室町十次


「あれ、さん。靴紐ほどけてますよ」
「えっ!?あ、え、あ、ご、ごめん今、はい、あの、直しますすんません」
「いやべつに謝らなくてもいいと思うんですけど」

俺が話しかけるといつもこの人は緊張したように顔を赤くして、やけにおどおどする。今だって俺の言葉を聞いてびくりと肩を強張らせた。慌ただしく謝罪しながらしゃがんで自分の靴紐を結ぶ。俺がそれを黙ってじっと見ているのが気になるのか、誰が見ても分かるくらい手元が落ち着きなくて、パッと一瞬で済ませたその蝶結びの出来栄えは酷いものだった。
だがそれを気にせずすぐに彼女は前に向き直り、「ありがとうごめん大丈夫ですさぁ行きましょう」とそのままそそくさと歩き出そうとする。そんなに俺を待たせることが気が引けるんだろうか。靴紐結ぶなんてそう時間も掛からないんだから、そんな少し立ち止まるくらい、いいのに。何をそんなに、俺に気をつかう必要があるのか。遠慮する必要があるのか。

「あー…あの、さん。ちょっと待ってください」
「は、はいなんでしょうか」

ぴしっと足を止めて早口に返事をする。それを確認し、俺は彼女の足元にしゃがんだ。
さんはかなりびっくりしたようで思わず後退ろうとしたけど、それを俺が止める。彼女の片足のぐちゃぐちゃな靴紐を一度ほどいて、結び直す。器用とか不器用の問題じゃないだろう、これくらい。さっきのさんの蝶結びときたら、ほぼ縦になってたし、右側が短くて左側が長かったし、なんかもう全体的に不格好だった。それに比べれば、俺の出来栄えのほうが綺麗だ。
きゅ、と結び終えると、同時に顔を上げて彼女を見た。彼女も顔を真っ赤にしながら、俺を見下ろしていた。恥ずかしそうに、照れたように。
ふと自分の今の状況が、お姫様に跪いてるみたいだな、なんて子どもみたいなことを考えた。ここで千石さんだったら、照れもせずそのまま「出来ましたよ、お姫様」くらい言うのかもしれないな、とも思った。俺も言ってみようか。間髪入れずにもう一人の俺が却下した。思いついたこと自体馬鹿みたいに恥ずかしかった。

「子どもじゃないんですから。靴紐も結べないんですかまったく」

立ち上がってから、恥ずかしさを紛らわすために「出来ましたよお姫様」とは正反対の言葉が口から飛び出す。そんな自分が嫌になるけど、さんは顔を真っ赤にはしているものの、俺の言葉に気を悪くしたような素振りは見せない。ただほんとうに恥ずかしそうにもじもじしながら、「ごめん、ありがとう」と口にする。何回謝るんだろう、この人。でも、「いちいちかわいいんだよなあ」ほんと。

「…え、えっと、なななにが…?」
「え?…あ、俺今口に出してました?」


















東方雅美


「ねえ東方ー、なんで南と千石はぎゃあぎゃあじゃれてるの?」
「ああ、あいつらか。なんか千石が南の携帯のフォルダにクラスの女子の画像が入ってたとかなんとか騒いで、その千石の手から自分の携帯を取り返そうと南が奮闘してるらしい」
「ふぅーん…」
「なんだよ。自分から聞いといて素っ気ない相槌だな」
「いや、べつに。東方はそれに混ざらないのかなーって」
「俺か?…いや、べつに…どっちに加勢しようっていうのもないしな…」
「ふぅん?」

さっきから鼻を鳴らすような「ふぅん」という返事ばかりする。俺がやれやれと肩をすくめて、「俺はいいから、混ざってくればいいじゃないか」と言うと、はじっとりと俺を見つめ、それからはあと大きく溜息を吐いた。なんなんだよ、その反応は。こういうからかい騒ぎは大好きじゃないか。いつも千石側について南を困らせてるだ。俺の状況説明を聞いたらあの二人のところにすぐさま飛び込んでいくと思ったのに。俺がラケットの手入れを再開させようとしたら、その隣に彼女は腰を下ろす。なんだ?と口にするより早く、は喋りだす。

「なんか東方ってさぁ、自覚はないのかもしれないけどたまに『俺と喋っててもつまんないだろうから他を当たってくれ』みたいなオーラを出すよね」
「そ、そうか…?」
「見守り役に徹しようとするというか」
「そ……そうかぁ?」
「もっとさ、アクティブにいこうよ!楽しいこと逃したら勿体無いよ?」

そう言って俺の顔を覗き込み、ニッと笑う。面食らって何も言えないでいる俺の背中をばしばし叩くけど、なりに背中を押しているのだと感じて、すこし、笑ってしまう。口元の緩みに気づいて、彼女はもっと楽しそうに笑う。そして、よーし、と奮い立たせるように大きめの声で言うと、俺を引っ張る。その場を立ち上がり、南達のほうへかけ出した。うん、まぁ、そうだな。お前に巻き込まれてみるのも、悪くないよ。













壇太一


先輩は、動物、す、好きですか?」

先日校内に迷い猫が入ったという噂が部室で話題になると、その人は目を輝かせて「いいなあ、会いたかったなあ」と繰り返した。何度話しかけても慣れないけれど、ボクはどきどきとうるさい心臓を押さえながら、先輩に尋ねた。憧れのひとに話しかける時は、共通の話題を探すといいって、本に書いてあった。きっとこれが、チャンスだ!とボクは思う。どきどきしながら返事を待っていると、先輩はお日様みたいにぴかぴかした笑顔で、「大好きだよ!」と答えてくれた。ボクはほっとするのと同時にすごくうれしくなる。だけどすぐ我に返って手にあったノートにメモをとった。先輩は動物が好き、と。

「えっと…猫派ですか?犬派ですか?」
「うーん、それはとっても難しいねえ…」

腕組みをしてうなりだす先輩は、本当に真剣に答えを悩んでいるようだった。ボクは相変わらずどきどきしながら答えを待っていたけれど、先輩はううむううむと困ったように唸り続けなかなか答えが出ない。きっと、すっごくすっごく、犬も猫もどっちも好きなんだろう。ボクはこんなに真剣に考えてる先輩は本物の動物好きだ、と感動するのと同時に、ここまで真面目に悩む姿が、年上とはいえ可愛く思えてしょうがない。胸が騒がしい。漫画みたいな表現だけど、きっとこういうときの胸の音を、「きゅん」って音で人は表すんだろう。ボクは笑って、先輩にまた尋ねる。

「質問がいじわるだったかもしれませんです。先輩、犬は好きですか?」

この質問に、先輩は悩んでいた表情をパッと笑顔に変えて「うん!」と大きく頷いた。そうだ、犬と猫どっちのほうが好きかなんて聞かなくていいんだ。だってどっちも好き、なんだから。…そうと、決まれば。深呼吸して、緊張しながらもボクは言葉を選ぶ。

「あの…ボクのうち、犬を飼ってる、です。先輩、今度良かったら、うちのわんちゃん、触りに…来ませんか?」
「壇くんのおうちに?えっ!いいの?」
「ハイです!」
「うれしいなぁ〜!行く!行く!絶対行く!」

嬉しそうに何度も首を縦に振ってくれる先輩を見ると、ボクもみるみる嬉しさがこみあげてきて、こっちもこくこくと何度も頷いた。話を聞いていたのか、後ろから千石先輩がからかうような声で言う。「壇くんったらスミにおけないなぁ。ちゃんをおうちデートにご招待?」ボクが顔を真っ赤にして振り返り、違いますよ!と言うより早く、先輩が「うん!」と笑った。…えっ!?せ、せんぱい、デートって、え、あの、どうして…!














南健太郎


「南マジごめん宿題うつさせて」
「…お前隣の席になってからほぼ毎日じゃないか?」
「な、なんか南って宿題借りやすくて…」
「借りやすいってなんだよ…」

ぶつぶつ文句を言いながらも、どうしてかいつも俺が観念するはめになる不思議。ノートを「ほら」と差し出すと、は両手を合わせながら拝み、「ありがとう南クンだいすき」と大袈裟にお礼を言ってくる。だいすき、ねぇ。宿題写させただけで聞ける「だいすき」、なんとまあ、安い。もっと違う状況で、深い意味で、いつか聞いてみたいもんだ。
はあ、と小さく溜息を吐きながら、先生来る前にうつしちゃえよとアドバイスする。自分でやらなきゃ駄目だろとか怒れない自分が少し情けない。どんなことでも頼られるのが少し嬉しいなんて、ほんと。惚れた弱味ってこういうことだ。
はこくこくと頷いてノートに書かれた俺の字を自分のそれにうつしていく。書きながら、口を開く。おしゃべりなやつ。

「南ってなんかこう、つい頼りたくなるというか甘えたくなるというか」
「…宿題のズルの共犯以外で言ってくれ。なんかすごく複雑な気分だ」
「え?いや褒めてるよ?多分」
「多分って」
「えーなんだろうね、お兄ちゃん的な?」

あははと笑いながら、ノートから目線は外さず手を動かし続ける。俺はそんな彼女を頬杖つきながら観察し、ぼそりと「もっと他はないのか、他のポジションは」と呟く。ひとりごとに近かったそれに、耳聡くはぴくりと反応し、手を一瞬とめた。だけどすぐに動きは再開され、「じゃあお父さんとかね」と返事がかえってくる。
なあ、俺の言葉の意味分かって言っただろう。

「はいはい。中3にもなって宿題親に手伝ってもらう娘なんて、パパは悲しいよ」
「いやんパパだいすき」
「…はあ」
「……」
「……」
「彼氏…でも、いいよ。南なら」

やっと望みどおりのポジションがの口から聞けたけれど、そう言った彼女の声はかわいそうなくらい恥ずかしさで震えてて、耳なんか真っ赤になっていて、俺は思わず噴きだした。なにさ!と真っ赤な顔をこちらに向けたけど、俺が「先生くるぞー」と言ったら慌てて視線をノートに戻した。たしかに俺は保護者みたいな目をしていたのかもしれない。だってなんか、微笑ましい、こいつ。笑いながらも、俺はこっそり祈ってる。次に聞く「大好き」は、もっともっと愛しい響きを持っていますように。













亜久津仁


「こっこのまえ仁が綺麗なお姉さんと歩いてるの見たんだけど!」

やけに興奮した様子で近づいてくると思ったらそんなことを言ってきた。俺は煙草をふかしながら「そうかよ」と短く返事をする。それを聞けば相手はショックを受けたようで大袈裟にのけぞり、目を潤ませながら叫んだ。頭がきんとするような声。

「ひどいや!」
「何がだよ」

これまた短く言えば、ヤツはうろたえるように視線を泳がせ、それからさらに文句をつける。「ひどいったらひどいんだよ!」
何がだ、と聞いたのにまったく答えになっていない。少しも動じない俺の様子が気に入らないようだが、自分のほうが混乱してどうする。口元から煙草を離して、濁った煙を吐き出すと、がぱくぱくと何か言いたげに口を動かした。

「あぁ?」
「だ、だれなのさあの女の人!可愛かったけど!可愛かったけど!」
「…可愛いのかよ、あれ」
「悔しいけど可愛かったよ!なんなの!?仁の好みって年上なの!?ねえ!ねえ!」
「べつに、んなこと言ってねえだろ」
「でも!でも!」
「俺が女と歩いてたら、なんだよ。お前に何の迷惑がかかるんだよ」

態度としては明らかだが、まだだ。まだ、俺の望んでる言葉をこいつは言っちゃあいない。だからこそ追い打ちをかけるように俺が畳み掛けるが、なかなか口を割ろうとしない。「」と名前を呼んでやると、相手は小さく唸りながら一度俯き、やがて顔を上げて俺を真っ直ぐに睨みつける。それから、やけくそにデカイ声で叫んだ。

「仁のこと好きだもん!他の女の人と一緒にいたら嫌な気分になるの、当たり前でしょ!」
「もう少し気の利いた拗ね方はできねえのかよ」
「うるさいばかー!気の利いた拗ね方ってなんだー!」

とはいえまあ、合格っちゃ合格か。煙草をその場に落として、靴でぐりぐりと地面に押し付ける。未だむくれた顔のままのの頭の後ろに手を回し、そのまま引き寄せた。不意打ちに驚いてるに構わず、耳元で呟く。「あのババアには今後会っても絶対可愛いなんて言うんじゃねえぞ」
それだけ言ってもまだわからないらしい。「母親だ、あいつは」言えば、即座に「嘘!」と返ってくる。嘘なもんかよ。俺が一緒にいたいと思うのも、「好き」の一言でここまで喜ばせるのも、この世でお前だけだろ。















千石清純


ちゃん、今日も可愛いね」
「うるさいなあ。どうせ誰にでも言ってるんでしょ」

いやあ、ぷんすか怒ってるきみもすごくすごく可愛いんだよ。出会った頃はこの台詞に恥ずかしそうに顔を真っ赤にさせてくれていたっていうのに、変わっちゃったなあ。けれど、これはこれで楽しいものがある。オレはにこにこしながら、ちゃんの隣を歩く。ちゃんはつーんとしたままだけど、あっちいけ、とは言わないんだ。これはこれで、どんな立ち位置よりも居心地がいい。そう、いつも「これはこれで」だ。言ってしまえば、オレは彼女の態度がどんなものであっても構わない。だって、どんなものだって、イヤになんかならないのだから。

「なにさ、にやにやしちゃってさあ。いつもいつも」
「ねえねえちゃん、今度の日曜日デートしない?」
「あーはいはい、先週と来週は誰なんでしょうねー」

ふんっと不機嫌そうに言うちゃんはやっぱり今日も可愛くって、オレは肩を落とすこともせず、にこにこ、にこにこ。そんな様子を見て、彼女はやっぱりまだつんとしているけれど、だんだんと余裕がなくなってくるようで。「もーなんなの!にやにやしないでったら!」と怒ってくる。もちろん、オレはにこにこをやめない。

ちゃん、ちゃん」
「なに、なんなのささっきから」
「好きだよ。ちゃん」

彼女はぎょっと飛び上がって、だけどすぐにまた「どうせ誰にでも言ってるくせに!」と言う。顔が赤いこと赤いこと。ああ、かわいいなあ。オレはだらしなく笑ったまま、何度もかわいいかわいいと心の中で唱える。それが聞こえているはずがないのに、ちゃんはどんどん追い詰められていくように顔が赤いまま肩をすぼませていくから、やっぱり、うん、かわいいんだ。

ちゃんってば」
「うるさい!もー黙って!」
「好き。すっごく好きだよ、可愛いよ、ちゃん」
「うるさい!バカ!バーカ!千石のバカ!」
「誰にでも言ってるっておもう?オレの『好き』は、嫌?」

わざと意地悪く聞けば、彼女は言葉に詰まったように黙りこんでしまう。オレはそんなちゃんが、可愛くって、好きで、好きで、愛しくてたまらない。ああもう、かわいいかわいいかわいいかわいい。堪えられなくて、オレは腕を伸ばし、彼女を抱き寄せる。びっくりして小さく悲鳴をあげるちゃん。そんな反応も、やっぱりすごく可愛いんだ。耳元で、囁く。

「誰にでもこんなことするって思う?」

困ったような声を出せば、彼女はオレの腕に包まれたまま、「ばか」と小さく呟いた。うん、オレは今きっと世界中の誰よりも単純な頭をしているのだと思うよ。だってねえちゃん。オレ、きみがいれば他になんにも要らないみたい。「大好きだよ、きみが誰より好きだ」


100%のココロ


(大好きな君へ。受け取った100%の心、私もお返ししたいの、大好きよ!)