|
「…宝木さん。これ、この前言っていた楽譜」 昼休み。教室の真ん中でおしゃべりに花を咲かせていた女の子集団の中に、黒のヘッドフォンを耳に掛けた女の子が、紙の束を片手に近づいた。ぴたりと女の子たちのおしゃべりは止まって、たからぎさん、と呼ばれた女の子が首だけで振り返る。他の子達の視線も、ヘッドフォンの女の子に注がれた。だけど、彼女は先ほどの一言を告げたあとは何も言わずにじっと押し黙っている。宝木さんが「ああ、ありがと」と言って紙の束を受け取ると、彼女…ちゃんがわずかに頭を下げて、自分の席へ戻る。「ええ〜…さん暗っ」という若干引き攣ったような笑い声。アタシの耳には入った。無音のヘッドフォンを突き抜けて、あの子の耳に入ったかは分からない。
03:はじまりのファンファーレ
「いっつもヘッドフォンつけてるし、全然喋んないよね」 「何考えてるか分かんないよねえ。でもヘッドフォンしてるからこっちの話も聞いてないだろうし」 「意思疎通する気ありません!って感じだよね〜。なんかじっと見てくる視線も怖いし」 「しーっ!…って、まあ聞こえてないか」 「あ、でも音楽センスはすごくいいみたいよ。シャイニーさんに褒められてて…だからほらっ!あの人の作った曲のスコア!ゲット〜」 「へー!見せて見せてー!」 自分の貰ったラブレターを友達に見せびらかす中学生みたいだなって、少し呆れた。本人に聞こえなきゃいいって問題じゃないと思うのに。聞こえたって、彼女たちは特に後ろめたさも抱かないのかもしれないけど。自分も入学当初、「あの子、あんなに可愛いけど男の子なんだって」とひそひそ指をさされたことを思い出した。龍也なんかも不良だヤンキーだーって未だ一部にビクビク避けられてるし。っていうかそもそもあの子!どうして作った曲の楽譜を親しくもない人に見せちゃうのかしら!盗作されちゃったら…とか、アタシの考えすぎ?一人で悶々としていたら、視界の隅でちゃんが自分の席から立ち上がるのが見えた。そのまま、お弁当袋とペットボトルのオレンジジュースを持って教室を出ようとするから、あたしは駆け寄って彼女に声を掛けた。「ねえ、ちゃん!」ヘッドフォンをしていたって、やっぱりすぐにちゃんは振り返る。ぼんやりとした瞳が、私を見上げた。 「龍也とハルハル、シャイニーに雑用頼まれてどっか連れて行かれちゃったの。先に屋上行くなら、アタシと一緒に行きましょ」 「……、…えっ?」 ぼうっとした瞳が、みるみる丸くなって、大きく見開かれる。耳を疑う、といった表現がぴったりなその反応に、こっちまでびっくりしてしまう。何か変なこと言っちゃった?あ、もしかして今日は屋上じゃなくて別のところで食べようって連絡が、アタシより先に伝わってたのかしら。ハルハル、気まぐれだものね。学食で食べようって日もあるし、中庭でっていう日もあるし。何か言いたげに口を開け閉めするちゃんに、首を傾げる。すると言葉を飲み込むように一度押し黙り、それからそっと、彼女は口を開いた。 「私…、今日は約束、してない」 「…え?あっ!もしかして一緒に食べるのって、昨日だけの約束だったの?普段は別の子と食べてるのね」 「そういうわけじゃ…。でも、今日は一緒に食べてもいいか、春輝に聞いてない」 「ハルハル、昨日『今日だけだからね』なんて言った?」 「…言ってない」 「ならいーじゃない!」 「えっ?…で、でも、『明日もだからね』なんて言ってない…」 ぽつぽつと続く会話に、少し焦れったさを覚える。だけど全然嫌な気持ちなんかではなくって、一種の微笑ましさも一緒に抱いた。おどおどあわあわしつつ、必死に言葉を探しているのが伝わってくる。ああもう、この子って本当、昨日も思ったけど…素直なのよねえ。きっと。困ったように眉をハの字にさせて、俯いて、だけどちらちらとあたしの顔を見上げて。「りっ、…」何か言おうと、その一文字だけ口にして、もごもごと口ごもる。なかなかまだ、たしかに意思疎通はできないかもしれない。だけど、でも、だから。あたしはとびきりかわいくウインクし、手を引いて連れだした。 「ハルハルの答えなら、待たなくったっていいわ!今日はアタシが誘うもの。ね!一緒にご飯食べましょ!」 屋上の扉を開けると、視界いっぱいに空が広がってすごく開放的な気分になる。大きく伸びをして、くるりと後ろを振り返れば、いつのまにかヘッドフォンの位置を耳から首に移したちゃんが躊躇いがちに屋上へと一歩踏み出していた。やっぱりあたしと二人きりは気まずいかしら。昨日の今日だものね。(いや、でもハルハルだってその短期間ですっごく仲良くなってたんだし)自分でも少しびっくりするくらい、強引になっちゃったけど。普段だったらもう少し、遠慮はあるのよ。龍也にはないけど。だけど、何故だか放っておけないって思っちゃった。この子のこと。 「あの…りっ…、…私、迷惑じゃない?」 放っておけないって思っていた矢先にそんな質問されて、キョトンとあたしは目をまたたいた。ちゃんはぎゅっと自分の手首を押さえて、視線を足元に落として俯いていた。どんな表情で訊いてきたかは分からない。いつもみたいにどこかぼんやりと、感情に乏しい顔をしているかもしれない。迷惑なわけないでしょ!ってとにかく言い張っていれば納得するっていうものでもないわよね。あたしはちょっとだけ苦笑いして、あのね、って切り出す。 「そんなこと言うなら、アタシに強引に連れて来られて、迷惑じゃなかった?」 「迷惑なんか…かかってない」 「んー、ほら、アタシもね?龍也の噂ほどかは分からないけど、こんな見た目だし、変なのーって周りに言われること多いのよ。だから、貴女が嫌だったら…」 「りっ」 「…え?『り』?」 「……なんでもない」 「そ、そう?」 「変じゃない。ぜんぜん、まったく」 すっと顔を上げて、あたしの目をまっすぐに見て、告げる。長めの前髪の下から覗く瞳は、真剣そのもの。切実ささえ感じた。…変じゃない、って…あたしのこと、よね、きっと。主語がなかったから曖昧ではあるけど、彼女はあたしにそう言ってくれたんだ。なんだか自分で話を振ったのに、照れくささに勝てそうにない。すぐには返事が浮かばなくてまばたきを繰り返すあたしに、ちゃんも恥ずかしさがこみあげてきたようで、視線をパッと下げた。だけど小さな声で、付け加える。 「それに、私も変なのって言われる。喋らないから。ヘッドフォンだし」 「…それはー…ねえちゃん、ヘッドフォン耳につけてても、外の音は聞こえるの?」 「うん。音楽は聞いてないから」 「それでも、耳が覆われてるのには変わりないじゃない?」 「私、すごく耳がいい。聞こえてる」 「そうなの…」 「でも、小さな声は、拾えなくてもいいと思う。…陰口、とか」 最後の方は、それこそ小さな小さな声だった。俯く彼女は、確かに多くは語らないけれど、だけどきっと、理由があるんだろうなって思う。「落ち着くからヘッドフォンしてる」って言っていたけど、きっとその一言には、見えない部分にたくさん彼女の葛藤や思いが詰まってるんだ。きっとそうだろうな、って思ってしまう。彼女のさみしげに伏せられた長い睫毛を見つめて、あたしはちょっとだけ困ったように微笑む。 「それでも最近ヘッドフォン外すことが増えたのは、ハルハル…春輝が何か関係してるの?」 尋ねれば、彼女は顔を上げてキョトンとする。少しの間押し黙って、だけど次の瞬間にはパッと頬を赤くした。「は、春輝は、ただ…その…」ごにょごにょと口ごもり、指先をこすりあわせたり、俯いたり、落ち着きなくあたふたしてようやく、続きを口にする。(あ、なんかちょっと、感づいちゃったかも) 「素敵な音を、くれたの。周りの音ちゃんと聞かなきゃ勿体無いって、言ってた」 噛みしめるように、言い聞かせるように、あたしに教えるというよりは自分自身へ確かめる彼女。さっきまでの寂しそうな表情なんて、どっかにいっちゃった。大切な思い出を掘り起こして、うっとりと眺めてるみたいな、そんな、嬉しそうで幸せそうな表情。そうさせたのは紛れも無くハルハルの存在。うん、やっぱりちょっと、気づいちゃったな。この子、春輝の傍にいるときとか、春輝の話をするときとか、すっごく可愛い顔してる。それってやっぱり、そーゆーこと。なんだか微笑ましくなってふふふと笑ったら、ちょうどそのとき屋上の扉が音を立てて開いた。 「お待たせ〜…リンちゃん、ちゃん」 「つっかれた…なんなんだよあのオッサン…生徒二人に頼む雑用の量じゃねえだろアレ」 珍しく消耗しきった様子のハルハルと龍也が屋上に顔を出す。さすがシャイニー。また無茶なことやらせたんでしょうね。あたしはにっこり笑って、空に向かって腕を突き出し、ぶんぶん手を振る。「お疲れ様ぁ、ふたりとも!」わざときゃぴきゃぴ明るい声で言ってみるけど、龍也に怖い顔で睨まれた。あらあら、本当にお疲れでイライラしてらっしゃる。 「お疲れ様ーじゃねえんだよ!手伝いもせずに見捨てやがって!」 「ええ〜?人聞き悪いこと言わないでよぉ。シャイニーが二人を指名したんじゃない!」 「お前が逃げただけだろうが!」 「…お疲れ様。春輝」 「ありがとう、ちゃん」 「俺にはねえのかコラ」 「……龍也疲れてるね」 「『お疲れ様』だろ!」 「あ!でもね、シャイニーさんがご褒美にジュースくれたんだよ」 「ジュース一本じゃ割に合わねえけどな」 「うん、だから二本だけじゃなく、二人の分も貰ってきたんだ。はい、リンちゃん」 「ありがとー!」 冷たい缶ジュースをにこにこ笑顔のハルハルから受け取って、そのニコニコがうつったようにあたしも上機嫌に笑う。龍也に「手伝ってねえくせに!」とか言われそうだなーって思ったけど、シャイニーを負かすことのほうが龍也にとっては大きいだろうから、多分龍也も納得の上であたしにこのジュースが渡ったんだと思う。「どーせなら一本じゃなく人数分よこせ!」なんて言い出したの、龍也でしょうし。得しちゃった! 「はい、ちゃんにも!」 あたしに渡した次に、ハルハルが缶ジュースをちゃんに差し出す。にこにこ笑顔を、彼女はキョトンとした顔で見上げていた。薄く開いた唇が、何かを言いたそうにぱくぱく動く。そんな彼女に、笑顔のまま首を傾げたハルハルは、「他のジュースがいい?」って訊いて、自分のジュースと交換しようかと提案しかける。だけどその声が、ちゃんの声に遮られた。 「ジュース、私もらっていいの?」 「え?うん。もっちろん」 「私、手伝ってないし…それに…」 「何小さいことで遠慮してんだよ。林檎を見ろ」 「あ、何よっ!一度貰ったものは返しませんからねっ」 「ほらな。遠慮なんかしやしねえ」 「あはは」 「…なんで、私の分…?私がいるって、しってたの?私、今日は一緒にご飯の約束、してないのに」 今度はちゃんでなくハルハルと龍也がキョトンとする番だった。そんな二人を交互に見上げて、何か変なこと訊いちゃったかな、と戸惑ったように彼女は視線をみるみる降下させる。隣にいたあたしがプッと吹き出すと、びくりと肩が跳ねて、こっちを見た。眉を下げて、はてなマークを頭につけて、彼女は不安そうだ。ごめんごめん、だって、なんだかおかしいんだもの。ひとりでそんなにびっくりしてるの。あたしの気持ちを読み取ったように、ハルハルもまた笑い出す。それにさらに彼女が焦る。ほらねやっぱり、おかしくってかわいい。 「なんで笑うの」 「ふふ、だってなんだかちゃん…おかしくって」 「私、へん?」 「だって僕、昨日だけの約束だなんて思ってなかったよ?」 「…私は、昨日からずっとの約束だなんて思ってなかった」 「今日は来たくなかった?」 「違う。…き、きたかった…少し」 「えー、少しかぁ…」 「す…少しじゃない!いっぱい」 拗ねたふりをしたハルハルに、ちゃんが慌てて自分の言葉を訂正する。(それにしても「いっぱい」って!あの慌てようも見ていて飽きないわ)まあ、照れ隠しに「少し」って付け加えたのはバレバレだったから、きっと…あたしが誘って正解だったんだろうって思うことにした。龍也も肩を竦めて、やれやれと呆れた表情を浮かべる。昨日は「なんでいるんだ」みたいな反応だったけど、きっと今日ここにちゃんがいなかったら、「今日はアイツ来ないのか」って絶対聞いてたわ。うん、そうに違いない。ひとりでうんうん頷いていたら、龍也と目が合って「なんだよ」って訊かれた。 「でも、今日も来てくれてよかった!」 「今日は、り…りんちゃんが誘ってくれたから」 龍也に「なんでもなーい」って笑って答えようとした瞬間、隣から聞こえたその会話にぴくりと耳が動く。ハルハルに対しての言葉だったんだろうけど、その中に、「りんちゃん」って単語が入ってた。くるりと首だけで振り返って、声の主を見る。その視線に気づいて彼女がそっと目を合わせてきた。「りんちゃん」…そう、そっか。お昼誘った時からずっと何か言いたそうに、「りっ」って繰り返してたのって、あたしの名前か。呼ぼうとして、でも恥ずかしくて、迷ってたって感じかな。やっと呼んでくれた。そう、なるほど、あたしは『りんちゃん』なのね!思わず緩んだ口元を、誤魔化すように声を上げた。 「さ!お昼休み終わっちゃうわ、早くご飯食べましょ!」 「…うん。おなかすいた」 「僕もたくさん働いたらお腹へっちゃったよ〜」 「ハルハルはいつもお腹すかせ…す、すかせてるとしてもその量はどうなのかしら…」 「え?いつもよりちょっと多めくらいだよ?」 「、お前メシそれだけで足りんのか?」 「足りる。…それに今日はジュースが一本多い…!」 「いや、嬉しそうで何よりだがジュースで腹は膨れねえだろ」 「…あ」 「なんだ」 「どうかした?」 「ジュースありがとう」 「お、おう」 「ふふ、どういたしまして」 「あ、じゃあ四人の手にジュースが渡ったことだし、乾杯しましょうか!」 「いや、何にだよ」 「なんとなくよ!」 「うん、いいね、乾杯しよう!」 「缶、あけてからのほうがいい?」 聞きながらも爪の先でカチカチとプルタブを引っ掻いてるちゃんは、缶相手に苦戦しているように見える。(いきなりの乾杯っていうノリにあまり動じてないので順応性はきっと高いのね!)見かねたハルハルが手を伸ばすので、彼女はおずおずとそれを渡す。あら、なんだかいいコンビじゃない?微笑ましい。今まで三人だった空間に、一人の女の子が入って。どう変わっちゃうのかなって思いもあったけど、なんだか楽しくなりそうな予感。よくよく考えると、変わり者四人の集まりって感じするわね。あの子は「ちっとも変じゃないよ」って言ってくれたけど、四人セットなら、なんだか周りになんて言われてもいいかなって思っちゃう。なーんて、ね。 さあ、声をあわせて乾杯。あらためて、これからよろしくね。 |