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「
?眠れないのか?」
暗い暗い、静かな部屋の中。静寂を破ったその声に、はっとする。ひどく心細かった暗闇に一瞬で光が灯った心地になるけど、ゆるんだ緊張はまた次の瞬間には違う意味で襲って、咄嗟に出た返答の言葉は「ごめん」だった。最初の一音目は掠れてすらいたかもしれない。いや、どもったかもしれない。格好悪い、か細い謝罪の言葉に、暗闇の中の気配だけでも、道流が驚いたのがすぐわかる。だけどそれもすぐに柔らかい、優しいものに変わった。
「はは、なんで謝るんだ?べつに『早く寝なさい!』なんて怒ってないぞ?」
「だって……起こしちゃったから。なんか、もぞもぞしてた気がする、私。ごめんね」
「ああ……いや、違う違う。自分は―…」
「でも大丈夫だから!ちゃんと寝るから!道流明日も今日と同じ時間だよね、家出るの。よし、寝よう!おやすみ!」
道流のことだから、「いやーべつに
のせいで目が覚めたわけじゃなくて自然となー」とか言おうとしてくれた気がするけど、明らかに一度寝たところを私のせいで起こした。と、思うし、たぶんその流れで「眠れないなら少し話すか?」とか、「何かあったかい飲み物でも淹れるか?」とか、そういうことを言い出す気がする。道流は優しいから。経験談。でもそれじゃあ道流の大事な睡眠時間が削られてしまう。それはいけない。
なので私は布団を口元まで上げてから、ぎゅっと目を瞑って「もう寝ます、寝ました」の体勢に入る。お話しなくても大丈夫、あったかい飲み物も飲まなくて大丈夫。大人しく、いいこに、ねむれる。そんな私に、道流からの返答は……無い。無理やり会話を打ち切られてキョトンとされたか、もう会話の直後に寝ちゃったか、それとも……ムッとされただろうか。いや、たしかに、嫌な態度だったかな、おまえが起こしといてなんだよ、みたいに思われたかな。いや道流はこちらが困るくらい優しいからそうは思わないだろうけど、でもまたそう甘えてる自分の考えも最悪だし、ああ、なんか、不安になってくる。ぐるぐる。目を閉じているのに、ぐるぐる。
結局、そっと瞼を持ち上げて、そおっと首を動かして、道流の方を見た。
「っ、わ!?」
そして思わず声が出た。暗闇でも、この距離ならわかる。視線を向けた先で、道流はぱっちり目を開けてこっちを見ていた。目が合う。
びっくりした。でも私の驚いた様子に、道流はすぐにへらりと笑う。ちょっと困ったような笑い方。
「すまんすまん、驚かせたな」
「う、ううん……その、じーっと見られてるとは思わなくて……」
「ははっ、いやぁ……うん、悪い。
の言う通りだな。じーっと見つめてないで、自分も寝るとするか。明日きちんと起きられるように」
「……うん」
私の「うん」の声色を聞いて、そして私の表情だってきっと確認してから、道流は目を細める。目を瞑る、その同時くらいに彼の唇が動く。
「……『よく眠れるおまじない』」
どこかで仕入れた知識を読み上げるように、本当におまじないの呪文として唱えるように、唇はそう、低くて心地よく響く声を発した。私がきょとんとする暇もなく、衣擦れの音と一緒に道流の体がこちらに寄せられる。背中に回された腕に、普段から分かっていたはずのその逞しさを改めて感じて一瞬心臓が悲鳴を上げた。こんなに距離が近くちゃ、その悲鳴だって聞こえているかもしれない。心臓の音、うるさい。けど、それに重ねてすぐ近くで聞こえる道流の声が、はっきり、掻き消されないで私の耳に届く。
、と名前を呼ばれる。そしてぎゅっと抱きしめる腕に少し力がこめられた。私の髪に顔をうずめたままのくぐもった、こういう夜、布団の中でしか聞かないような囁き声で道流が話す。
「今日はこのままくっついて眠っても構わないか?」
「うん……うん、もちろん」
道流がふ、と笑うだけでも息がかかって、距離の近さを感じる。いつも一緒の布団に眠っていたって、毎晩こんなふうなわけじゃない。たまにあるこういう空気。慣れない、けど、嫌じゃなくて、やっぱりうれしい。
「ありがとう、
。おかげでよく眠れそうだ」
穏やかな声。やさしい声。そのまま眠りに落ちる直前のような静かなもの。私は道流のその声を聴いて、いや、その言葉を聞いて……ん?とあることに引っかかる。眠る体勢に入っていたはずが、その「ん?あれ?んん?」を見ないふりできず、閉じかけた目はぱちぱちとまばたきを繰り返した。もぞもぞと首を動かして道流の顔を確認しようとする。
「なんで道流が私に『ありがとう』なの?」
「……ん?」
「よく眠れるように、って抱きしめてもらったのは私の方なのに」
「ああ……いや?それをいうなら、自分が『よく眠れるように、
のことを抱きしめさせてもらった』だな」
「……そ、っか…?」
さっきの「よく眠れるおまじない」は、道流が私のためにやったものではなくて、道流のために私が手伝ったもの……にあたるらしい。腕の中の私がぽかんと納得できてない顔をしているのが分かっているのか、道流は笑って「普通の枕より抱き枕の方がよく眠れる人もいるだろう?自分はあんまり試したことがなかったんだが、なるほどきっとこういう感じなんだなあ」なんて喋りながら、また私のことをぎゅーっと抱きしめてくる。
なるほど…なるほど?私の言った「全然大丈夫!なんでもない!ちゃんと寝られるから!」を嘘にしないで、「道流が明日問題なく起きられるように迷惑かけたくないから!」も叶えてくれたってこと。そう、そっか。本当、つくづく、道流って、やさしすぎてずるいところがある。ううん、ずるいって言っちゃうとちょっと違うかな。道流にそんなつもりはきっとないから。道流に、「ズル」って言葉似合わないな。
「わかった。でも、私も言わせて。道流」
「ん?」
「ほんとは、眠れなかったの。急にいろいろ、全部が不安になる夜があって、それが今日だったんだと思う。でも今は、道流のおかげで眠れそう。抱きしめてくれてありがとう、道流」
何も道流のためにできることがない、私なんかが道流の傍で生きられるなんてきっとすごくズルい、今にバチが当たるような、そんな、本当にそんな気持ちになる夜がある。隣で道流が眠っているのに、横を向けばすぐそこにいてくれるのに、どうしようもなく不安になる。そう思ってしまう自分さえ嫌なのに、一度考えてしまったらずるずる眠れなくなった。
道流は、私の言葉を静かに聞いて、沈黙の末に「そうか」って相槌を打った。私のモヤモヤも不安な気持ちも全部全部ひっくるめて包み込んで、トゲトゲをまあるい形に整えて、ぽんぽんと柔らかく触れてくれたような、そんな「そうか」の声だった。
せっかく道流が、私の手柄のように言ってくれるから。もっと優秀な抱き枕になってみせよう、もっと道流がよく眠れる手伝いをしよう、と私も腕を回してぎゅっと抱きしめ返してみる。その胸に顔をうずめて、くぐもった声で囁く。
「おやすみ、道流」
「……ああ。おやすみ、
」
愛しい人が、よく眠れますように。夜にとけて消えてしまいませんように。ひとりでこっそり祈って目を瞑ったつもりだけど、道流がまたぎゅっと抱きしめる腕に力をこめるので、道流も私と同じことを祈ってくれたような気持ちになった。
朝。朝だ。でもきっと、まだ起きるには早い。朝方、ではある。たぶん。カーテンの隙間から漏れる微かな光は、布の向こうがもう夜の暗闇ではないことを教えてくれていた。
決して、よくねむれなかったわけじゃない。道流のおかげでちゃんと眠れた。良い夢も見た気がする。だから、たまたまだった。早くに目が覚めてしまったのは。どれくらい早いかと言うと――……道流がまだ起きていないくらい、だ。
めずらしい。めずらしすぎる、我ながら。道流より早く起きる日が来るなんて。自分は本当に朝に弱いので、いつも道流が先に起きて、朝ご飯やらなんやらを用意してくれる。でも今日は違った。こんな時間にすっきりと目が覚めている自分がいる。そおっと、自分と密着して布団に入っている道流の顔を見る。かなり近い距離。すう、すう、と規則正しい寝息を立てている。貴重な光景だった、私には、かなり。
しばらく見ていたい気持ちもあったけど、はっとひらめいた。いつも道流が用意してくれてるけど、珍しく早く起きたんだし、今日は道流が起きる前に私が朝ご飯を用意したら、びっくりしてくれるのでは?
そうと決まれば!私は音を立てないようにそーっとそーっと布団から出ようとする。一晩中そうしてくれていたのか、自分の腰に回されていた道流の手を一度持ち上げて、そおっとその腕から抜け出すように体を布団からスライドさせ、起き上がろうとした――ら、
「わっ!?」
のびてきた腕によって、簡単にまた布団に体が戻されてしまう。びっくりした。「ちょっと、道流」起きてるの、と言いかけたけど、私を布団から出さないよう抱きついてきた道流は、目を瞑ったまま変わらず「すう、すう」と寝息を立てていた。
「……」
「すう……」
「………………」
え、どっちだろう。本当に眠ってるのか、私をからかってるのか。
「道流?寝ぼけてる?」
「……ぐう」
「ぐう?……道流、やっぱり起きてない?」
むう、としながら私がもう一回布団から出ようとすると、やっぱりそれを許さないように、がしっと掴まれて体が動かなくなった。
「みーちーるー!」
「……」
「お……起きないとチューするから」
「……ん?じゃあ起きるわけにはいかないな」
「起きてるっ!!」
わっ!とツッコミを入れたら、道流がふきだすように笑った。朝一番の笑い声は、掠れもしないで、ちっとも眠そうに聞こえなかった。
布団から未だ出ずに、腕だけで私を引き留めている道流が、笑いながら言う。「もう少し寝ててもいいんだぞ」って。
「それは分かってるけど、分かってる上で、今日は起きたい気分だから」
「うーむ、そうかあ」
「……でも」
「でも?」
「じゃあ、あと五分だけ」
そう言って、布団の中に舞い戻った私に、道流がまた笑った。それが嬉しそうな、楽しそうな笑い声だから、ああもう朝から何してるんだろうな私たち、ああでも朝からなんだか幸せだなあ、って思えてしまって、私も少し笑ってしまった。じゃれ合うように布団に包まった。こんな朝が、たまにはあってもいいはず。五分後には二人で「おはよう」を言おう。おはよう、道流、今日もすきだよ。
ずっとあなたと幸せな朝を迎えられるように。/240915