夏の暑さが和らぐ頃、とある人物に「うちに来ないか」と誘いを受けた。なんの慎みも恥じらいもない、というか、やましいことなど微塵もないような堂々とした誘いだった。誘いを受けたのは――見た目で女だと間違えられるような「男」のオレで、涼しい顔で一人暮らしの家へ招いたのは――見た目で男と間違えられるような、背の高い年上の「女」であるだった。
 知り合ったのは演劇関係。とある劇団に所属しているが任されるのは、大抵が男役だ。オレはオレで、劇団の中では女役が多い。お互い偶然相手の舞台を見て、興味を持って、交流を持つようになって、妙に馬が合って、気付いたらよく出かけるような仲になった。
 だからべつにオレだって、「家に遊びにおいで」といつもの調子で言われたとき、何も動じはしなかった。さっぱりとしたショートヘアの黒い前髪の隙間からのぞく綺麗な瞳は、いつも澄んだ色をしている。だから、動じなかった。調子が狂うことなんてなかった。

「ねえ、こっちのクローゼットは?開けていいよね?」
「いいよ」

 振り返りもせずに言う。歳の離れた友人をもてなす気はそれなりにあるらしいは、なんの可愛げもないシンプルなマグカップにコーヒーを淹れている。淹れながら、「ゆきは?オレンジジュース?リンゴ?牛乳もあるよ」という声が飛んできた。やっぱり、歳の離れた友人だ。「子ども扱いすんな」とぴしゃりと言ってやった。はは、と笑う声を無視して、クローゼットをあける。
 ちらかっていたらそれはそれでネタにはなったのに、そういうわけでもない。むしろ淋しいと感じる程度の数しか服が掛かっていない。奥にある衣装ケースが目に留まり、引っ張り出す。いつのまにか隣にやってきたが、「重い?手伝うよ」と腕を伸ばす。子ども扱いすんな、と言おうとした。けど、女扱いすんな、が正しいのかもしれない、と思ったら咄嗟になにも言葉が出てこなかった。結局、二人がかりで衣装ケースを運んだ。

「はい。じゃあ夏服はしまって、秋物こっちに出してくから」
「うん」
「ついでに着なさそうな服とかは…って思ったけど、アンタ本当に服少ないね」
「はは、ゆきにとってはつまんない部屋だよね。ごめんごめん」

 部屋に入って早々に手持ち無沙汰になったオレのしたことといえば、抜き打ちのファッションチェックくらいのもので。洗濯ものも、ひっかけてある服も、やけに夏物の服ばかりが目に付いた。「衣替え?あー、まだしてないな」ってのんびりしたこと言うから、この際オレが手伝ってあげる、って話になった。この部屋に来た当初の目的なんだっただろう?衣替えではなかったかもしれないけど。でも、他に何か目的があったかどうか、曖昧すぎるから、結果オーライだったと思う。

「あ。この色いいじゃん」
「そう?意外。ゆき、そういう地味めの色のイメージ無いけど」
「オレのイメージとかじゃなくて。落ち着いた色で秋っぽくていい、って意味」
「ああ。そういう」
「…あのさ、もうちょっと服装気にしたら?季節感とか流行りとか」
「うーん」
「…モデルみたいな見た目しといてもったいない。おしゃれしたいとか思わないの?」
「モデルみたいなのは身長だけでしょ」

 そうじゃない。そうじゃなくて。だって。女の子なのに。
 そういう言葉を遣う気には、何故か、どうしたってならない。この人間相手には。オレは適当に話を続けながら、ケースにしまいこまれていた服たちを一枚一枚取り出していく。ああこういう服着るんだ、こういうの好きなのかな、ああこれ似合いそう、これにさっきのあれを合わせたら、そうしたら――…とか。想像する。だってオレはまだ知らない。この服を着ている、を。この季節を、まだ、と過ごしていない。

「なんかゆきのおめがねにかなう服はあった?」
「……まあまあ。これとか、それとか」
「はは、よかったね」
「他人事じゃないから。オレがこうして衣替え手伝ってやってるんだから、ちゃんと季節に合った服着てよね」
「わかってる、わかってる。じゃあ、今度のデートにはその服着てこうかな」

 ぴく、と体が強張る。はのん気に、オレが広げて見せた服を眺めて「ああ、でもこれまだ暑くないかな?」なんて呟いてる。口を結んで黙り込んでいるオレに気付いた頃には、きょとんとしている。からかうように言ってやろうとした言葉が、妙にトゲトゲした言い方になった。

「デートって?相手のファンとか?」
「いや?ゆきとのデートだよ。その時着ないと意味ないじゃんか」

 けろっと、そんなことを言う。数秒、頭が真っ白になった。呆れで。ぽかんと。けどすぐ、我に返った。ああ、そうだった、平気でそういうことを言う。こういう人間だった。そうだった。オレたちは不思議と気の合う友達だから。遊びに行くことをふざけて「デート」と言ったっていいんだった。
 動じない。動じなくていいんだった。調子なんて狂わない。だって、なんかすっごくくやしいから。

「じゃあ、服見に行く。オレが選ぶの手伝うから、ちゃんと着てよね」
「はいはい」

 夏は過ぎていく。緑は、やがて紅や黄に色を変える。これから塗り替え、着替えていく。きっと初めて見る秋の色を、はやく知りたかった。