「えっ!じゃあ付き合うことになったんだ!?」 「…は、はい」 「よかったねえ、怜ちゃん!うまくいったんだ〜!」 「その…おかげさまで」 「そっか〜!卒業おめでとう!」 「ありが…はい?卒業、って…」 にこにこといつものように花が咲いた様な笑顔を浮かべている渚くんに思わず流されてしまいそうになったけれど、「卒業」という言葉に引っ掛かって一瞬眉を寄せる。数秒考えこんで、ハッとその意味に気づくと、途端に目の前の彼のかわいらしい笑顔がいろんな意味で恐ろしくなって一歩後ずさった。幼ささえ感じるふわふわとした笑顔はあんまりにもこの手の話に似つかわしくない。そうだ、この笑顔。この笑顔で、あの時とんでもない物を僕に握らせたんだった。 「な、渚くん!一体どういうつもりで…!」 「え?だって僕があげたもの使う場面があったんだよね?」 「なっあっ…ないこともなかったですけど…」 「ほら、あげて正解だったよ!」 「や、でも、なんであんなもの普通に持って…」 「細かいことは気にしない気にしない!」 「ええ…!?」 「今日もちゃんちに寄るんでしょ?もう一個いる?足りない?やっぱり男の子が持ってないとだめだと思うなー」 「渚く、……、…あ…その…」 「なあに?怜ちゃん」 「……ああいうのって、どこに売ってるんですか」 目を逸らしつつ恥を忍んで、小さい声でそう尋ねると、渚くんがしばらくきょとんと固まって、そのあと笑った。余計に自分の顔が熱くなる。いや、でも、今後のためにも知っておかないとだめじゃないかこれは。さんに訊くのもなんだかまた恥ずかしいし。いや、たぶん、すごく楽しそうに笑われると思う。あの人のことだからそれくらい知ってると思うし。またなんにも知らない僕を笑うに違いない。いや、今現在、渚くんにも笑われてしまったんだけど。「わ、笑わなくてもいいじゃないですか…!」って声を絞り出したら、渚くんはごめんごめんって謝ったあと、「教えてあげるから、そのかわり…」と人差し指を立てて、僕に顔を近づける。内緒話か何かだと思って、僕も緊張した面持ちで渚くんの言葉を待った。 「今度僕にちゃーんと紹介してね、彼女のこと!」 予想外の言葉に僕は暫しぽかんとして、それから渚くんと目を合わせて笑った。約束しますよ、だって、それは彼女との約束でもあるから。 「さーん?勝手にあがっちゃいましたけど、」 さんの部屋へお邪魔するのも日課みたいなものだ。それは、付き合う前からのことだけれど、今は、恋人として、入ることが出来る。そんな照れくさい嬉しさを噛み締めながら、彼女の部屋のドアを開けた。家の鍵はあいてるから勝手に入ってきて、と言われたのでインターホンも何も鳴らさなかったけれど。部屋のドアを開けると、ちょうどさんがベッドに腰掛けて何か作業をしていた。と、思う。何か、見慣れない物体を手に持っていた。小さな電動音が、部屋に入る前から聞こえていたし。けれど僕が部屋に入ってきたのに気づくと、すぐに傍にあった箱にそれをしまって、ベッドのすみに押しやった。僕に見られたらまずいものだったのか。涼しい顔で僕に「いらっしゃい」って言って、何か、誤魔化されているような感じは否めない。 「さん、今何か…」 「気にしないで」 「え、でも…」 「通販で買った物がさっき届いたから、ちゃんと使えるか動かしてみただけ」 「は、はあ…」 たしかに言われてみれば、ベッドの隅に追いやられた箱はいかにも通販で届いたようなダンボール箱だ。なるほど、嘘を言ってるわけじゃなさそうだし、あまり疑うのも変だろうか。いや、でも、なんだか嫌な予感がしたから。ただのカンだけれど。人の買い物に文句をつけるのも失礼だ。自分の考えすぎだ。妙に、この部屋に入ると変な警戒心が生まれるというか。もう警戒することなんか無いのに。僕はさんの恋人なんだし、と思ってしまえば心強い。僕は適当な場所に鞄を置いて、テーブルの傍に座った。特に他意はなく、話を続ける。 「何買ったんですか?」 「え?…ああ、うーん…マッサージ器とか。もろもろ」 「マッサージ…?どこか体の不調でも…?」 心配になってそちらを見ると、ベッドに腰掛けていたさんが目を丸くして、きょとんと言葉を失った。けれどすぐに「そんなんじゃないよ。心配してくれてありがとう」と柔らかく微笑む。本当に嬉しそうに言うから、ちょっとしたことだったのに、なんだか僕までくすぐったくなる。 「……怜は可愛いね。本当に」 「え?な、なんですか…いきなり」 「可愛いなあって思っただけ」 「む…僕より、さんのほうがずっと可愛いと思いますけど…」 ぽそっと呟いたら、さんがまばたきを繰り返し、それから、僕と同じように「むっ」って顔をした。ベッドを降りて、僕の隣にやってくる。僕の肩に自分の肩をトンと軽くぶつけて、「それ、禁止」って怒った。何が禁止なのか、どうして怒ったのか、僕はよく分からなくて首を傾げる。 「可愛い可愛いって私に言うの禁止」 「えっ?な、どうしてですか?さんだって言うくせに…」 「怜が可愛いのは本当だからいいの。私は言ってもいいの」 「横暴ですっ!」 「だーめ」 「なんでですかっ」 「…だって、怜に可愛いって言われると、なんだか…変な気持ちになる…」 「変、って…」 「……恥ずかしい…」 拗ねたように口を尖らせて、視線を僕から逸らしながら、少し顔が赤い。そんなさん、貴重すぎる。見ているこっちまで恥ずかしさがうつったように、ぼっと顔が熱くなって、手の甲で口元を押さえた。気を抜くとにやけるかもしれない。そんなことしたらきっとさらにさん、怒る。いや、照れる、だろうか。そんなの、だって、それこそ、 「……かわいい」 「…怜」 「あっ!すみません、つい、ええと…でも本当に、可愛いと思います、そういうところ…」 「……怜のばかっ」 さんはフイっと顔を背けると、ベッドに引き返してしまう。そして壁の方を向いて、枕をぎゅうっと抱きしめる。僕には背中を向けて。ああやっぱり怒らせてしまった。慌てて再度その背中に謝るも、さんはつんとしたままだ。 「さん…機嫌直してください。僕、べつに面白がって言ったんじゃなくて…」 「だーめ。もう怒ったから」 「…じゃあどうしたら許してくれますか」 「キスしてくれたら許すかも」 僕の方を振り返らずに、そんな拗ねた声を出す。やっぱり、かわいいじゃないか。そう口にしてしまいそうなのをなんとか堪えて、溜息を吐く。「じゃあ、キスがしたいので、顔を見せてくれませんか」ベッドに手を付くと、その気配にさんがやっと振り向いてくれた。 「前まであんなに真っ赤になって、自分からはしてくれなかったくせに」 「…そう言われると、するの、恥ずかしくなるから言わないでください…」 「なら、もっと言ってあげる」 「さん…」 「私だって恥ずかしくって可愛い怜がもっと見たい」 僕に向かって伸ばされた腕に苦笑する。そんなこと言って、僕はいつもあなたの前じゃ、恥ずかしくなるばっかりじゃないか。大人しく、促されるまま、ベッドに寝転んださんに覆い被さる。短いキスを一つ落とすと、「足りない」ってすぐに二度目を求められる。べつにそんなつもりはなかったのに、やっぱりどうしてもつい昨日この部屋で起こったことを思い出して、空気が変わっていく。 「…渚くんが、さんのこと紹介してほしいって、言ってました」 「……怜の、彼女のこと?」 「そうです…僕の、彼女のこと」 「うん…私も、紹介されたい。この人が僕の彼女です、って。怜に」 想像して、胸がいっぱいになる。さんに恋をしていることすらなかなか他人に話すことがなかった僕が、誰かにさんのことを、恋人だって自慢できる。凄く幸せなことに思えた。もう一度キスを落とすと、さんがくすぐったそうに笑って、ふと、「あ、そうだ。ねえ怜、ちょっと横になって、目ぇ瞑って。ちょっとだけだから」と思いついたようにはしゃいだ。なんだろう?と疑問に思いつつも言われた通りにすると、さんが僕の手を取る。 「でも本当、嬉しいな。怜が私のこと好きなんだって思うと、今までと全然、違って見える。いろんなものが」 「そんな…僕も、ですけど。すごく、嬉しくて」 「うん。不思議。変わらない気持ちもあるのに、なんだか根っこの部分が違うっていうか…」 会話は続いているものの、あけていいとも言われないので、目を瞑ったまま。ふと右の手首に違和感。思わず、さん、と名前を呼ぶと、もうちょっと、と返ってくる。もう一方の手首にも同じ違和感が襲う。がちゃん、と妙な金属音が耳につく。胸騒ぎが止まらない。嫌な予感がしてきた。もう目を開けてもいいだろうか。なんだか、手遅れな、気がしてくるけど。 「うん、もう目ぇ開けていいよ」 「…あの…さん…」 「手、動かせる?」 「……動かせません」 「そう」 とびきり上機嫌に、「そう」と頷いたさん。「なんですか、これ」と震える声で尋ねたら、僕の手の自由を奪っているものの名称を簡潔にさんが口にした。「手錠」と。手錠、って、あの、手錠か。手の位置が自分の頭上に固定されているのでよく確認できないけれど、確かにそれはテレビなんかで目にしたことのある「手錠」なんだろう。罪人を縛るもの。繋いでおくもの。ここでいう罪人が、僕。 「じゃあ…ね、怜、服脱いで。ああ、ごめん。手が使えないんだった。私が脱がせるね」 「ちょ…っと待ってください!さん!!」 「なあに」 「なあにじゃなくって…なんなんですか、これっ!」 「手錠だってば」 「そうじゃなくて…ってボタン!外さないでください!話聞いてください!」 ぷちぷちと躊躇いなく外されていくシャツのボタンと外していく細い指を見て目眩がしてくる。わけがわからない。手錠って。こんなアブノーマルすぎる代物どこから持ってきたんだ。そしてなんで自分はそれを手に掛けられているんだ。さらにそんな状況のままどうして目の前の僕の恋人は僕の服を脱がしているんだ。 「一度怜につけてみたかったの。紐とかで縛るよりずっと怜に似合ってる」 「な、」 「ああ、でも、首輪もセットで買えば良かったかなぁ」 うっとりと目を細めて、僕の首筋を意味有りげに指でなぞる。僕のことを見つめる視線が怖いくらい熱っぽくて、自分がそういう対象に見られているという事実に羞恥心が湧いてくる。思わず目を逸らすけれど、自分の心臓の音がうるさくて、呼吸も乱れていく。何をされるか分からない、怖い、怖いのに。 「何されるか分かる?」 「そ、んなの、分かんな…」 「でも、期待してる?」 「っ!期待、なんか…!なんでこんなことするんですか!僕らはちゃんと恋人同士になって、昨日だって普通に…普通、だったじゃないですか…!」 「だって、怜ばっかりじゃずるい」 小さい子供みたいに、可愛らしく唇を尖らせて、僕に跨る。見下ろされている。いつもの光景。お約束の体勢。 「昨日、怜にひどくされたいって思ったのは本当。怜と結ばれて嬉しかったのも幸せだったのも本当。でもやっぱり、こっちもしたくなっちゃうんだもん」 「こっちって…」 「私、怜の見上げてくる表情、だぁいすき」 「…っ」 「恋人同士になってもそれは変わらないよ。普通のもいいけど、普通じゃないこともしたいでしょう?」 つまり、自分が、上がいいってことか。僕のことを見下ろしたくって、僕に見上げられたいってこと。主導権は、あちら。「怜にしたいこと、私たっくさんあるんだ」って言いながら、ベッドの隅にあった箱に手を伸ばす。目に痛いピンク色した何かがいくつか入っているのが見える。先ほど言っていた「マッサージ器」も、その中の一つだった。本来の健全な意味でのマッサージに使用されないということはなんとなく分かった。なんにも分かっていない僕をさんがきょとんと見つめた意味も、かわいいと言った意味も察した。無知で、かわいい。発想が汚れていなくてかわいいねと、そう言ったんだろう。 「…、…も、もう、お互いの気持ちが通じ合ったんですから、こんなこと、しなくてもいいじゃないですか…」 もう惨めな気持ちになんかならなくて済むんじゃなかったのか。こんなこと、べつに僕は望んでないはずなんだ。もうこれからは普通の恋人同士みたいに振る舞えると思ってた。もっと、普通に、普通の、甘い時間を。じたばた暴れる僕を、さんは丸い瞳でじぃっと見つめて、口元だけで緩く笑って、その顔をゆっくり僕の顔へ近づけてくる。長い髪を耳に掛けて、もう少しでキスができるくらいの距離でぴたりと止まって、僕に囁く。 「後悔した?」 「…何が、ですか」 「私、これからもこんなふうに怜にいじわるしたくなっちゃうよ」 「……さん…」 「こんな私のこと好きだって言って、後悔してる?」 付き合うって言って、後悔してる?僕の瞳の奥を見つめながら、さんは尋ねた。けっして逸らされることのないその視線を、僕だって逸らすことは出来なくて、見つめ合う。答えはきっともう僕の中にあって、その瞳に映るものが全てだけれど、言葉にしないと確かなものにならない。こんなのおかしいに決まってる。普通の恋人は手錠で拘束して嬉しそうな顔なんかしない。普通の恋人は、そんなことされて、こんな気持ちにはならない。ああそうだ、今更だった。僕らはきっともうずっと前からおかしくなっていたんだから、今更だ。 「後悔なんか、してないです」 僕の言葉に、さんが微笑む。それはもう、嬉しそうに、幸せそうに。僕は、そんなあなたが好きなんだ。僕のことが好きで、どうしようもないくらい好きで、おかしくなっちゃうあなたが、好きなんだ。その頬に触れたくて手を伸ばそうとしたら、腕が動かなかった。…うん、やっぱり、これは、あんまり、いいものじゃない気がしますけど。僕のことそういうふうに愛してくれるのはいいですけど、やっぱりたまには、普通の愛し合い方も、させてください。困ったように眉を下げた僕を見て、さんが笑う。動けない僕の腕の代わりに、さんの指が僕の頬を撫でて、唇が近づく。ああ、敵わないな。こんな状況で満足気に微笑む僕を見たらきっと誰か笑うだろう。だけどそれでいいんだ。僕はきっともうとらわれてる。逃げられない。だけどそれは彼女も同じ。 僕のことを離さないで。僕もあなたを離さないから。僕の、大切な、いとしいひと。 |