昔から、国語の成績は良かった。昔って、そりゃあ、昔から。小学校1年生のときから高校3年になるまでずっとずっと、ずうっとだ。校内テストは必ず高得点で成績上位者として廊下に名前を貼りだされたし、模試のグラフは国語だけやけに飛び出ているから不恰好な図形を描いていたけどそれもまた自慢だった。何より、小学校の時から特に褒められていたのは作文だ。一度書き始めると行き詰まることはほとんどなく、いつも楽しくなって原稿用紙いっぱいに文字を埋めた。「原稿用紙二枚以上」と指定のある課題で、皆口々に「そんなに書くことないよ」と文句を言う中、私は誰よりも先に二枚仕上げて、足りなくなって「もう一枚貰ってもいいですか」と先生に聞きに行った。得意っていうより、書くことが楽しい。さんの作文はいつもおもしろいね、と先生は必ず絶賛してくれた。毎年担任の先生は変わるけど、変わったって、どの先生も褒めてくれた。読書感想文や意見文も、入賞したり、採用されたりすることが多かった。だんだんと得意げになった。きっと自分には文章を書く力がある、才能がある。そう信じた。いつからだったろう、徐々に私は、自由な発想の中に狡賢さを数滴垂らすようになる。「こういうことを書けば大人は評価をくれる。気に入ってくれる」「こういうふうに書けば褒められる」難しい漢字を遣おう。言い回しにはこれを遣おう。そんな計算を含めて「作る」ことが、楽しかった。大人たちにどれほど評価されるかを毎度わくわくしながら考えた。

私が試されているのか。私が大人たちを試しているのか。



「君の文章ってムカつくんだよね。採点してて」


推薦入試のための小論文の添削をお願いした先生に言われたこの一言に、私は頭が真っ白になる。傷付いた、というよりも、最初何を言われたのか理解できなかった。だって、まさか、そんな。眼の前にいるのは、曲がりなりにも「教師」だ。センセイ。そして今私がいるのは職員室だ。まさか、教師がそんなこと言うか、生徒に向かって。(君の文章むかつくんだよね)(むかつく、て)くたびれた赤いネクタイから、視線を上げられない。この人はどんな顔で、そんな言葉を口にしたんだろう。周囲に別の先生がいたら、「足立先生何言ってるんですか」ってビックリして割り込んできてくれたかもしれないのに。足立先生の机は職員室の中でも端っこに位置していて、近くの先生は今席を外していた。足立先生は自分のデスクチェアに背を預けて、私が書いた小論文の下書きをピンと指で弾く。ふんぞり返って座ってるようなその様子に、じわじわと怒りがこみ上げてくる。職員室で、足立先生の前で、立ち尽くす私。相手は座ってるんだから視点は私のほうが高い位置にあるのに、見下されているような気分を味わう。なんだこれ、なんだよこれ。スカートをくしゃりと握る。ムカつく。こっちのセリフ。

「おーい。聞いてる?」

私は返事もせずに彼のネクタイをじっと睨んでいたというのに、ひょいと顔を覗きこんで先生がひらひらと手を振った。そこでようやく彼の顔を見たんだけど、いつもとなんら変わりない、へらっとした笑顔だった。いつもだったら、「怒っても怖くなさそう」「威厳がない」と評していたその笑顔が、今はやけに、こちらを馬鹿にしたような笑みに見える。言葉を発さず、キッと睨んだままの私と顔を合わせて、それから―…、「笑顔」の種類を彼は変えた。フッと鼻で笑うような、冷めた笑みを浮かべて、「バーカ」と一言。自分の目がみるみる見開かれる。怒りだか羞恥で顔が熱い。脳みそがぶくぶくと沸騰してる。

「ハハ、君って国語だけは成績無駄にいいもんね。ダメ出しされてプライド傷付いちゃった?いやー…子供だなぁ。青いなあ」
「な…っ!あなた、『先生』ですよね!?そんなこと、」
「そうだよ?センセイ」
「ならっ!」
「でも君の言う『先生』って、アレでしょ。『自分の文章を褒めてくれる生き物』」

ひく、と口元が引き攣った。目の前の人物は、私を覗きこんで、笑う。表情だけは多分。だけどちっとも笑っているようには見えない。ぞくりと寒気がした。教師が生徒に向ける「顔」じゃない。そしてその顔から訴えてくる感情は、好意的なものが全く含まれていなくて、これまた教師が生徒に向ける感情じゃないと痛いほど感じた。この人の目から伝わってくるのは、至極純粋な、嫌悪。「たまにはダメ出しされても絶えられるような強い心を持ちなさいこれから先やっていけませんよ」と諭すような意図は全くないんだ。ただただ、この人は多分私が、私の文章含めて、嫌いなんだ。反吐が出るほど。

「…納得、できないんですけど」
「んー?ああ、べつにさ、どこがどう間違ってるってわけじゃないよ。ただね、ムカつく」
「……」
「君って思ってもないこと書くの好きだろ」
「そんなことないです!ちゃんと自分で考えて、自分の言葉で書いてます!」
「こう書けば気に入るんだろ、みたいな考えが滲み出てるんだよねー」
「それ、は…」
「まあ…『先生』は好きだろうね、君の文章。的確で、理知的で、整っていて、賢そうで、うん。先生の好きそうな文だ」
「…それの、何がいけないんですか」
「でもね僕は分かっちゃうんだよね。思ってもないこと書くのも言うのも見せるのも得意な人間はさ。同族嫌悪っていうのかな。読んでてイライラする」
「そんなの、勝手すぎじゃないですか。教師としてどうなんですか、そんな自分の好みで生徒の解答を馬鹿にするとか…さいってい」
「ハハ、あのねぇ…」

――ガキが大人を舐めてんじゃねえよ。
今まで聞いたこともない冷たい声と、向けられたこともない嫌悪感に満ちた眼差しを向けられて、ぶわっと嫌な汗が噴き出る。蛇に睨まれた蛙っていうのは、今のこの状態を言うんだろうか。今すぐこの場から逃げ出したい、ここにいたくない、この人の言葉を聞きたくない、怖い。そう思うのに、足がすくんで動けない。何か言い返すべきか、そう考えても言葉が出ない。私が何か言えたところで、平気で足立先生は次の言葉を口にするだろう。何本も何本も棘が生えた言葉を。それを受け止められる自信がないから、余計に、反撃に出られない。

「はい、じゃあやり直しね」

私の書いた小論文の下書きを突き返して、足立先生はいつもの笑顔を浮かべる。軽い調子の声で、私に「やり直し」を命令した。手足が動くことを拒否していて、その紙を受け取らないでいたら、パッと手を離される。はらり、床に落ちる、私の書いた文字たち。私の積み上げてきたちっぽけなプライドみたいなもの。ガラガラガラ。崩れる音がやけに耳障りだ。だけど完全にそれが崩れると、不思議なことに体が軽くなり、やっと手足が動いた。私はしゃがみ込み、その紙を拾う。おもて面は、マス目にびっしりと文字が敷き詰められていた。裏には余白があったので、ポケットに入れておいた赤と黒のボールペンから、赤を選んで握り締める。その様子を、きょとんとした表情で先生が見守る。その「キョトン」すら、今となってはわざとらしい。

「書き直しました。添削お願いします」

ビ、と顔面に貼り付ける勢いで突き返すと、目の前の文字を読んで足立先生が噴きだした。けらけらと笑い出した。職員室に残っていた他の先生が何事かと一瞬こちらを見るけど、微塵も険悪さを感じさせない足立先生の笑い声に、微笑ましそうな顔をしてさっさと視線を他に移す。ようやく笑いが収まった先生が、私の文に赤ペンでくるりと丸を描いた。

「いいんじゃない?これくらい、素直に書いたほうが。ますます可愛くないけど」

「足立先生が大嫌いです。」そう書かれた紙を先生がひらひらと眼前で揺らす。「小論文の講師別の先生に頼みたいんですけど」と私が無表情に言い放つと、けろっとした顔で「えー?無理無理。一度決まっちゃったもんは変えらんないよ〜。他の先生方お忙しいしね」と返してきた。もう添削とかいらないから独学でやりたい。けれど足立先生はにやにやと笑いながら、「合格目指して二人で頑張ろうね、さん」と『先生』みたいな言葉を口にした。反吐が出る。