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「まーた先輩にいびられたのー?よくやるよなぁ、女バスはー」 スコアボードをとぼとぼ片付けているところに、高尾がやってきた。俯いて歩いていた私は、ついと顔を上げ、ヤツのにやけ面を拝んでからまた視線を下げる。高尾が私を励まそうと声をかけてくれているのは分かるんだけど、今かまってる余裕はない。強がりでも笑える自信がない。それくらい、疲れていた。なんかもういろいろと。体力よりも精神的に。だけど私のそんな沈んだ様子を肯定と受け取ったようで、高尾はしょうがないなみたいな溜息を吐いて、私の肩をぽんぽんと叩いた。 「男子はその点マシかもなー。ねちっこい嫌味だったり陰口だったりはねぇもん。あー、真ちゃんのワガママにキレる先輩はいるけどイジメっつーイジメじゃねーし。真ちゃん全然気にしてねーし。やっぱ女って怖ぇわ。で?今日はどーしたよ。集合遅いって怒鳴られた?声が小さいって?シューズ隠されでもした?」 「いいよ。もう慣れたし。先輩って意地悪な生き物なんだって諦めてるから」 ぼそっと吐き捨てるようにそう言えば、高尾がなんだか微妙な顔をして、そーかいそーかいとお手上げみたいに軽く言った。諦めちゃったらそこで試合終了だぞーなんて言われたらまあ、うるさい他人ごとだと思って!って文句つけるとこだったよ。ふと、隣をくっついてきた高尾が足を止めた。だけど私は気にせずスコアボードをひきずり、倉庫の中に片付ける。そしてすぐ倉庫の外へ出た。高尾は先ほど足を止めた場所にまだつっ立っていて、たぶん私を待っててくれていて。一緒に帰ってくれるんだろうとなんとなく分かっていたので、てくてく彼の元へ歩み寄った。 「仕返ししてやりたいけど出来そうにない相手を懲らしめてスッキリする方法知ってる?」 私が隣までやってくると、高尾は頭の後ろで手を組みながらそう呟いた。視線は、どっか上を向いたまま。私は眉を寄せて、彼を見た。いつも通りの高尾の横顔だ。いつも私の先輩に対する愚痴を聞いてくれるバスケ仲間の高尾だ。なにそれひでえなーとか、気にすんなよーとか、負けんなよーとか、そんなふうに声をかけてくれる高尾だ。その彼から「懲らしめる」なんて具体的な提案が飛び出したのは初めてのことで、私はすこしびっくりしたのだ。なにそれ、と聞くより先に、高尾は口の端を持ち上げて、歌うように、楽しげに呟いた。 「ただ思えばいい。『コイツが崖から落ちそうになっていたら絶対助けない』ってさ」 「…え?」 私が素っ頓狂な声をあげたら、高尾は目を細めてさらに続けた。「助ける価値のない人間だって認識してやんなきゃ。人に嫌われるようなことをする人間はそれ相応の覚悟が必要なんだぜ?」茶化すような、明るい、軽い声だったと思う。最初、は。「をいじめる先輩ってさ、に嫌われるの分かっててやってんじゃん。好かれようとしてないじゃん。人に好かれるっていうのは結局、保身なんだよ。裏を返せば、人に嫌われるっていうのは敵を増やしてるもんなの。命の助かるチャンスを削ってんだよ」話がぶっ飛びすぎていて、いまいちピンとこない。私が変なものを見る目で高尾を見たら、俺の言ってる意味わかる?と聞いてきた。私は素直に、よく分かんないよと返す。怒るわけでもなく、がっくりするわけでもなく、高尾はけたけた笑っていた。 「だからぁ、実際殺すのは無理でも間接的にならお前のことくらい簡単に殺せんだよ、って強気でいろってこと」 けたけた笑いながら、声だけが冷たい。言葉だけが、ナイフみたいに鋭い。背筋が急にぞくりとした。私に向かって殺すだのなんだの物騒なことを言っているわけじゃないのに。なにをいってるんだ、高尾は。どこからそんな物騒な話に。いや、崖から落ちそうになっても見捨てる、というのも実際に起きたらかなり物騒な話なんだけど、それでも現実味がないからバカバカしく聞こえたんだ。だけど、どうだろう。高尾のその余裕たっぷりの、何考えてんのかいまいちつかめないその笑顔で言われたら、本当に、コイツは全人類の命をその手に握っているんじゃないかとすら思えてしまった。ああ、そっか、こいつ怖い。 「ねえ高尾、あなたはその方法で、何人くらい殺してきたの」 尋ねる声が、少し上ずった。彼の言ってることは、結局のところ、「想像の中で殺せばすっきりする」って、そういうことなんじゃないのか。うわー行動力ねえーかっこわりいー直接じゃあなんにも言えねえのかよー、って、思う人は思うだろう。私だって最初「なにその弱気な空威張り」と思った。だけど、高尾の笑顔が怖いと思ってしまってからは、その「方法」もかなり、怖いものに思えてきた。わからないけれど、とにかく、背筋が凍ったんだ。なんでだろう?現実味なんてまるでないはずなのに、どうしてか、怖い。高尾が私の言葉を聞いて、ニィっと口の端をつり上げた。ぽん、と私の肩を叩く。だけど咄嗟に私は身を引いてしまった。怯えるように。びくりと。あ、と気づいた時には遅い。恐る恐る高尾のほうを見れば、やっぱり、わらっていた。 「馬っ鹿だなー。殺すわけないじゃん」 実際に殺せるわけがないじゃん、という意味で言ったのかもしれない。だけど、「のことは殺さないから安心しろよ」という意味にも聞こえて、私はなんにも言えなかった。そうやって彼は、人に嫌われないように、殺されないように、人懐っこい笑顔を振りまく。 ある日の放課後、練習が終わったあと、何かに呼ばれたように私はふっと天井を見た。本当に、ふっと頭に「天井を見ろ」という信号が届いたみたいに。何か、変な違和感があった。天井にある電球をじっと見る。地震があったわけでもないのに、なんだかふらふら、ぶらぶら、落ちかけているように見えた。ずいぶん高いところにあるので、はっきりは見えない。だけど、あれがもし本当に落ちてきたなら、どうなるんだろう。ぽけーっと口を開けて見ていたら、少し離れたところから部活の先輩の声が響いた。「さん何つったってるの、一年は片付けがあるでしょ」きーきーヒステリックな声で、わたしを。 だけど、わたしは先輩のほうをふっと見て、それからまた天井を見て、それからまた、せんぱいを見て。「聞いてんの!?さん」一歩こちらへ歩く。 今もしあの電球が落ちてきたら。落ちてきたら、そうしたら。脳内でいつかの高尾の言葉が蘇った。「崖から落ちそうになっていたら絶対助けない」助けない。 「先輩、そこ。」 そこにいたらあぶないです。(そこから、うごくな) 甲高い悲鳴でハッと我に返った。体育館中が騒然とする。あちこちで悲鳴が起こった。先輩の名前を、誰もが叫ぶ。泣き叫ぶ。顧問の先生が私の横をすり抜けてった。何かに駆け寄っていく。体育館の床に誰かが倒れているのだ。さっきまで先輩が立っていたけれど。ああ、先輩が倒れている。取り囲む人に隠れてよく見えないけれど、あれは血だろうか。先輩、生きてんだろうか。どうやら電球が落ちてきたみたいだ。周囲に割れたそれが散らばっている。危ない。きっとこの掃除は一年がやることになるんだろう。みんなが先輩に泣きながら駆け寄っていく中、私はうつろな目でその光景を眺める。騒ぎを聞きつけ女バスだけでなく男バス部員も駆けてきた。騒然とする体育館内。野次馬の中に、高尾を見つけた。先輩のほうを、驚きもせず空っぽな、真っ暗な目で一瞥し、すぐに私のほうを見た。無表情だったソレが、愉快気なものにかわる。笑っていた。唇を動かした。ここからじゃあ、聞き取れない。いや、ほんとうは聞こえていた。 きらいな人 |