夢を見るの。ひどい夢だよ。私の傍から怜がいなくなる夢。とても、怖い夢。私の傍にいる理由なんかないって、一緒になんかいたくないって、そう言って怜が、離れていく夢だ。ここ最近、よく見る。いつもいつも目が覚めると、胸が締め付けられて、泣きそうになる。そんな、怖い夢。だけど私は気づいてる。それがただの夢じゃないって。いつかは、きっと、ほんとうになる夢だって。

そんなことないよって言ってほしかった。なのに、目が覚めたら怜がいない。

私から、怜がいなくなる。私のための怜が、いなくなる。








私を呼ぶ焦ったような声を無視して、自分の全体重を押し付ければ、怜の体がベッドへ沈んだ。そのまま馬乗りになって、小さく鼻で笑う。どうして怜は、私に簡単に押し倒されてしまうのだろう。怜の逞しい腕とはまるで違う、非力な、細い腕の私が、どうして。答えは簡単だ。目の前に用意されている。私を恐恐と見上げる怜の瞳こそが、答えだった。怜の力で、私を押しのけることなんて、それこそ、造作も無いこと。なのにそれをしないのは、怜自身が許しているからだ。私に押し倒されること。私にひどいことを言われて、されること。口にすればきっと、怜は否定するんだろう。それが今はなんだかすごく、滑稽なことに思えた。

「ど…いてください…」
「どうして?」
「どうしてって…」

逃げられないように怜の顔のすぐ横に手をつくと、怜は眉を下げてますます弱々しい表情を作る。不安そうな表情。怒ってるから、だろう。私が。きっと怜は、私の機嫌が悪くなると、誰より先に気づいてくれる。親だって気づいてくれないのに。そんな怜がとっても愛しいけれど、今日は、気づくのが少し遅かったね。

「何の話してたの。お母さんと」
「…、何も…」
「何を、訊こうとしたの」

ぐ、と掴んだシーツに爪が沈んで、しわが出来る。ぐつぐつと、自分の中で感情が煮立ってくるのを感じた。綺麗とはいえない、どろどろしたもの。溢れたら、きっと、取り返しの付かないことになってしまう。だから一生懸命堪えようと、シーツに爪を立てて、口を結んで、怜の反応を待つ。怜はハッとしたような表情を浮かべると、視線をためらいがちに逸らす。また、「何も」と唇を動かしたところで、「うそつき」って遮った。唇を噛んで押し黙る怜に、ふっと笑う。

「傷のこと」

ぽつりとつぶやきを落とすと、怜がびくりと体を震わせた。私は口元に薄っすらと笑みを浮かべたまま、怜の右頬を指でそうっと撫でる。するりと滑らせて、喉元を指がなぞると、怯えたように唾を飲み込む。さらに首から下降して、胸元へ。

「私の傷が、どうしたの?」
「……」
「あの事故のこと、まだ覚えてるんだ」
「…まだ、って…そんなの…」
「事故の傷が治ってなかったら、何?」

私を見る怜の目が大きく見開かれて、揺れて、きゅっときつく閉じる。泣きそうに、悲しげに。本当に、泣くんじゃないかと思った。私の顔を見ずに、小さく、絞りだすような声で、「さん」って、名前を呼ぶ。弱々しい。それでいてどこか、甘えるような、こちらを煽るような色をしてる。本人にそんな気はないのだろうけど。いつもだったら、喜んでそれに応じるのに。今の私はそんな気持ちになんてなれなかった。こみ上げてくる苛立ち。吐き捨てるように、今度は、言い方を変える。逆の言葉を投げる。

「傷が治ってたら、何なの?」

声もなく怜が、「え?」って言った。煮え切らない態度に、私は怜のシャツの胸元をしわになるまでぎゅっと引っ掴んでいた。「ねえ、なあに?治ってたら、怜はどうだっていうの?」さらに質問を重ねると、戸惑ったように怜が目を泳がせる。ぎり、と奥歯が音を立てた。答えて。答えてよ怜。私が望む通りの答えを。

「私が一度だって、責任を取れなんて言った!?」

思わず声が大きくなる。

「怜が私の傍にいる理由、それだけ?怪我をさせた罪滅ぼしに一緒にいるだけなの?」

事故のことを理由に、言い訳に、脅しに、一緒にいるよう強制したつもりなんかない。私にとって、あんな事故もこんな傷も、もうどうだっていいことだ。ただのきっかけにすぎなかった。私はあのとき、気にしないでって言った。もう大丈夫だからって言った。あの事故を、理由にしたくなかった。私はただ、傍にいてほしかっただけだ。きっかけはどうであれ、怜自身の意思で、私のそばにいてほしかった。

違う、違う、本当は分かってたはずなんだ。怜は私のことなんか好きじゃない。離れられるものなら、今すぐにでも離れたい。「恋人なんかじゃない」って、前に怜は言った。怜は私のことなんか好きじゃない。事故のことがあるから、仕方なく、私のわがままに付き合ってるって。怜にとっての理由は、あの事故なんだって。私と同じ気持ちでなんかいてくれないって。きっと、ずっと、一生。離れずにそばにいてくれるとしたら、その理由は罪悪感だけ。一生それだけを抱えて、その気持ちを、好意にすり替えてくれやしないんだって。

気づいてたじゃないか。それでも、分かってても、傍にいさせようとしたのは、私なのに。こんなの間違ってるって分かってたのに。

「僕は…」

今更、そうじゃないよって否定してほしいと願ってしまう。好きだって言ってほしい。好きだからそばにいるんだって、同じ気持ちだって、一言いってくれれば、それだけでいいの。縋るように怜のシャツを握りしめた手が震える。まっすぐに怜の瞳を見つめると、怜も目を合わせて、見つめ返す。おねがい、おねがいだから。何度目か分からないその言葉を心のなかで繰り返す。やがて、目を逸らしたのは、怜だった。私の気持ちを受け止めきれなかったみたいに、視線だけで逃げ出した。

「僕…には、それ以外の理由で、あなたの傍にいる資格なんて、無いでしょう?」
「……資格?」
「あなたをあんな目に遭わせてるのに、責任を感じずに、それ以外の感情を優先するなんて、おかしいです」
「……」
「本当だったら…傍にいないほうがいいんです。だって、僕が…」
「そう。…もう、いい。もういい」
さん、僕は…」
「もういいってば」

僕が、僕は、と話す怜を冷ややかな声で遮る。怯まずに喋り通せばいいのに、怜は私にそんなことすら出来ない。ただ、悲しそうにぐっと唇を噛んで、我慢する。笑っちゃうくらいにイイコだ。私の言うことをなんでも聞いてくれる。黙ってと言えば、黙る。だけど、愛してと言ったところで愛してなんかくれないんでしょう?そのくせ、離れずに律儀に傍にいようとする。ずるい。ずるいな。その優しさが苦しくなってしまうのに。何にも求めずに傍に居続けられるわけがないのに。

「そんなに『責任』取りたいんだったら、そうすればいいよ。一生、ずっと」
「…え、」

怜の上に跨ったまま、自分のシャツのボタンを上から一つひとつ外していく。何が起こっているのか分からないみたいに怜がぽかんとしたまま黙って、それからハッとしたように私から視線を逸らした。いつもは脱がされる方だもんね。私が脱ぐことなんかなかったもんね。驚いてるよね。他人事のように思いながら、シャツのボタンを全部外しきって、ブラジャーが見えるように前を開く。逸らしても足りないのか、怜がきゅうっときつく目を閉じた。傷つくな、そうやって、見たくないものみたいに。

「っ、さん!なんで、脱いで…」
「さあ。なんでだろうね。自分の頭で考えて。怜はお利口だから、分かるでしょう?」
「な、なに、ふざけてるんですか…!」

顔を背けてるせいで、横顔しか見えない。だけどかわいそうなくらい耳まで真っ赤な怜を見下ろした。シーツの上でぎゅっと固く握られている彼の拳にそっと触れる。それだけでぴくっと全身で反応を返す怜が可愛い。すぐに緩められた拳。その手首を、自分の両手で包む。そのまま引き寄せて、自分の胸元へ導く。大きくて少し汗ばんだ手のひらに、ぎゅむ、と自分の胸を押し当てた。予期せぬ事態に、怜が思わず目を見開いてこっちを向く。手のひらを伝って、怜の焦りが私にも分かった。だけど離してあげない。

「触って?」
「…、い…」
「ずっと、こうしてほしかったの。怜の、手のひらで、指で、もっと」

ブラジャーをぐいと上へずらして、露わになった胸を怜の手のひらに触らせる。自主的には動かそうとしない怜の手に自分の手を重ねて、弄り方を教えるみたいに。自分で触れたことなんて何度もある。だけど今、怜に触れられてるという事実が、たまらなく興奮した。怜の指の腹に胸の先端を擦り合わせると、そこが芯を持ったように硬くなっていく。自分で触るのなんかとは比べ物にならないくらいドキドキする。体があつい。怜の手も、私の手も、あつい。

「…んっ…、はぁ…怜、怜ぃ…」

荒くて熱っぽい息を吐きながら、怜の名前を呼んで、怜の手のひらを使って、怜の顔を見ながら。さぞ怜本人には滑稽に映るだろう。だけど怜の様子といったら、私と同じように苦しそうな息を吐き出して、自分の手のひらが他人の手で好きに使われているのを見つめているだけだ。怜も私と同じように、ドキドキしてくれている。それが素直に嬉しいのに、絶対に気持ちが通じ合うことはないという事実が、私の心臓をきりきりと苦しめてくる。怜は心も体も私のものになってくれないんだろうか。心がダメなら、もう一方だけでも、いいかなぁ。怜の手のひらをそっと離し、自身のスカートのファスナーをゆっくり下ろす。黙って行為を見ていた怜が息を呑む音が聞こえる。でも、気にしない。「さん、」って切羽詰まった声で私を呼ぶ。うそ。聞こえない。なんにも聞こえない。聞いてなんかあげない。

、さん…何、考えて…」

脱いだそれをベッドの上から床へ適当に放る。ブラと、パンツと、シャツ一枚羽織ってるだけの自分を見下ろして、それから怜の顔を見る。今更、顔を真っ赤にさせて、なんて羞恥心よりも、今から起こることへの胸騒ぎが勝るらしい。青い顔して、私を見てる。自然と笑えてきてしまって、肩が震えた。おかしい。おかしいなあ。いつからこんなにおかしくなっちゃったのかなあ。

「そんなに責任が大事なら、赤ちゃんなんか出来たら、大変だよね。怜、ますます私から離れられなくなっちゃうね」

我ながら、平気な顔をして、恐ろしいことを口にしてると思った。どろどろとした感情が、全部全部飲み込んでいく。引き返せ、もうやめろ、なんて声は自分の中のどこを探しても見つからない。一瞬思考を停止させた怜が、すぐに、冗談ですよね、って震えた声で訪ねてくる。無視して怜のズボンのベルトに手を掛けた。怜が何かを呟いた。叫んだ。やっぱり聞こえない。なんにも聞こえない。聞いてあげることができない。

「っ、やめてください!!」

どん、と衝撃が走ったのは一瞬だった。我に返って気づいたのは、怜に突き飛ばされたということだけ。苦しそうに息を吐いて、開いた右の手のひらで顔を覆って、怜が「すみません」と呻く。私の顔は見ない。ぺったりとお尻をついて、私はぼんやりと魂が抜けたみたいに怜を眺める。すみません、ごめんなさい、何度も途切れ途切れに繰り返す。あんなに逞しい肩が震えていた。

ねえ、泣いてるの。怜が私にごめんなさいごめんなさいって泣いてる。遠い昔の記憶がフラッシュバックしてきて、目の前の光景と重なる。ぽろぽろ、はらはら、なんで泣くの、男の子でしょう、怜はいつも、あの時も、どうして。

「僕はっ、貴女をこんなふうに、追い詰めたかったわけじゃない…っ」

その言葉で真っ白になる。頭から大量の水を浴びせられたみたいな気分。何か言おうと開きかけた唇が震える。吐き出せなくて行き場のない言葉たちが喉のあたりで渦巻いてるみたいに、苦しい。刺がつっかえてるみたい。胸を掻き毟りたくなるくらいに、痛い、苦しい。どうして。どうして今、そんなことを言うの。気づくと私まで涙が滲んで、ぽたぽたとしずくが落ちて、シーツに染みをつくった。ねえどうして。ちゃんと私を突き飛ばせるじゃない。ちゃんと抵抗できるじゃない。どうして。

「どうして最初から拒絶してくれなかったの…」

どうしてもっと早く、私を突き放してくれなかったの。

「もう、いい、帰って」

こんなふうにおかしくなる前に、もっと、はやく。

「背中の傷なんて、もうとっくに消えてるもの」

もう、いい。

「もう、怜なんかいらない」

もう、解放してあげるから。もう、私のための怜なんて、いらない。