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「そうそう、この収録の日ちょうど翼がさ」
「うん?」
おいしいごはんを二人で作って、そのごはんを囲みつつテレビを見る。ごはん中はテレビを見ちゃいけませんという家庭には育たなかったので、もぐもぐ口を動かしながら、テレビ。ほかほかあったかくておいしいごはんの大半は私じゃなく輝さんが作ったものなので「二人で作った」というより輝さんが作って私は手伝ってただけなんだけど、この話をするといつも「それが『二人で作った』って言うんじゃないか」と輝さんが言ってくれるのでまあ細かいところはツッコまないことにしよう。とにかく二人でごはん。テレビ。どこにでもいそうな普通の、平凡なカップルの日常。ただ、その二人で見ているテレビの画面の中にいる男性が、今この部屋でごはんを食べている男性と同じという点を除けば、ふつう。
輝さんがアイドルというものになって結構経った。それでも未だに、なんだかよく分からない。自分がどういうスタンスで応援していいのか。出会った時からそういう職の人だったらまた違ったと思うんだけど、突然のジョブチェンジだったので。前職とかなりイメージが変わるのだけど。自分はアイドルと付き合ってる女、という自覚があまり生まれない。こうやって普通に二人でのんびり過ごしてると、忘れる。けどテレビに輝さんが映ってると、あ、そうだった、そうだよな、って思う。応援はしてる。ちゃんと応援してる。歌もダンスもかっこいい。好きな人のかっこいいところを見ることができてうれしくないはずがない。ファンに嫉妬したり逆に優越感に浸ったりもない。でも、ただ、分からない。漠然と。
「うへぇ…じゃあこの本番の裏ですごく大変だったんですねぇ」
「そうなんだよ!…けど、こうやってオンエア見ると分かんないもんだなー」
「全然顔に出てないですもん。プロですよプロ」
プロ…プロかー…と呟きながら心なしかちょっと照れてる輝さんを横目に、ごはんの最後の一口を飲み込んで、ごちそうさまでした、と両手を合わせる。「おいしかったぁ」とこぼすと、輝さんが笑って「ああ、二人で作るといつもより美味い気がするよな」なんて返してくれるけど、輝さんのご飯は一人で作ったっておいしいの知ってるんだよなあ、と可愛くない台詞が浮かんで食後のお茶と一緒に喉奥へ押し込めた。
例えば、収録の裏話。私にだけじゃなくいろんな人に話してるかもしれない。ラジオや他番組でネタにすることもできるだろうな。
例えば、上手な料理の腕前。そういうのを披露する番組に呼ばれるかもしれない。ゲストやファンに振る舞う機会があるかも。
「?どうした?ぼーっとして」
「…ん?んーん、なんでも。お皿洗い、私やりますね。輝さんはテレビのチェックしててくださいな」
「なーに遠慮してんだよ。二人で作ったんだから片付けも二人だろ?」
「(いやあ…ほとんど輝さんが作ったから片付けぐらいは私が…)じ…自分が出てる番組チェックするの大事じゃないですか。テレビ見ててください」
「おう、片付け終わったら二人で見ようぜ。録画するくらい楽しみにしてくれてたみたいだしな?」
レコーダーの録画ランプが点いていることに気付かれているらしい。うん。ばっちり前々から録画準備してたけど。べつに後でも見れるけど。ひょいひょいとテーブルの上のほとんどの食器を流し場へ運んでしまう輝さんを、少しの皿を持って追いかける。
「洗うのは私が!輝さんは洗ったの拭く係でお願いします!」
きょとんと「べつにいいけど、なんで?」って顔してる輝さんに、「水仕事で手が荒れちゃったら大変ですよアイドルですよ」って言おうか迷ってやめた。なんか何を言ってもちょっと、こう、かわいくない。アイドルって仕事を茶化すつもりはないし、嫌味とか文句じゃない。だけどなんだか、昔よりもずっと、話したい言葉を選ぶようになった気がする。いや、選ぶっていうか、途中でやめることが多くなった。もっと他に何か言えることがあるはずでは、って、探すことが多くなった。
「…なあ、」
「はい?」
「最近会えなくて悪かった」
「えっ、あ、いえいえ」
「何かあったのか?」
「えっ…あ…いえ」
「仕事の愚痴でもなんでも、俺でよかったら話聞くからさ」
洗ったばかりの、輝さんの作ったおいしいごはんの痕跡一つ残っていない白い皿を拭きながら、輝さんは言う。改まって聞かれるよりも、こうやって作業のついでみたいな雑談で話すほうが私には気が楽だということを知っている。輝さんは人の話を聞くのが上手だと思う。人の力になってあげるのも上手いのだと思う。前職で培ったあれそれだけでなく、人柄的にも。でもそれはきっと私だけが知っていることではなくて、彼を知る誰もがきっと気付いていることだ。アイドル天道輝のファンだけでなく、それこそ、弁護士時代に力になってもらった人達の誰もが知っている。
「…輝さんが」
「ん?俺が?」
テレビと普段でキャラが違ったらよかったのにな、いっそ。事務所の方針でーとかでキャラ作りさせられて。そうしたら、テレビに映る彼を見ても、こんな気持ちにならなかったかもしれないな。だって、テレビに映る彼も、今隣にいる彼も、変わらない。そのままの眩しさだった。そのままで輝いていた。そのままで愛されていた。そりゃあそうだ、だって輝さんはそのままで素敵なひとなのだし、そのまっすぐさが魅力なのだし。だから、アイドルになって、変わってしまっただとか、遠くなってしまっただとか、思わない。思わないから、なんだか複雑なのだ。私の知ってる輝さんの魅力は、きっと彼を知る誰もがわかっている。これから先もっともっと多くのみんなが知っていく。
例えば、収録の裏話。例えば、上手な料理の腕前。例えば、なんでも相談に乗ってくれる優しさ。
私しか知らない輝さんがひとっつもなくなっても、私はこの人のそばにいていいんだろうか。そんな、ぼんやりとした不安。
「……」
「……分かった」
「え、何がですか」
「寂しい思いをさせてたってことだな」
「…え、いやあ、ええと…」
「は意外と寂しんぼだからな〜…けど、寂しんぼうも少しのしんぼうだ!ってな!」
「……」
「…サン?」
「輝さんのそういうところ好きですよ」
「目を合わせて言ってくれよ!」
最後の一枚の皿を拭きながら、軽くとん、と肩にぶつかってくる輝さん。私は曖昧な笑顔のまま輝さんのその残りの一枚が食器棚にしまわれるのを待って、一通りの食器洗いという作業が終わってから、輝さん、と名前を呼んで、一呼吸置いて、ちゃんと目を合わせて、もう一度言った。
「好きですよ。輝さんの好きなところ、いっぱいあります」
噛み締めるように。言い聞かせるように。そう言った。食器棚の戸を閉めた輝さんが、そのままの状態で固まったように手を止めている。私と視線を絡めて、しばらく沈黙した。その沈黙のうちに、輝さんが私の言葉の深いところを探ろうとしているのが分かる。きょとんとしているわけでも戸惑っているわけでもない、真剣な眼差し。
「でも、私の『好き』より大きかったり、『好き』の種類が違ったり、多かったりする誰か…、輝さんのこと私よりすごく好きな人が世界にはすごくたくさんいるかもしれない、って思うと、…なんか…申し訳ないような…」
「……」
「『一番』じゃない私が輝さんのそばにいていい理由って、あるのかなあ…なんて」
人間、幸せすぎると不安になるらしい。今、輝さんのそばにいることを輝さんに許されているからこその、とても贅沢な不安だ。そう分かっているけど、この先ずっと抱えていくには少しばかり自分には重すぎるもやもやだった。いくら話を聞いてくれるといっても、輝さん本人に打ち明けて良いことだったのかどうか、口にしてから後悔する。輝さんが顎に手をあてて、真剣に考える素振りを見せながら、黙り込んだ。困らせてしまったかな、謝ろう、無かったことにしよう、と口を開きかけたとき、「なあ、あのさ」と輝さんが先に声を発する。まっすぐに私をその目で射抜きながら。
「傍にいていい理由なんて無いんじゃないか?」
「……無い、ですか?そ、そもそも私には無い…?」
「相手、っていうか…誰かに許可を貰うもんでもないだろ?『傍にいていいぞー』なんて言ったか?俺。なんかちょっと偉そうだよな、ソレ!?」
「…いや、まあ、例えっていうか、実際にそう言われたわけではないですけど…」
「それにさ、『好き』って気持ちの大きさも順位も、誰かが決めるもんじゃないし、比べるもんでもないだろ。んー…なんていうんだろうな、こう…」
「…」
「もし俺のことを世界で一番好きなのがじゃなくても、の世界で一番好きな人が俺だったら嬉しいって思う」
「それが俺の、に傍に“いてほしい”理由だな」そう言うと、少し照れくさそうにはにかむ。その笑顔が、私の視界にぼやけて、歪んで、ぶわーっとダムが決壊したように涙が出てくる。私が零したのは明らかに輝さんを困らせてしまう言葉だったのに、どうして返ってくるのがこんなに優しく私を幸せにしてしまう言葉なのか。ぼろぼろ泣き出して止まらない私に、「なんで泣くんだ」とも「そんなに泣くな」とも言わずに、輝さんは笑って腕を伸ばす。その腕の中で私は思う。私しか知らない輝さんがひとっつもなくなっても、私はここにいたい、って。
それでもこの腕のあたたかさは自分しか知ることはないって自惚れたい/180717