完全に日が落ちてしまえば、今自分の目の前にある光景も少し変わっていたのかもしれない。けれど沈みかけたままそこに留まっている夕陽の色が、カーテンを閉め切っても僕らを薄く照らしていた。それが少し、いや、実際かなり恥ずかしくて、唇を離した後の僕は正座したままなかなか顔を上げられない。目を合わせられない。心臓がうるさく救難信号を送ってくるけれど、今はそれを気にしていられなかった。またいつもの様に、僕だけがばかみたいに真っ赤になって、さんは余裕の表情で、僕を笑っているんだろうか。恥ずかしいのを我慢してそうっとさんの表情を盗み見ると、すぐに目が合う。僕だけが真っ赤になっているのはいつもと変わらないけれど、さんの、僕を見つめる表情はどこか、いつもとは違う笑みだった。少なくとも、あのいつものスイッチが入って暴走しだす意地悪な笑みではない。僕が恥ずかしがっているのを見て笑うのはいつも通りだけれど、今日のその笑みにはどこか、照れがあるような気がした。自分だって気恥ずかしい、と。そう言われているような気がして、ますます僕の心臓がうるさくなる。

「……」
「…変な顔。怜」
「えっ!?」
「緊張?」
「…そう、ですね……すみません、はずかしくて、その…目を、合わせられません…」
「そっか。私も、いつもよりずっとドキドキしてる。変だね、キスなんて、初めてじゃないのにね。今日、初めてしたみたい」

さんの言う通りだった。今まで何度も、さんに流されて、唇を重ねたことがあったのに。キスの後、どんな顔をしてさんと向き合えばいいのか分からない。いや、でも、いつもと違うキスに感じたのは、お互いの気持ちをはっきりと知ってしまったからだ。お互いの気持ちに目隠しをして、いろんなことを誤魔化しながらするキスとは何もかもが違う。いつも、唇を重ねる度、誰かに、何かに、謝りたくなった。泣きたくなった。そんな罪悪感は、もう要らないんだ。今は、ただ、もっと彼女に触れたくて仕方ない。自分でもびっくりするくらい、そう思う。思ってしまうから、どんどん恥ずかしくなる。自分はこんなに欲張りだったのか。

「……ねえ、怜」
「は、はい」
「…しないの?」
「え…っ」
「さっき、もっとしたいって言ってくれたから…もっと、してくれるのかと思った」

拗ねたように唇を尖らせるさんを見て、自分の体温が一気に上がった。心臓の音は相変わらずうるさい。今に破裂音が聞こえてきそうなくらいには。

「私はもっとしたいよ。キスだってたくさんしたいし、もっと怜に触りたいし、それに…触ってほしい」
「…っあ、あの…」
「そう思ってるの、私だけ?」
「そんな、違います!僕も…です、けど」

顔を真っ赤にしてそう言うのが精一杯で、自分の格好悪さに泣けてくる。だけどさんはくすくすからかうわけでなく、僕の言葉に柔く微笑んで、それから――自身のシャツのボタンに手を掛けた。どくんどくんと脈打つ自分の心臓の音を他人の物のように感じながら、さんのその白い指から、目が離せなくなる。不安も、緊張も、やっぱり拭えない。それらは恐怖にさえ似ている気がした。それでも、やっぱり今日はやめましょうって言い出す自分はどこにもいない。
触れたい。もっと、僕の知らない彼女を知りたい。どんな気持ちよりそれが勝る。

「…怜、すっごくじーっと見てる」
「えっ!?あ、すみません…」
「べつに、怒ってないよ」

僕を気遣ってのセリフでなく、本当に何にも気にしていないような声で「怒ってないよ」と言ったさんは、ボタンを外し終わると何の躊躇いもなくシャツを脱いでベッドの端へぽいと投げる。落ち着かない僕は黙ってそれに手を伸ばし、そのままの流れで軽く畳んだ。それを見て、さんが心底楽しそうに笑うので、ようやく自分の場の読め無さを自覚した。そんなに笑わないでほしい。だって落ち着かなくって手持ち無沙汰だったんだからしょうがないじゃないか。今だって上半身、下着だけのさんにどきどきして顔が上げられない。

「怜、怜、顔上げてってば。ふふ」
「む…無理です…絶対笑うじゃないですか…っていうかもう笑ってるし…!」
「だって怜が綺麗に服畳むから」
「し、しかたないでしょう…!?さんが、その、脱いでる間、どうしていればいいのか…」
「自分も脱ぐとか、脱がせるとか、すればいいんじゃない?」
「それは…その…そうかもしれませんけど…」

口ごもる僕をくすくす笑うさん。ああもうやっぱり、いつも通りじゃないか。いつも通り、かっこわるい、自分。火が出るくらいに顔を熱くしていると、さんが、ずい、と体を寄せてきた。僕の顔を下から覗き込んで、笑ってる。その表情も、もちろんどきどきするのに、やっぱり下着姿というのが一番、目のやり場に困るというか。ぎこちなく視線を逸らそうとして、ああでもこんなんじゃ先が思いやられるよなという思いが沸々と湧いて、でもじっと見るのも失礼なような、本当、どうしたらいいのかわからない。

「脱がせて。怜」
「…でも…」
「嫌?嫌ならいいの。外さないで、ずらすだけの方が興奮する?」
「なっ…だ、だから、なんですぐそういう言い方になるんですかっ」
「だって、そういう言い方しないと怜がしてくれないから」

む、と口を尖らせるのは可愛いけれど、要するに、そういう言い方をすれば僕が動かざるを得ないと分かっているということだ。嫌ならいいよと言うけれど、最初から逃げ道なんか無いということ。何も言い返せない僕は、何も言わないまま、観念してそっとさんの肩に手を置いた。肩の紐に指を掛けて、ゆっくり二の腕の方へその紐を引っ張って下ろして、それから…、それから?

「……」
「…」
「……ええと…これ、どうなって…」
「ふっ」
「い、今笑いました!?」
「笑ってない、笑ってない」
「む…」
「ホック、後ろにあるよ」
「後ろ…?」

背中ってことか。なるほど。でも、後ろにその、留め具が付いてるのって少し不便そうだ。普通のワイシャツのボタンみたいに前にあったほうがいいのではと感じてしまう。それはそれで不便なんだろうか。きっと後ろについてるのって意味があるんだろうし…男の自分には分かり得ない所なんだろうか。そんなことを考えていると、ふと、自分が当然のようにさんの背中に腕を回していることに気づく。抱きしめるように体を近づけて、そのまま、ごそごそと手探りに背中を触っていた。気付いてからはまたじわじわと恥ずかしくなって、身を引いてしまう。

「…す、すみませ」
「怜って変」
「ええ…?」
「だって、さっきはあんなキスが顔色一つ変えずに出来たのに。なんで今になってちょっと近付くだけで狼狽えるんだろ」
「うっ…あれは、その…必死だったので…」
「…ふ」
「だ、だから、笑わないでください…!」
「どっちの怜も好きだなって思っただけ。…ねぇ、怜。後ろ向いてるから、背中の、外して?」

そう言ってさんが僕に背中を向ける。顔も、胸も見えない分、恥ずかしくなくなってくれると思った。彼女の気遣いだろう。だけど…自分の目の前に晒されたその無防備な背中に、それまでとは違う意味で、ドキリと心臓が軋んだ。その細い体を背後から切り裂こうとしたような、生々しくて、痛々しい、僕がどうやったって消せない罪の証拠が、そこにある。彼女の背中に刻まれている。思わず息を呑んだ僕に、さんが困ったように笑う。顔は見えないけれど分かる。今は、見られない。

「…怜。それにはもう触れなくていいの。見ないふりして構わないから。せっかく、好きって言えたから。もう傷のことは、お互い触れないほうがいいでしょ?」
「……確かに、罪悪感だけで傍にいたいわけじゃないですけど…でも…」
「可哀想とか申し訳ないとか、そういうの要らないの。こんな傷、怜が気にしないでくれるなら、どうでもいいものだし」
「…」
「気にしないでいてくれないの?やっぱり、駄目なの?」

落胆した声。強制するような響きがあるはずなのに、彼女が悲しんでいることが痛いくらいに伝わってくる。お願いだからもういちいちこんなことは気にしないでほしいと、そう頼まれているのが分かる。だけど、それでも、彼女本人がこの傷を、どうでもいいものだと言う度に、そんなわけがないんだと首を振ってしまう。「気にしないでいるなんて、やっぱり無理です」そう伝えれば、肩を落とす彼女が、僕は切なくなるくらいに愛しかった。

「…だって、さんは、僕の…すきな人だから…」
「え…?」
「す、好きな女の子に怪我をさせて、知らんぷりなんてできません。男っていうのは、そういうものなんです。だから、気にするなっていうのは、無理な話です」

嘘なんて一つもない。本当に、そう思っているから、言っただけだ。これを聞いて、さんがどんな顔をしているのか、分からないけど。またくすくす笑い出すかもしれないって思ったのに、そんな気配もない。黙りこんで、振り返ることもしない。だから僕もそれ以上何を言っていいのか分からなくなって、黙りこんだまま、そっと彼女の背中の留め具に指を添える。物珍しくは思ったけれど、簡単に外れた。それが外れた瞬間、ピンと伸びて彼女の胸を覆っていた布は頼りなく彼女の肌に吸い付く力を弱める。ああ、なんかこれ、本当に、簡単に外れちゃうのか。なんともいえない気持ちになっていると、さんがくるりと首を回して、僕を振り返った。目が合って、ぎくっと肩が跳ねる。

「ありがとう、怜」
「あ…い、いえ」
「傷が消えなくても消えても、怜がお嫁に貰ってくれるんだよね」
「は…えっ!?」
「不思議ね。怜のこと罪悪感で縛り付けちゃうならこんな傷なんかって思ってたけど…ちょっと好きになれたかもしれない。この傷。怜が私のこと好きなら、もう、なんだっていいや」

そう言っている間に、ぱさっと脱ぎ捨てられたものに視線を移しかけて、慌てて逸らす。たった今自分がホックを外した、それが、ベッドの端に放られた。だからつまり、今さんの上半身を隠す布は一枚もないということで。体をこちらに向き直して、僕の顔を覗き込むさんは、露わになった胸元を隠そうともしない。

「見ちゃだめなんて言ってない」
「…わ、分かってます…」
「先が思いやられるね」
「分かってます…けど…!逆になんで恥ずかしくないんですかさんは…」
「だって、怜だから」
「…どういう意味ですか」
「怜だから、見せてもいいって思えるし、触ってほしいって思えるよ、ってこと」

そういうことを、そんな笑顔で言うのは、反則だと思う。一際大きく心臓が跳ねて、僕は言葉に詰まる。ずるい。そんなこと言われたら、なんでもかんでも恥ずかしがる僕の方が変みたいじゃないか。きゅ、と唇を結んだ僕を笑ったあと、さんはその白い指先を僕のシャツのボタンに伸ばす。ひとつ、ふたつ、とゆっくり、だけど躊躇いは無く外されていくボタンを見下ろし、僕は小さく息を吐いて、意を決したようにさんの手を取ってその行為を中断させる。僕を見上げたさんの顔は、きょとんとしつつ少し不満そうにも見えた気がした。私に脱がされるのが嫌なのか、という顔だ。嫌だとかじゃない。けど、「じゃあ私に脱がされるの好きなのね」とか、話が飛躍しそうなので迂闊に言い訳もしづらい。

「…自分で脱ぎます。いつもさんに、その、されっぱなしなので」
「……されるの嫌?」
「今日は、ちょっとだけ嫌です。今日は今までとは違う、特別だから」

それを聞くとさんは一瞬面食らって、だけどゆっくりその手を引っ込めた。ほんの数秒前まで不満そうだったのに、心なしか嬉しそうに微笑んで、「うん、分かった。大人しく待ってる」と返事して、こてんとベッドの上に体を倒した。言葉通りに、待ってくれるみたいだった。ベッドに、横になって。自分の準備は終わったから、あとは僕の準備次第だ、と言われている気分。胸元あたりまでで中断されていたボタンを自分の手で全部はずし終えると、僕はシャツを取っ払って、適当に放る。さんのシャツは畳んでも、自分のもそう丁寧に畳んでおく余裕は無い。必死で平常心を保とうとするのに、心臓が痛いくらい音を立てている。さんはそんな僕を見て、余裕の無さなんてきっと見透かしているのに、からかわないで、待っていた。

「キス、したいな。ねえ、きて、怜。キスして」

微笑んで、両手が僕に向かって伸ばされる。それを見たら、不安も緊張も薄れてしまう。僕は自然とちいさく笑みを浮かべて、彼女が伸ばすその手に自分の指を絡めた。そしてゆっくりと、体をベッドへ沈めた。触れ合う唇は熱くて、舌を絡めると頭の中がぼうっとしてくる。とけてしまったらどうしよう、なんてことすら考える。脳みそ、とか、指先まで、体全部が。馬鹿みたいな妄想なのに、こぼれる熱い吐息と水音を聞いていると、本当に有り得てしまうんじゃないかと興奮を煽った。

「…っは、…ん……、さん…、僕…」
「ん…なあに…?」
「…僕が、したい……さんがしてほしいこと、全部、したい…です…」

首の後ろに回して抱きついていた腕を緩めて、さんが僕を見る。吐き出す息は熱いままに、僕の額に自分の額をくっつけて、目を細めて笑った。僕のわがままを、「うれしい」って言って、またぎゅうっと抱きしめてくれる。服の上からじゃなく、肌と肌がくっついて、それが無性にどきどきして、肌じゃなく心臓同士を触れ合わせているみたいな気持ちになる。だってきっと、さんも、どきどきしてくれている。

「でも、僕…どうしたら、いいかとか、全然わからなくて…教えてくれませんか…?どうしてほしいとか、どうしたら、…気持ちいい、とか…」

声がだんだんと頼りなく小さくなる。なんだか自分がおそろしく恥ずかしいことを言ってるんじゃないかって今更羞恥心に負けそうになるけど、さんから目を逸らすことはできなくて、自分が今どんな表情をしているのかも分からないまま、見つめ合った。

「…なんでも、言っていい?」
「は、はい!もちろんです…!」
「じゃあ、ね、もっとキスしてほしい…唇だけじゃなくていいの、たくさん…おねがい」

そう懇願する声が少しだけ震えたように聞こえて、もしかしたら、まだ彼女は少し不安なんじゃないかと思った。この行為に対しての不安じゃなくて、僕の、気持ちとかが。僕だって、疑うわけじゃないけれど、心の何処かではまだ信じられなくて、明日になって全部夢だったらどうしよう、という気持ちが無いとは言い切れない。それくらい、幸せで、幸せすぎて。
さんがそっと目を閉じるから、その瞼に小さくキスを落とす。目を開ける前に、額にもキス。鼻や頬にもキスをしながら、ああ、そういえばこんな、可愛らしいキスなんてしたことなかったんだな、と他人事のようにぼんやり考えた。それ以上のこと、たくさんしてた気でいたけど。柔らかそうな耳朶にキスをすると、ぴくっとさんが身を震わせた。そんな反応に、じわりと自分の体温が上がる。そうだ、今日は、僕がしてる。いつも僕の反応を見てかわいいかわいいってしつこく囁いていたさんの気持ちが、今なら分かる気がした。さらに降下していって、首筋や喉元に唇を押し付けると、さんがもっと体を震わせる。それがたまらなく愛しく思えた。

「ん…っ! 怜、くすぐった…」
「…嫌、でしたか?」

眉を下げた僕と目を合わせると、すぐにさんは首を横に振る。なんだか今の訊き方は自分でも少しずるかったかもしれない。今度さんに意地悪を言われても、文句、言えないかもしれない。こんな時に小さく顔を出す悪戯心を誤魔化すように、今度はもう一度、唇を重ねる。啄むようなキス。だけど、舌を出してもっと深く求められると、それに応えずにはいられなくなる。

「怜…胸、さわって…?」

唇を離して、至近距離で視線を絡ませると、熱っぽい吐息に混じってそうお願いされた。知らず、こく、と唾を呑み込む。さんの女性らしい細い指と比べると大きくて骨ばった手のひらを、そっと彼女の肌に這わせた。胸の膨らみを、下から持ち上げるようにやんわりと触れる。触り慣れない柔らかさに思わず息を吐いた。すごい、なんでこんなに、柔らかいんだろう。吸い付くような肌に、自然と鼓動が速まった。ゆっくり、力を入れずに揉んでみるだけでも、手のひらの中で形が変わる。さんの反応が不安でそろりと視線を上げると、目が合った。うっすら上気した顔。もしかして、ずっと僕の顔を見ていたんだろうか。視線に気付かないくらい、夢中になってたところを、ずっと見られていたんじゃないだろうか。

「…さん、あの、あんまり…見ないでください…。僕、だらしない顔してたら恥ずかしいです…」
「……やだ、見てる」
「でも…」
「だって、怜が私に触ってるの、嬉しいから…」

だから、そういうことを、恥ずかしげもなく言うの、ずるいっていってるのに…。もうそれ以上文句が浮かばなくなってしまうから。だけどやっぱり、困った。さんは、触り方とか、気持ち良いかどうかとか関係なく、僕に触られるのが嬉しいと言う。そう言ってもらえるのは僕だって嬉しいけれど、出来ることならちゃんと、もっと、悦んでもらいたい。その為にどうしたらいいのか、僕が分からないからいけないのだけれど。何を参考に思い浮かべればいいのか、と考えたところで、ふと、いつも自分がさんにされていたことを思い出す。さんの触り方は、どうだっただろう。それを参考にするのもなんだか、自分が普段女の子扱いされてたみたいで複雑なものがあるけれど。

「怜…んっ…もっと、ここ…弄ってほしい…」

さんが僕の指に自分の手を添えて導く。指の腹に、胸の先のつんと出っ張った箇所が押し当てられる。物欲しそうな視線がひどく扇情的で目眩がしそうだった。そこを指で捏ねるように弄ると、さんが息を詰まらせる。そんな表情に堪らなくなって思わず少し強引に唇を重ねたら、くぐもった声が鼻に掛かって下腹部がぞくぞくと疼いた。

「ふ…ぁ、怜…先っぽ、じんじんするぅ…っ」
「あっ…す、みません…痛かったですか…?触り方、強すぎた、とか…」
「んん、ちがうの…もっと、してほしい…から…」

首の後ろに腕を回してしがみついてきたかと思うと、僕の耳元に小さく、切なそうな声と一緒に息を吐いた。「舐めてほしい」それを聞いてまた自分の体の奥が熱くなるけれど、僕を視界に入れるさんの表情だって、熱さにやられてどうにかなってしまっているような表情だった。おかしくなる、って、そんな声が頭に浮かんだ。だけどおかしくっていいって決めたんだ。彼女の体に触れているだけで、どこまでだっておかしくなれてしまう。胸の片方の先端を指の腹でぐりっと押しながら、もう片方の膨らみに唇を寄せる。どうすればいいのか、お手本なんてやっぱり何もなくて、ぱくりと子供みたいに口へ含む。胸の先端に舌を撫で付けるように這わせると、そこが尖ってきた。ぞわぞわと興奮してきて、口の中に唾液が溜まる。僅かに吸い上げたつもりでも予想外に大きな音が立って、それが余計に自身を煽ってくる。はしたない。品がない。分かってる、分かってるのに、止められない。

「ん…ふぅ…っ」
「あっぁ…怜…、…もっと、強く…吸っ、て…ぁんっ!」
「っは…さ…」
「怜の舌、あつくて…」
「…さんの、肌…も、熱いです…」

乱れた息遣いに愛しさが募る。火照った柔らかい肌を強く吸い上げると、さんの体が跳ねた。僕の唾液でべたべたになっても、彼女の体は綺麗だ。この人に触ることができる人間がこの先一生自分だけであったらどんなに幸せだろう。そんな独占欲さえも芽を出して、それを振り払えないまま彼女の肌を貪る。(もっと、おかしくしてほしいんだ、僕を)

「怜、もぉ…っ、した、さわって…きゅんってして、苦しい…」
「…でも…」
「ふ…だ、め?まだ、嫌?…女の子の、おっぱいは吸っていたいのに、下、触るのは、こわい?」
「〜っ!だから、なんでそういう言い方…っ」

甘える幼い子供にするように、さんが僕の頭を撫でる。む、と顔を上げると、僕の反応を笑いながらも、少し余裕の無さそうな彼女と目が合った。さりげなく擦り合わされた太腿に目を向ける。ああ、本当に、余裕無いのかもしれない。自分にだって無いくせに、他人事みたいにそう思った。今までだったら、自分の好きなように、僕に好きなことして楽しんでいたさんが、今日は、僕にされる側になって、もどかしい思いをしている。今まで、僕はいつも、触られるだけで、触ってあげることなんかなかった。触っちゃいけないものだとすら思った。自分だけ気持ち良い思いをするばかりで彼女を気持ちよくしてあげたいなんて思えなかった。だから、今日は、と思っていたものの、もしかしたら…さんは僕に触られるより、「今までの」みたいな行為のほうが、満たされるんだろうか?

「…怜…?」
さん…あの、僕…本当にこういうこと、分からなくて、自信がなくて…」
「……うん、知ってる」
「だから…その…嫌な思いとか、してほしくないですし…きらわれたくない、から…その…」

本心だった。せっかく好きだと告げて、好きだと言ってもらえたからこそ、がっかりされたくないし嫌われたくない。してもらうんじゃなくて、してあげたい、って思いすぎて空回ってるんじゃないかって、不安になる。からかうつもりで彼女はさっき「怖い?」と聞いたのかもしれないけれど、事実、少し怖い。一度薄れたはずの不安が、今になってまた襲ってくる。この先に進んでもいいものかと、尻込みしてしまう。

「…私も、分からないことばっかりだよ。怜」
「え…でもさん…」
「初めてだし」
「初め…、えっ、そ、そうなんですか!?」
「……」
「…」

あれ、なんだか、さっきまでの空気と変わってしまった。あのまま、流されてしまいそうだった甘い雰囲気が薄れる。心なしかさんが、怒ってる気がする。笑ってるけど、怒ってる気がする。こういうとき十中八九自分の発言が原因なので、はっと口を押さえた。そんな僕を見てさんは、む、と少しだけ唇を尖らせ、ゆっくり上半身を起こす。思わず身を引いて、たじろぐ。

「…怒りましたか…?」
「すこしだけ」
「す、すみません…少し、意外というか…その…だっていつもさん、僕の、触るのとか、全然抵抗無いですし…そういう行為の知識とか多いし……僕ばっかりぎこちなくて…恥ずかしいから…」
「慣れてるのかな、って思った?」
「その…」
「初めてじゃないのかなって?」
「は…はい…」
「他の男の子ともしたことあるんだろうな、って?」

言われて、頭が真っ白になる。後頭部を思い切り殴られて目の前に星が飛んだ気分だった。そうだ、自分の言っていることは、そういうことだ。さんが初めてじゃないっていうのは、つまり、自分以外の誰かと、そういう行為をしたことがある、っていうことになる。僕以外の誰かの体に触れて、僕以外の誰かに、ああいうことをしたり言ったりしてたっていうことだ。そう思った瞬間、ずんと気持ちが重くなった。けれどそんな僕に構わず視界の端でさんが何やらもぞもぞ動いていて、はっとよく見れば彼女は自身の下着を太腿までずり下げていた。ぎょっとして反射的に目を逸らす。それ一枚が脱ぎ終われば、完全に彼女は身に纏う布が一枚も無くなるのに、躊躇いがない。

「あの、さん…!」
「怜も脱ぐの」
「えっ!?」
「私だけ脱ぐのずるいでしょ?」

自分が脱ぎ終わると、迷わず僕のベルトに手を掛ける。その迷いの無さは今までの、この部屋での日々を思うと「いつも通り」だった。先程までの、僕に身を任せてくれていたのが嘘みたいだ。なんだか情けない気持ちになって、慌ててその手を押し戻そうとするも、さんがファスナーの上からそこを撫でただけで息が詰まる。「キツそうだね、ここ」
視線をやれば、ズボンの上からでも膨らみが分かった。自分の顔が赤くなる音を聞いて、気付けば抵抗なんて諦めていた。男のズボンを脱がせるのも、下着を剥ぎ取るのも、躊躇や恥じらいは無い。それが、今はより一層不安になる。

「もうおっきくなってる」
「し、かたないじゃないですか…さっきまで、ずっとさんの体、さわってたから…っ」

眼前に勃ち上がった性器が晒されても、見慣れてると言わんばかりの狼狽え無さだ。目を逸らすどころか、食い入るように視線を注ぐ。恍惚とした表情にすら見えて、さんの視線を感じるだけでも余計に恥ずかしさが増す。さんが視線だけで僕を見上げて、今にきっと「見られて興奮してるの」くらい言ってくるに違いないと身構えながらも、言い訳できそうになくて唇を結んだ。その唇を無理やり開かせようとでもしているみたいに、さんの指が僕の下半身に伸びる。壊れ物を扱うようにそっと触れてきた手にびくりと全身の熱が集中する。刺激の強い先端は避けながら、焦らすような手つきだった。

「僕のは、触らなくていい…っから、あ、ぁ…」
「…いいから。黙ってて」
「や、嫌、です…、もう…今日は、僕が…っ」
「……怜が?」
「僕、が…ぅ、さ、わり…たいッです…!」
「でも触るの怖いんじゃないの?できるの?」
「で、きる、できるから…っ指、やめてくださ、い!」

言うと、予想以上にあっさりとさんは手を離した。最初から分かってたみたいに。その言葉を待っていたみたいに。深く息を吐いて呼吸を整えようとする僕に、さんがずいっと体を近づける。なにを、と尋ねる前に、また僕の手を掴んで、触ってほしい場所へ導く。どこ、なんて、すぐ分かってしまうけれど、僕はごくりと喉を鳴らすだけで、その手を振りほどくことはしない。僕の手のひらはさんに促されるままに彼女の太腿を撫でて、それからゆっくりと、その両足の間に移動していく。女性のそこに触れたことなんかない。僕は目で確かめることはせず、ただ指先に触れる感触で、ああ自分とは違うつくりなんだと今更、改めて実感して、視線はさんの顔から逸らせなかった。上気した頬と、熱っぽい吐息と、僅かに潤んだ瞳。自分の手を重ねて、好きに動かして、僕の指でその行為に耽る彼女から、目が離せない。自分の指が触れたそこは、しっとりと湿っていて、促されるままに指を少し動かすとくちゅりと音が立った。その意味が分からないほど幼くもなれなくて、僕のほうがかあっと顔を熱くする。

「…んっ…もう、濡れてるの…分か、る?」
「わ…かりますけど、」
「怜が、いっぱい…触ってくれたから…と、怜が…っかわいい、から…興奮、しちゃったの…」
「こ、興奮って…」
「ねぇ…怜、しってた?いつも、怜の体、触って…怜が、可愛い反応してくれると、私、どきどきして…っ、ここ、びしょびしょに、っ…してたんだよ…?」
「…そ、んなの…」
「私のせいで…おっきくなっちゃった、怜のおちんちん見るのも、さわるのも、すき…だよ、怜、だから…どきどきするの…っん、ぁ、だ…から、他の人の体なんか…見たくも、触りたくも、ないっ…怜じゃなきゃ…嫌なの、…怜、しか…好きじゃな、あっ…怜が、いい…よぉ…」
「…っ!」

聞いていられなかった。堪えられなかった。勢いに任せてさんの体をベッドに押し倒して、彼女の目尻にうっすら滲んだ涙を舌で舐め取る。ああもう僕は本当に馬鹿だ。この期に及んで勝手に疑って勝手に不安になるなんて。さんは本当に僕が好きなんだ。ずっと前から、僕のことが。僕の、全部が。僕の、どんな部分も、僕だからっていう理由だけで、好きになってくれるくらいに。触れることに嫌悪感を微塵も抱かないのも、それどころか愛おしそうに触れてしまうのも、全部、僕だからだと言う。なら、その理屈が通用するのは僕だけなんだから、他の人にもそうやって触れるんだろうなんて言ってしまうのは、きっと彼女には失礼で、怒って当然で、悲しい、ことだ。
…でも、もう少し言い方、考えてくれてもよくないですか。そんな、直接的な台詞、聞いてるこっちが、恥ずかしくなる。(わざとかな、わざとな気もするな)

「っふ、ぅ…、えっちな女の子は、きらい?」
「…、さんなら、なんでも、すきです…だって、僕の前でだけ…なんでしょう?」

またからかって聞いたつもりだったんだろう。僕の返事を聞くと、さんは目を見開いて、それから眉を下げて笑った。かなわないなあ、みたいな笑い方だった。珍しい表情だ。いつまで経っても敵わないのは僕の方なのに。
もう一度、改めて、さんの太腿の付け根あたりに、彼女に促されるのでなく自分の意思で、手のひらを這わす。視線を合わせて、小さな声で、「さわってもいい…ですか?」と尋ねた。内緒話をするような声の小ささでも、それをちゃんと彼女は拾って、頷く。さっき、さんが、触ったところ。触ってほしそうだったところ。慎重にそっと指でなぞると、さんがびくっと肩を震わせた。乱れた呼吸音はさんのものだけじゃない。

「…女のひとの体…って、こうなってるんですね…、なんか、不思議で…」
「んっ…そう、…そこ、敏感なところ…っ」
「…撫でると…、いい…ですか?擦ったほうが、いい…?」
「ふ、ぁっ!んん、いい、そのまま…あ、あッ、」
「あ…っすごい…ぬるぬるして…ここ、指、入っちゃいそ…」
「…い、れて…いいよ、中…さわっ、て…?」

ごくりと唾を飲み込んだ音が思った以上に大きく聞こえて、なんだかすごく、いけないことをしている気分になった。さんの反応を目で確かめながら、ゆっくり、そうっと、一本の指先をそこに突き入れる。狭くないわけではないその場所を、他の男が触れたことなんて一度もない場所を、指でおかしていく。

さん、力、抜いて…痛くない、ですか?」
「…っ、は…ぁ…」
さん…?やっぱり、痛い?一回、抜いて…」
「ち、がうの…、大丈夫…だいじょ、ぶ、だから…っ、もっと、いいよ…」

荒い呼吸のまま首を横に振ると、僕に顔を見られないように自分の手の甲を瞼の上に置いてしまう。それがなんだか、痛がったり気持ちよくなさそうにしたりしているのを僕に見られたら悪いから、隠そうとしてるんじゃないかって思って不安になる。本当にいいのかと再度尋ねても、大丈夫だからもっとしてという返事が息も切れ切れに返ってくるだけだ。不安は残りつつも指を動かすと、くちゅくちゅ音が立つのが分かる。聞いてるこっちがなんだか恥ずかしくなってしまうような音。…じゃあ、気持ちよくない、わけでは、ない…のか。途絶えることなく溢れてくる愛液は僕の指を濡らすだけでなく、シーツにまで垂れている。未ださんは顔を隠す腕をどかしてくれないけれど、無理に抑えたような声をあげて身を震わせていた。

、さん…」
「…んっ、あッ…んぅ、っ!」
さん…、さ…ん、あの…」
「な、っに」
「っ…さん、って、その、濡れやすい…とか…」
「そんなの、わかんな…っ」
「だって、ここ…こんなに…」
「…ぁ、んっん!…恥ずかし、こと…言って、いつもの、仕返、し?」

ちがう、違いますけど。でも、言われてみればたしかに、いつもいつもお決まりのように、「もうこんなに大きくして」とか「もう興奮してるの」とか、僕に言ってくる彼女だ。今は、逆の立場。他の女の人の体なんて分からないから、少し触っただけでこの量が普通なのかどうかも検討がつかないけれど、でも同じようにさんだって僕以外の体なんて分からないはずなんだから、もしかするといつも言うあの「もうこんなに」は、確かに、ただそれを言うと僕が恥ずかしがるから、なんて理由で、言ってたのかもしれない。そしてさんだって、言われる側になればやっぱり、恥ずかしいはずだった。僕はべつに、意地悪で言ったわけじゃないのにな、なんて少し拗ねたくなるけど。でも、苦しい訳じゃないなら…と、探るような手つきを、中を掻き回すような動きに変えるとさんの反応も変わる。おさえていた声が我慢できなくなり始めて、その声を聞いているとぞわぞわ自分の中で今まで感じたことのない感覚がせり上がってくる。

「あっ、あぁ…っあ、…や…ッ!」
「…いや、ですか?…やめて、ほしい?」
「ちが、あ、ぅ…っへん、なの、だって…自分でも、へんで…ッあ、!」
「…っすごい、なか…もう、とろとろ…」
「ふ、あぁ…だめ、なの…怜の、指が、なか…入って、怜が、触ってるって、思うと…それだけ、で、おかしくなっちゃ…うぅ、あ、ぁ」

そんなの、僕だって同じだ。自分が、さんの中に、他のどんな男も触れたことがない場所に、内側に、触れているっていうその事実だけで、ぞくぞくと体の奥が疼く。さんが誰にも見せたことのない恥ずかしいところを、僕だけがしってる。「もっと、触ってもいい…ですか、指…増やして」小さな声で尋ねれば、顔を背けながらもさんの首は縦に振られる。言葉通りに指を増やして奥へと進めて、時折、痛くないかとか、つらくないかとか、確認しながら中を触る。ぐにぐにと指に触れる感触は、なんだか改めて本当に人間の内側にある臓器をさわってるっていう感じがして、不思議なものだった。

「ね…ぁ、れい…もう、入りそ…?まだ、だめ…?」
「っ、え…、だから、どうしていつも……怖く、ないんですか?ちゃんと、やらなきゃ…いれても多分、痛いですし…」
「…だって…はやくつながり、たい……痛くても、いいっ、から…」

腕をどかして、自身を見下ろす僕と目を合わせて、そんなことを言う。蕩けた表情で、そんな、台詞。反則だ。今度は僕が顔を逸らして、口ごもる。

「いいわけないです、僕は、痛くしたくない…から」
「…だめ…、痛くしていいの、私は…」
「だめったらダメです…」
「痛く、してほしいの」

なんで、そんなこというんだろうこのひとは。逆の立場だったら絶対、「痛いのが好きなの?」なんて、意地悪いうくせに、なんで。僕だって、当然、早く、いれたい。でも僕の気持ちなんかよりさんの体の方が大切で重要で、さんに痛い思いとかつらい思いをさせてしまったらそんなのは僕だって悲しくて、ゆっくり、優しくしたいから、これでも一生懸命なのに。一生懸命、慎重なのに。堪えきれなくなりそうで唇を噛んで、顔を逸らしたまま、ぶんぶんと首を振る。「自分の指で触るとき、いつも…怜の指だったらいいのに、って、さわってたんだよ…でも今、怜に触られて、やっぱり、自分で触るのとは比べ物にならないくらい、どきどきしたの…、だから、もっと、怜が欲しい。自慰じゃ満足できないもの、ちょうだい、痛くていい、から…体に、覚えさせて…ほしい、の…」
そんなの、そんなの、だって、ずるい。「おねがい」って最後に付け加えられて、全身が火照る。分かってたことだけどこの人には敵わない。こうやって煽れば僕が折れてしまうことを、知っててやってる。ずるい、って小さくこぼしたら、その声を拾ったさんがふわりと微笑んだ。それが今までになくマゾヒスティックな雰囲気を纏っていて、嘆息する。

「……、…僕のこと、いじめたいだけだとおもってた」
「うん…いじめるのすき、だけど、逆でも興奮するね…私も、今日はじめてしっちゃったかな、」
「…もう…」
「いいの、怜なら、なんでもいい…怜がくれるの、ぜんぶほしい…、ねえ、怜は…?」
「僕、は…」
「怜も、すきになって…くれた、でしょ?すき、でしょ、すごく」

わたしに、いじめられるのも、わたしのこといじめるのも。ああ本当、敵わない。いつだって僕をおかしくさせる。彼女の望んだ通りに、彼女の都合がいいように、ますます彼女好みの、僕に、いつのまにか。「…好きですよ。さんなら、なんでも。どんなさんでも、すき」