学校は、私を見てひそひそ話す人間たちで溢れていた。べつにもう慣れたし気にしない。わざと乱暴に肩へ担ぐように通学鞄を持てば、周囲はヒッと飛び上がるような反応で私と距離をとる。そして離れた安全なところから囁き合う。「怖い」「なんであんな子がうちの学校に」ポケットに手を突っ込んで、背筋を伸ばして少し胸を逸らして、堂々と歩く。そうすれば舐められないでしょ。モーゼのように、人が避けて出来た道を真っすぐに。「見て、あの頬のキズ」「きっと暴力沙汰で……」気にしない、気にならない。そんな声。勝手に言ってればいい。
浴びるのはひそひそ声。呼ばれる名前は「あの人」「噂の」「例の」だ。誰かに、学校で、名前なんかは
「えっと、あの、……なに、まりな、さん?」
「は?」
教室で突然話しかけてきた、知らない女の顔を見た。片方の眉を上げて、目を細めて、近くにあるのに見づらいものみたいに、凝視した。だって、「は?」だ。なに話しかけてきてるんだ、こいつ。周りのざわめきが聞こえないわけ?あの子あのやばいやつに話しかけてるよ、的などんびきした声、聞こえないわけ?
「あ、ごめんなさい……私漢字ダメで……前から気になってて……あの、苗字……うに、さかさん?」
「……雲母坂だけど」
「きら、きらら……ざか?」
至って普通の女子だった。地味な見た目ともいう。今までの人生で制服のスカートの丈を短くなんかしたこともなさそうな、芋っぽい女子だった。びくびく嫌々話しかけてきているわけではないけれど、漢字が読めない前置きをしたことによる恥ずかしさか何かなのか、顔赤くして、キョドってる感じで。でも、私の口にした「きららざか」の五文字を一回、二回、三回と繰り返し、その度にみるみる目が変わる。(それこそ、「きらきら」って)
「すごい!名前まできらきらしてるのね!」
それが、私との初めての会話だった。
――きっ、雲母坂さん!お昼一緒に食べてもいい?
――雲母坂さん!次移動教室だよ、一緒に行ってもいい?
――雲母坂さん、今日の数学の授業って……
「ねえ、アンタさ……」
「はいっ!なあに、雲母坂さん!」
私に呼ばれて、頬染めながらパッと顔をこちらに向ける。尻尾を振った犬みたいだった。(ああ、犬にあんまりいい思い出は無いけど)あの日以来、この人物は私に話しかけてくるようになった。最初は、なんかの罰ゲームでもやらされてるのかと思ってたけど。私に話しかけるとき、決まって頬を赤らめて、告白でもするのかってくらい緊張した様子で、私が反応薄くてもそっけなくても、なんとか会話しようと頑張るみたいに早口でおろおろ喋る。それが最近ずっと続いていたから、今日、改めて聞こうと思ったんだ。
「私に話しかけていいの?」
「えっ!? め、迷惑だったかな、やっぱり……」
「迷惑っていうか……アンタだって周りにひそひそ言われるじゃん」
もう遅い気がするけど。廊下を歩きながら、横目で、私たち二人を指差してた同級生を見る。私に睨まれたと思ったその子たちは、ひっ、と飛び上がってそそくさと視線を逸らした。私のすぐ隣……よりちょっと下がった後ろを歩く人物は、私の言葉にいつもみたいに「えと、あの、その」とつっかえながら、ちょっとずつ話し出す。
「えと……実は、前から、雲母坂さんのこと、かっこいいなって思ってて……」
「……えっ」
「わ、私なんかがおこがましいんだけど!いつも離れたところから見てて……その、ご、ごめんなさい!」
「ベ……べつに謝ってほしいとかじゃ……」
「あっ憧れだったの!仲良くなれたらって……あ、漢字が読めなかったのは本当なんだけど……勇気出してあのとき、話しかけて……! ごめん、ほんと、気持ち悪いよねこんな……」
今までで一番顔を赤くして、ほんと耳まで真っ赤で。さっきまで私を見ていたのに恥ずかしくなったのか俯いている。目は合わない。でもそれでよかった。私のほうこそ、たぶん、顔が赤い。心臓だってドキドキうるさい。そんなこと言われるなんて思わなかった。だって、学校で私を見る人間の誰もが、ひそひそ、びくびく、そればっかで。照れやらなんやらのドキドキが、徐々に、緊張のドクンドクンって音に変わる。正直嬉しかった。だけど、だから、私は震える指で左の頬を掻いた。
「……私、こ、の……傷とか、あるけど……」
恐る恐る。だけど、どこか淡い期待があった。望み通りの反応を相手が返すこと。
「そっ、それもかっこいいの!」
ぶわ、と自分の胸の中で何かが広がる感覚がした。俯いていた顔を上げて、「思わず」といった感じで身を乗り出して、相手は私を見ていた。目が合う。その目の中に、誰にも向けられたことない色の好意を見た気がした。はっとした顔して、身を引きながら、相手が視線を泳がせる。
「ご、ごめん、一方的に……気持ち悪いよね、えへ、えへ……」
ずっと、仲良い子なんていなかった。周りはみんな離れていった、変わってしまった。(それは友達だけじゃない、パパも、ママも)私は必死に頭の中で思い出そうとしていた。「友達」の作り方を。「友達」との話し方を。過ごし方を。私が、したかったことを。愛され方を。目の前にいる女の子は、きっと、私の思い通りに。
「……まりな」
「えっ?」
「だ、だから、その、さ!雲母坂さん、じゃなくて。まりな」
「え……、あ、えっでも……」
「下の名前は嫌だって?」
「う、ううん!まりなさんって名前も、可愛くてかっこよくって素敵だと思う!」
「じゃあいいじゃん。まりなで」
「え、う、うん!じゃ、じゃあ、まりなちゃん……」
「まりなでいいよ」
「ええっ!?そんな、でも……ま、まり、……まりちゃん!」
「だめ!!」
「は、はい!まりな!」
勢いに圧倒されて思わず叫んだその声に、自分自身がびっくりしたみたいに目を丸くして口をおさえる。私がそれを見て、ぷっ、とふきだしたら、相手は顔を真っ赤にさせた。
「私も、って呼ぶから」
朝、学校で「おはよう」って言う相手ができた。移動教室もお昼ご飯も一緒に行く相手ができた。わからない授業に「わかんなーい」って言い合える相手ができた。いつも真っすぐ帰っていた道を、少し寄り道して一緒に帰る相手ができた。家のことがあるから、あんまり頻繁にとか、長くは遊べないけど、はそれに「付き合い悪い」と文句を言うような子ではなかったし。お揃いでつけようって可愛いストラップまでくれた。似合うと思って、って可愛いアクセまでプレゼントしてくれた。逆に私が手作りのクッキーをあげたときなんて涙目になりながら喜んでくれた。もったいなくて食べられないって言うから無理やり口に突っ込んだ。そんなじゃれ合いすらも楽しかった。
は私のことが大好きだ。もうすっかり友達だっていうのに、話すときは毎度頬を赤らめて、私と話せて幸せだみたいな顔するし。私とを見てひそひそ話す人間は未だにたくさんいるけど、そんなの気になんない。
だって私には、私のことが好きながいるから。
「もうちょい短くてもイケるって。スカート。絶対その方がいいから」
「え、ええ~……だってまりなみたいにはなれないよ~、似合わないと思うし……」
「はあ~!?むしろ、私と並んで歩くときになんかこう~……バランス悪い!」
「そりゃあ釣り合わないけどさあ……まりなと……」
「そっ、そうは言ってないじゃん!もっといつも堂々としてなよ!前から思ってたけど、おどおどしすぎっていうか」
帰り道、そもそももう学校は出て教師の目だってないんだから、制服なんていくら着崩したっていいのに、は真面目だ。真面目にきちんと制服を着て、両手でぎゅっと鞄を持って。私の半歩後ろあたりを歩く。苦笑していたが、ちょっと言いにくそうに、視線を落として頬を掻いた。ぽつぽつと、自分の話をしてくれた。
「……私ね、昔からこんな感じで。周りの目が怖いっていうか……学校だけじゃなくてさ。えへ……家でも親の機嫌をうかがってビクビク過ごしてるの。なんでも親の言うとおりにしないと怒られる気がして、怖くて……」
「……、そ、う……なんだ」
それは、初めて聞く話だった。今までそんな話をしてくれたことなかった。私は思わず足を止めて、を見つめてしまう。も立ち止まって、ぎゅ、と鞄を持つ手に力をこめていた。
どくん、どくん、と心臓がうるさく音を立てていた。ふつふつと自分の内側からこみあげてきた感情が、喉元までせり上がる。話してもいい、と心を許してくれたから、は私にこの話をしてくれたんだ。その嬉しさ。もう一つの感情は、「言ってしまいたい」という欲だった。脳裏に浮かんだ「怖いがらす」に、きつく目を瞑った。もう、「やっと言える」「彼女になら言える」という想いが走った。だって私たちは似ている。私たちは友達。ごくり、と喉をならした。それが間違いだったのかもしれない。飲み込むべきではなかった。私は吐き出す唯一のタイミングを見誤った。
「わ、私も、じつは……っ!」
「でもまりなは違うもんね!」
えっ、と声が出た。さっきまでの暗い目ではない、むしろ明るく、周囲に花も見えるくらい、きらきらを振りまいてが言う。友達になったあの日みたいに頬を染めて、興奮気味に。
「まりなはいつも堂々としてて、周囲の目なんて気にしてなくって、自分を持ってて、怖いものなしって感じで強くて、かっこいいから!私、本当にそこが憧れで。一目見た時から、かっこいい!って思ったよ。私もまりなみたいになれたらなあ。もう親の言いなりになんかならないで、びしっとかっこよく振る舞えたらなあ……」
「……あ、」
ああ、だめだ。
「私、そんなかっこよくって強いまりなが大好きなの!」
だめだ。このきらきらを失ってはいけない。私を見るこの目を。間違えてはいけない。私は、にとっての、強くてかっこいいまりなでいなくちゃ。きっと「それ」を知ったら、私のことをもうこの目では見ないだろう。私は、の理想の、まりなでいなくちゃ。
心のどこかで驕りがあった。は何があっても私のことを盲目的に慕ってくれるような気がしていた。それはある意味「思い通り」で「理想」だった。でも本当は違うのだ。「思い通り」「理想」でいないといけないのは、私の方だ。
「ま、まりな……? ごめん、変なこと言った、かな……」
不安げに覗き込んでくるに気づいてハッと我に返る。首を振って、「なんでもない」と口にした。うまく声に出せていたかはわからない。
「……私、じゃあ、ここで」
「あ、うん!結構暗くなっちゃったし、気を付けてね」
「うん。も」
「えと……まりなの家って、どこらへんなの?いつもここで別れるから、場所的には……」
「悪いけど家には呼べないごめん」
遮るように告げた言葉が思ったよりも大きい声になって、それを自分の耳で聞いて後悔した。慌てて「部屋汚いし、なんにもないし」と付け加えての顔を見る。一瞬驚いた表情を見た気がしたけど、すぐにそれは照れたようないつもの笑いに変わった。
「そんな、押しかけようと思って言ったわけじゃないよぉ」
「そ……そっか。だって、ほら、変なとこ図々しいし」
「ひ、ひどい! あ……で、でも、あの、うち……週末とか、家族、家にいなくて……まりなさえもし良かったら……うちに、遊びとか……」
「え!行く行く!」
「本当!?」
ぱっと嬉しそうに表情を明るくさせて、なんでかまたすぐ顔赤くして照れ照れと「じゃ、じゃあ、今週末……」と控えめな声で言う。友人の家に遊びに行くなんて経験が素直に嬉しくて、私は頷いた。お菓子とか持ってったほうがいいのかな。が手を振る。バイバイ。そのあとも私は週末のことを考えた。学校では会ってても、家に遊びに行くなんて今まで考えてなかったな。意外とちらかってたりするのかな。のことだから、帰って急いで掃除してたりして。まりなが来るから張り切って掃除したよ!なんて言って迎えてくれるのかもしれない。想像できすぎる。ちょっと口元が緩んだ。ドアを開ける。
「おかえりまりちゃん」
指先が冷たくなった。心臓が悲鳴をあ「まりちゃんどうして今日は帰りが遅かったのまりちゃんはママを見捨ててまりちゃんまりちゃんまりちゃんまりちゃんま
の部屋はやっぱり綺麗だった。予想通りの「まりなが来るから掃除した」というセリフを聞いた。やけに照れ照れ、恥ずかしそうに言うから、「予想通りだよ」って笑ってやった。の部屋は勉強机以外に小さいテーブルとかは何もなくて、「床じゃあんまりだから、ベッドに座っていいよ」と言われてその通りにした。やけに顔赤くして、緊張した様子でベッドを指差していたけど、私は最初からあんまり床に座る選択肢を頭に入れてなかったから当たり前にベッドに腰かけた。持ってきたお菓子はベッドの上で食べていいんだろうか。そんなことを頭の隅で考えた。
も私の隣に腰かけた。いつもより距離が近い気がした。まあいつも隣っていうより半歩後ろを歩くような子だったから、すぐ隣って距離にちょっとびっくりしただけかもしれない。枕元にあるぬいぐるみが目に留まった。私も好きで昔集めてた。私の部屋に置いてあるクマと同じやつかも。そう話題を振ろうとして、私は枕元のそれに向かって手を伸ばした。ぐっと体を前のめりにたおす。
後ろから覆いかぶさってきた体が、一瞬誰のものかわからなかった。ここには私としかいない。
「ねえ、ちょっと、重い」
「まりな、あ、あの、あのね、私ね」
上擦った声。心臓の音が聞こえる気がした。いやそれよりもハァハァうるさい。いきが。
「私、ま、まりなのこと」
しってる、しってる。アンタ私のこと大好きだよね。しってる。しってるけど、なんの冗談なのどうして体をへんな触り方すんのなんでそんなはぁはぁいってんの。
「あいしてるの、まりな」
熱に浮かされたようなどろどろした瞳が私を見つめている。その顔が近づいてくる。呆然。頭の中が真っ白になった。私キスされるのか。本当に呆然と思った。自分の身に起こっていることが、あんまりにも非現実的だった。何を見ているんだろう、なんだろう、これ。他人の目から見た視界を見ているようだった。
そうか、本当に私のことが好きだったのか。わかってないのにわかってるような処理を頭がするけど、不思議とキスを抵抗する気は起きなかった。ただ、もう、呆然としすぎて。まあ、いいのか、いいのかな。このまま、にキスされちゃったりして。案外、そういう、レズ?みたいなのに、私もなったりして。ただ、ただ、身を任せようとした。目を閉じて
瞼の裏にママの顔が浮かんだ。もしも私がこのまま流されて。私が女を好きだってなったら。男の一人も連れてこない。それどころか、女と、なんて。
しったら、ママは、ママはぜったい、わたしに
気づいたら突き飛ばしていた。思い切りが壁に頭をぶつける。私は枕元にあったぬいぐるみを乱暴に引っ掴むと振り上げた。
「キモい!!キモいキモいキモい!!女同士とかありえないっつーの!!ふざけんな!!」
別のぬいぐるみも掴んだ。そのあと目覚まし時計も手に取った。
「アンタが!!あんたが……っ、男だったらよかったのに……」
それなら私のことを好きになってもよかったのに。それなら私にキスしたってよかったのに。ママに紹介だってできたのに。服を脱がせて私の体に触るのも、許したのに。子供だって作れたのに。私は幸せな子供を育てる幸せなお母さんになれたのに。
「なんで女なんだよぉ……」
幸せになりたかった。ぼろぼろ涙が溢れてきて、ぐしゃぐしゃに泣いて、全然かっこいいまりななんかじゃなくなった。いや、もういいのか、もう全部。声を上げて子供みたいに泣いた。それは私だけじゃなかった。拭っても拭っても涙は溢れてきた。もうは私をあの目で見てくれない。幸せになりたい。幸せになりたい。
「ごめんなさい……傷つけて、ごめん、ごめんなさい……っ」