「今大路さん、私コーヒーきらいなんで飲めないです」
「知ってる」
上着を椅子の背もたれに掛けて、今大路さんの向かい側の席に着いて、見計らったように運ばれてきたカップの中身を見て放った私の言葉を、彼は目も合わせず退屈そうに外を眺めながら適当にあしらう。ちょっと待ち合わせに遅れたからってなんだその態度。なんだその子供じみた嫌がらせ。確かに、「もうすぐ着くからなんかあったかい飲み物頼んどいてほしい」ってかじかんだ指でメッセージを送ったのは私だ。あったかいものとしか指定しなかったのは私だ。とあるコーヒーショップの窓際の席、私たちは目も合わせないまま。
「まさかコーヒーショップを待ち合わせ場所に指定したのも嫌がらせですか?すでに戦いは始まっているんですか?」
「は?お前の職場の近くの店を指定してやっただけだろ。感謝しろよ」
「だからって…コーヒー以外のもの頼んでくれたってよくない!?」
「コーヒーショップだろ。コーヒー以外頼むな」
「いーやコーヒー以外もあるもんね!メニューに紅茶もあるもんね!私はそうやって生きてきたもんね!」
「……」
やっとちょっとこっちを見た今大路さんはめちゃくちゃ「うるせーな東京湾に沈めんぞ」みたいな目をしていたけど、すぐに溜息と一緒に視線を逸らし、「つーか、よく見ろ。コーヒーじゃない」と声に出した。私はカップの中のものをじっと覗く。黒じゃない、やさしいあたたかみのある色の飲み物。
「確かに忌々しい漆黒の飲み物ではないですけど」
「ほぼミルクだろ」
「ああ…カフェオレだかカフェラテだかですよね。要するにコーヒー牛乳じゃないですか」
「お前、絶対俺といるときに店で『コーヒー牛乳ください』とか言うなよ」
「言いませんよ…ほぼミルクでもコーヒーとまじわってるじゃないですか…」
「九割ミルクだからお前でも飲める」
「まじですか?」
熱いカップに両手を添えて口をつける。この寒い中、急いでやってきたんだから。苦手な匂いがちょっと鼻を掠めるけど、あったかい飲み物でほっと一息つきたいという気持ちが勝る。ああ本当だ、意外と飲める……と思ったけれど後味はやっぱりコーヒーの存在を感じて、思わず眉間にしわが寄った。
「うそつき!九割ミルクとか嘘です!八割くらいです!いやたとえ一割でもそれはコーヒーです!」
「それも飲めねーのか……帰って牛乳飲んでろ」
「『ママのミルクでも飲んでな』的な煽りですか?海外映画ですか?クソッこんなところで帰国子女感を出しおる…」
文句を言いながら、ちびちびとカップに口をつける。口を離すたび、ぐしゃっと顔を歪める私を、いつのまにか今大路さんが頬杖つきながらじっと眺めていた。なんですか文句あるんですか、と恨めしく睨みつける。ようやく目を合わせたって、こんな感じだ。こういう見つめ合い方しかできない。しかし憎たらしいくらい顔が良い。睨んでいるうちに、怒りが増すどころか、薄れてしまっていく。しかしその事実がまた憎らしい。
「不味いなら無理して飲むな」
「まずいとは言ってないです。にがいだけです」
「苦くて不味いんだろ」
「不味くないですってば。お店の人に失礼でしょ。全部飲みますよ」
むうっとして口を尖らせれば、今大路さんは少し微笑んだ。ばかだな、って言いたげな笑みだけど、ほんのちょびっと優しさが混じった目をしている。なんだかその表情で見つめられるのは落ち着かないので、今度は私から顔を逸らしてしまう。それでもしばらく、今大路さんがこちらを見ているのがわかった。視線を感じながらも、カップに口をつける。ミルクのあとにやってくる苦さに、またちょっと顔をしかめる。今大路さんが一度席を立ったので、視線のレーザービームから解放されてほっと息を吐いた。カップをテーブルに置いて、しばらくぼーっとする。久しぶりに会ったけど、変わんないな、今大路さん。意地悪なところも変わらない。そのくせたまに見せる表情が優しいのも、変わらないからずるい。
少し経って戻ってきて、私がおかえりなさいを言うより先に、彼は置いてあった私のカップを取り上げた。自分の方へそれを置き、代わりみたいに別のカップが私の前に置かれる。
「……コーヒー…じゃない」
「アールグレイ」
「……、……やっぱり紅茶あるじゃないですか」
「そーだな。この手の店でわざわざコーヒー以外頼むことねーからメニューの下の方なんて気にもしてなかった」
涼しい顔でそう言って、私の飲みかけだったそれに口をつける。きっと少し冷めてしまったのに。一口飲んで、ちょっと顔をしかめた。苦さで、じゃなくて。「ほぼミルクだな」って不満そうに言う。「八割ですよ」「いや九割近いだろ」なんて言い合って。私は、新しく持ってきてくれた紅茶に口をつけた。当たり前だけど苦くない。コーヒーは一割だって入ってない。
「初めてのデートのとき、苦いからコーヒー飲めないって言ったら、『可愛いですね』って言ってくれたのに」
ぼそりと拗ねたような声を出したら、今大路さんは視線だけこっちに寄越した。まあ、あれは…或る種の「うそっぱちの今大路さん」だったかもしれないけど。思ってもいないのに、かわいいですねってとりあえず言っとこうって思って言ってきただけかもしれないけど。
「忘れちゃいました?もしかしてあの頃の今大路さんって猫被ったようなお芝居じゃなくて、二重人格的なアレでした?王子様側の人格の記憶は残らないみたいな」
「覚えてる。その後映画館でお前がポップコーン空にした直後爆睡したから『こいつポップコーン食いに来ただけだな』って思った」
「忘れてください」
「寝てたくせに俺がわざと映画の内容に突っ込んだ質問したら必死に話合わせてた」
「私が焦る様子を見て楽しんでましたよね」
ああいえばこういう。初めてのデートの日のあのふわふわきらきら初々しい感じは、もうとっくの昔に消えてしまった。顔を合わせれば口喧嘩ばっかりで。でも私は口喧嘩あんまり強くないので大抵は今大路さんが勝ってしまって、だからいっつも最終的に私が――…
「……今回の喧嘩の原因ってなんでしたっけ」
「忘れた」
「うそだぁ」
「すみません。『王子様側』のときの記憶は残らないんです」
「絶対『そっち』のときに起こった喧嘩じゃないです。絶対素の今大路さんの憎たらしい発言が原因です」
そうだ。いっつも最終的に私が「もういい!今大路さんなんて知らない!」って言ってその場を出て行く。そして、しばらくお互い連絡が途切れる。頭を冷やす期間を設けるというか、冷静に物事を考えてみる時間を作るというか。時間を置いた後、どちらかが……これは驚くべきことに大抵、今大路さんの方から、今日みたいに「会おう」って言う。いや「会おう」じゃないな。「来い」だな。けど私はそんな呼び出しに、飛びついて、走って、今大路さんの元に急ぐんだ。今大路さんの元に、帰ってきてしまうんだ。
「でもいいです。私も忘れたから。なかったことにします」
喧嘩の原因、どっちが悪かったのかは、もうどっちだってよくなった。どっちも口に出して謝りはしないことがほとんどだ。どっちも悪かった、かもしれない。どっちも悪くなかった、かもしれない。コーヒーが飲めないことを実はちゃんと覚えていて、それでも何か飲めそうなものをと思って注文してくれたのも、紅茶を注文し直してくれたのも、今大路さんの優しさだ。知ってる。「ごめん」の一言が欲しいと思うなら、もうそれは十分もらっている。わかりにくくても、ちゃんと。優しさ九割だ。それでも苦い部分が一割でもあるから、いじわるめって言ってしまうけど。それでも、知ってる。彼の優しい秘密を。私しか知らない秘密。
「今大路さんって、なんだかんだ結構私のこと好きですよね」
「は?お前が俺にべたぼれなんだろ」
「はあ、そうですか。捨てないでくれてありがとーごぜーます」
「捨てても拾ってやる」
「……なんだかんだ優しいですよね」
カフェラテ×優しい秘密×きらい
( 指定:スタマイ/りらより )