|
危機感。そんなものを抱いたのはフリーター生活四ヶ月目の夏。 高校卒業直後は「まあなんとでもなるだろう」と思っていた。私以外にもそこら中にいるはずだ。就職も進学もしなかった人間なんて。ニートじゃないだけマシだろう。世間はニートもフリーターも同じだとするけど、私の中のニートってバイトもしてない自宅警備員のことを指すし、お給料を貰える貰えないとでは違う。だからまだフリーターのほうがマシだ。世間的にも。多分。卒業直後の三月、あれだけ心配そうに電話をしてくれた高三のときの担任の先生。電話をしてきたのは三月の間だけで、それ以降はぱったり来なくなった。「フリーターとしてじゃなくて、浪人するっていう考えはないの?もう一年頑張ってみたら?」と先生は言っていた。私も勉強が心底嫌だったわけではないし、勉強したくないから大学に進まなかったわけではないし、今でもたまに数学の問題久しぶりに解いてみたいなぁという気持ちになるけど、なんだか虚しくなりそうでやらない。高校で仲良しだった友達。ちょくちょく遊ぶと、「大学の授業楽しいよ」と言ってくる。そのたび、「べつにそんなこと訊いてないのにな」とぼんやり、もやもやした気持ちが胸の中に溜まっている。楽しいからお前も来いよと言っているようで、なんだかとっても虚しくなった。同い年のみんなが大学に行って授業を受けている時間、私はバイトしてお金稼いでる。昼間のバイトのせいで同僚といったらパートのおばちゃんばっかりだけど。可愛がられているような錯覚は最初だけで、なんだか同情に似た眼差しを感じたとき私はとても虚しくなった。だって彼女たちにとっては私はちょうど娘さん息子さんくらいの年齢なわけで、自分の息子娘がフリーターだったら…という感じに思われてそうで。フリーターってだけで、なんかバカっぽいイメージなんだろう、大人にとっては。頭が足りなくて大学に行けなかった子、だ。そういう目で見られるんだ。高校時代進路指導の先生が言っていた「大学なんて選ばなきゃ誰だって入れるんだ、金があれば、バカでも」という言葉が未だに頭に残っている。あの人にとっては「妥協するな」という意味だったんだろうけど、私はそれがどうしても「金がなきゃ勉強する資格なんてない」と言われているようで気に食わなかった。大学に行かないヤツはバカ以下だと言われているようで気に食わなかった。「私大になんか行かせらんないから国立しか受けるな」と言った親にはべつにムカつかなかったけど。そういうものなのだと納得していたけど。だけど実際、国立に落ちても私大という滑り止めがある周りが羨ましくなかったわけじゃない。国立に落ちてなんにもなくなった自分が、なんだか本当に恥ずかしい存在に思えて死んでしまいたくなったことがないわけじゃない。本当に勉強したいなら浪人すればいいんだろう。だけど一年周りとズレることだって負けないくらい惨めに思えて一人さみしく勉強するなんてそれも虚しい。頑張るなんて惨めだ。今思えば本当に私は努力というものが大嫌いで、自分が格好悪くなるのが嫌で仕方なくて。ならとことんみんなと違う道でいいやと開き直ってフリーター生活を選んだけど(いや選ぶも何もそれしかなくなってただけだけど)開き直ったこと自体カッコ悪いってわかってるのに、都合の悪い部分は見ないふりをした。 そして私には、嫌味なくらい頭が良い彼氏がいる。現在も、いる。彼は私とは別の頭のいい高校に行って今年頭のいい大学に進んで多分今も頭のいい授業を受けて頭のいい将来を約束されている頭のいい人だ。彼と付き合い始めたのは実は中学二年生のときで、高校が離れたというのに私達の関係は続いていて、彼が某頭のいい大学に進み私がフリーターデビューを果たした今でさえ、別れずに続いていた。どうして別れてないの?すごいね!と周りに言われる日々。言われてみればそう、自然消滅していたっておかしくないし、別れる理由なんて探せばいっぱいありそうなのに、私と彼、真太郎の関係は続いている。何故?うん、何故だろう。 ここで、危機感。 「真太郎、私達って別れたほうがいいんじゃないかな。とてもじゃないけど、私、あなたの恋人に相応しいとは思えないの」 まるでドラマのようなセリフをこんなカタチで自分が口にするとは思っていなかった。いつもデートのときに待ち合わせる駅前の喫茶店で、私たちは向い合って座っていた。近くを通るウェイトレスさんに聞こえてるんじゃないかこの会話、と少し心配だか恥ずかしさだかを感じたけど、私は逸らすことなく真太郎の目を見ていた。真太郎も眼鏡越しに私の顔を見て、黙っていた。その表情はころころ変わる。最初ぽかんとしたかと思えば、無表情になり、次に訝しむように眉を寄せた。 「ごめん、冗談じゃなくってね、本当に言ってる。だってさ、彼女がフリーターって嫌じゃない?真太郎に恥をかかせてしまうかもしれないし」 私は月に八万程度しか稼がないしょぼいフリーターで、真太郎は頭のいい有名大学に通うおぼっちゃまだ。つりあわないにも程がある。そりゃあ中高生時代にもつりあわないつりあわないとは思っていたけど、同じ学生という土俵に立っていたからそこまで深く気にかけなかった。でも今は違った。フリーターで在ることが虚しい恥ずかしいと感じるのは自分の勝手だけど、真太郎の彼女である限り真太郎にだって恥ずかしい思いをさせてしまうのだ。「お前彼女いんの?どこの大学?」という質問にフリーター女として私のことを紹介する真太郎なんて想像したくなかった。とてもいたたまれない。真太郎が「あいつの彼女フリーターだってよー」「バカ女と付き合ってんだなープークスクス」とか言われるの嫌だ。想像してかなりへこんだ。私は真太郎の顔を見る。相変わらず背がでかくて、キリンのような男だこいつは。見上げる私の首が痛い。 「べつに。それが別れる理由になるとは思ってないのだよ」 「それは真太郎が優しいからでしょ。フリーターの彼女が恥ずかしいっていうのは事実じゃない?」 「何故そう思う」 「私このままじゃダメだなって危機感をね、つい最近感じたのよ」 「危機感?」 「うん。例えばだけど私、真太郎の親御さんに『息子さんとお付き合いさせて頂いてるフリーター彼女です』なんて自己紹介したくない。真太郎自身は私のこと嫌いにならないでいてくれても、親としては絶対いい気持ちしないよ、自分の息子の彼女がフリーターとか。真太郎の家ってなんか教育ママっぽいイメージだし。私はママに真太郎のこと紹介したけど、考えてみたら私真太郎の親と顔合わせたこと無いし、本当は会わせにくくてしょうがないんじゃないの?こんな彼女」 「お前が俺にとって周囲に自慢できるような恋人じゃないのは今になって始まったことじゃないだろう」 「どうしてきみはそうやって平気な顔で毒を吐くかね。悪気がないところが最大の悪気だわ。っていうかそりゃそうだけどフリーターになってから余計にそう思っちゃうんだよ。じゃあなんで私のこと親御さんに話してくれないの?本当は私みたいな恋人恥ずかしくてしょうがないんでしょうほら本音言っちゃいなよ真太郎」 「俺の口からその言葉を言わせて、なんだ、どうしたい?結局は俺の為でなくお前が別れたいだけじゃないのか」 思ってもみない変化球を投げられて私はあんぐり口を開けた。まさか!私が別れたいんじゃなくってさ、真太郎のためを思って…いやこれじゃあ本当、押し付けがましいな。「真太郎が惨めになるの耐えられないよ」私はつぶやくけど、彼の顔は見れなかった。言い訳する子どものように、ぼそりと、俯きながら言った。すると真太郎はフンと鼻で笑って、「違うな。お前は自分が惨めになりたくないだけだ。俺とお前の立場を比較して惨めになるのも恥じるのも、お前のほうだろう」と吐き捨てた。私は押し黙る。言葉が出てこなかった。そう言われれば、そうなのだろうか。こんな私を彼女にしている真太郎かわいそう、じゃなくて、こんな凄い彼氏がいるのに人生お先真っ暗な自分かわいそう、という、危機感? 「だってさ、真太郎。私、自分が分からない。何をして生きたら正解で、どうすれば真太郎の彼女でいることが恥ずかしくないのか分からない。今からすっごく勉強して、真太郎と同じ大学に進んだら胸を張れる?幸せに生きられる?幸せに生きるってなんだろう。フリーターになった時点でもう手遅れなの?真太郎はフリーターな私でも好きでいてくれるの?」 「べつにフリーターのお前が好きだとは言ってない。フリーターが良い身分だなんて思わないのだよ。職につけ」 「『フリーターだろうとなんだろうとお前が好きだよ』とか言えよちきしょうめ」 「お前のことは好きだが今の状況に満足しているお前は気に入らない。全く人事を尽くしていないからな」 「なんだかこう考えると受験生のときのほうが良かったなぁ。頑張れ頑張れって周りに応援されてさ」 「おい話を逸らすな」 「頑張らない私を応援する人間なんて、いないものね」 頑張ることは惨めだ。努力なんて大嫌い。ぐうたら過ごせればそれでいい。危ない橋なんて渡らない。確実に楽して行ける道じゃないと嫌。そんな私に頑張れ頑張れと声をかけてくれた人がたくさんいた受験期って、今思うと私の人生の中で一番「頑張れた」時期じゃなかろうか。自分が惨めかどうかなんて考える暇なかったし。だけど、担任の先生がいい例だ。頑張らない私を、浪人する気のない私を、高校時代のように愛しい娘のような目で見てくれなどしなかった、むしろ出来の悪い娘としか。いやあの人が私を娘のように思ってくれたかは知らないけどそれなりに可愛がられている自信はあったから。頑張らない私が本当の私なのに、なんて、ますます惨めな言い分だけど。頑張らなきゃいけないのか。頑張らない私は、誰にも見てもらえないのか。私が頑張らなくなったとき見捨てなかったのは、真太郎くらいじゃないのか。いや、だけど彼も、頑張らない私は気に入らないと言ったし、別れるほどじゃないにしても呆れているんだろう。だから私はやっぱり、真太郎と別れるべきだ。 「真太郎と別れたくないです」 あれ、まちがった。 「嫌わないでください。見捨てないでください。呆れないで、嫌わないで、あと、別れないでください」 言ってる最中から目の前がぼやけて、歪んで、顔が熱くなって、喉がからからに乾いてきて、目の奥からじわじわ涙が、滲んで。私は俯いて、膝の上に置いた手でぎゅうっとスカートをひっつかんだ。しわになるまでつかんだ。ぽたぽた、はらはら、涙が手の甲に落ちる。何言ってるんだろう私。こんなすがりつくような、みっともない真似、それこそ真太郎に呆れられて、嫌われて、見捨てられてしまうじゃないか。そうじゃないだろう、別れましょうって言えばいい。これ以上みっともない姿を真太郎に晒したくないので、別れたいですって言えばいい。「わたし、真太郎が好きで、これからも一緒にいたいんです」おい、ちがうだろうわたし。私の唇おかしいんじゃないか。自分の意思とは反対のこといってる。あ、じゃあ反対のことを思えばいいのか。真太郎が好きで好きで好きでしたかたなくて別れたくなんかありません真太郎の彼女でいることをもうしばらく許してくださいって言え私のくち。「私、真太郎の彼女でいたいです、もうすこし許してください」 言うんかい。 「………」 「別れたくないです」 「おい。聞け」 「やだ、別れたくない」 「聞けと言っている」 「真太郎に迷惑だってわかってるしうざいって思うだろうけど私、真太郎のことだけは、諦めきれな」 「諦めなくていいから顔を上げろ」 鼻をすすりぐしゃぐしゃな顔をそっと上げたら、先程までテーブルの上に置いてなかったものがいつのまにか置かれている。なんだかドラマとかでよく見る。四角いけど、蓋の部分ちょっと丸みがある、小さい箱。ケース?っていうかよくある、指輪ケース。そこまで考えが至ったとき、瞬時に「いやいやないわーまさかまさか。都合よく考えすぎだろばかめー」と自分に呆れた。だけど確かに、指輪とか入ってそうな入れ物だった。私はまばたきを繰り返して、そのケースを凝視して、それから真太郎の顔を見上げる。しょうがないやつだな、といったいつもの顔。なんだかんだ私に優しくしてくれるときの、顔だ。もう何年も見てきた。 「……まさか、結婚指輪」 「違う。調子に乗るな」 「すみませんでした調子乗りました思い上がりました」 「そういうものは、もうしばらくしたら、相応しいものを渡すのだよ。もっとちゃんとしたものを」 え?と私が声に出すより先に、「ソレはたまたま目についたからお前に買っただけだ」と彼は続けた。「お前に似合いそうだったから」とも、付け加えた。苦笑いに近いけれど、確かに口元に笑みを浮かべて。私はぽかんと口を開けて黙って、だけどみるみる顔に熱が上ってきて、堪えきれなくてぶわっと泣きだした。両手で顔を覆って、うっうっと声を洩らして子どもみたいに泣きじゃくった。これにはさすがに真太郎も焦ったようで、「おい!ひとが見てるからやめるのだよ、!」と私の肩を揺さぶる。誤解ですみなさん私は真太郎に泣かされてるわけじゃ いや真太郎に泣かされてるんだけど、だけどこれは嬉し泣きであって、真太郎が、好きすぎて、泣いているだけなんです。 「私、真太郎の、彼女でいていいの」 「…そんな許可は出したつもりも出すつもりもない。勝手に、彼女でいればいい」 「好きでいていいの」 「好きでいろ」 「なんにも、誇れるもの持ってない、恥ずかしい彼女なのに」 「嫌なら、勝手に変わればいいだろう」 「変われないかもしれない」 「知るか。お前の勝手だ。どう在るかなど、お前が決めろ」 「私、甘えてばっかりなんだけど、真太郎、なんでそんなに、優しいの」 「うるさい。惚れた弱味というやつなのだよ」 シルバーリング//誰よりも遠く誰よりも近くにいるよ。 |