「あ、ねえねえ龍也!昨日言ってた部分のアレンジなんだけど、僕いいの思いついたんだ!」

そう言って、どこから出したのか、春輝が小さな字で書き込んだ何枚かの楽譜が、龍也の眼前にピッと差し出される。こういうときの春輝の顔は決まって、ぴかぴかに磨かれたような満面の笑みだ。曲を作るのが楽しくてしょうがない、龍也に歌ってもらえるのが楽しみでしょうがない。そんな笑顔。龍也はちょっと呆れたようなふりをして苦笑するけれど、明らかに、嬉しそうだ。そんな二人を、すぐ近くでは見つめる。昼食のサンドウィッチを一口かじるも、龍也と春輝をじーっと見つめるのに夢中で、飲み込む作業を忘れる。ゆっくり、もぐもぐと口の中をさまようだけで、なかなか飲み込む作業にうつらない。そんなに気づいてか、林檎が「どーしたの?」と声を掛ける。二人から視線を外して林檎と顔を合わせた時、ようやく彼女の喉もとからゴクンと音が鳴った。

「龍也はずるい」
「え?」

05:近づきたいので




きょとんとした声をあげた林檎も、が先ほどまで食い入るように見ていた光景を改めて目で追うと、ああ、と納得する。二人が、楽しそうにわいわい意見を交換しあっている。歌について。龍也の歌について。いや、龍也と春輝、ふたりの歌について、だ。の言いたいことは、なんとなくわかった。心なしかむすっとした表情のを見れば、その「なんとなく」も徐々に確信に変わってくる。

「すーぐハルハルをひとりじめしちゃうものね〜。龍也ってば」
「…うん。ずるい」

そもそも初めて一緒に屋上でご飯を食べた時から龍也の印象はの中であまりよくないのかもしれない。春輝と林檎に対してはすっかり「なついている」だが、龍也への対応はどこかツンとしている。龍也いわく、「俺の扱いだけ雑」だそうだ。どうして出会って早々彼女の中でそんな扱いに位置づいたのかは分からないが、ここ最近、どうやら決定的な「理由」が出来てしまったらしい。が心底なついている春輝が、心底信頼を寄せている相手だから。暇さえあれば龍也に「こんな曲どうかな!」等と話しかけに行く春輝。その横顔を、はじぃっと見つめ、だんだんと「むむむ」と複雑そうな視線に変えるのだ。ある種のやきもち、だと林檎は思う。本人がどう自覚しているのかは分からないけれど。

「……二人は、仲が良いからパートナーなの?パートナーだから仲が良いの?」

楽譜を覗き込みながらああだこうだと言い合って、だけど意見のぶつかり合いというよりはお互いに楽しそうな表情を浮かべている龍也と春輝を眺めて、ぽつりとが呟いた。独り言のように、無意識に零れたようなそんなつぶやき。どこか遠く眩しいものを見つめるように、目を細めた。林檎は昼食を食べる手を休めて、真似るようにの視線の先を見る。がどんな気持ちでそう言ったのかは分からないけれど、今返事をするのは、自分の役目だ。なんとなく、独り言にしたくない一言だったから、その声を拾わずにはいられない。

「なぞなぞみたいなことを言うのねぇ」
「りんちゃんのパートナーも、春輝なんでしょう?」
「ええ。…まあ、シャイニーに無理を言ってパートナーにしてもらったんだけど…」
「そう…」
「アタシのパートナーでもあるけど、やっぱりハルハルって心底龍也の声に惚れ込んでるでしょう?も〜、妬けちゃうわよねっ!」

もともと林檎のパートナーは春輝ではない。林檎は当初、別の人間と組んでいた。けれど…ある時本人曰く「逃げられた」だそうだ。そしてシャイニーに頼みこみ、春輝が龍也と林檎、二人のパートナーを務めるという事態が発生した。わりと校内中に知れ渡っているのかと林檎本人は思っていたが、にこの出来事の説明をした際目をぱちくりさせていた。「春輝が龍也のパートナーだというのはなんとなく知っていたけど、りんちゃんのパートナーでもあるというのは知らなかった」だそうだ。やっぱりどうも、龍也と春輝は最初から正規のパートナーだし二人セットなイメージがあるけれど、自分は後からパートナーになってもらったせいで、周囲にまだまだ認知されてないらしい。

「ちょっとハルハルぅ!たまにはアタシにもぐいぐい曲押し付けてくれたっていいのよ!」
「それがいいと思う。龍也が寂しくて寝込むくらい二人は一旦離れるべき」
「オイ今の絶対悪意こもってただろ。誰が寝込むか」
「何よぉ。構ってもらってる龍也はいいかもしれないけど、アタシ達だってハルハルと遊びたいのーっ」
「あはは、本当?僕ももちろん!リンちゃんとちゃんと遊びたいなあ」
「…つーか、そういやのパートナーって誰なんだ?名前聞かねえけど」
「あ、僕も知らないや。よかったら話聞かせてくれないかな?ちゃんが誰とどんな曲作るのか、僕知りたいし」
「宝木さん」
「…え?」
「宝木さんがパートナー」
「……えええ!?」

話を振った龍也や春輝よりも、横で聞いていた林檎が大きな声を出した。その驚きように、三人がぎょっとする。「え、どうかしたの?リンちゃん」「なんだ?宝木ってどんな奴なんだ?」教室で友達としゃべっている様子を視界に入れたことはある。名前と顔は思い出せる。春輝や龍也にとってそれくらいの認識だったけれど、林檎があまりにも大きいリアクションを取ったので、どういうことだと首を傾げる。も頭にはてなマークを浮かべて、おろおろ林檎と春輝たちのほうを見比べる。林檎は林檎で、それはもう、びっくりした。以前、がその「宝木さん」に楽譜を渡している所を見たことはある。だけど、まさか、パートナーだったなんて思いもしなかった。だって、楽譜を手渡したときの会話は、どう見ても聞いてもパートナー同士の会話とは思えなかったし、何より、彼女はの楽譜を受け取ると周囲に「この人の曲凄いらしいよ」と自慢気に見せびらかしていた。そんな二人が、パートナー。林檎は思わずがしっとの手を取り、真剣な表情で話しだす。

「ねえ!それでいいの!?無理やりとかじゃないのね?自分で決めたことなのね?」
「り…りんちゃん?」
「リンちゃん、宝木さんと何かあったの?」
「だって!純粋にの曲を歌いたい〜って感じじゃなかったんだもの!シャイニーに褒められてる子と組めば自分もいい評価もらえるかもーって、そんな感じだったっていうか…!」

教室での「宝木さん」とその友人達のやりとりや、に対するちょっと嫌な感じの内緒話を思い出して、林檎はモヤモヤを募らせる。それでいいのか、自分の意思なのか。特に思うところもないように「宝木さんがパートナー」と口にしたに、林檎は不安そうだ。自分の考え過ぎなんだろうか、と思いつつも、心配せずにはいられなかった。そんな林檎の様子を察した春輝と龍也は顔を見合わせ、険しい表情でに視線を移す。三人からの視線をいっぺんに浴びて、本人は困惑したように視線を泳がせた。

「…パ、パートナーになってほしい、と、向こうから言われた。さんの曲、イイって聞いたから、って」
「それで、OKしたの?」
「う。…なんでみんなが怒るのか、わからない。どうして?」
「どうしてって…だって、なんだか…人づてに聞いた才能しか見てないのよ」
「嫌じゃ…ない。それが、普通なのかと思った。曲さえ見てくれればいい。私自身のことを見る必要はないと思う。だって、デビュー目指すなら、パートナーを力量だけで選ぶのは当然。うん。ありがたい。そうじゃなかったら、私、パートナーに選ばれなかった。歌ってくれる人、絶対に見つからなかった。私なんかと組むのは、気が乗らないだろうから…宝木さんには、感謝してる。私も、彼女には歌ってもらえさえすればいい。ほかは、べつに、望んでないから…」

居心地悪そうにたどたどしくそう口にすると、しゅんと肩を竦めてうつむく。問い詰めすぎただろうか、と龍也と林檎が身を引く中、春輝だけはじっとの顔を見つめていた。確かにの性格を考えると、とても自分から積極的にパートナーを探せるような人間では無いだろうと思う。他人から「パートナーになってほしい」と言われて、きっとすごく、助かったんだろう。誰だろうと、どんな理由だろうと。春輝からの視線に恐る恐る顔を上げたは、一瞬目を合わせるとすぐにまた視線を泳がせる。春輝の顔は笑っていない。怒っているわけでもない、と思う。それでも、何を考えているのか、何を言われるのか、見当がつかないから戸惑うのだ。やがて、「ちゃんは」と春輝が話し始めると、びくっとの肩が揺れた。

「今も、そう思う?」
「…え?」
「『普通なのかと思った』って言ったから。宝木さんに頼まれた時はそう思ったけど、今は違うのかなって」

自身も、横で聞いていた龍也と林檎も、きょとんとした顔になる。けれどはすぐにハッとしたような表情に変わり、唇をきゅっと結んで視線を自分の手元に落とした。正座した太腿の上に置かれた自分の拳が、ぐっと握られる。何かを決意するような、何かを認めるような、そんな様子。顔は上げずに、は小さく、「ちがう」と呟いた。

「……春輝や龍也達を見てると、違うのかもって、思った」
「…」
「パートナーって、曲を作って、歌うだけの関係じゃないって思い始めた。春輝と龍也、すごく仲良しで、楽しそうだから。本当は、パートナーってそういう関係なのかなって……、いいなって、おもう」

その言葉を聞きながら、が先ほど言った「仲が良いからパートナーなの?パートナーだから仲が良いの?」というセリフの意味を、林檎は今一度考えた。二人を遠い物のように眺める視線の意味も、考えた。

「そういう関係、すごく、いい。……うらやま、しい」
…」
「そっか…そんなふうに思ってくれてたんだね、ちゃん」

眉を下げて、少し控えめに微笑んで、春輝は俯くを見る。目を合わせることはできなくても、何故か、今がどんな表情をしているのか、分かる気がした。春輝と龍也のやりとりを見て、いいなあ、と眺めて、自身のパートナーとの関係とくらべて、少し、寂しい気持ちになることも、あったのかもしれない。春輝は俯いたままのをしばらく見つめて、それから、視線を龍也に移した。その視線に気付くものの、真意を汲み取れず困惑する龍也に、苦笑いを送る。

「僕と龍也も、最初はね、なかなか仲良くなれなかったんだよ。ね?龍也」
「…そりゃ、まあ…そうだったかもな」
「……入学当初の龍也って、ツンケンしてたものね」
「う、うるせーな!林檎!」
「僕が歌って歌ってーって頼んでも、龍也ってばいっつも聞き流してさ」
「…そりゃ、その…俺にもいろいろあったんだっつの」
「でも、パートナーになれた。ちゃんが、いいなあって思ってくれるくらいの」

気恥ずかしそうに頭の後ろを掻く龍也とは違って、本当に嬉しそうににこにこ笑いながら春輝は話す。その嬉しそうな声音に惹かれるように、はそっと顔を上げて、春輝の表情を窺い見る。思った通りのにこにこ笑顔で、春輝はその視線を受け入れた。

「だから、ちゃんが…パートナーとの関係を変えたいって思うなら、諦めない限りきっと変えられるんじゃないかな。望んだ方向に」
「……でも、私…人と話すの、うまくない」
「上手くなくていいと思うよ。きっと最初から『何も望まない』『歌ってくれるだけでいい』って諦めちゃうより、ずっといいよ」
「…そうね、それに…、前とは変わったものね。宝木さんも、の頑張りにきっと気付いてくれるわよ。が彼女のことを見ようとすれば、彼女も自身を見てくれると思う」
「ああ…人づての才能じゃなく、な。の曲だから歌いてえ、って思わせてやれ」
「…ん。ありがとう…」

にこにこ笑顔の春輝の隣には、同じく笑顔の龍也と林檎が並んでいる。その三人の笑顔に囲まれて、一人ひとりの顔を見て、は胸にじんわりと温かいものが広がっていくのを感じた。悲しくはないけれど、三人の顔を見ていられなくてまた顔を俯かせる。堪えられない。照れくさい、ような、嬉しいような。落ち着かなく指と指をつき合わせたり手を組んだりしたあと、はおずおずと視線を三人に向けた。

「…私、パートナーの人と…ちゃんとおしゃべりできるように、頑張る」
「うん。僕らも応援してる!素敵な歌が出来たら、聴かせてね!」
「そーねっ!アタシ達も負けてられないわ!」
「ああ…っと、そろそろ教室戻るか」

時計を視界に入れた龍也が、昼休みの終わりが近づいていることを知らせると、皆それを合図に立ち上がる。いや、だけがなかなか立ち上がらない。それぞれゴミや荷物をまとめて撤収の準備をする中、春輝がの様子に気付いて今一度、彼女の目の前にすとんとしゃがんだ。一瞬だけ目を合わせて、少し戸惑ったようにが視線を泳がせる。春輝はそんな彼女を安心させるように、にこにこと微笑んだ。本当に、安心させられてしまうのだから、春輝の笑顔は凄い。口に出さずに止めておこうかと思った言葉さえ、春輝には隠していられなかった。

「どうしたの?ちゃん」
「不思議だなって思った。私、春輝に会うまでは…他人と仲良くなんか、ならなくていいって思ってたのに」
「…そっか?」
「一人でいい…ひとりがいい、って、思ってたのに。今はそんな自分を、変えたいって思う…りんちゃんや龍也ともっと仲良くなりたいし、他の人とも…喋れたらいいって、思う……そう思わせてくれた春輝は凄い」
「え?僕?僕は…何もしてないよ?」
「うそ。してる。だって、春輝が…言ってくれたから。周りの音も聴きなよ、って」
「…うーん、そうかなあ。もし僕の言葉がキッカケだったとしても…僕が言ったから皆と仲良くする、じゃなくて、ちゃん自身が、皆と仲良くしたい、って思ってるでしょ?」

そう話しながら、春輝が手を差し伸べる。はその手に躊躇いがちに自分の手を重ねると、引かれるままに体を起こした。立ち上がった瞬間、春輝との近すぎる距離に一瞬後ずさって、だけど手を離すタイミングが見当たらなくて、それ以上後ずされなかった。

「だから…凄いのは、ちゃんだと思うな」
「…どうして?今まで私が避けてただけで…人と話すって、きっと、普通のこと。他の人にとっては、何も凄くない」
「ううん。今まで出来なかったことを、勇気を出して挑戦してるって、凄いことじゃないかなあ」

しみじみと言って、春輝は目を細めて笑う。そんな顔を見ながらも、は、素直に「そっか私が凄いのか」なんて認められない。春輝がそう言ってくれても、やっぱり自分は凄い人間なんかではないと思うし、凄いのは、春輝の方だと思うから。春輝のおかげだよ、って、ありがとう、って言いたいのに、本人が認めてくれないと、感謝も受け取ってもらえない。は、む、と黙りこむ。どうしたらいいものか考えている間に眉が寄って、今の自分が複雑な表情を浮かべていることに自分では気付かない。

「あははっ、凄い顔だよ?」
「…、…どんな。ぶさいく?」
「えっ!ううん、かわいい顔だけど…」
「!」

かわいい。何の気なしに春輝の口から飛び出した言葉に、バッとの顔色が変わる。真っ赤だ。思わずは手を離して、「はやく、教室、戻る…!」とぎこちない台詞だけ言い残し、ぱたぱた駆け出す。さっきまで難しい顔して唸っていたのに、考え事なんて一瞬で抜け落ちてしまった。「あ、待ってよ〜」と春輝が追いかけるも、はすでに階段の方へ向かっていた林檎の横に引っ付いてそちらを振り返らない。

「どうしたの?。引っ付いて来て…顔真っ赤よ?」
「し、しらない…」
「あ?なんだ?春輝、お前なんか言ったのか?」
「えっ?うーん…怒らせちゃったのかな?」

その理由を分かってくれない春輝はちょっとずるい。だけど、理由を知られるのもちょっと恥ずかしいから、まだ、分からないままでいてほしい気持ちも、ある。複雑な乙女心というやつを抱えながら、は三人と並んで、屋上を後にした。