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食事というものを、あまり特別なものに感じたことはなかった。食べることや料理することに特に関心があるわけではないというか、生きてくうえで当たり前の行為だから済ますというか。あるものを食べればいいし、自分の好みの味付けがどうとか考えたことなかったし、自分に贅沢させてあげるために何か食べ物をご褒美にするというのもなかった。
ただ、最近は少し違っていて。誰かと何かを食べること自体とか、誰かの作ってくれたごはんだとか、誰かの為に作る何かだとか、そういうものの特別さが、少し、分かったような気がしてる。
たとえそれがすごく、騒がしい食卓であったとしても。
「おいコラ、チビ!オレ様より先におかわりしようとすんじゃねー!」
「…俺が先に一杯目食べ終わったんだから当たり前だろ」
「ハァ?オレ様のほうが早く食べ終わったに決まってんだろーが」
「茶碗を先に出したのは俺だった」
「っざけんな!…オイ、!」
「さん」
「「おかわり!」」
「……」
「ほーら、二人とも。が困ってるだろう。もっと落ち着いて食べないか」
ただいまー、と帰宅を報告する声と一緒に、見慣れた顔ふたつを道流が引き連れてくるのは珍しくない。今日もその日だったらしい。今日は二人とも晩飯うちで食べていくから、とにこにこしている道流の後ろで、タケルが小さく私に首だけでぺこっとして、漣はぺこりともせずに当たり前のようにずかずか部屋に入ってくる。腹減った、さっさとメシよこせ、みたいなことを言っていた気がする。道流と自分の分しか炊いてなかった白米をかなり追加で炊かないと、育ち盛りの二人の分は足りない。慌てて、道流の夕飯作りの手伝いをする。
用意してる最中も居間から聞こえる声は時折言い合いに変わるので、道流が何度か仲裁に顔を出したり、台所から大き目の声で話題を和やかなものに変えたりしていた。食事中も、放っておくとすぐ言い合いが始まる。そのたび道流が同じように仲裁する。そして今も私がしゃもじを持って沈黙したのを見て、フォローに入ってくれた。
「分かったから、順番。私は一人しかいないし、しゃもじも一つしかないから。喧嘩するならおかわりよそってあげないからね」
「……悪い」
「……チッ…腕は二本あんじゃねーか」
「(え、両手で同時にやれと?)」
タケルは素直なんだけどな。突っかかるのだいたい漣からだし。でも二人とも負けず嫌いだから、結局張り合ってる。最初はどう扱っていいのか分からなかったし、喧嘩を始めるとおろおろしたけど、今はそれが日常茶飯事なのだと理解したので、道流をならって上手く場を収めるようにしている。道流ほど慣れてはいないけど。でも私が二人の扱いを上手くなったというのでなく、タケルと漣も私の扱いを慣れたのだと思う。最初は「なんだこの女」って感じの警戒の仕方だったし。なついた、ではなく、「慣れた」だと思う。道流の隣に私がいることに。それも、たぶん、道流のおかげだけど。間に入ってくれる存在、という役割において、道流より頼もしい人はいないと思う。
二つのお茶碗に同じ量のご飯を盛ってから、両手で一個ずつ茶碗を持ち、「はいどうぞ」とそれぞれ二人の前に同時に置く。量が目に見えて違ったり、どっちを先に置いたりとか、そういう差が無いように。どうだこれで文句ないだろう、両手で同時にやってあげたぞ、と満足げに二人を見る。そんな視線はお構いなしに、二人は二杯目を食べ始めた。ふと視線を感じたのは、私のほうだ。じーっと見てくる道流を振り返って、あ、と気付く。
「道流も、はい」
「ん?…ああ、ありがとう」
伸ばした私の手にはっとして、お茶碗をこっちに渡す。タケルたちと同じようにご飯を盛って、はい、とそのお茶碗を返す。その時にも道流がじーっと私を見るので、視線の意味が分からず頭にハテナを浮かべて困惑した。何か変なことした?顔に何かついてる?
「…な、なに?」
「あ。いや、悪い。こうしてみるとまるでタケルと漣のお母さんみたいだなあ、と思ってな」
「えっ」
「ははっ!いやー、もすっかり溶け込んでる、というか。仲良くなって良かった良かった」
たしかに自分でも、最初の頃に比べて打ち解けたとは思うけど。そこまで言われると、なんだか妙に照れ臭い。親子みたいだなんて、そんなこと考えてもみなかった。漣も道流の言葉に、眉を寄せてヘンな顔をしている。だけどその変な顔は、何言ってんだこんな奴が母親みたいだなんてそんなわけないだろ、っていう全面的に呆れて否定するような表情ではなくて、「お母さんみたい」という言葉が聞きなれない外国語のようで意味を理解していないような、そんな顔だった。
「…こんなに喧嘩ばっかりの息子たちじゃ毎日大変だし、私じゃ手に負えないと思う」
「そうか?この手のかかる感じが毎日楽しいと思うぞ?」
「……道流は何ポジションなの」
「んー…そうだなあ。自分にとっては二人とも、やんちゃな可愛い弟みたいに思ってるが」
「三兄弟になってる…」
たしかに、漣とタケルのお兄ちゃんみたいだな、と道流を見てるとよく思うけど。それじゃあ私、道流のお母さんみたいでもあるってことになるのでは?とツッコミを入れようとしたら、それまで黙って聞いていたタケルが、私達のほうをじっと見て、ふと箸を止めた。「それなら…」と呟いて、それに続く言葉に、私はものすっごく動揺してしまう。
「俺は円城寺さんとさん見て、夫婦…ってこんな感じか、って思った」
「…、え、えぇっ!?」
「おお…夫婦みたい、か。ははっ!少し照れるが…嬉しいな!!」
「う、…、えっ!?なっ、えっ!?」
「さっき『おかわり』って言ってもいないし訊いてもいないのに自然に茶碗渡してるのとか…」
「それは、その、だって、流れでなんとなく…」
「円城寺さん、普段から俺達によく家でのさんの話してるから。…寝起きがどうとか、いろいろ」
「み、道流なんのはなししたの!?へんな話してないよね!?」
「…あー…いや、変な話はしてないぞ。うん。細かいところは伏せてる…はず。なあ、漣!」
「いつもオマエの話するときニヤニヤしてきもちわりーんだよ、らーめん屋は!」
「ははっ!いやあ、気を抜くとどうも……っとまあ、こんな感じだ!」
「わかんないよなんの話してるの…」
あんな話こんな話どれだろうどうしようあのときの話とかこのときの話されてたら恥ずかしすぎる…と思い当たるネタがいくつもあるのが余計に恥ずかしい。顔を両手で覆って「う〜〜」っと唸ってしばらく俯く。年下の男の子たち相手に自分の恥ずかしいところ知られてると思うと、もともと格好つけるつもりはないけど、それにしたって格好つかない。こうやって私は恥ずかしがってるっていうのに、道流は隣で笑っている。顔全体を覆っていた手をゆるゆる口元に動かして、目だけで道流をじーっと睨む。笑ってるその顔を見たら、もう、なんだってよくなった。
「…そりゃあ、たしかに…息子、よりは…そうかもしれないけど…」
「お!じゃあ改めて、これからもよろしくな。『奥さん』?」
「〜〜っ!道流!!」
「はははっ!からかいすぎたな。すまんすまん、言ってみたかっただけだ!」
顔を真っ赤にして怒る私の頭に、ぽんぽんと道流が手を置く。む、と少し口を尖らせて、その大きな手を受け入れる。こういう余裕があるから、それこそ、お兄ちゃんみたいだったり、道流こそお父さんみたいだったりするんだ。そう思ったらもっと、むぅ、として、口がますます尖る。ちらりとタケルと漣のほうを見たら、何やらおかずの取り合いでまた少し言い合いになっていた。二人がそっちに気を取られているなら、と、私はちょっと道流のほうに体を寄せる。顔を見上げたら、道流も「ん?」って表情で、体を傾けて話を聞きやすいように目線を合わせてくれる。内緒話をするような距離で、口を開く。言ってみせる、と意気込んでいたのに、直前で急に恥ずかしくなって、あ、どうしよう、やっぱりやめようかな、ともごもご気持ちが後ずさった。でも、へんに顔を逸らすこともできない。
「…、…あ…」
「ん?どうした?」
「……『あなた』?」
迷った末に、結局声に出してしまった。自分の恥ずかしそうに震えた声で聴いて、余計に恥ずかしさが増す。かああ、と自分の体温がみるみる上がるのを感じて、パッと体を離して距離を取る。俯いて目も逸らした。あなた、って、言うんじゃないのかな、呼び方違ったかな。でも『旦那さん』って呼ぶの、なんか変かなって、おもって。
「い、言ってみたかっただけ…なんでもない、ごめん…」
恥ずかしさでしおれた声で言い訳して、何事も無かった風を装って、すっかり止まっていた食事を再開させる。箸を持ち直す手がまだちょっと震えて格好悪い。不意を突かれてぽかんとかきょとんとしているのか、道流の反応が横からまったく聞こえない。うう、はずかしい、やらなきゃよかった、なにしてるんだろう、ひかれたかな、とぐるぐる思いながら飲み込むごはんは味がよくわからない。ふと、タケルがこっちを見た、気がした。恥ずかしさメーターがさらに振り切れる。タケルに気付いて真似るように、漣が視線を動かした。そして、またよくわからないものを見るようなヘンな顔して。「…オマエ、それ」
「いつものニヤケ面ともちげーし…くははっ!らーめん屋!なんだそのヘンな顔!」
「…っていうか、少し顔赤くないか。大丈夫か?円城寺さん」
それまで恥ずかしくて目を逸らしていたのに、二人の言葉に、えっ?と思わず道流を見た。すると、顔を見られまいとするように視界を道流の大きい手のひらが遮ってくる。でも、その指の隙間から見る道流の顔はたしかに少し、赤い気がした。そんな顔見たら、なんだかこっちも照れてしまう。でもそれと同時に、恥ずかしさとはまた違うあったかい感情も、ぐぐっとこみあげてくる。…だってこんなの、予想外だ。いつもみたいに明るく笑って、「照れてるな〜〜」なんて私をからかうくらいの余裕があると思ってた。…なのに。
「…いやー…参った…心臓に悪いぞ、…」
「道流…やり返されると弱い?」
「え…さん、何かしたのか?」
「し、してない…」
「フン…よくわかんねーけど、オマエら!食わねーならオレ様が残りのおかず食ってやる!」
「あ、おい!」
「あっ卵焼き!もう、漣!」
「…ははっ!どうどう。足りないなら追加で作るから落ち着け」
賑やかで、騒がしい食卓。みんなで囲む食事。自分の分が取られたら怒るくらいに好きなたべもの。そもそも横取りされるような経験もなかったけど。それも賑やかな食事の醍醐味なのか。少し前まで、馴染みのなかったもの。さっき動揺しながら食べたとき味が分からなかったごはんも、やっぱり、おいしい。
喧嘩の仲裁に入る道流の横顔を、そっと見る。「奥さん」も「お母さん」も、今は中身を伴わないハリボテみたいなおままごとに聞こえてしまうかもしれないけど、もし、もしもだけど、その特別な呼び方が特別じゃなくなったなら、そのときは、ううん、そのときも…なんてことのない自然さで、そのお茶碗を受け取っていたら、いいな。そう願っても、いいのかな。だめかな。だめじゃないかな。
回を重ねるほどにいちゃつきが増すシリーズ/190501