ぐすぐす半泣きになりながらも駆け足で家に向かう。泣きながら帰るなんて久しぶりだ。職場の人間に怒られたとかそういう理由でもないし。それでも家には急いで帰らないといけない。少しでもはやく帰りたい。だって、今日だからだ。今日。
「おかえりいー。勝手にあがってるよー」
「あ、あだちさっ、ひい、ぜえ、ウエッ」
「うわ……ひくほどひどい顔してるしどんだけ髪振り乱して走ってきたの」
「ごめんなさい!!」
自分の家のドアを開けて、その人が家主もよりも先にそこにいることに安堵のような焦りのような相反する感情がどっと押し寄せた。部屋はすでに暖房であったかい。そのあったかい部屋に入るなり私はその場に崩れ落ちるように土下座する。いやもう力が抜けて崩れ落ちた結果頭が上げられず土下座の形になった。足立さんの二回目の「うわ……」って声を聞きながら、私は謝る。
だって、今日。今日は足立さんの誕生日なのに。
「私残業でこんな時間で、ご飯作ったりケーキ、ケーキをっ……うっ……ケーキ屋さんに行きたかった……ケーキ食べたかったのに……残業終わりのご褒美にもなるケーキ……」
「途中からただ自分の為にケーキ食べたいだけになってるけど」
「だって、誕生日にケーキひとつ用意できないなんて……」
「はあ。まあそうだよねえ……誰かさんが『当日は早く帰ってきてくださいね!』とか言うからこっちはちゃーんと周りに押し付……いやいや、ちゃんと仕事を終わらせて来たっていうのに?『ごめんなさい残業で』とかいうメール見てさすがにハァ~って溜息出たよねえ」
「うっ……そうですよね……私もちゃんと断って帰ればよかった……どうして私は足立さんみたいに手を抜いて図太く最低に仕事ができないんだろう……」
「器用でやり方が上手いって言ってよ」
「ごめんなさい……ケーキ……」
「ああうん、どうしてもそれが大事なんだ」
「だって!誕生日くらいしか足立さんケーキ食べないでしょう!?」
「……まあべつに一人だったら誕生日だからって理由でわざわざ食べないけど」
「ってことは足立さん、誕生日くらいしか幸せな思いをしないのに……」
「え、何?ケーキ食べることしか幸せって無いの?幸せの基準低いんだかなんなんだか」
部屋の入り口で項垂れながらめそめそしている私に、足立さんがハァ~っと深く大きく溜息を吐く。いやいろいろ話がそれてしまったけど、確かに大事なのはケーキだけではなくて。それ以外にも謝らないといけないことはあって。
待たせてしまったし、足立さん先に何か食べましたか食べてないなら何か、今からでも、と言いかけて、顔を上げた先、テーブルの上に四角い箱が置いてあることに気が付いた。足立さんが、私の視線に気付き、「ああやっと気づいたか」くらいのやれやれ具合で肩を竦める。
「足立さん……それ……」
「ハァ。何が悲しくて自分の誕生日に自分でケーキ買わないといけないんだろ。でもどうせ君のことだからケーキが無いとギャーギャーうるさいだろうなと思ったんだよね。……予想通りうるさかったし」
「……、……」
「メール見て、この調子じゃケーキ屋あいてる時間までに帰れないんだろうなーと思って……っていうか普通、前々から予約しとくとかさぁ……まあそれでも取りに行けなかったらしょうがないけど。いやむしろ恋人の誕生日だよ?有休取って一日あけるくらいの可愛げが、」
「あ……っ足立さん、大好き!!」
神様、仏様!に向けるくらいの眼差しで私は両手を組んで足立さんを見上げてそう言った。この世のどんな箱より大好きな箱、取っ手ついてるあの四角い箱。ケーキが入っていることを足立さんの言葉からも確信し、私はそれまでの沈んだ気持ちが一気に明るくなる。ケーキってすごい。私を救う。世界を救う。
「……」
そこまで気持ちが盛り上がったところで、はた、と我に返る。足立さんがびっくりした顔のまま、時間が止まったように固まっていたから。「足立さん?」と名前を呼ぶと、私より遅れて我に返った足立さんが、微妙に罰が悪そうに頭を掻いて視線を逸らした。
「あー……なんでもないよ。ただ……」
「ただ?」
「……ちょっと不意打ちだったっていうか、びっくりしただけ」
「えっ、何が?」
「……素でやってるんだったら君ってイイ性格してるよね」
「あ、えっ、たぶんめちゃくちゃ素でやってます」
ハァーっと何度目かの深い溜息。ちょっと投げやりに、不機嫌というか、拗ねたみたいに足立さんが言う。「いつも、言わないくせに」
「ケーキ一つでかるーくそういう言葉出てくるんだなって思ったら、ムカついただけ」
「……あ、あー……えっ?私普段言ってないですかね?」
「言ってないしむしろコイツ本当に彼女か?ってくらい失礼なことばっか言ってると思うんだけど」
「あ、あはは……あー……言われてみればそんな気も?」
足立さん、ダイスキ、ダイスキか。確かに、言ってないかも。言わないかも。いや頻繁に言うようなことでもない……なくないか?世間一般のカップル。改めてそんなふうに言われてしまうと、自分がさっきずいぶん恥ずかしい言葉を口にしたような気になってしまう。かるーく流してくれればよかったのに、あんな、咄嗟のノリみたいなひとこと。はいはいどーも、っていつもみたいに呆れた顔で、ちっとも嬉しくないよみたいな顔で。実際の足立さんの反応を見ちゃうと、そんなのとはまるで逆だ。まるで、聞き流せないほど、嬉しかったみたいに。
「照れました?」
「ムカついたんだってば。っていうかケーキに言ってたし明らかに」
「またまたぁ。……っていうか足立さんだって私に言わなくないですか?そういうの」
「言わないよ?」
「えっ私さっき言ったのに?いい流れ出来てるのに?言わないんですか?今?」
「なぁんで僕が言わなきゃいけないのさ。言われる側でしょ。誕生日だもん」
「あーっ!急にそうやって『誕生日だもんっ!』とか……ずっるー!いいですよー、じゃあ私の誕生日覚えてろですよそれは」
「あーはいはい覚えてたらねー」
「うわ、絶対ぎゃふんと言わせますからね!」
「言うの僕なのに? まあいいや」
その「まあいいや」が、呆れた言葉のはずなのに、思ったよりも優しく穏やかで、私は少し、笑ってしまう。この先もずっとその「まあいいや」で、この人が私に付き合ってくれていたらいいな、と思ってしまう。大好き、も、たまには口にして。
「はいっ!ケーキ食べましょう!」
「は?いやいやケーキ後でしょ。君夕飯食べてないでしょ」
「えっこの流れでケーキじゃないんですか!?」
「ほんっとさぁ……」
「足立さん誕生日おめでとう!すっごくおめでとう!」
「あー……言えばいいと思ってない?」
おめでとう、おめでとう、十回に一回くらいは「大好き」を混ぜてもいいかもしれない。だから、何回でも言おう。お誕生日おめでとう、足立さん!
