「御堂筋翔くん!君に言いたいことがあります!」

 背の高いその人物が、ぴたりと足を止める。首だけで振り返るその動作がやけにスローモーションに思えた。私はほとんど初めてその人と喋るような気がする。随分と前から知っていたのに。何年も前から、言いたいことがあったのに。












 小学生の時に祖母が入院したことがある。とはいえべつに当時病気が悪化することもなく予定通りさくっと退院できた。今は元気だ。だけどそのおばあちゃんが入院している数ヶ月間、私は、祖母を見舞うついでにとある人に会いに行っていた。おばあちゃんと同じ病院に、同級生の男の子のお母さんが入院していたのだ。優しそうな笑顔の人だった。「ちゃん、ウチの翔と同じクラスなんやって?いつも仲良くしてくれておおきにな」そう言って笑っていた。そのあったかそうな笑顔を見ると、幼い私はなんだか気持ちが舞い上がってしまって、へらへらと笑いながら、頷いてしまうのだった。
 だけど実際のところ、私は同じクラスの御堂筋翔くんと仲良くした覚えなんてなかった。御堂筋くんのお母さんは、私が御堂筋くんと同じクラスの女の子だから優しくしてくれたのかもしれないけれど、私はべつに御堂筋くんのお母さんだからその人が好きだったわけでなく、ただただ、優しいあの人に会いに行くのが大好きだった。だって学校で見る御堂筋くんは、あんまり喋らないし、目立たない。女の子と仲良くするような子じゃなかったし、男の子の友達の輪に入ってわいわいしているような子でもなかった。だから私は、仲良くなかった。病室で彼のお母さんに構ってもらっているのだから、翌日学校で会った時にその話題を振ればいいのにと今なら思えるけれど、当時の私は御堂筋くんに話しかけられるほどのフレンドリーさは無かった。そして御堂筋くんもフレンドリーではなかった。仕方ない。
 御堂筋くんのお母さんの病名を、私は知らなかった。なんて病気?って聞いても、大人たちははぐらかしていたのかもしれない。あまり覚えていない。けど、明らかに、よその子供の相手なんかしないでゆっくり休んでいたほうがいい病気だったと思う。ご迷惑になるんだから御堂筋さんの病室に遊びに行くのはやめなさいと親に言われていたけれど、私は聞かなかったし、あの人はにこにこ笑って、「また来てくれたんかぁ」と迎えてくれたから。なんだかもう一人のお母さんみたいに、すっかりなついてしまっていた。







 私はその病院に行くのは母の車でだったけれど、御堂筋くんは自転車で数時間掛けてお見舞いに来ていた。鉢合わせしたことが無かったわけじゃない。

「ああ、翔、来てくれたんやね。ちょうど、ちゃんとお話してたんよ」

 そう言ってその人が病室の入り口を見るので、私もそっちを振り返った。その「翔くん」が何にも言わずに突っ立っていた。顔をこちらには向けず、入りづらそうにしていた。幼いながらに、本来居づらいべきは自分の方だと理解していたので、少し申し訳なくなった。私は立ち上がり、「ママがもう呼びに来るから、戻るね。ばいばい」と御堂筋くんのお母さんに手を振った。「またいつでもおいで」と優しく笑ってくれた。御堂筋くんとすれ違う時に、後ろから「ほら、翔。バイバイくらい言うんやで」と優しい声がした。あっ、と思い、私は彼が口を開くより先に「御堂筋くん、ばいばい」と言った。彼のお母さんに、挨拶ができるいいこだと思われたかったのかもしれない。御堂筋くんは返事をしないで、もじもじしていたような気がする。私は彼の言葉を待たないで、病室を出て行ってしまった。きっと待っていれば言葉があったはずなのに、私は待つことをしてあげられなかった。
 御堂筋くんは、お母さんに私のことをなんて話すのだろう。べつに仲良くなんかないよと話しているのかもしれない。そうしたら、私が彼のお母さんに吐いている嘘がバレてしまう。本当は全然仲良くなんかないってバレてしまう。あの病室に来る理由も資格も薄いのだと知られてしまう。そう考えて少し怖かった。だけど、彼はなんにも言わないのか、それとも、それくらいの歳の男の子の言う「女の子となんか仲良くないよ!」は照れ隠しとして当然と受け取られるのか、私は変わらず、彼のお母さんの病室に通うことが出来た。






 その人はよく飴をくれた。初めてくれたとき、「おばちゃん、こんなのしか持ってへんのやけど、ちゃん、好き?」と申し訳無さそうにその飴の袋を手のひらにのせてくれた。黒い飴だった。「わたしアメだいすき!」と言って受け取った。病室を出て、もらったアメを舌にのせた直後、私は顔をしかめた。納得のいかない味がした。口の中ですこしだけ転がすと、ますます眉間にしわが寄る。結局誰にも見られないところでペッと吐き出した。そのくせ、次に会ったとき、私はへらりへらりと笑いながら、「この前のアメおいしかったよ」と言った。幼いながらに気を遣ったんだか、あの人に喜んでもらいたかったんだか、嘘は勝手に口から出てきた。すらすらと。笑顔も簡単に浮かべられた。あの人はにこにこ笑って、それはよかったと嬉しそうに言って、「まだあるから、持って行き」と私の手のひらに黒い飴を一粒落とした。私はそれを大事そうに嬉しそうに受け取った。帰り道、少し舐めるとやっぱりすぐにペッと吐き出した。

「あ、ちゃん。これ、最後の一粒や」

 その日、御堂筋くんのお母さんは、飴の袋を逆さまにしながらそう言った。大きな袋には、30個入り、とでも書いてあったかもしれない。小分けした袋が入ってるはずのそれは、空っぽだった。その人の手のひらに乗っかった一つを残して。

「最後の一つなら、いい!おばさんの分だよ」
「あらぁ、ちゃん優しいなあ。…けど、ええんよ。ちゃん、お食べ」
「でも…じゃあ、御堂…、あきらくんに、あげたら?」
「ええの、ええの。おばちゃんがちゃんにあげたいんよ」

 笑って、私の手に握らせる。私はその手のあったかさに心も体もぽかぽかしてきて、へらりと笑った。ありがとう、うれしい!と笑った。貰った飴は、舐めることすらせずに捨ててしまった。

 それが、その人に会った最後だった。





 祖母が退院することになり、私はそれをあの人に報告しに行こうと思った。だけど必死になって母と祖母が引き止めるものだから、私は混乱した。どうして行っちゃいけないのか。今まで遊んでもらっていたのだし、もう会えないのだし、なんとしてでも一目会っておきたかった。いや、もう会えないなんてことはなく、あの人が元気になったら、学校の行事とかで、会えるかもしれない。またね、と笑って言ってくれることを信じ、結局、私は制止を振り切って、病院の廊下をばたばた走った。行き先はいつも通り。あの人の病室。扉を開けると、そこには誰も居ない。翔くんの姿も当たり前だけど無い。黒飴の袋だって無い。何もない。最初からそこには誰もいなかったように、空っぽだった。使用感が無い。それだけで全てを察するほど賢い子供ではなかったと思うのに、私は言葉に出来ない喪失感に押しつぶされるように、わんわん泣いた。もう会えないのだと思った。詳しい理由を考えることは恐ろしすぎて出来なかった。

「こんなことなら、あの最後の一粒の飴を食べていればよかった」

 それは、幼い私の、馬鹿馬鹿しい後悔だった。本当に、馬鹿馬鹿しい。そんなことで何か未来が変わっていたはずがない。あの人の力になったはずがない。けれど子供の思い込みというか、想像力というか、信じる力というか、そういうものは大きい。その瞬間に自分の中に根を張って、勝手に自分の中で育っていく。
 こんなことになるのなら、あの人に貰った全てを、ちゃんと、受け取るべきだったのだ。貰った飴は吐き出さずに、捨てずに、飲み込んでいればよかった。私はひどく、最低で、恐ろしい、残酷なことをしてしまったのだと、自分自身に責められた。自分があの飴を食べなかったから、あの人はいなくなってしまったのではないか。あの飴を食べていれば、あの人はまだそこに笑っていてくれたのではないか。本当に、本当に、大人からすれば馬鹿馬鹿しい思い込みだけれど、一度そう思ってしまったからには、どんなに振り払おうとしても幼い私は追い詰められた。とても重い罪を犯した気持ちになって、私が飴を捨てていたことを誰か大人にバレてしまったら、どんな罰が待っているだろうと、恐ろしくって震えた。誰かに謝らなくてはいけないと思った。だけど誰に謝っていいのかも分からないし、誰かに罪を打ち明けて、おまえのせいだと、それが罪だと、誰かに認められた瞬間、私は本当に、「おしまい」だと思った。――結果、私は誰にも、飴の話をしなかった。訊かれることも勿論無い。隠し通そうと決めた。私以外の誰も知らないままにしようと思った。思えば私は、ずっと嘘つきだったのだ。御堂筋くんと仲が良いと嘘をつくし、飴がおいしかったと嘘をついた。いつだって、自分を守るために嘘を吐き続けていた。罪悪感を抱かないほど強くもないくせに、簡単に嘘が口からついて出るのだから、矛盾している。









 だけど、この日がやってきた。私は長年、自分の中に巣食っていたそれを陽の下に晒すことを決意した。言いたいことがある、なんて声高らかに宣言しなくったって、ねえちょっといいかな、と肩を叩くくらいでよかったのに、と後悔した。これじゃあ、愛の告白か果たし合いかのどっちかみたいじゃないか。なんだかどちらも私と御堂筋くんの関係には無縁すぎて笑いすら起きない。私と御堂筋くんは何の因果か高校まで一緒になって、勿論同じ高校に進んだなんて知らなかった私は校内で背の高いその後ろ姿を見た時に息が止まりそうになったものだ。だけど同時に決心がついた。どうしたって逃げられないのだ。これはきっと、私に、謝る為の舞台を神様が整えたのだろうと思った。罪を打ち明けないままに生きていけると思うなと、神様が私に言ったのだ。もう、彼のお母さんと過ごした短い日々なんて、遠く遠くになってしまったけれど。何年も経ったけれど。それでもふとしたときに罪悪感に苛まれていた。誰に責められるわけでもないのに。色褪せないのだ。あの人の笑顔をなぜだか簡単に思い出せてしまう。手のひらにのせられた飴の数グラムの重さすらもしっかり思い出せてしまう気がした。

 御堂筋くんが首だけで振り返って私を見た。底無しに真っ黒い瞳が私を捉えている。その目を私はずっと知っていた。だというのに、彼の目を見た瞬間、頭の中が真っ白になってしまう。どう話を切り出すべきか、迷った。考えてみれば、私は何をどう謝ればいいのだろう。どこから話せばいいんだろう。私小学生の時あなたのお母さんに貰った飴を食べずに捨てていたんですごめんなさい、だけでもいきなり言われたら意味が分かんないだろうし、そのせいでお母さんは具合を悪化させたんじゃないかと思って、なんて話したら確実に頭おかしい奴だ。だけど何も言わないでいたらきっと御堂筋くんは歩き始めてしまう。ただでさえ部活へ向かうであろう途中で引き止めているのだ。用件は、早く言わなくては。私は意を決して、御堂筋くんに「あの!」と一言声を掛ける。べつに、あのう、なんて言わなくったってさっきから御堂筋くんはこっちを見ているし、特に意味はない。ただ、目を合わせて、私は余計にしどろもどろになってしまう。

「あ、えーと…あのー…わ、私のこと、覚えてる…?」
「……はァ」
「小学校から、いた、あのー…、です」

 御堂筋くんは答えない。先ほど発した「はァ」も、はあ、なんでしょうか、という「はァ」なのか、こちらを煽るような「はァ?」なのか、はたまた呆れた溜息なのか、微妙に判断しづらい。なんだかみるみる嫌な緊張で汗が吹き出てくる。どうしよう。続く言葉が出てこなくて、これはもう日を改めてしまったほうが良いんじゃないのか、と逃げ腰になってしまう。視線を泳がせて、俯いて、どうしよう、どうしよう、と目が回りそうなくらい悶々としていると、ふいに御堂筋くんが、「」と呟いた。私の名前だ、と驚いて顔を上げると、「知っとるわ、それくらい」と言いたげに御堂筋くんが私を見下ろしていた。目が合って、でも今度は御堂筋くんが、ふいっと顔を横に逸らした。

「…病院に」

 御堂筋くんの口から零れた「病院」というその言葉に、ぴくりと私は体を強張らせた。「いつも来てたヤツやろ」
 覚えていたのか、という安心感と、「あなたは覚えていないかもしれないけど」という逃げ道が無いということに対する不安が同時にやってくる。こくこくと首を縦に振ると、御堂筋くんはそれを、顔を逸らしたまま横目でちらりと確認してくれる。脳裏に浮かぶのは、あの病室の入り口で、私の方を見ずに、じっと突っ立っていた「翔くん」の姿だった。本当はあの時、私を、ちらりとは見てくれていたのかもしれない。見てくれない、と思っていたのは私だけで、本当は、見ていないふりをして、視界に入れてくれていたのかもしれない。何故かそんな風に思えた。都合がいいだろうか。
 思い出話の一つでもしたいところだった。あの時はどうも、みたいな、そんな軽くでいいから。だけど、下手に彼に、亡くなったお母さんの話を振るのは、こちらがあの人と知り合いだったとしても、なんだか、間違っていると思った。してはいけない気がした。私と御堂筋くんを繋ぐものは、あの人の存在だけだというのに。ならばもう、本題に入るしかないのだ。いや、本題だって、彼のお母さんに関することだけど。本当、どうやって切り出そう。どうやって話そう。
 迷っていたら、御堂筋くんが自分の鞄を何やら漁り始めた。突然のことに、きょとんと私はまばたきを繰り返す。何か探しもの?忘れ物したの?口に出さず心の中で尋ねながら、その行動を見守った。目当ての物が見つかったのか、鞄に突っ込んでいた手がある一箇所を掠めた直後、ぴたりと漁るのを止めて、私の方を見た。「ん」と短い謎の意思表示。その一言、いや一文字だけでは私は彼の言いたいことを理解できなくて、「え?」とこっちも一文字で聞き返してしまう。

「手ぇ出しや」
「…手?う、うん…」
「両手や」
「あ、はい」
「手相なんか見えへん。両手でお椀にしろ言うてんの」
「あ、う、うん、ごめんね…!」

 言われた通りに両手の小指と小指をくっつけて、お椀にして、御堂筋くんの前に差し出す。何かを、貰うのを、待っている形になる。その両手に、降ってくる何かを、受け止めようと待っている。私は自分の手のひらを見つめる。何かが湧き出るわけではない。いつだって、こういうとき、「降ってくる」ものなのだ。
 ほら、予想通り何かが降って来た。ぱらぱら、ぽとぽと。雨みたいに。雨じゃない、雨じゃないけど、これは――

 黒い袋に包装されたそれは、誰がどう見たって、飴だって分かる。

 一粒一粒、私の手のひらに落ちてくる。御堂筋くんが、飴の大袋を私の頭より高い位置から、傾けていた。私は自分の手のひらに積もっていく飴を見つめて、いや、もう、頭が真っ白になって、目がみるみる見開かれて、気づけば震える両手の小指と小指は離れ、その指の隙間から地面にぼたぼたと飴が落下していった。拾わなきゃ。食べ物を、地面に落としちゃいけない。食べ物を、だめにしてはいけない。この飴を、捨てちゃ、いけない。

「み、ど」
「おまえコレ嫌いやろ」

 追い打ち。降って来た声にズガンと後頭部を殴られた気持ちになる。頭の後ろに何かが乗っかって、顔を上げられない感じ。地面には飴が落ちている。そんなことは分かってる。指先が震える。拾うことも出来ない。体が動かない。御堂筋くんの声は、怒ってなんかいなかった。なんてことないように、呟かれた言葉だった。けど、だからこそ頭が真っ白になる。お前はこの飴が嫌いなんだろうと言ったのだ、御堂筋くんは。それはつまり、あの病室で、私が吐いていた嘘を、知っているということだ。

「…なんで、知ってるの」
「……べつに。偶然見ただけや。病室から出て来て、飴玉口に入れて、顰めっ面したヤツを」
「そ…、それ、あの人に…」
「言うてへん」
「…え」
「言うてへんよ」

 動かなかった体が、動いた。金縛りが解けるみたいに。お陰で、不意打ちなその台詞に、パッと顔を上げられた。けれど御堂筋くんの表情を窺うより先に、彼がその場で長い足を畳んで、しゃがみこんでしまった。そして足元に落ちていた飴の袋を、長い指でひょいと摘み上げる。慌てて、ああ私も拾わなくてはと腰を落とそうとした所で、御堂筋くんが、少し言葉を変えて、言った。

「言うてほしかったんか」

 私は思わず動きを止めて、黙り込んだ。言ってほしかったのか?誰に?あの人にだ。御堂筋くんのお母さんに。笑顔の優しい、大好きだったあの人に。御堂筋くんが、もしも話していたら、どうなっていただろう。「あいつ、嘘ついてるよ。本当はあの飴嫌いみたいだよ」と話していたら、それは―…あの人は悲しんだかもしれない。だけどそれは、「せっかくあげたのに」じゃなくって、きっと、「気を遣わせちゃったのね」と眉を下げるんだ。飴を美味しいと思えなかったことが悪いと思って嘘を吐けば、それはもう、飴を美味しいと思えないことでなく、嘘を吐いたことの方が悪くなる。そんなことは少し考えれば分かるはずだったのに、幼い私はその「少し」すらも考えられなかった。

「…ううん、言ってほしかったんじゃない。私が言わなきゃいけなかったんだ」

 そう言って、私はようやく腰を落とした。落ちている飴に手を伸ばしたそのとき、指先が震えていることに気付く。なんだか力無く笑えてしまって、結局指を引っ込めて、顔を覆った。じわじわと瞼が熱くなる。御堂筋くんは何も言わない。
 ああ本当に私ってば、いつだって、嘘ばっかり吐いてきたんだな。改めてそう思う。誰かに好かれるため。誰かの期待を裏切らないため。誰かを傷付けないため。そのために、好きでもないものを好きと言い、知りもしないものを知っていると言い、欲しくもないものを欲しいと言った。なんて、聞こえは良いけれど、結局は、虚言癖の様なものだ。その場では、口にしようと思って口にすることじゃない。嘘を言おうと思って言ってるわけじゃない。それでも、気付いたら都合のいいように口が動く。自分でもその瞬間は、それが嘘なのか本当なのか曖昧になってしまう。なんでそんな嘘を吐くんだと言われたって、だって何故だか、そう言った方がいいんだと勝手に頭が思い込んでしまうからだ。嘘が嘘になった瞬間、本来の倍以上に相手を傷付けるのに。
 最初から、言えばよかったんだ。言わなきゃいけなかった。飴、私にはおいしくなかった。もう要らないよ、って。その場ではガッカリさせてしまったとしても、その場だけなのに。一度そう言ってしまえば、それからずっと、嘘を吐くこともなかったのに。嘘を信じ込ませることもなかったのに。あの人が私の手に、最後に、飴を握らせることもなかったのに。

「ずっと、謝ろうって思ってたの」

 それは嘘じゃなかった。ずっと謝りたかった。あの人に。だけどあの人はもういないんだから、代わりに伝えるべき人物といったら、御堂筋くんしかいないと思った。隠さなきゃ、誰にもばれないようにしなくちゃと思いながらも、謝らなくちゃという気持ちもずっとあった。泣き顔を覆ったまま、震える声で「ごめんなさい」を口にする。御堂筋くんの方へ顔は上げられなかった。もしかしたらもう顔を上げた時に彼がいないんじゃないかとすら思う。それでも、言わなくちゃいけなかった。

「私、御堂筋くんのお母さんに貰った飴、いつも、捨ててた。最後に会ったあの日に貰った飴さえ、捨ててた。自分でも、なんでそんな酷いことをできたんだろうって、悲しく思う。あの時、食べていればよかった、って…苦手だろうが、なんだろうが、飲み込んで…ううん、それが出来ないなら、最初から、食べられないって、言えば…」
「……ハァ?」

 つらつらと発せられるそれを遮るように、御堂筋くんが「ハァ?」と言った。今度こそ間違いなく、「ハァ?お前何言ってんの?」という意味の「ハァ?」だったと思う。ぐす、と鼻をすすって、顔から手を離し、そちらへ視線を向ける。御堂筋くんは、いつも通りの真っ黒な瞳をこっちに向けていた。でも思いっきり、ハァ?って顔だった。

「なんやの、それ。ボクに話して何になるん?謝るって、何の為なん?」
「……それは…」
「食べ物粗末にしててごめんなさい、言うんやったら、ボクやなくて幼稚園か小学校の先生にでも言うたらええんちゃう」
「そ、そうじゃないの!」

 御堂筋くんの言っていることはもっともだ。いきなり何を言っているんだ、と思われて仕方がない。自分でも上手く言えないんだから、それを分かってもらおうというほうが難しい。言葉に詰まって、でも御堂筋くんの目からは視線を逸らさずに、その瞳をしばらく見つめて、ようやく、「わたしは」と話す。

「私が、あの飴を、食べていれば、って…私が、食べなかったせいで、あれが最後になっ…」
「ハァ?」
「は…」
「アホちゃう?」
「…う」
「そんなんで死ぬわけないやろ」
「…」
「はぁ?それが理由やってずーっと思うてたん?飴玉一個で。アホちゃう?バカか?」

 御堂筋くんが眉を寄せる。表情らしい表情を初めて見た気がする。いや、さっきから「はぁ?」って顔をしていたけど、もっと、呆れたような、変なものを見るような、そんな顔だった。アホじゃないのかと、馬鹿かと、御堂筋くんは言う。私を、あの日…小学生の時から長年ずっと、馬鹿みたいに苦しめてきた罪悪感の原因を、それこそ「馬鹿みたい」と一蹴した。だけど、その通りだ。彼の言う通りだった。あの飴玉を捨てずに食べていたらどうなっただとか、捨てたからどうなったとか、そんなのを確かめる術はないし、そんなのが原因で何かが変わるなんてありえないし、馬鹿馬鹿しい子供の思い込みだ。当たり前だ。そんな当たり前のことを、御堂筋くんは言っただけだ。だというのに、私の視界はぶわりと滲んで、あっという間にぽたぽたと涙が溢れて、御堂筋くんはそんな私に眉を顰めて、視線を地面に落とした。零れた涙を見ているのか、未だ放置されている飴玉を見たのか、私は考えることを放棄した。

「そうだよねぇ…バカだよねぇ…、でも、ずっと、誰かに、そんな当たり前のことを、言ってほしかったのかもしれない…」

 ずっと謝りたかったということは、ずっと許されたかったということで、ずっと謝れなかったということは、ずっと許されなかったということだ。誰にも言えずに自分の中に溜め込んでいたそれは、思ったよりも強大なものになっていた。他人から見れば、訳の分からない小さなことだ。「ばかじゃないの?」と、誰かに一言言ってもらえたら、私はそれでよかったんだ。その一言を、もうずっと待っていた。そしてその「誰か」は、たった一人、御堂筋翔くんであるべきだった。
 御堂筋くんが無言で、落ちていた飴たちを拾う。軽く土を払って、その手に積んでいく。もちろん飴玉が剥き出しで地面に落ちたわけではないし、小分けして袋に包まれているんだから、駄目にしてしまったわけではない。私が落としたものを一人で拾わせるのも、と私もごしごしと乱暴に涙を拭った後、それを拾った。落ちた分を全部拾い終わると、御堂筋くんが「ん」と一文字声に出した。学習しない私ではない。サッと両手を差し出すと、御堂筋くんがもう一度、ぱらぱらと私の手の上に飴を降らせた。

「やる」
「…えっ!や、でも…」
「それで確かめればええ。そんなもん舐めようが捨てようが何にも起こらへんのや」

 私は、手のひらの上の飴を見つめる。あの日私が捨ててしまったそれと、全く一緒だ。「でも」ともう一度言おうとしたところで、御堂筋くんがひょいと立ち上がる。「御堂筋くんのなのに…」呟きながら、追いかけるように私も立ち上がるけれど、それを待たずに御堂筋くんは歩き始めてしまった。歩きながら、振り返らずに、「もうそろそろやな、思うてたんよ」とぼそりと言った。彼のその言葉の意味が分からず、え?と首を傾げる。それが見えていたように、御堂筋くんはくるりと振り返った。

「おまえがいつか話しかけて来よったら嫌がらせしよ思うて、持ってただけやから」

 呆然。ぽかんとする私に、御堂筋くんはそれ以上何を言うわけでもなく、さっさと前に向き直って部活へ向かってしまった。暫くの間私はなんにも言えずにその場に突っ立っていた。嫌がらせするため、だと言われても、不思議と怒りは湧いてこない。ただ、呆然と、そんなに私のこと嫌ってたのか?とか、それだけのためにいつから準備していたんだ?とか、ずっと私のことを知っていたんだな、とか、話しかけるの待っててくれたのか、とか、都合よく、思って…、視線を自分の手のひらの中に移す。黒い飴がのっかっている。そういえば、彼の瞳の色と同じだ。「み、」声を張らなくては。息を大きく、吸った。

「御堂筋くん、ばいばい!」

 聞こえていないかもしれない。返事はかえってこないだろう。私は飴玉を一つ舌の上に転がした。やっぱり納得の行かない味がした。だけどもう吐き出さないし捨てやしない。天国という所がどっかにあって、そこから地上の様子が見えるのだとしたら、あの、優しい笑顔の、あの人は、何を想うのだろう。「翔くんには、お世話になっています」だとか、「翔くん、元気そうですよ」だとか、そういうのを、伝えたくなった。私は残りの飴を鞄の中にしまうと、空を見上げて歩き出した。(なんだ、そんなに不味くないや)




▲へんな味のアメ玉●