「……さん…?」

ぼんやりとしている頭の中を無理矢理に働かせて、首を動かす。僕の胸元にぴったりとくっついて目を閉じていたさんが、声に反応して顔を上げた。服は、まだ着てない。あの後、裸のまま布団を被っていたら、お互い少しうとうとしてしまって、それから…どれくらい経ったんだろう?「今、何時なんだろ…」呟いて、まずは眼鏡を掛けようと辺りを手探りでさがすと、さんの指が僕の手に伸びてくる。僕の手の甲をゆるゆると撫でると、「まだ離れたくない」と僕の顔も見ずに拗ねたような声を出した。言葉に詰まる。ずるい。

「…でも、さん」
「いいの。どうせ親も帰ってこないし」
「そう言われましても…」
「もうちょっとだけだから」

「まだ怜のこと返したくない」なんて言いながら、頬をすり寄せる。そういう台詞、普通、女性が言うものなんだろうか。む…と少し恥ずかしくなって口を尖らせるも、言葉で勝てる相手じゃないので、僕は眼鏡を探していた手を大人しく引っ込めて、体を寄せた。

「…なんか、変な感じですね」
「そうだね。下着姿になるだけでも真っ赤になって大変だった怜と、裸のままベッドでごろごろしてるんだもんね」
「そ、そういう言い方は、なんか、悪意があるような…」
「さっきまでのこと、夢だったんじゃないかーって思っちゃいそうだけど、ちゃんと現実だね」

僕だって、同じ気持ちだ。ただ、ちゃんとすぐ傍にさんがいて、僕に触れてくれるから、夢じゃなかったんだと思える。ちゃんとさんは僕の傍にいる。安堵したような溜息を吐いたら、さんが笑って、「その証拠に、体がまだちょっと重いっていうか、起き上がりたくないよ」って言った。一瞬僕は固まって、すぐにがばっと身を起こす。なんだか急激に頭がはっきりしてきた。勝手に満足して安堵して、なんでもっと最初に気づかなかったんだろう。ちゃんと、さんのこと、気にしないといけないのに。こういうとき、女性の体はきっと男性なんかよりずっと無理させてるはずだ。

「す、すみません、さん…!体、僕、その…」
「なあに?」
「労れなかったというか…もっと、やさしく…したかったのに」
「私が痛くしてって頼んだのに?」
「た、頼まれたって痛くしたいなんて思いません!」
「私はもっと死んじゃうくらい痛いのを期待してたけど」
「なっ…ちゃんと痛かったら言ってくださいって頼んだじゃないですか…!」
「だって痛いって言ったら怜が痛くしてくれないでしょう」
「〜〜っ!今度からはちゃんと言ってくださいっ!」
「怜が気持ち良いなら私はいいもん」
「僕はっ!」
「よくなかった?」
「きっ、…もち、よかった、です、けど…」

勢いをなくして徐々に小さな声になっていく様子をさんがくすくす笑って眺めるから、僕は顔を赤くして黙ってもう一度ベッドに体を沈ませる。敵わない。悔しいくらい、きっとこれからも。行為の最中はあんなに、その…「かわいい」っていう言葉がぴったりだったのに。思い出して少し、気持ちが昂ぶる。余裕のない表情を見て嬉しくなる、なんて、ちょっとさんに毒されているという感じが否めない。でもやっぱり、痛くしたいとか、そんなつもりはまったくなかったし。複雑な気持ちで黙り込んでいると、さんが僕の髪を、子供にするように優しく撫でた。

「ね、怜」
「なんですか?」
「遠回りしちゃった気はするけど、ちゃんと、もう、いいんだよね」
「え…?」
「私、怜のこと好きなんだよ?もう誤魔化せないよ?…私、怜の彼女になれる?」

さんの言葉に、自身の目が大きく見開かれる。耳で聞いた言葉を、脳で理解するまでに時間が掛かった。ただ自分が伝えたかった「好き」という言葉は伝えられたけど、そこで終わりというわけじゃない。伝えることこそが自分の望みだったけれど、さんも同じ気持ちだと言ってくれたんだ。二人、同じ気持ち。ということは、これからの僕達の関係は、変わるということ。「彼女」と、「彼氏」で。「恋人」で。そう思った瞬間にぶわっと自分の顔が熱くなって、さんの目を真っ直ぐに見られなくなる。そうか、恋人、になるのか、そっか、うん、そうですよね、なんて口の中でごにょごにょして、返事がすぐ返ってこないことにさんがむっと唇を尖らせた。

「だめだった?」
「い、いえっ!だめなわけないです!その…っ、よろしく、お願いします…!」
「本当に?」
「ほっ本当です!」
「私のこと、渚ちゃんに『彼女』って紹介する?」
「…しますよ。その…ひやかされるかもしれませんけど」
「私も怜のこと、『彼氏』って言っていい?」
「もちろん…さんがいいなら。こんな、僕ですけど…」
「付き合ってるって言って、私のお母さんに、傷のことで責任感じてなんでしょう、そんなことしなくていいのよ、って言われたら、否定してくれる?」
「っ、当たり前です!絶対、納得させてみせます!今の僕なら、絶対に胸を張って言えるから…だから…」
「私怜のことすっごくすっごく好きだけど、それでもいい?」
「いいに決まってます。僕だって、すごくすごく、貴女のことが好きなんですよ。きっと、あなたが思っているよりも、ずっと、何倍も」

僕の言葉に、さんはそれ以上何も言わず、静かに微笑んだ。なんだかその表情を見るだけで、今までの悩んだ時間や辛かった時間が、意味のあるものだったんだなと思える。しつこいくらいに葛藤して、こんな僕じゃだめだって悩んで、でもそんな時間があったからこそ、今は心から、好きだと言える。胸を張って。

「…怜はいつから私のこと好きだった?」
「え?…いつ、ですかね…具体的にいつかは分からないですけど、きっと、小さい時から…です。さんは昔からなんでも出来て、僕の憧れでしたし…」
「本当に?」
「な、なんで疑うんですか」
「だって、怜、私のことなんか好きじゃないと思ってたから。そりゃあ小さい頃はなついてくれてたけど…私が怜にいたずらするようになってからは、仕方なく傍にいるのかなって思ってたよ。どうして嫌いにならなかったの?」
「どうして、って…それでもやっぱり好きだから…っていうか、それを言うなら僕だって、さんは僕のことなんか好きじゃないと思ってましたよ」
「え?どうして?あんなにいつも全力で好き好きって可愛がってたのに?分かってなかったの?」
「その可愛がり方がおかしいじゃないですか!なんだかいつもこう、玩具にされているというか…遊び相手にしか思ってないんじゃないかとか…」
「好きな子以外にあんなことするなんてただの変態じゃない」
「えっ、え、そう、ですね…?」
「怜は私が好きでもないのにあんなことしてると思ってたっていうこと?ふうん」
「え、ええっ、だって、さん…」
「……」
「…あの…すみませ」
「ふふっ」
「! ま、またからかって…!」
「怜、私ね?初めて会った時からずっと好きだよ。初恋だったと思う。それからずーっと怜が好き。私、怜以外の男の子を好きになったことないの」

好きになったのは、今よりずっと前の、小さな頃で、その時からずっと、嫌いになんかなれなくて、ずうっと好きなまま。それは僕も同じだ。ずっと好きだった。だけど、言葉を変えると、こんなに、特別なことに感じられるのか。さんは僕以外の誰かを好きになったことがなくて、僕もさん以外の人を好きになったことがない。それがこの先も続いていくとしたら、なんだか余計に、もっとすごい事に思える。

「だから私、怜以外の男の子のこと、かっこいいとか可愛いとか好きだなとか、思えなくなっちゃった」
「…さん…」
「責任、取ってほしいな」

あの日の怪我には一度も「責任取って」なんて言わなかったのに、今まったく違う場面で、その言葉を告げられる。どんな意味かなんて、分かってる。自分がどう責任を取ればいいのかも、なんとなく分かる。僕は自然とまた、敵わないな、って苦笑しながら、腕を伸ばした。僕の腕の中に収まりながら、さんが嬉しそうに笑う。「嫌だって言っても、離してあげないけどね?」って。そんなの、僕だって同じだ。「喜んで。責任、取らせてください」

僕だってもう、あなた以外のひとに夢中になんかなれないんだ。