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ひどい話をしよう 「私ねえ、昔ねえ、とっても性格悪かったんだと思うの。あ、今がいいかは知らないけど『今以上に』性格が悪かったってことにして!」 テーブルに突っ伏していた顔を上げて、正面に座る男に私はそう言った。それまで自分が起きていたのか寝てしまっていたのかも分からないけど、私は顔を上げるなり、なぜだかぽろっとそんな話をし始めていた。今自分がどこにいるのかも曖昧だった。けどそんなのはどうでもいいと思った。ただ、どこかの居酒屋なのはわかる。がやがやと店内は混んでいて騒がしいし、飲み終わった空っぽのジョッキが片付けられずにテーブルの端でまとめられている。忙しくて店員さんこっちのほうのテーブル片付けに来てくれてないのかな。ていうか誰がそんなに飲んだのだろう。私なのかな。それとも私の前に座っている男だろうか。なんで私こいつと二人で飲んでるんだっけ。いやまあいいや、いいんだどうでも。 「はいはい、それで?」 「小学校高学年から中学校まですっごく好きだった男の子がいたんだけどね」 「ふんふん」 「私その子にすっごく嫌われたの!」 「うわ、胸にくる話やめて。ちっこいお前カワイソウ」 「その子ね、誰にでも優しくて面白くっていいヤツだったのよ。もちろん私にも最初はすごく優しかったの、頼りになるし、話してるとおもしろいし楽しいし。私すぐに好きになってね、そりゃもう、席替えで近くなるたび小躍りするくらい好きだったの!毎日毎日学校に行くと会えるのが幸せだった!」 思い出すとそんな恋するちっこい自分がかわいくってにやける。にやけたままに私は近くにあったグラスの中の液体をぐいとイッキ飲みした。味がよくわからなかった。「本当に好きだったのよね!」と繰り返すと、自分の声がやけに大きいことに気づく。けどどこか他人事のように気づくだけで、ボリュームを上手く下げられない。言い聞かせるように、小学校の頃の思い出を私はべらべらと話す。目の前の男はへらへらと笑ってそれを聞いてくれている。 「でもねえ、中学上がって性格の悪さがバレちゃったのかなー、我慢の限界だったのかなー。口きいてくれなくなってねえ」 「え、なんで?仲良かったんだろ?」 「よかったよ〜!めちゃくちゃ!と自分では思ってた!私ぞっこんらぶだったし!でもさー、周りにひやかされると『好きじゃないもん!』って言ってたあ。もう最終的には泣きながら『好きじゃないもんこんなやつ!もっとイケメンじゃないと嫌だもん!』って言ってた〜」 「うは!典型的〜!小学生男子が『だ、誰が!こんなブス!』って言うのと一緒じゃん?」 「中学になってさー、女子はますますグループとかヒエラルキーとか気にしだすしさ〜、友人関係もなんかこー、表面上仲良くても裏でごちゃごちゃしてたりするじゃんー?人の悪口とか平気でその好きな子の前で言ってたしー、むしろ聞いてもらってたしー、でも悪口の相手と私が仲良くしてるのも見てるしー、今思えばなんで自ら性格悪いのを好きな子にアピールしに行っていたんだろうね?んでさっきも言ったとおり私とっても素直じゃないわけだから、好きな相手に対しても多分いろいろひどいこと言ったりひどいことしてたと思うんだよ。小中学生なんて、今よりよっぽど無邪気に他人を傷つけられるじゃん?心当たりがぼんやりと多すぎてどれが決定的な原因かいまだに分かんないんだけどさ〜」 「あ〜、やっぱあれだよな。自分、相手と仲良いって思ってっと、何言っても許されると思うんじゃん?まさか嫌われないって慢心がどっかにあったんでしょーよ」 「それなんだよな〜」 「な〜」 「んふふ」 話していると、気分がよくなってくる、きがした。自然と変な笑い声も漏れる。でも、なんか、悲しい。気分がいい話ではないはずだ。それでも話しているとどこか興奮して、そんでもってすっきりするような気がするのは、きっと今まで誰にも話したことがなかったからだ。仲の良い友達にも話したことはない。私があの彼を好きだったということは周囲にモロバレだったかもしれないので知ってるかもしれないけど、でも、私は、誰にも言ったことがない。あいつを好きだった、とは。テーブルに片方の頬をくっつけて、私はふうーっと息を吐く。目を閉じた。思い出す。顔、声、そんでもって、言われた言葉とか。とられた態度とか。 「調子乗ってたんだろうねえ。気付いたときには、もー、目も合わせてくんなくなってねえ」 「あららー」 「いやむしろ目が合うと睨まれたかな。舌打ちされたな。どけ、とか邪魔、とか言われたな。いろいろきついこと言われたな、されたな」 もうそれからは何がなんだか分かんなかったな。すごくつらかった覚えがある。でもあんなに、誰にでも分け隔てなく楽しく接してくれるような、みんなの人気者が、私にだけそんなに冷たいって、なかなか周囲には信じてもらえなかったな。私だって信じたくなかったし。でも何をどうすれば元の関係に戻れるのかわからなかったし、相手に何が決定打となったのかわからなかったし。でも漠然と自分が悪いのだというのだけは分かった。だってこんな性格なんだもの。ひどい性格だったもの。嫌なやつだったもの。そもそもの前提としてよ、嫌われて当然だった。自分がそういう、人に嫌われて当然の人間だって大人になる前の早めに気づいてよかった。中学生のほろ苦い思い出。そう、それだけ。きっとそんなもの。 そんなふうに思いながらも気づくと目からぽろぽろと涙が零れていて、テーブルの上に小さな小さな池を作っていた。悲しい。悲しい悲しい悲しい。悲しい気持ちでいっぱいだ!あの日々を思い出すだけで苦しい。好きな人に嫌われるというのは、こんなにもつらいことなのか、って。もうどうしたらいいのかわからなくて、どうしようもなくて、ただただ、翌年クラスが別れたことにほっとしながら悲しんだ。廊下ですれ違うたび目をそらして端っこを歩いた。視界に入らないように。もうこれ以上嫌われないように。傷つかないように。 「でもね私ね、すごく馬鹿みたいなんだけどさ、その中学の時の苦い思い出以降よ、そいつ以上に誰かを好きになっていないと思うんだよ。私この人のこと好きになっちゃいそう〜うふふ〜っていうふわふわした出会いは何度かあったけど、でもそれだけなんだよ。席が近くになってガッツポーズして悲鳴上げるくらいうれしーとか、優しくされてしあわせーとか、その人のことばっか考えちゃうだとか、そんな恋はね、私ね、していないと思うんだよ」 泣きながら私は話していた。目の前の男がどんな顔をして聞いてくれているのかなんてわからない。顔を上げたときまだそこにいてくれているかなんてわからない。ただただ私は、とまらなくなって、たまらなくなって、ずっとずっと話し続けた。ずっとずっと泣き続けた。 「ばかみたいだ。周りの女の子は中学、高校、大学、って、誰かを好きになったり、誰かと付き合ったり、いろんな恋をしているのに。私はそんな、小中学生の思春期のちっぽけで子供だましの恋なんかを、しかもばかみたいに苦しかった傷跡を、『これ以上はない』なんて思って何年も何年も過ごしてしまったんだよ。大人になってしまった。ねえどうしよう、これはいつまで続くんだろう。もしかしたら私はこの先も、ちゃんと誰かを好きになれないんじゃないかって。ばかだ、ばかだよねえほんとうに」 同窓会でその姿を遠くに見た。大勢に囲まれて輪の中で笑うその人を見た。目も合わなかった。心臓が痛くていたくてそれはもう痛くて、消えてしまいたいと泣きたくなってみんなよりも早くその場を抜け出した。きっと奴の記憶になんかこれっぽっちも残っていない。残っていたとしてもいい思い出なんかではない。目が合わなくてよかったんだろう。もしも目があった時に嫌な顔をされていたら。まだ嫌われていたら。考えると恐ろしいじゃないか。涙が止まらない。テーブルの上の小さな池が広がっていく。がやがやという周囲の音はまるで聞こえない。 まだ好きだというわけじゃない。そういうんじゃない。何か、その彼との、先を、望んでいるわけじゃない。好きだから忘れられない、とかじゃない。そうじゃない。ただただ、何かの呪いみたいに、ずっと私に付きまとう。あの心臓の痛みが。忘れた頃に、何度も何度も、忘れさせまいと、私に迫ってくる。 「私ね、今でもたまに夢を見る。起きた直後は内容を覚えていないのに、一日過ごしていてふとしたときに今朝の夢の内容が蘇ってきて、そういう日は決まって一日苦しい」 「どんな?」 「どんなだと思う?笑っちゃうの。その、好きだった人、私のことを嫌った人に謝る夢!ごめんねごめんね、もう許してくれませんか、って!もう嫌わないでほしい、って泣きながら謝るんだよ!ばかみたい!」 「うわぁ…」 「そしてそっからも都合がいい。相手も私に謝るんだよ。酷いことを言って悪かった、そんなふうに想ってくれてたなんて知らなかった、って」 「仲直り?」 「仲直り!幸せだよねえ、幸せすぎて痛すぎる。しんどすぎる」 こんなに泣いているけれど、しゃくりあげたりせずにすらすらと言葉が出てくるのが変な感じだ。だけど涙は止まらない。テーブルの上の涙の池が広がりすぎて、ついにテーブルからはみ出る。ぽたぽたと床に水が落ちていった。ほんと、涙じゃなくて水でもこぼしたみたいだ。 「恐ろしいことだよ。もしも私がこれから先誰かを好きになれたとして、それでも私は、ふとしたときに、忘れた頃にその、馬鹿みたいな夢を見るのかもしれない。そう思うと怖くて怖くて仕方ない。誰かを好きになっても、またその夢に引き戻される。あの時の苦しさが蘇るんだきっと。だって分からない。どうして他人なんか好きになれる?どうせ嫌われるのに!」 溢れた水が、今度は床に池を作った。私の足元が濡れる。私の足元にだけ水たまりができる。 「お前はさ、なんで俺に話したの?」 顔を上げると、頬杖つきながらも笑って私の方を見ている男と目が合った。「なんで、俺には話してもいいかなって思ったわけ、それ」大人に諭される子供のような気持ちになって、私は、ぽけーっと、考えた。顔を覆う手を放してみると涙は止まっていたけれど、足元の水たまりはどんどん巨大になっていく。目の前の男は優しく笑っている。ゆっくり考えてみて、と言われている気がした。けれど理由なんて、そうだ、酒の勢いとか、(あれ、私はお酒を飲んでいたんだっけか)、いい加減誰かに話してすっきりしたくて、(ならもっと違う相手だってよかったのに)、だって、だってそんなのは、理由なんて、ああ一つ、思い当たった。 「だって高尾が、あの男の子に少し似てるから」 自分の声を、言葉を、他人のもののように耳の奥で聞いた。高尾はちょっとびっくりしたように目をぱちくりさせて、でもすぐにぷはっと吹き出して、笑った。 「じゃあ俺が今お前に、そんなことねーよお前は良い奴だよ、って言ったら、救われんの?あの男の子に許されたような気持ちになれんの。なれんなら、言ったげる?」 私を見る彼から目が離せなかった。とても優しくて魅力的な誘いに思える。それと同時に、頷いてはいけないと、ブレーキを踏む気持ちもあった。だってそんなのは都合がいい。あの夢のように、都合が良くって、馬鹿みたいで、痛い。口を開きかけたそのとき、自分の座っていた椅子が傾く。あれ、と視線を下げると、足元の涙の池に、椅子の脚が沈んでいる。あ、と思ったときにはどんどんどんどん沈んでいく。慌てて椅子から立ち上がろうとしたけど、自分の周りにもう足をつけそうなところがない。自分の足も、池のような、沼のような、水の中に沈む。沈んでしまう。私泳げない。水は嫌い。助けを求めたくて顔を上げて彼の方を見た。彼は頬杖をつきながら私を見ていた。 「でもアレだな。じゃあ、あの男の子に似てる俺に嫌われたら、もうお前きっと立ち直れないな」 目覚まし時計が鳴っていない、と思った。 寝過ごしたということではなくて、アラームがなる予定の時間よりも早く自分の目が覚めたのだと、時刻を確認して理解した。それでもぼんやりと、覚醒しきらない頭を、枕から離さずにおいた。ぼんやり、ぼんやりとだけど、なんだか嫌な夢を見たような気がする。目が覚めてよかった。覚めないまま夢がもうちょっと長く続いていたら、もっと嫌な夢になっていただろう。内容はあまり思い出せないけど、それだけは確かだ。 そういえば今日の夜は、飲み会の約束をしていたっけ。亜美と麻衣子と橋本と塚田くんと高尾とあと誰だっけ。誰が来るって言ってたっけ。ぼうっとしながら、スマホに手を伸ばす。そういえばこの前高尾と話してて、誰かに似てるなって思ったんだよな、誰だっけ、なんだっけな。 思い出せないけれど、思い出さないほうがいいような気がした。こんな感覚は今まで何度も味わったことがある。ノイズがかった夢の内容が、ちょっと思い出せそうで、やっぱり思い出せなくて、結局あきらめた。私はグループLINEのページを開いて、日時とメンバーの確認をして、それから、拭いきれない気だるさを言い訳にして、「ごめん、今晩無理そう」と当日のドタキャンの旨を打ち込んだ。打ち込みながら、また、脳裏に靄の掛かった夢の内容が少しだけ過ぎる。あ、もう少しで思い出せそう。思い出せた途端に後悔するのなんて分かってるのにな。ああ、でも、なんか、高尾が出てきた気がする。なんでだっけ、なんだっけな。 (あ、おもいだした)何度自分が嫌になる朝を迎えればいいのどうしたら私は私に許されるの |