「足立さん」
日付が変わる前に布団に入った。仕事でひどく疲れて眠かったからだ。ごめん先に寝る、と断りをいれて、冷たい布団にくるまった。しばらく経って隣にもぞもぞ入り込んできた彼女の声に、気だるげに「なに」と返事をする。そっちを見なくても分かる。どんな顔してるのか。声でわかる。ニヤニヤしてるの。
「0時になりました」
「……あ、そう」
「お誕生日おめでとうございまーす」
ニヤニヤ、機嫌の良い声。どう反応してやろうかちょっと迷って、はあ、と溜息吐く。寝返り打った先で向き合ったその顔を見て、わざと呆れた声を出した。
「『日付変わって、誰より最初におめでとう言いたくて』ってヤツ?」
「そう、それです」
「子供じゃないんだから……」
「嬉しくない?照れちゃってー」
「照れてないっつの。べつにこの歳になって誕生日とか、どうでもいいでしょ」
「それは足立さんが祝われ慣れてないからですよ」
「まあ、そうかもねぇ。誰より最初も何も、祝うヤツなんて君くらいしかいないし」
べつに卑屈なわけじゃなくて、ただの事実。母親なんかとはしばらく連絡とってないし。友人とかいないし要らないし。いつもの調子でワーカワイソーとかからかってくるかと思ったのに、彼女はやけに穏やかに、からかうものとは別の嬉しそうな笑みで、やった、と小さな声で喜んだ。
「そこ、喜ぶとこじゃないんじゃない?」
「えー?喜びます。私だけ特別ですね。へへーん」
「……ガキ」
ばかだな、って思って鼻で笑ってやった。それでも、彼女はまだへらへらしている。
「誕生日なんて、べつにめでたくもなんともないよ」
「去年の私の誕生日だって祝ってくれたじゃないですか」
「それは君が『ケーキを食べないで終わる誕生日なんてイヤだー!』ってギャーギャーうるさかったから仕方なくね。買ったね。ケーキ」
「そうです。めでたいかどうかなんてもう、どうだっていいんですよ」
「ただケーキが食べられれば?」
「そう、そんな程度でいいです。『ケーキ食べる日』とか、そんな程度で。誕生日」
はあ、そう、そんなもんか。何歳までだったかな、あの親が誕生日にケーキ用意したの。べつに楽しみでもなんでもなかった気がするけど。ぼんやり頭の端で考えた。考えながら、彼女の顔を見る。へらへら、幸せそうな顔。平和ボケしたような、能天気な顔。ああ、きっとこいつは、毎年親にケーキを用意してもらっていた子供だったんだろう。用意されないものなら、わーわー騒いで、やだやだ食べたい、って言ってさ。そう思ったら、なんだろうな。急に一瞬、腹の中が冷えて、すっと世界の色が薄暗くなったような。ばかばかしい、と目の前の女を突き放したくなって、
「足立さんの誕生日は、何の日?『私と一緒に過ごす日』とか、そんな程度に、してくれる?」
ああ、突き放したかった、はずなのに。彼女がほんの少し恥ずかしそうに口にした言葉に、ハッと、世界が本来の色を取り戻す。それが、無性に歯痒く、腹立たしく、なんだか負け惜しみのように彼女の鼻を思い切りつまんだ。
「なにするんれふか」
「どうでもいいけどさ、明日も仕事なんだよね。あ、日付変わったから今日?君もでしょ」
「誕生日も仕事なんてテンション下がりますねえ……」
「はいはい同情してくれてどーも。もう寝るよ」
「はあい。あ、でも、足立さん」
「なに」
「せっかくの誕生日ですから、はやく帰ってきてくださいね」
「…さあ。それは保証できないけど」
「私も頑張って早く上がれるようにしますから」
「何か用意してくれてるの?あんまり期待できないなあー」
「秘密です。とにかく、お互い早く帰って来られるように頑張りましょう」
「だから、はやく帰ってきて」こちらを見つめるその眼差しを、わざと遮るように、目を閉じた。想像する。帰宅後の彼女。きっと、ケーキは食べさせられるはめになるんだろうな。はあ、と溜息を吐くけど、あんまり悪い気のしない溜息だった。無意識に伸ばしていた手を彼女の腰に回す。冷たかった布団の中も、まあ、そこそこあったまるだろう。これくらいは、役に立ってもらわなくちゃ。だって、「誕生日」なんだし。
「足立さん。欲しいもの何かありますか。今日中に用意できる程度のもので」
「……」
「…あだちさん?」
「…」
「寝たふりじゃないですか、もう」
「……」
「ねえあだちさん」
いつか、祝われ慣れてくださいね。小さな声。それ以降はもう寝息しか聞こえてこなかった。ああ、結局そっちが先に寝るのか。こっちの眠りを邪魔しておいて。静かに瞼を持ち上げる。腹立たしいくらい平和な寝顔がすぐそばにあった。「いらないよ。なんにも」今は、きっと、もうここに持ってる。