「自分は彼女に嫌われているかもしれない」と思ったところで高尾はべつにと距離を置こうだなんて考えなかった。好きな相手だったら、嫌われているかもしれないと感じたところでショックを受けるなり今後の接し方を改めたりするかもしれない。けれど高尾にとってはただのクラスメートで、ただの「サン」だ。馴れ馴れしくて嫌われているのは(緑間説だが)重々承知でも、じゃあこれからは相手にも悪いしあまり話しかけないようにしよう、だなんて思わない。むしろ苦手な相手に話しかけられて困惑している様子が高尾にとっては面白いのだから。そんなもったいないことはしない。楽しくないじゃないか。…そうニヤニヤ笑いながら言えばきっと緑間あたりは呆れた溜息を吐くに違いない。嫌われてると感じて少し驚きはしたが、それだけ。嫌われようが好かれようが、どうでもいい相手だった。


「あの、高尾くん本当大丈夫なんで早く部活に行ったほうがいいと思います緑間くん待ってると思うので」
「いーのいーの。真ちゃんも子どもじゃないんだから俺がいなくても部活くらい出来るってー」
「いや、そうじゃなくて、でも、あのですね高尾くん」


だからこそ、こうやって相手の困りそうな行動も平気で出来る。職員室へ続く廊下をと並んで歩く高尾はへらへら笑っていた。先程まで教卓の上に積んであった数学のワークの束は今すべて高尾の手にある。高尾がワークを提出して、よしじゃあ今から職員室へ運ぼう、とが手を伸ばしたところですかさず高尾がひょいと取り上げたのだ。ワークを。「職員室まで一緒に運んであげるよ」とにんまり笑う高尾は上機嫌だった。対しては「いや高尾くん部活あるしそんなことさせられませんっていうか一緒に運ぶって言ってるのにどうして全部持っちゃうんですか」と焦りに焦ってどうにか高尾の手から奪おうとしたのだが、さっさと教室を出ていく高尾にあたふたしながらついていくのが精一杯で、何を言っても高尾はワークを渡そうとしない。


「高尾くん、部活遅れたら先輩たちに怒られないの…?」
「んーぜーんぜん。へらへらーっと流しとけばいいんだって」
「え、でも、怒られ」
サンもやってみ?今回みたいに先生に雑用押し付けられたら、『え〜嫌ですよ〜めんどくさい』ってへらへらすんの」
「ええ…」
「世渡り上手のコツはへらへらすることだぜー、マジで」



からりと笑っては、それを聞いて戸惑うの様子を見て楽しむ。は真面目な性格だろうから、先生に頼まれたことは多少嫌でも従うんだろう。間違っても「えー嫌ー」なんて言わないんだろう。そんなの分かりきっているのに、その上で「やってみ?」と提案する。出来ないよそんなの!とあわあわする様子も面白いけど、実際自分の言う通り彼女が先生に向かって「嫌ですよお」なんて言ってたらそれはそれで笑ってしまいそうだ。マジで言ったよあの子!と緑間の肩を叩いてげらげら笑う自分の様子が簡単に想像できた。


「あ、そういやサン、俺が何部だか知ってんの?」
「え…バスケ、だよね?」
「お。アタリ」
「……うちの学校、バスケ部強いし、その中の一年生レギュラーだし…有名だよ、ね」
「そーなの?」
「う、うん?凄いんだろうなあって……」
「ふーん。まあ緑間は有名だろうけどさー」
「緑間くん…えっと…高尾くんより上手なの?」



聞いてもいいのか躊躇うように、ごにょごにょと小さな声でそう尋ねる。失礼な質問かなぁと、恐る恐る。けれど高尾はいっそ慣れたような対応で「んー上手いっつーか…同世代では有名なんだよなーアイツ」「シュートすげーの。天才ってやつ?ラッキーアイテムがどうとか言ってっけどーそれがまたウケんだよ」と斜め上を見ながら緑間について話す。は素直に「へえ…」としみじみ呟いている。そんなすごい人だったのか、と。バスケ部が強い、というのはこの学校に通う全員が知ってることだし、そのバスケ部のレギュラーに一年生の中から選ばれるというのはきっとすごくすごく特別なことで、「高尾くんと緑間くんは凄い人らしい」というのは分かっていたけど。その「すごい人」の高尾くんがさらに凄い人だと話すということは、緑間くんはかなりの「凄い人」なわけで…とが頭の中で考えていると、高尾がやれやれと肩を竦めて、わざとらしく大きな溜息を吐く。


「ま〜俺もそれなりに自信あんだけど〜、真ちゃんっていう存在が身近にいると俺の凄さが霞むっつーかー?」
「そ、そんなことないよ…高尾くんも緑間くんも同じくらい凄いと思う…」
「はは。なになに?俺のこと慰めてくれてんの?やぁっさしー」


まあ、緑間の実力や評判を知らない部外者なら、そう言えるだろうなー。他人の苦し紛れのフォローは何度か経験してきたので、今更高尾も気に留めなかったけれど。全然ありがたくも嬉しくもないけど、適当に「ありがと」と言っておこう。そう思って口を「あ」の形にしたときに、が遮った。「違うよ、そうじゃなくて」と、彼女には珍しく、はっきりとした声で、態度で。不意を突かれて高尾が口を開けたまま黙りこむと、は足元を見つめながら、控えめに、ぽつりぽつりと話を続けた。


「出来る人の中でも差は当然あるとしても、出来ない人間からしたら、どっちのほうが凄いじゃなくって、どっちも凄いよ」
「……」
「だって自分に出来ないことが出来るんだもん。ふたりとも、自分とは違う人間ってことには変わりない、っていうか…」


それは、「レギュラー取れたって時点で高尾くんも緑間くんに負けないくらい凄いよ!」というフォローと同じ言葉なのに、なんだか同じ意味に聞こえない。卑屈になる(ふりをしているだけだが)高尾を気遣っての言葉ではなくて。低い位置にいる自分と比べての言葉だ。極端な話、東大を目指す天才人間二人が学力を競っていたところで関係のない人間にとっては二人とも頭いいーとしか思わないというか。自分とは比べる次元が違いすぎて、差なんかないのだ。自分には出来ないことが出来る。それだけで、「凄い」だから。にとっては、そんな感じの意味が詰まっていた。高尾は未だ黙っている。いつもよりよく喋るに、なんとなく圧倒されていたのかもしれない。喋らない高尾にもハッとして、図々しく喋りすぎたわたしなんかの話高尾くんが聞きたいわけないだろ…とぐるぐる頭の中で考え込んだ末に、「あ、あの高尾くん、職員室着きましたよあとは私が持っていきますのでとりあえず部活に…」と目の前の扉を指さした。高尾もその言葉に我に返って、「え?ああ」と曖昧に返事をして。そそくさとが自分の持っているワークを取り上げようとするので、「あ。俺も一緒に行くからいーって。持たなくて」と釘を刺す。




「なあさん」ワークを数学教師の机に置いて、二人で職員室から出るなり高尾はに声をかける。びくっと大袈裟に肩を揺らして、はそちらを見る。「な、なんでしょうか」とビクビクしながら尋ねると、高尾は呆れ半分に苦笑いする。さっきまでいい調子でフツーに喋ってくれてたのになあ。敬語も止めてくれてたのに。そう思って少し、残念だった。


「俺今度バスケ教えてあげよっか」
「…へ?」
「いや、だってサンすっげーバスケ下手…あ」
「え…」



自分の失言に「あ」と口を手で押さえたが、彼の言葉にはぴしりと固まる。なんでしってるの、とでも言いたげにの顔がみるみる赤くなって、恥ずかしさで涙目になって、じりじりとその場から後退していく。高尾がのバスケの実力を知ってるのは、今日の体育で女子の使っていた体育館をこっそり暇潰しに見に行ったからだ。いや、それを今更説明するのも面倒だし、謝るようなことではないし、どちらかというと謝るのは下手だと言ったことにたいしてなわけで。


「やー、その…バスケ出来る人間のことスゲーって言ってくれたってことは、出来るようになりてーのかなーって」
「い、いいです…私本当に下手だし…」
「だからこそじゃん。出来るようになっと楽しいって。絶対」
「いいです!絶対、遠慮します!」
「ええー何その力強い拒否」
「だって…その、私、どうせ出来ないですし…」
「ん、だからそれを出来るよーに」
「できないものはできないし、できるひとにできない人の気持ちは、分からないとおもう、よ!」


びしゃりと言い切ったあと、がハッとして顔を上げる。高尾が目を丸くして、ぽかんとしていた。その様子に、はサーッと血の気が失せて、「ごめんなさい調子乗りましたご厚意を無下にしてしまってすみません丁重にお断りさせていただきますワーク一緒に運んでくれてありがとうございました部活頑張ってくださいさようなら」を一息で言い切って、くるりと背を向け全力疾走でその場から去っていった。相変わらずの逃げ足に、高尾はまた何も言わずその背中を見送って、だけど今日は我に返って笑い出したりしなかった。頭の後ろをがしがし引っ掻いて、「…なんだそりゃ」と小さく呟くことしかしなかった。あんなに思い切り断られるとは。少なくとも今回の「バスケ教えてあげる」は、いつものからかい文句ではなくて、親切心のかけらもない思いつきでもなかったのに。