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「あなた、車の免許は取らないほうがいいわよ」 「はあ。もう取っちゃいましたけど」 その返事を聞いたときの占い師さんの驚愕っぷりといったらなかった。今思い出しても笑っちゃうくらいに。心底驚いたように「ええ!?」と大声を出されたんだから。高校卒業したての春休みのことだ。確かに周りには「もう取ったの!」と驚かれたけど、それでもべつに、もう18歳なのだし、私以外にも取った人いると思うんだけど。とにかく私は既に免許を持っていて、自分の車は無いけれど親のを使わせてもらう程度には運転していた。教習所でも運転の腕前は褒められたし、安全運転だ。友達を乗せて走ったこともある。口をあんぐり開けていた占い師さんは我に返ると、どこからか取り出した印鑑を私に見せて、「これを買いなさい。運を変えられるから」と熱心に薦めてくる。その瞳は真剣そのものだけれど、私はへらりと笑って、「結構です」と答え、席を立った。うん、まあ、なかなかにおもしろいお話だった。帰ったら彼氏におもしろおかしく話してみよう、と決めて、私はその占い師の元を離れた。 それから何年か経った今。夜に友達とご飯食べにいって、そろそろ帰ろうという時間、二つ年下の彼氏からメールが入る。「もうすぐ着きます」という一行だけのメール。私はそれを確認すると、友達に「迎えそろそろ来るみたい」と伝えて、荷物をいそいそとまとめだす。そんな私を見て、彼女は苦笑しつつ、「いい彼氏だねー。喜んでアシに使われてさ」と茶化してきた。彼女は高校時代からの友人だ。だから、私はむうっと頬を膨らませて、いつものようにこう話す。 「もう…覚えてるでしょ?高校卒業した春休み、あんたと一緒に行った駅前の占い師のこと」 「あー、が『あんた将来交通事故で死ぬわよ』って言われたやつ?」 「いやさすがにそこまでダイレクトには言われなかった気がするんだけど」 「彼氏くんが本気で心配しちゃったやつでしょ?」 「そうそう」 当時付き合っていた緑間真太郎くんは高校1年生だった。あの占い師のことを笑って話した時、他の誰に話しても「なんだそれ」と笑ってくれたというのに、くすりともせずに、むしろ見たこともないくらい取り乱して、詳しく話せと詰め寄ってきた。そういえば真太郎は占い信じてるんだよなあ、ラッキーアイテムとか絶対身に付けてるんだよなあ、と気付き、「言わないほうがよかったかも」と後悔した。変に心配させてしまうから。 「でも印鑑買えとか言ってきたのはさすがに胡散臭かったし。心配することないって言ったのに」 「あれはウケたね〜!あ、でもあたしが見てもらったときは印鑑買えなんて言ってこなかったよ?」 「私の運勢が悪すぎるんじゃないかな〜たぶん。誤魔化せないくらい」 もともと名前の画数的にもイイって言われないし。本気で占い全てを盲信してるわけじゃないけど、ちょっぴり気にしてる部分があるのも事実だ。だけども、印鑑は買わなかったけど。 「ごめん、お待たせ。真太郎」 窓の開いた運転席へ声を掛けてから、助手席へ回る。ハンドルに手を置いたまま「お疲れ様です」と告げる真太郎のほうを見ながら、シートベルトをきっちり締めた。慣れた運転で駐車場から車を出すその横顔を眺めながら、さっき友人としていた話を思い出していた。 「真太郎、通学に車要らなかったのに、免許取らされてどんまいだったよね」 「…いつの話をしているんです。無いよりあったほうが何かと便利でしょう。…取ったのは俺の意思なのだよ」 しれっとそう言いながら、こっちにちらりとも目をくれない。そっか、そうですねえ、と微妙な返事をしながら、私はグローブボックス内から適当なCDを選んで勝手に再生する。ちなみに車内のCDは全部私が勝手に持ち込んだものだ。真太郎ときたら、走行中はいつも無音かラジオしか聞かない。それじゃあ寂しい!と私が隣に乗るときはいつも勝手に私の好きなアーティストの曲を流している。うん、勝手に。 「こういう日の送り迎えもね、べつにいいんだよ?アシに使われて嫌じゃない?」 「あなたが運転するのに比べればよっぽど嫌じゃない」 あの日、真太郎は私に「もう車は乗るな」と強く言った。大袈裟だよとからから笑った私に一度ぐっと怯んだ真太郎は、何か解決策は言われなかったのか、と尋ねてきたので、「印鑑買えば運勢変えられるって言われたよ」と答えた。ここで他の人だったら、「なーんだそういう詐欺かうさんくせー!心配して損したー!」なんだけど、真太郎は大まじめに「買ったんですか」と訊いてきた。なつかしい。 「あの判子買ったほうが良かったのかなー」 「…今更なんなのだよ。俺が何を言っても聞かなかったくせに」 「だってアレ、可愛くなかったんだもん。しかも普段の生活に使えるような感じの判子じゃなかったし?実用性に欠ける!お金の無駄かなーってさ!詐欺だったらどうするの!って思ったし」 「はあ……そうですね。やはり俺が運転すれば問題ないことです」 可愛くないから印鑑は買わなかった、と答えた私に、あの日の真太郎ははあ〜っとおもいっきり脱力して、何か言いたげに口を開いて、結局閉じて、しばらく黙り込んだ後に、私の目をまっすぐ見つめて、こう言った。「あと2年経ったら俺が車を運転するから」 「あなたはなるべく車を使うな、って。言ったんだよね」 「……」 「約束通り二年後、本当に免許取っちゃうんだもんなー」 もう忘れてると思った約束。だけどそれからの真太郎といったら、本当に、本当に約束通り。ちょっとした用事(しかも真太郎とはまったく関係ない)に私が車を出そうとするだけでも、止める。なら俺が送迎役になるから、と。いいよそんなの、真太郎に悪いよ、と首を振ると、強い口調で「言うことを聞け」と言う。普段は基本敬語のくせに。こういうときは敬語がとれるし、そもそも最近敬語じゃない時が多くなってる。それはそれで、嬉しいんだけど。 「これからも私が運転しちゃ駄目?」 「駄目だ」 「真太郎が運転?どこへ行くのも」 「どこへ行くのも」 「ずーっと?」 「不満ですか」 「だって、大袈裟だよ。心配しすぎ」 「何かあってからでは遅いのだよ。あなたに運転させて、何か事故に遭ったとしたら、俺は何故自分が運転を代わらなかったのかと一生悔やむ。あなたに運転させてはいけないと事前に分かっているのなら、常に俺が運転席に座る。それが尽くせる最善の人事なのだから」 ハンドルを握りながら、視線は、真っ直ぐ。車の運転時に、真太郎は何がなんでもよそ見をしない。絶対に、安全運転。それはきっと当たり前のことなんだけど、なんとなく、なんとなくね、守られてるなあと、思うよ。 「わたし真太郎と別れたら死んじゃうね」 「……縁起でもない」 「死にはしないか」 「別れない」 「え?」 「だから死ぬはずがない」 真太郎の横顔を見つめると、いつになく真剣な表情で、前の車を見据えていた。「別れない…死なない…か」ぼんやりと、彼の言葉を繰り返す。言い切るなあ。高校時代も思ったけど、っていうか緑間真太郎っていう人間を知った時からずっと、たびたび思っていた「すごいなあ」が、私の口からこぼれる。 「一生、真太郎の助手席かあ」 「不満ですか」 「ううん。まったく」 「…なら、いい」 「うん。あのね、真太郎。ありがとう。守って。ずっと」 ずっと。そう繰り返す私の声に、真太郎はやっぱり視線をちらりともくれないけれど、口元だけですこし笑う。今日も今日とて彼の車は、安全運転で私を送り届ける。彼の隣には、私。私の隣には、彼。 彼女が 助手席に 乗る理由 |