。…おい、
「…へ?あ、ごめん。なあに?…って、あれ?真田くん?」

 やっと窓から視線を動かしたは、病室の入り口に立っている真田を見るなり目をぱちくりさせた。真田にしてみれば、さっきから何回も名前を呼んでいたのに、と文句を付けてもいいところだが、今は言わないでおく。学校帰りにそのまま来たのか、鞄を適当な場所に置くと、のベッドの横の面会者用の椅子を引き、勝手に腰掛けた。

「今日も来てくれたの?べつによかったのに」
「ん?なんだ、俺が来たら悪いのか?」
「いや、そうじゃないけど。嬉しいよ?」
「そうか。安心した」
「けど、この前うちの母親と鉢合わせしたでしょ。気まずかったよ。今の子だあれ?どんな関係?って」
「俺からちゃんと挨拶したぞ?悪い印象を与えたつもりは無かったんだが」
「いや、うん、そうじゃなくって。んー…まあいっか」

 脱力したようにポスッと枕に頭を沈めたは、のんびりとあくびを一つして、窓の外をもう一度見た。「何かあるのか?外に」と真田が聞くと、んー、と気の抜けた唸り声を漏らした後、「UFOがいる」と適当な返事をかえす。「そうか」とすかさず返ってくる真田の返事。は、首を動かして真田を振り返る。てっきり呆れていると思ったのに、真田は穏やかな笑みを浮かべていた。話の内容なんて、気にならないようだった。

「体の具合はどうだ?」
「ん?うん、もうすっかり元気。数日中に退院できるって」
「…そうか。よかった」
「元々べつに、どこも悪くないよ。病気とかじゃないから、心配しないで」
「……そうだな。良かったよ、本当に」

 あの日、タルタロスから救出後、すぐには辰巳記念病院へ運ばれた。会話が出来るくらい回復するのに数日掛かったが、今ではもうすっかり元通りの顔色だった。真田は毎日病室へ顔を出し、様子を見に来ていた。無事助けられて安心したものの、こうなる前に防げなかったのだろうか、等と考えると、いてもたってもいられず、自然と足が病院へ向かうのだった。そして病室で、の、ぼんやりと外を眺める姿や、自分の存在に気付いてきょとんとした顔を浮かべる姿を見て、安心を得る。

「なんか、大げさな病気とかじゃないのに入院してるのって、仮病使ってるみたいで変な感じだなぁ」
「そう言うな。大事を取って、ゆっくり休んでおけ」
「だってずるやすみしたら授業が遅れちゃうじゃない?」
「かつて遅刻常習犯だった奴がよく言う。…まあ、安心しろ。ノートは見せてやるから」
「あはは、やったー」

 話しながら、やっぱりの視線は窓の外へ向かう。本当に何かあるのだろうか、と真田も視線を移すが、特に珍しいものが空中に浮かんでいるわけでは無かった。「なんだ、外に出たいのか?」子どもをからかうような、軽い言い方だったけれど、は素直に「うん」と短く返事をした。きょとん、と真田が言葉を失っていると、が今一度視線をこちらへ戻した。

「今、なんかね、早く学校行きたいな。っていうか最近遅刻が無かったのもね、学校行きたいなって思ってたからだよ」
「…そうだったのか」
「うん。真田くんに会えるし」
「……」
「…あれ?でも真田くんには病院でも会えるから、病院でもいいのかな?」
「ばか。そんなわけないだろ。俺は病院じゃなく、学校でお前に会いたいよ」

 自分でも驚くくらい自然に、そう言葉が出てきた。だけど、今更照れることもなく、うん、そうだ、と自分自身の言葉に頷く。「だから、待ってる。隣の席が空白じゃ、なんだか変な感じなんだ」そう言って、笑う。もつられるように、ふふ、と小さく笑った。穏やかな時間だ、と真田は思う。もしも救出できていなかったら、と思うと、自分の身に宿るこの力に、感謝せずにはいられない。今目の前では、以前のように笑っている。そうだ、これが、当たり前だ。こうじゃないと。こういう当たり前を、守らないと。

「…なあ、
「なあに?」
「もう少し、近くにいってもいいか」

 質問の意味が分からない、というように、はまばたきをぱちぱちと繰り返す。けれど、意味も分からないままに、断ることも悪いので、「うん?」と返事をした。すると静かな病室に椅子を引く音が響き、真田との距離が近付く。ずい、と枕元を覗き込み、その距離で、視線が絡む。近くに行ってもいいかと言い出したのは真田だが、それ以上、何かを喋るわけでもなく、触れようとするわけでもなく、黙りこんでの顔を見つめるだけだった。何も言われないので、もただただ黙る。黙って、ぼんやり、真田の視線に応えるようにその目を見つめ返していた。どれくらいの沈黙が流れただろう。どちらかが照れて顔を逸らすこともなく、ただお互いがお互いに寄り添い合っているような、そう思える時間だった。

「真田くん?」

 沈黙の中にぽつんと落とされた声に、返事は無い。心配するように伸ばされたの手が頬を掠めるより先に、真田がその細い手首を掴む。もう視線は絡まなかった。真田は俯いて、掴んだ手首に額を押し当て、祈るように、誓うように、「本当に、無事で良かった」と呟く。はぼんやりと、御伽話の騎士がお姫様の手の甲にキスをするシーンを頭に思い浮かべた。正確には今の状況とそれは違うけれど、手首から伝わるじんわりとした熱に、なんだか少しどきどきしていた。真田くんは王子様より騎士が似合うな、とも考えた。きっと助けてくれる。どんな敵からも、悪夢からも、悲しい結末からも。
 真田は顔を上げない。はぼんやり彼の頭のてっぺんを眺めていた。泣いてるの?と尋ねようか迷って、声には出さなかった。代わりにもう一度、「真田くん」と名前を呼ぶ。

「助けてくれて、ありがとう」

 いつも通りの声だった。いつもの、のんびりとした声。感極まったようなだとか、噛み締めるようにだとか、そういう色をした声ではなかった。当たり前のように口にした言葉だ。だから一瞬、真田もすんなりと耳に入れて、聞き流してしまいそうになって、ハッと我に返ったように、顔を上げた。そこにあるのは、やっぱりいつも通りの彼女の顔。なにもおかしいことなんか言ってない、という顔。呆然としている真田に、どうしたの、とでも訊いてきそうな、そんな様子だった。視線を合わせて、数秒。真田は掴んでいたの手をさりげなく、なんでもなかったように放すと、動揺を取り繕うように小さく笑った。

「何のことだ?いきなり。それを言うなら、心配してくれて、とか、お見舞いに来てくれて、だろ?」
「…うん?」

 「自覚」の無い人間は影時間に起きた出来事を記憶できない。それはも例外ではない筈だ。事実、あの日真田達にタルタロスから救出され、病院に搬送され、目を覚ましたとき、彼女は医者や警察に「何も覚えていない」と話した。ここ最近、そんな話はこの町では珍しくない。いなくなっている間の記憶が無い失踪者。そして失踪者は顔も名前も知らない何者かに助けられて、助けた人間はいつも名乗り出ることをしない。
 だから知っているはずがない。影人間になりかけたを助けたのが、ペルソナ使いである真田達だなんて。

「私、夢を見てた気がする。怖い夢」
「…いなくなっている間に、か?」
「そう。よく覚えてないんだけど、怖かったんだ」
「そうか…」
「でもそんな夢の中で、真田くんが出てきたの」
「…俺が?」
「うん。真田くんがね、助けてくれる夢。ボロボロになりながら、助けに来てくれる。怖い場所から、助けだしてくれたんだよ」

 夢の中で確かに聞こえたその声を、目を瞑って思い出す。救助された直後周囲に言った「何も覚えてない」は、嘘なんかじゃないけれど、あの時見た「夢」は覚えていた。それだって、そりゃあ、しっかりと何もかも覚えているわけじゃない。夢なんてそういうものだ。それでも、自分を呼ぶ、彼の声は覚えていた。自分の身がボロボロなのに、そんなの構わず、何度も何度も、必死に「」と名前を呼んでくれた声。
 真田は、言葉を失っていた。口を薄く開けたまま、声を出すのを忘れてしまったように。だからは「呆れられたかな?」と少し、落ち込む。そんなのただの夢じゃないかと言われたら、うん確かに夢なんだけどね?としか返せない。あくまで夢の中の内容、として覚えてる。だけど、そんな夢を見て目覚めた時に、彼が自分に会いに来て、「無事で良かった」と言ってくれる。それは、なんだかもう、彼に助けてもらった気になってしまうじゃないか。

「あ…えーと…現実に、誰が助けてくれたのかは分かんないけど…でもなんだか、真田くんのその声があったから、助けてもらえた気がする。戻ってこられた気がする、って。…変かな?」

 思わず体をベッドから起こして、「変なこと言っちゃったかな」という心配そうな表情でそう説明すると、黙りこんで固まっていた真田が、ぷっ、と吹き出した。すぐに口元を押さえるけれど、こらえきれずにくすくすと笑う。今度はがぽかんと、脱力する番だった。いや、何を言っているんだと眉を寄せられるよりは、こうやって笑ってくれたほうが、いいけれど。しばらく笑い続ける真田につられたように、も少し、気恥ずかしそうに笑う。

「本当、お前は凄い奴だな、
「…うん、でも真田くんも凄いよ」
「そうだな、凄いかもしれないな。お前を助けることが出来たんだから」

 一瞬、夢の話なのか、それとも本当のことを言っているのか、分からなくなる。も、真田も。だけど、気にならなかった。言葉の真意を、それ以上探ろうとはしない。
 満足するまで笑い合って、さて、と真田が椅子から立ち上がる。そろそろ帰ろう、そして今日はすごく気分がいいから、タルタロスに行くよう寮のメンバーを誘おう。もっと強くなってやる。もっともっと、大切なものを守れるように。大切な存在が、この手をすり抜けていかないように。ベッドの上でこちらを見上げていると目を合わせて、真田は微笑む。腕を伸ばして、ぽん、と頭に手を置くと、「じゃあな、また明日」と挨拶する。教室で交わすような挨拶。また明日。そう優しい声で言われると、やっぱり、早く学校へ行かなくっちゃなあと、も思う。頭上の手のひらが離れていくと、少し、名残惜しい気持ちになった。

「真田くん、また明日ね。あと、それとね、」
(いつも守ってくれてありがとう。私ね、君をひとりにしたくないの。だから、ここに戻って来られて、嬉しいんだ)




目印は名も知らぬ星でよかった
(それだけで君を探し出せるよ、きっと)