出口へ向かう。私はまたまた、ぽかんとする。驚かされっぱなしじゃないか、わたし。ぽかんとしすぎじゃないか、わたし。だけど…だけど一つ、気づいたことがある。「彼」の言動一つ一つに心を揺さぶられっぱなしで、失恋の余韻に浸る暇が全くなくなっているということ。彼がいなかったら。私はじわじわと悲しみや悔しさに押しつぶされて、泣きわめいて、発狂して、自分でも手がつけられなくなっていたと思う。だけど彼としゃべっている間、先ほど自分を振った男のことを深く考える余裕がなくて。だから、それで、私は。気づくとその背中を、呼び止めていた。 「黒子くん!」 自分の声に、言葉に、誰よりも驚いた。名前なんか知らない、思い出せないと、自分でもおもっていたのに。自然と口をついて出た名前に、私ははっとする。黒子くん。そうだ、黒子くんだ。心の中で何度も唱える。黒子くん、黒子くん、だ。降ってきた幸運を必死に手放すまいとするように、何度も何度も、唱える。不思議とどきどきして、思い出せて、良かった。本当にそう思う。引き戸に手をかけた彼、黒子くんは首だけで振り返って、口を半開きにして固まっている。本人も「名前を呼ばれるとは思わなかった」みたいな顔をして。だけどすぐ、体をこちらに向けて、おずおずと私を気遣うように「なんですか」と尋ねてくる。私はちいさく息を吸って、黒子くんの目を真っ直ぐに見て、それからはっきりと、声に出した。彼に何より伝えたい言葉、たった一言。 「ありがとう」 面食らったような黒子くんに、私は微笑む。ますます驚いたような表情を浮かべる彼だけど、すぐにその表情もしまい込んだ。安心したように、ほんのすこし口元を綻ばせた、ように見える。「部活頑張ってね」と言って私が笑うと、返事もせずに…むしろ遮るように黒子くんは「さん」と名前を呼んだ。「すみません、さっきの『代わりの恋人にしてくれ』って話、考えておいてください」 七等星に恋をした |