「……ふう…」
「はあ……」
「…もう一本あけるか」
「あけちゃいましょう…」

 ぼんやりと内容の無いテレビを流しながら、酒の空き缶だけがテーブルの上に増えていく。裏道さんの目はテレビに向かっていたけれど、瞳には全然光が無かったので、恐らく頭に入っていない。かくいう私も同じようなもので、テレビから笑い声がきこえているのは分かっていても、「笑い…声…?ワラウって…なんだっけな…」というくらい心の扉が静かに閉ざされていた。しばらくずっとそんな時間だった。帰宅した相手の顔を見て、お互い「あ、今日も疲れてるな…人生に…」と察する日々。「おかえり」より「お疲れ…」が先に出てしまうこともある。

「……またえらいひとに無茶ぶりされて心をすり減らしてきたんですか、裏道さん」
「……フッ」
「…ふふ……」
「そっちはまた…パワハラ上司にプレゼンの駄目だしされた上に資料の作り直しで残業か…」
「うふ…」

 お互い、なんにも楽しいことなんかないのに笑いが零れる。ぜんぜん目が笑ってなくておそらく傍から見たら異常な光景だ。それでも仕事終わりに二人で酒を飲むこの時間が、私は唯一の…、…唯一のなんだろう。「楽しみ」とか「至福」とか、そんな圧倒的光の時間ではない気がした。明るい空間ではなく、どっちかっていうとどよーんとじめじめした、この時間。私がそう思うんだから、たぶん裏道さんだってそう思っているはず。

「……人生って…なんなんでしょうね……生きづらい気持ちのまま必死に社会にしがみついて……」
「それを考え始めると虚無な気持ちのまま二時間くらい平気で経つぞ。やめとけ」
「私ってなんのために生きているんだろう……」
「やめろ……」
「なんのために裏道さんと一緒にいるんだろう…」
「エッ?何?急に?エッ?」
「だって…裏道さんを慰めたり元気づけたり癒したりとか、全然してない……」

 空になったチューハイの缶をテーブルにすとんと置いて、呟く。テレビを見るふりをして虚空を眺めていた裏道さんの視線が、私に向けられる。いつのまにか多少は瞳にハイライトが入っていた。多少。

「もっとこう…支えるために…いっしょにいるんじゃないのかな……その人の人生を少しでも楽しくするような…そんな存在であるべきなんじゃないのかな…恋人って……」
…」
「もっと話聞いて慰めたり…嫌なこと忘れさせるくらい楽しくさせたり…それができない私って…恋人としている意味あるのかな……いつも一緒になって溜息吐いて…自分だって苦労してますみたいな疲れた顔ばっかして……」
「………」
「……裏道さん…」
「それは俺への最大限のブーメランだろ」
「そんなつもりじゃ」

 本当にそんなつもりじゃなかった。戻りかけた裏道さんの瞳のハイライトがまた消えかかっている気がして、私はちょっと身を乗り出して前のめりに「裏道さんにそういうの求めてないので!期待してないので!」と言い切った。言い切るのもどうかと思うけど、言い切った。裏道さんが私の顔を見る。じ、と思いのほか真剣な目で。

「俺だって求めてない。恋人は恋人。社会の理不尽さに疲れた人間のためのメンタルケアの道具じゃないし、その役に立たなければ一緒にいる意味ないとか、エゴにもほどがある」
「……でも裏道さん……私達二人ともメンタルやられ気味で情緒不安定とか、破滅の道しか見えなくないですか。せめて片方は精神健康でいないと…いつか共倒れしてしまう気がする……」
「……そういわれると途端に深刻に思えてきた」

 しゅん…というかもう、どよーんとお葬式ムードで肩を落とす私につられるように裏道さんも視線を落とす。ああ、空元気でもあかるくいなくてはとも思うのに。私が裏道さんを支えたい、励ましたい、意味がある存在になりたいと、思うのに。根っこがどうしてもネガティブすぎて、うまくいかない。世のカップルはきっともっとキラキラしているのに。きゃっきゃうふふして、幸せそうなものなのに。私はちっともこの人を幸せにできない気がして、唇を噛む。
 だけどその様子を、いつの間にか視線を上げていた裏道さんに見られていた。そしてその直後静かに口を開く裏道さん。こういうときの声は、いつだって真剣で、どこかやさしい。

「……
「…はい……」
「俺は、お前と付き合うまで、どんだけ疲れて帰っても部屋には誰もいないし、一人で無言で酒飲んで煙草吸って筋トレしてるだけだった」
「はい……察しがつきます…」
「それが今は一緒に溜息吐く相手がいる。一緒に酒も飲む。自分の人生この先も一人でいいとか、一人を当たり前に思ってた人間が、他人を好きになって他人と……好きな相手と過ごしてるんだよ」
「……」
「それは、お前の言う『意味』にはならないのか?」

 諭すような言葉に聞こえるけど、ほんの少し拗ねたように、「そう思ってるのは自分だけか?」って言われている気がした。テーブルの上の私の手に、裏道さんの骨ばった大きな手が重なる。泣いてる小さい子にするみたいに、顔をちょっと低い位置から覗き込まれた。ふ、と笑うその顔は、子供たちに向けるものとは絶対に違うけど。

「メンタルケアの道具じゃないとは言ったけど、俺は結構に救われてるところあるよ」
「…私も。いざとなればマッチョな裏道さんがあの上司を絞め殺してくれるって思ったら、元気出ます」
「それは俺が社会的に死ぬけど」
「これでいいんですね、裏道さん」
「なにが?」
「幸せにするとかしないとかじゃなくて、『好き』ってだけで、一緒にいていいんですね」

 私に向けるその笑顔が、きっと何より優しいから。それが答えなのだとわかるから、私は明日も生きていけて、好きなだけ人生に迷って行き詰って、あなたの手のぬくもりと優しさに、気付き続けることができる。私もね、救われてるよ、裏道さん。


おそろいのお似合い