「ねえ、怜。シてほしいことは何かない?」

その言葉を聞いた瞬間、え、と身を強ばらせて警戒する僕に、さんは頬を膨らませた。「なあに、その反応」って。約10日後に迫った一大イベントに備えて、町のあちこちが赤や緑に飾り付けられる中、僕はそのイベントの一般的に主役とされるイエス・キリストより一足先に、さんに誕生日を祝われていた。「誕生日なんだから」という理由で、さんは僕に何か望みを叶えてあげたいようだけれど…、僕は今さっき受け取ったばかりの紙袋を見下ろす。

「いえ、そんなに気を遣っていただかなくても…プレゼント、頂きましたし…」
「物だけじゃ、私が嫌なの。何か怜の喜ぶ事がしたい」
「喜ぶこと…ですか?」
「うん。何してほしい?どうしたらよろこんでくれる?」
「……いつものように、変な意味でなく?」
「あれ、疑ってるの。だけどべつに、『そういう意味』でもいいよ?」

ひんやりとした指先が、つぅ、と僕の頬を意味ありげに撫で上げた。途端にさっと僕は身を引く。にっこり笑うさんの、その表情の下に隠された意図は、なんとなく分かる。「したい」だの「喜ばせたい」だの、彼女が遣うとどうも怪しい言葉に聞こえてしまう。あまり過剰に反応しても、逆に「あ、疑ってるんじゃなく、期待してたの?」なんて訊かれかねない。嬉々として服のボタンを外して僕に跨ってきそうだ。…誕生日にまでそんな情けないの、冗談じゃない。僕は眼鏡を押し上げて、きっぱりと、「お気持ちだけで十分ですから!」と言い切る。

「えぇ、つまんない」
「つまらなくないですよ。僕は十分、受け取りました。ありがとうございます」
「……」
「…とても不満そうな顔をしないでください」
「……だって怜、今日誕生日なのに」
「だ、だからって…さんに気遣って頂けること自体が僕には嬉しいことなので…」
「じゃあねえ、怜。決めた!私に何かしてもらうのが申し訳ないなら、考え方を変えましょう?今日は私のこと、怜の好きにしていいよ」
「なっ!?」

なんですかそれ!と抗議する暇も無く、さんは僕の胸にぴったりと体を寄せ、上目遣いに僕を見上げる。すっかり引き剥がすタイミングを失った僕は、行き場の無い両手をさんに触れない所でぐーぱーぐーぱー動かした。ずるい。僕をじぃっと見つめて、大人しく次の行動を待っているさんは、なんだかいつもより幼く見えて、可愛い。顔を赤くして目を泳がせる僕に、さんが微笑む。ああもう、もう。

「……」
「………」
「…分かりました。では一つだけ、僕のお願いを聞いてもらいましょう」
「うん?なあに?」
「……ええと、その…ですね」
「うん。言って?」
「…、…キス、を…」

意を決して口にするつもりが、言っている内に恥ずかしくなって、声の音量がどんどんしぼんでいく。けれど、「キス」という言葉を聞き取ったさんは、一瞬きょとんとして、すぐにくすくす肩を揺らした。なあんだ、そんなこと、とでも言いたげに。

「じゃあ怜、目を瞑って」
「そ、そうじゃなくて」
「え?」

やる気満々に僕の首の後ろへ腕を回したさんが、不思議そうに首を傾げる。いつも、大体、こういう流れだけど、今日は…今日だけは、僕がそんな流れを変える。すでに触れそうなくらい近い距離にさんの顔があるけれど、僕はぐっと決意を固め、さんの瞳を真っ直ぐに見つめた。

「僕から、させてください」
「…怜から?」
「は、はい…!」
「どうして?普通、祝う側から誕生日おめでとうのキスを送るものじゃない?」
「いつもさんばっかりだから、その、今日くらいは…僕からが、いいな、と…」

べつに、今までさせてくれなかったんだから、というわけではない。ただいつも、彼女の方から、が多い。それはきっと、僕が臆病すぎるのと、彼女が積極的すぎるのとで、極端になってるだけなんだろうけど。でもたまには、僕だって、という所をアピールしたい。せっかくの誕生日、と言ってくれるから、いつもは言わないわがままを言ってみたい。

「…なんだか私がプレゼントを貰うみたい」
「だ…駄目ですか?」
「ううん、駄目じゃないけど…嬉しいなって」

そう言ってはにかむ姿は、いつも余裕たっぷりの彼女とは少し違った一面で。ああなんだか実際にする前から、最高のプレゼントを貰ったような気分になる。愛しい、という気持ちが、溢れて、止まらなくなりそう。特別な日でなくたって、特別なことをしようとしなくたって、いつも、僕は貴女にたくさん、貰ってばかりだ。だって今日の僕の幸せは、さんのいろんな顔が見られること。一緒に過ごせること。同じ気持ちで、笑えること。貴女が目の前にいるのなら、それだけで、幸せな誕生日になる。

「…ありがとうございます。さん」

小さくささやいて、その頬に触れる。ぴくりと一瞬反応を見せたかと思えば、すぐに彼女は笑った。ふわりと、きれいにわらう。僕の目の前で、僕の言葉に、触れた手に、彼女が微笑む。それだけで、僕はいつだって、世界で一番幸せな男になったような気になるんだ。「…目を、閉じて」



キスはあまい魔法の味
今日はもっともっと、僕を幸せな男にしてください。(それが出来るのは、貴女だけなんだ)