正直、初めてその人と顔を合わせた時、緊張した。だって、俺の新しい主だ。俺を、新しく、可愛がってくれる人。どんな人だろうか。俺を着飾ってくれる?俺を、愛してくれるかな。もし、愛されなかったら、どうしよう。気に入ってくれなかったら、どうしよう。本当は、少し、不安もあったんだ。

「あー…えーと、俺、加州清光。川の下の子、河原の子、ってね」

 そう名前を名乗って、心のどっかにつっかえてる不安を誤魔化すように、小さく息を吐いて、す、と視線を主に向ける。俺の新しい主は、俺の顔を呆然と見つめていた。押し込めようとしていた不安が少しだけ、じわりと、胸の中で滲む。ほそっこい体をしているその人は、俺を見て、今、何を思っているのだろう。向けられた視線の真意が分からずに、「扱いにくいけど、性能は…」そこまで言いかけた時、目の前の人物の顔色が変わる。はっとしたように姿勢を正して、それから、思いもよらない行動に出た。

「わ、わ、私は、本日より審神者として、お世話になる者です!ふ、不束者ですが、よろしくお願い致します!」

 そう言って、床に頭を付けるくらいの深々としたお辞儀。深々と。ほんと。こう見るとますます小さい体。今度は俺がぽかんとする番だった。俺じゃなくてもぽかんとするだろう、これ。逆でしょ、お世話になるの俺でしょ、主はそっちでしょ。俺がせっかく親しみやすそうな感じを出したくてああいう自己紹介したのに、すごく堅苦しい自己紹介返された。なんで頭を下げられているのか分からず混乱する俺に構わずに、その人はまだ頭を上げないまま、早口にぺらぺら喋り出す。ぺらぺら、って言っても、どう聞いたってそれは喋ることが苦手な人間のソレだったけど。

「あ、あの、突然、目覚めさせて、お呼び立てしてしまってすみません。ですが、今、ええと、今は2205年なのですが、困ったことが起きておりまして、それを解決するためには、貴方のような付喪神様のお力が必要なのです…!あっいやあのこれじゃあ説明不足ですよね、その、ですね、歴史を…」
「あー…あの、さ」
「ごっごめんなさいわたし説明が本当下手で!」
「とりあえず、顔上げてくんない…?」

 ハイッ!と慌てて勢いよく顔を上げたその人の顔を、俺は身を乗り出してじっと見つめる。相手もびくっと一瞬身を強ばらせながらも、おとなしく…というか、硬直してる。近くで見ると、その人の肌は白く、睫毛は長くて、目はくりくりしてて、髪も艶があって綺麗で。まじまじと、上から下まで観察する。その時、ふと、床に付いた彼女の細い指が、震えているのに気づく。視線をぐるぐると彷徨わせて、肩を強張らせて。それは、なんというか、見ているこっちがかわいそうになるくらいの、「緊張」だった。

「…なんとなく、分かってるよ?俺が此処に呼ばれた理由」
「あ…そ、そう…ですか。じゃあ、私の説明なんか、その、要らないですよね。あ、でも、説明は政府からの資料とか……、あ、あれ…?これって見せてもいいんだったかな…、あ、その、ですね…」
「いいって。戦う理由はとにかく置いといて、さ」

 気付いたら俺は、だいぶ肩の力が抜けていた。だって、拍子抜けだろ。新しい主はどんな人かな、気に入ってくれるかな、気に入られなくっちゃ…、なんて心配や緊張は、俺以上に…俺なんかとは比べ物にならないくらいに、緊張して、不安そうなこの人を見たら、吹っ飛んでしまっていた。

「アンタが、俺の新しい主なんだよね?」

 俺を、可愛がってくれる人、なんだよね?まず確かめたいのは、それだった。どんな理由で此処にいるのかだとか、何をすればいいのか、誰を倒せばいいのか。それは、後で聞くから。まずは、はっきりと、俺に教えて。俺を必要としてくれているのは、誰なのか。俺を可愛がってくれるって、言って。そうしたら、主の言う通りに、望むままに、戦えるから。
 その人は、俺の瞳をまあるいその目で見つめ返して、小さく息を呑んだ。それから、意を決するようにきゅっと指を固く握って、…何か格好付く事を言ってくれると思ったのに、結局は視線を泳がせて、言った。

「主…というか…その…そんな、恐れ多い…此方が貴方様のお力を借りたくて勝手に…」
「…腰低すぎ」
「ご、ごめんなさい…私なんかに呼び出されて、あの、め、迷惑ですよね…加州清光様の本来の主様はとても立派で…」
「卑屈すぎ」
「うっ…」
「でも、分かった。俺の新しい主が、どういう人間なのか」

 彼女は俺の言葉に目をまたたかせて、戸惑ったように首を傾げる。

「俺のこと、必要としてくれるんだよね?」

 そう続けると、主は今度こそ迷いなく、唇をきゅっと結び、真っ直ぐに俺を見つめて、大きく頷いた。広い部屋には、俺と主ふたりきりだった。その時はまだ、俺が主にとって「初めての刀」だとは知らなかった。今は俺と主二人だけれど、これからどんどん仲間も増えて、何十人という大所帯になって、賑やかになるなんて、俺も主もまだ想像もしていなかった。だけどどんなに仲間が増えたって、主の「最初の刀」は俺なんだ、って、それが今になっては誇らしい。

「力を、お借りしたいです。共に戦っていただけますか?」
「…その代わり、可愛がってほしーな」
「かわ…!? は、はい!がんばります!」
「ん!俺のこと、大事にしてね」







「あ、ここにいらしたんですね」

 探していた人物の後ろ姿を見付けて声を掛けると、その人が大袈裟にびくっと肩を揺らした。その反応にこちらまでどきっとして、何かまずいことをしてしまっただろうか、と不安になる。彼――加州清光様は、罰が悪そうにぎぎぎとこちらを振り返ると、しゅんとしたように視線を落とした。何か、あったんだろうか。様子が少しおかしい。私は躊躇いがちに、一歩、二歩、少しずつ近付いた。

「あの…次の出陣に備えて皆で少しお話をしたくて…探していたのですが…」
「…うん、分かった」
「……」
「…」
「あ、あの…?話しにくいことだったら無理にとは言いませんが…その…何かあったのですか?」
「……なくしちゃった」
「無くし物、ですか?…あ、じゃあ私も一緒に探して…」
「……」
「え、ええと…何を、なくされたんですか?」

 私が落ち込む彼のすぐ傍までやってくると、彼は静かに、そっと顔を上げて此方を見た。眉を下げて、悲しそうな表情。よっぽど大切なものを無くしてしまったんだろう。無くしてしまったことが、よっぽど悲しいんだろう。少しでも力になりたくて、彼の言葉を待っていたら、彼は小さな小さな声で、ぽつりと、「爪磨き」と呟いた。きょとん、と目を丸くする私。

「主がくれた、爪磨くやつ」
「…え、あ…そ、それだけですか?そんなに落ち込まなくったって…」
「落ち込むよ。主が、俺にくれたんだ。主がくれるものはなんだって嬉しいよ。俺の爪、綺麗にできるようにって、俺を、可愛がってくれたのに。俺のこと可愛がってくれてるっていう、証だったのに」

 自分の指先を、じ、と見つめて、悲しそうに眉を寄せる。その横顔を見ると、「それくらいで落ち込まなくたって」と思っていたはずなのに、なんだか自分まで胸が痛くなった。彼の指先、綺麗な形の爪には、目を引く赤が差してある。その赤を、指を、あんまりにも悲しそうに寂しそうに見つめるから。

「…新しいのを、買ってきますよ」
「……代わりを用意してくれてもさ、最初に貰ったのを失くしたっていう事実は変わらないよ。…へこむ」
「だけどそれと同じように、最初の物を私があげた事実だって変わらない…です」
「…でも」
「形としては手元から無くなってしまっても、あげたときの、私の、その…貴方への気持ちが、消えるわけじゃないです。その、愛情の証、だと思ってくれるのならやっぱり、何個あったって、いいと思うんです。だって一個じゃ足りないのですよ。収まりきれない。だから、新しいものを用意しますね!」

 こんなこと、したら、迷惑かもしれないけれど。そう思いながらも、私はおずおずと、彼の手を取る。指先を両手で包んで、「爪磨き、大事にしてくれてありがとうございます」と、つぶやく。彼の手はいつも綺麗。お顔だって整っていて、初めて見たとき、見惚れてしまったくらい。そうだ、なつかしいな、もう、どのくらい経ったのだろう。清光様と初めて言葉を交わしてから、どれくらい。今でこそ仲間が増えて、新しい刀がやってくる度の挨拶もスムーズに行くようになったけど、清光様は私にとって初めての刀で、どう接していいのか右も左も分からなくて、とっても迷惑を掛けたっけ。一番長く、私と時間を過ごしてくれている。だからきっと、迷惑も一番、掛けているんだろうな。なんだか途端に申し訳なく感じて思わず手を離すと、今度は、彼の方から私の手を捕まえた。

「…俺からも、言わせて」
「え…」
「俺のこと、大事にしてくれてありがと」

 耳を疑い、目を見開く。私の手をきゅ、と握る清光様の指先は、綺麗。お顔も、きれい。近い距離で視線を絡ませて、彼は口元に笑みを浮かべる。カーッと胸に込み上げてくるものを感じて、思わず顔を伏せた。嬉しい。でも照れくさいような不思議な気持ち。ありがとう、だなんて。他のどの刀に言われるより、嬉しい気がした。一番、たくさん、いつも迷惑を掛けているのに。

「あれ、耳真っ赤だよ?」
「え、あ…だ、だって、その、照れくさい、ような」
「えぇ?」
「だって…覚えていますか?あの日、約束したでしょう?戦ってもらう代わりに、私は、可愛がる、って」
「…うん。覚えてる」
「私、不安だったんです…可愛がるって…どうすればいいのか…。貴方の事が大事だ、って伝わっているのかなって」

 贈り物をすれば、執拗に声を掛ければ、…それが「可愛がっている」と言えるんだろうか。分からないけど、いつも伝えたかった。私はとっても、あなたが大事なんですよ、って。必要としているんですよ、って。愛される理由を、愛されてる証を、いつも自分の身の回りに探す人だから。
 そっと視線を上げれば、彼は少し困ったように眉を下げて、私の手元を見ていた。否、私の手だけじゃなくて、私の手と、それを包む自身の手。二人を繋ぐその手元を、苦笑して見つめていた。

「うん、分かってるつもり。主は何事も一生懸命だからさー、嘘吐けないからさー、どうにか、自分の出来る方法全部使って、精一杯言葉選んで、俺を愛そうって思ってくれてるの、伝わってる」
「…よかったです」
「けど、俺の方こそ、目に見える何かが無いとすぐ不安になっちゃってさあ…、…ごめんね?」
「そんな、貴方が謝ることなんて…」
「俺、もっと可愛くなるから、可愛くするから…、変わらずに、愛してほしい」
「……あの…」
「駄目?」

 苦笑いを浮かべながらも、触れている指先が頼りなさげに震えていた。怖いことを尋ねているみたいに。答えに身構えているみたいに。緊張がこちらにも伝わってくる。いつも私を、卑屈すぎ、とか、腰低すぎ、とか言うけれど、きっと、この人だって私に負けないくらい、臆病で、弱いひと、なのかもしれない。それなのに自分よりもびくびくしている私を見ると、いつも勇気づけてくれる。いつだって自分の不安を押しとどめて、私の不安を取り除いてくれた。ならば。今、緊張しているのが、彼なら。不安な思いをしているのが、彼なら。私のするべきことは、いつも彼がしてくれること。それを、返せばいい。

「もう十分に、貴方は…可愛いひとですよ?」

 にこ、と微笑んで、嘘なんて一つもない、心からの言葉を告げる。彼が私の瞳を見た。指の震えは止まっていた。

「…、…ほんと?」
「はい、とっても!」
「っ…主は、いつもおどおどしてるくせに、ここぞというとき恥ずかしい事平気で言うよねっ!」
「えっ!!そ、そんな、その、それは、清光様だって、いつも、此方が照れるような事をおっしゃるじゃないですか!?」

 目に見えて彼が照れるものだから、私まで恥ずかしくなってしまう。いや、実際、もしかしたら、私は恥ずかしいことをたくさん口にしているのかもしれないけれど。冷静になったときに少し、反省するかもしれない。けど、今は冷静になんてなっていられない。「さ!皆さんのところに戻りましょう!」って誤魔化すように駆け出す。先に腕を引っぱったのは私の方だったのに、すぐに彼は私を追い抜いて、形勢逆転。今度は私が、彼に手を引かれる。「うん、行こっか」って、彼の笑った声。(私、今なら、どこまでも進んでいける気がします。きっと貴方が共に歩んでくれるから。)