Q:誰にチョコ渡す?→A:今大路さん



 今夜会う約束は事前に取り付けてあった。2月14日という日付の意味を彼がどう捉えてどう思ったかは知る由も無いけれど、その日は空けておいてほしいと連絡したら「わかった」と簡潔な返事だけくれた。待ち合わせの時間はもう少し先だ。私が指定した時間と場所なのだから、間違えはしない。間違えはしない…のだけれど、私はその時間より早く、彼の姿を目にしていた。サプライズのつもりだったのだ。仕事帰りの彼を待ち伏せして、びっくりさせてしまおうという魂胆だった。ふっふっふー、と怪しげな笑いを隠しながら彼がやってくるのを待っていた。が。

「……甘かった」

 いやあもうそれこそチョコレートなんかよりずっと甘い考えだった。なんと、自分と同じ考えの人間が他にも居るとは。違う部署の女性たちなのか、帰ろうとした彼を引き留めて何人かが囲んでいる。その中心でにこにこと営業スマイルを振りまきながらも、彼の心の声が聞こえるようだった。たぶん今、めんどくせーとか早く帰りてーとか思っているに違いない。どうしたものかと遠くから見守っていると、女性の中の一人が、鞄から何かを取り出した。するとそれに対抗するように、他の子達も可愛らしいラッピングの箱を彼に差し出す。今日は2月14日だ。バレンタインデーだ。その箱の中身は、想像つく。

「どうせいっぱい貰うんだろうなーとは思ってたけど…」

 実際、この目で見ちゃうと、なんか、心がざわつく。彼女がいるので、と断るわけでもないらしい。笑顔でそのプレゼントを受け取る様子に、胸がきりきりと痛んだ。なんで私より先に、あげちゃうかな。なんで私のより先に、受け取っちゃうかな。そんな、身勝手なやきもちに自分自身が嫌になる。ああもう、とやけくそに走りだす。その場から逃げる――…わけではない。私は駆け寄って、今大路さんを囲んでいる女の子達に混ざる。押し飛ばして「やめて!私があげるんだから!」なんて叫びだしたくなるのをこらえた。堪えることが出来たんだから褒めてほしい。ただただ私は女の子達に混ざって、

「今大路さん!私のチョコも受け取ってくださいっ!」

 最高にきゃぴきゃぴした声で、言ってやった。自分を囲む女の子の中に私の姿を見つけ、なおかつそんなお決まりのモブ台詞を聞かされた今大路さんが、ぴし、と一瞬固まったのが分かる。私はあくまでにっこにこ笑顔だ。今に彼が表情を引き攣らせると思ったのに、予想外、彼はにっこりと“営業スマイル”を絶やさずに、私のプレゼントに手を伸ばした。

「ありがとうございます。大切に頂きますね」

 ここで受け取らなかったら不自然だ。ここで営業モードの顔を剥がしても、他の人の目があるから面倒だ。そう判断したのだろう。私の顔を見ながら、なんら特別でない、他の女の子に対しての台詞と全く変わらない、「ありがとう」を口にした。私は途端に、後悔した。こういう返しをされるって予想は出来たはずなのに。嫌味のつもりで、こっちから仕掛けたことなのに。彼のその笑顔を見て、言葉を聞いて、自分が今大路さんにとっての「そこらへんの女と何も変わらない」存在になった気になる。もしかしたら今まで彼と過ごした時間は全部自分の妄想で、付き合ってるとか、今夜会うって約束をしてただとか、もうなんだか全部、都合の良い夢だったのではと思えてしまう。胸が痛い。だけどそれを悟られないように、強がってにっこり笑って、私はくるりとUターンした。そのまま、全速力で走る。今大路さんはしばらく女の子達に捕まっているに違いない。どうせ、追いかけてくれやしない。





「おい」
「………」
「おい、聞こえてんだろ」
「…」
「……さん、待ってください」
「無理です、今大路さん」
「なんでこっちの喋り方だと返事すんだよ」
「しまった。つい」
「ふざけんな。バカ
「追いかけてくるとは思わなくてびっくりしちゃって」
「あ、そ」

 後ろから聞こえる声は、いつものぶっきらぼうな声。すたすた歩く私の後ろをくっついてくる今大路さん。隣に来るわけでもなく、前を歩くわけでもない。私は振り返らずに歩いたし、正直今大路さんが今の私の顔を見ないでいてくれて凄く助かった。私絶対ぶさいくな顔してる。

「なんであのタイミングでこんなもん渡すんだよ」

 私は振り返らないので、「こんなもん」が何を指すのかは耳で判断することにした。背中から聞こえる今大路さんの声。それと、何かを振ってわざと音を立ててる。たぶん、私があげたチョコの箱を軽く振っているんだろう。ひどいなもっと丁寧に扱ってよ、何が入ってると思ってるんだよ、チョコだぞチョコ。まあただのチョコだけど。

「二人のときに渡せよ」
「なんでですか」
「なんでもだろ」
「だって通常モードの時の今大路さんに渡してもぶっきらぼうに受け取られるじゃないですか。なら王子様モードの時に渡したほうが例え演技でも優しく『ありがとう』って言ってもらえるかなって」
「へえ。優しくされたかったんですか。意外ですね。いじめられたい派の人間かと」
「そんなわけないでしょう。私の好きなタイプはズバリ優しい人です」
「ありがちで抽象的でつまらない回答ですね。さすがです」
「それほどでも」
「本当はふたりきりのときに渡したかったんでしょう」
「そんなことないです」
「じゃあなんで俺に渡した時あんな顔したんだよ」
「笑顔だったでしょ」
「どこが」

 私はぴたりと足を止めた。今大路さんはつられて足を止めるわけでもなく、すたすたと歩いて来て、私を追い越した。すれ違いざまに、言うのだ。「泣くぐらいなら最初から馬鹿な真似すんな」と。今大路さんが追いかけてきたことに気付いた時、必死に堪えて引っ込めたはずの涙が、ぼろぼろ溢れてくる。鼻をすすって、片手で涙を拭って、もう片方の手で今大路さんの服の端っこを引っ張った。そうだ、普段の定位置って、この距離だ。斜め前を歩く今大路さんについていく。

「だって、今大路さん…他の子のチョコふつうに貰ってるから、悔しかった…」
「適当に受け取っといた方が引き留められずにさっさと帰れるだろ」
「ちょっと嫌がらせに、女の子たちに混ざって渡してみたら、普通に、他の子たちとおんなじ反応だし」
「仕方ないだろ。そうせざるを得ない状況を作ったお前が悪い」
「なんか、自分が…今大路さんにとっての、どうでもいい、その他大勢の人間になったみたいで」
「はあ?」
「や、わかってますよ、そう仕組んだのは私ですよ、分かってるから、勝手に私がショック受けただけです…」

 はあ、と大きくため息を吐いたら、前を歩いていた今大路さんが振り返った。ブサイクな顔を見られたくなかったので俯いたら、それを許さないとするように「おい」と低い声で呼ばれた。仕方ないので顔を上げたら、眼前にチョコレートの箱が突き出された。

「へ、返却しなくたっていいじゃん…」
「ん」

 落ち込む私を無視して、さらにずいっと突き返してくる今大路さん。「やり直し」

「…へ?」
「やり直しだって言ってんだよ」
「な、なにをです」
「もう一回渡せ。今度は、ちゃんと受け取ってやる」

 ほら、と押し付けられたその箱を、受け取らずにはいられなかった。私が受け取ったのを確認すると、今大路さんは溜息を吐いてから、首の後ろを掻いて、気怠げにその場に突っ立った。さっき女の子に囲まれてたときのにこにこ優しい穏やかな目とは全然違う。じとっとしてていかにも無愛想な、不機嫌そうな表情。ほら、早く渡せよ、みたいな俺様な威圧感。こんなの、今大路さんに夢見てる女の子が見たらショックだろうな。大ショックだ。そんな、名前も知らない女の子が傷付くのを想像して、優越感にも似た、少し幸せな気持ちになる私って、結構、悪魔ですね?性格、悪いですね?
 ――でも、目の前の男も結構性格悪いので、私たち、それなりにいいカップルだと思いたい。

「…悔しいけど好きです。チョコ受け取ってくれなきゃ泣いてやる」
「は、ほんとめんどくせー女」

 伸ばされた腕は、チョコレートを受け取るふりして私を抱き寄せた。




わたしにだけきこえるようにゆって
「う、受け取るんじゃなかったの…」「受け取ってんだろ、お前ごと」