手始めにキスひとつ
「私、この時期って好きなんですよ」唐突に、そんなことを言う。数秒前まで、「さーむい、意味わかんないくらい寒い」「風が冷たい」って二人でこの気温に文句を垂れていたのに。言うほど寒いの嫌いじゃないだとか、夏よりは冬のほうがマシだとか、そういうなんてことないどうでもよさそうな話だろうかと眉を顰める。「えーそうなの?」とか適当に相槌を打ちながら、二人でやっと辿り着いた玄関のドアを開ける。寒さに自身の腕をさすりつつ、短い廊下を進んで暖房のスイッチを入れた。冬なんて寒いだけだ。夏の暑さも嫌いだけど。
「いろんな店に並んでるチョコとか催事コーナー見て『あーもうすぐバレンタインだなー』って思いながら、『あーでも、その前に足立さんの誕生日だなー』って思う、この時期」
「……ああ、そういうこと?」
「そういうこと。二月ってね、好きなんですよ。え、一か月短いからかな。短いのにそのイベントがあって、なんとなくかな」
田舎じゃバレンタインのチョコレートを買うって言ったってどうでもいいスーパーのレジ横の適当に積み上げられたやすっちいチョコレートぐらいしかないじゃないか。先回りして、「あ~、僕あの『三つ買うと千円!』みたいないかにもなバレンタインチョコは嫌だなぁ。もっとこう、高級そうなのでお願いね」とへらっと笑って言っておいた。「えぇ?あれ美味しいですよ」って返ってきた。べつにそういう話じゃないんだけど。
「まあ、でもそうですね。チョコはどうにかしますよ、どうにか」
「どうにかねえ」
「そっちの話じゃなくて、誕生日は」
誕生日は。なるほど、「べつにそういう話じゃない」は、向こうの台詞だったらしい。外から帰って、上着を脱いで、話の流れそのままに、彼女は僕の顔を見た。当たり前にこの部屋に彼女がいる。だって、当たり前に二人一緒にこの家に帰ってきた。それが時々、妙に不思議な感覚になることがある。
「誕生日は……何してほしいですか?」
「……」
「………」
「『何欲しいですか?』じゃなくて、『何してほしいですか?』なんだ」
「え?ああ……いや、何欲しいかでいいんですけど、なんとなく一応……」
「いや?『何してほしいですか』のほうでいいよ」
「いや、」
「いやあ~、何してもらおっかなぁ~」
「……え、変な意味じゃないですよ?ご飯にこれ作ってほしいとかケーキ作ってほしいとかそういうのあるかなって思っただけで」
「君って発想がおこちゃまじゃない?」
やれやれと呆れて肩を大げさに竦ませてみれば、相手はムッと唇を尖らせる。けど、拗ねた様子さえ恥ずかしさを誤魔化すためなのか、この一瞬で顔がやけに赤い。
「おこちゃまじゃないですよ。足立さんがエッチなだけじゃないですか。エロおやじですよ」
「は?いやいや、僕はただ例えばの話が食べ物しか出てこないから食いしん坊なおこちゃまだなーって言っただけだよ」
「えっ……あぁ……そういう」
「なに」
「……べつに、なんでも」
「え?なに想像したのさ。おこちゃまじゃない大人の誕生日のお願いは」
「なんでもないですよ!」
「やだなー、君のほうがエッチじゃん」
「だーっ!!」
もういいでしょ、とでも言うように顔が赤いまま僕を肘で小突いてこようとする。おこちゃまだ。いろいろ、そういうところ含めて。照れ隠しに小突いたり叩いたりしようとしていたであろうその手を、僕は簡単に掴まえて押さえこめてしまう。僕のそんな行動にちょっと驚いたような表情も、妙に期待するような表情に変わってくこの瞬間が、案外僕は好きだ。わかりやすいな。ああ、好きだね。夏より冬より、今。バレンタインも誕生日も、どうだっていいんだ。そんなものより、君が僕をその目にうつす、この瞬間。
「きいてくれるんだもんね?僕が何してほしいか」
「……誕生日に、とっておいたほうがいい、です、よ」
「誕生日だけでいいの?」
「なんでそっちがそういうこと言う立場なんですか!」
「いいの?」
「……、……や、です、よ!!」
あ、やっぱり好きかもな、この時期。