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体育の授業の後の昼休み。「真ちゃんメシくおー」って後ろの席を振り返ったとき、視界の端っこにさんの姿が映った。そわそわ、どぎまぎ、こっちに来ようとしてんだかしてないんだか微妙な…いや、あれは多分、話しかけようとしてるんだな。俺に。真ちゃんは自分の背後も周囲も全然気にしていないみたいで、さんがじりじり近寄ってきてることには気づいていない。俺から「どしたの」って彼女に話しかけても良かったんだけど、とりあえず気づいていないふりをして様子を伺ってみることにした。「あー腹減ったなー今日の真ちゃんの弁当のおかずはなんだろうなー真ちゃんママいっつも弁当豪華だからなー」すっごくわざとらしく、視線を真ちゃんの手元にだけに向けて早口にべらべら喋る。視界の端っこのサンが、びくっと身を引っ込めた。顔がみるみる曇っていく。「今話しかけたら迷惑かな、ご飯中だもんな、あとにしようかな」そんな顔。けど、ブンブンっと首を左右に振って、一人でグッと拳を握って、「いや、行こう!」って顔して。(一人で何やってんのこの子は)(無意識なんだろうけど!)さんが決意を固めた表情で一歩こっちに踏み出したので「そういえばさー真ちゃんさー」ってわざとタイミングよく話し始めると、さんがまたぎくっと足を止めて、そろそろと後ずさる。後ずさった先にあった机にガタっとぶつかって慌てて振り返って無人の机に向かって「ご、ごごごめんなさい!」と頭を下げて謝った。はい、俺の笑いの沸点ここな。 「ぶっは!」 「…高尾」 「ぷくく…くっ、も、だめだ、ウケる…!」 「おい」 「だって真ちゃん、さっきアノヒト、机に向かって…超必死に…っ!」 どうやら真ちゃんも途中からさんの存在に気づいていたらしく、俺が声出してげらげら笑い出すと大げさに溜息を吐いた。「さっさと用件を聞いてやれ」と呆れたように言うので、俺がわざとさんを焦らしていたことにも気づいていたらしい。サンが俺の笑い声にハッとして、俺の方を見て、それからみるみる恥ずかしそうに顔を赤らめていく。ぱくぱく口を動かして、堪えきれなくなったのか何故かいつものように頭を下げて「ごめんなさい出直してきます!」とか言い出すから、「あーごめんごめん俺が悪かったから、お話しよーぜサン!」と俺も謝る。そろりそろりと顔を上げたさんは、俺の顔色を窺うように上目遣いにもじもじしてるから、へらりと笑ってみた。するとほっとしたような顔でさんもちょっとだけ笑う、から、不意打ちに俺は息が詰まる。(あれ、なんだ、これ)(ときめくとか、俺のキャラじゃないんですけど) 「あの、ね、高尾くん。さっきはありがとう」 「…え。なに。さっきって」 「体育のとき、ないっしゅーって言ってくれたの、が…その…嬉しかったから」 「…(やはりあの時の高尾の大声は体育館中に聞こえていたのか…そのわりに教師から何の注意も受けないが)」 「ああ!なんだそんなの。…てか、良かったねサン。シュート入ってさ」 「う、うんっ!」 「言ったとーりっしょ。チームのみんなからも褒められただろ?」 「うん!…あの、高尾くんのおかげ、かなって…」 「そ?俺なんもしてねーよ?今までのさんが、やれることやんなかっただけ。な!真ちゃん!人事を尽くしたらざっとこんなもんだよなっ」 「ああ、人事を尽くして天命を待つという言葉を知っているか」 「ってことなのだよサン」 「う、うん?そうだ、ね!」 何を言ってんだか半分くらい伝わってないだろうにこくこくさんが頷いて、それから数秒黙って、「でもね」と小さくつぶやく。ごにょごにょ口ごもって、口ごもった末に出てきた言葉が「なんだか不思議だけど、がんばろうって思えた。高尾くんに、ちょっと強引だったけど、シュート打ってみろって言われて」という言葉。ぽつりぽつりと、まだぎこちなくだけど、ちゃんと会話を続けてくれる。 「…キッカケ作っただけなのに?」 「だけっていうんじゃなくて、私にはそれがすごく、大きくて…それで…」 「うん?」 「え、えっと…」 「うん」 「ほ…本当に、ありがとう…?な、なんだかうまく言えない、けど、ありがとう…」 何回お礼言うんだよ!無駄に謝ってくるのが治ったと思ったら今度はめちゃくちゃお礼言ってくるのかよ!そう笑ってツッコんでやろうと思ったのに、さんがちょっとほっぺた染めながら照れくさそうにはにかむから、なんかからかう気にもなれなくて、「おー…」ってぼんやり返事しながら視線をちょっとずらす。真ちゃんはすでに自分とは関係のない話題だと判断して弁当箱を開けて食べ始めていた。なんだよ話入ってこいよ人事を尽くして天命を待つの話題だけドヤ顔で参加しやがってコイツ。いや、いつもだったら真ちゃんの助け舟なんかいらないくらい俺はべらべら喋れる、はずなんだけど。「いつも」のさんと違うから、すげえ調子狂う。だって相手は俺だって言うのに後ずさって逃げたりしないし、ごめんなさいごめんなさいも言ってこないし、あれ? 「た、高尾くんって、すっごく優しい人だね…!」 真ちゃんが分かりやすくピタッと箸の動きを止めた。そしてすっげー眉を顰めながらさんのほうへぎぎぎと顔を向ける。「なに馬鹿なことを言っているんだこいつは」っていう心の声がすっげー表情からにじみ出てる。おいコラ、もうちょっと隠そうよ真ちゃん。っていうか失礼だっつの。俺はいつだって優しい善人だっつーの。いやそれはわかってるとしても、ちょっと待て、なんだろう、さん、ほんと感動しきったような目で俺を見ないで。キラキラした目やめて。なんかこう、恥ずかしくなってきた。「優しいね」とかなかなか言われない褒め言葉だ。あと真ちゃんのそのジト目なんかムカつく!俺はがしがし頭の後ろを掻いて、「えーと、あーその、サン?」と話の流れを変えようと口を開く。 「ご飯まだ食ってないっしょ?お礼はもーいいから、ご飯食ってきな?」 「あ、う、うん!ご飯中にごめんね」 「んーん。いいっていいって!」 「(や、やさしい…)あの、高尾くん、私誤解してた、から…その…ごめん」 「(お?また謝りモードか?)あれ?誤解ってことはつまり俺は優しくないって今まで思ってたってこと?」 「えっ」 「エッ」 「お、思ってないよ!?この前ワーク集めてって言ってくれたことも、ゆっくりでいいよって言ってくれたことも、私、すごく…嬉しくて」 「高尾くんには…当たり前にできちゃう人には、なんで出来ないのか分かんないよとか、突っぱねちゃって」うんうん。「分かってもらえないんだって決めつけて、諦めて、でも」ほうほう。「『出来ない』って自信、高尾くんのおかげで、なくせたから」そっかそっか。「やらなかったこと、今日ひとつ『出来た』から」うん「だから、あの、ね」うん?「高尾くんって、弱腰な私のこと…こ、困らせたいからそういうこと言ってくるのかな?とかちょっと思っちゃってたんだけど、全然そんなことなくて、そんなふうに思っちゃってた自分が失礼というか恥ずかしいというか、本当に申し訳ない、です!ありがとう!高尾くん!」――晴れやかに笑って、深々と頭を下げて、くるりと背を向けるとぱたぱた去っていく。友達の方へ駆けていく。 「……高尾」 「……」 「おい、高尾」 「………は」 「は?」 「ははっ」 去っていくさんをぽかーんと、それはもうぽかんと、口を開けて唖然と見送った俺を訝しがるように真ちゃんは何度も名前を呼んだ。ぽつりとこぼれた「は」っていう自分の間の抜けた声。それに押されるように、俺は気づいたら笑い出していた。「あははは!!あーウケる、ははっ!だって、さっきの!あーおっかしーの!!」真ちゃんが眉を顰める。なんかもう呆れとか変なものを見る目じゃなくて、「お前どうした」っていう微妙に頭を心配するような哀れみの混ざった目だ。けど俺は笑うのをやめずに、むしろいっそう腹を抱えて笑う。けたけたと笑い死にそうなくらい大げさに。だってなんか、笑ってないと保てそうにない。何をって、そりゃあ、なんかこう、流されてしまいそうで。だから何に流されるってそれは、この、思春期特有の、この感覚にさ。(ないない、ありえないって) 「『困らせたいからなのかなって思っちゃってた』って、なんだそれ!そのとーりだっつーの!困ってあわあわしてんのがおもしろいんじゃんねえ?それともアレかな、俺がこの前言った『仲良くなりたいからだよ』って言葉、信じちゃってんのかな?ははっ、嘘に決まってんじゃん、俺はただおもしろいからちょっかい出してるんだっつの!あーウケるわーほんと。あれは完っ璧俺のことイイヤツって思っちゃってるよ。超ウケるわー、やっぱおもしれーよなあサン。あはは!あー、…あー……」 笑顔がだんだんと控えめになって、最後には消えて、俺は結局黙りこみ、真ちゃんも無言で受け流し、俺はパッと顔を上げて「腹減った」とつぶやく。目の前の真ちゃんはおいしそうな煮物をもぐもぐ咀嚼している。じーっと見つめると、「やらんぞ」と言われた。緑間クンって平和ですネ。いろんな意味で。「俺もメシ食うわ」「食え勝手に」「食うわ勝手に」俺今日パンだし。真ちゃんいっつも豪華な弁当だしなんかこの格差さみしーもんがあるね。パンの開け口をびりっと破いて、一口食ってみる。無言。真ちゃんも無言。 「俺さー」 「なんなのだよ」 「サンになつかれちゃった♡」 「……」 ばかだなあサン。俺サンの思ってるような人間なんかじゃないってのに。馬鹿だなあさん。俺なんかの言葉に励まされちゃったりしちゃって。俺なんかの言葉に喜んじゃったりして。あんな嬉しそうに笑っちゃってまあ。かわいい顔を見せちゃってなんとまあ。いや、そこは問題じゃないけど、でも俺には問題っていうか。…何焦ってんだろーな、俺。 |