その指輪には綺麗なグリーンの石がついていた。きっと私の指のサイズにぴったりなのであろうその指輪は、フィアンセである彼が私の為にと特注したものだった。
 向かい側に座る彼は私をニコニコと見つめている。私はその開かれた指輪ケースを、ただじっと、見下ろすことしかできなかった。

「気に入ってくれた?君の好きそうなものを、と思ったのだけど」
「……私、グリーンが好きだって話したことがあったかしら」
「一緒に過ごしていれば分かるよ。君はいつもいつも、この色に目を惹かれてばっかりだ。いつも足をとめて、睨めっこしているじゃないか。洋服も、鞄も、なんだって、君はグリーンが好きだろう?」

 そうだったのか、うん、そうだったのかもしれない。私はなんにも言えなくなって、その指輪を見つめた。彼の視線は絶えず私に注がれている。綺麗な色。綺麗なグリーン。その宝石の輝きが、ちかちかと私の目を焼いた。

「つけてみるかい?さあ、手を出して」

 彼の手がこちらに伸びてくる。すぐには自分の手を差し出せなかった。きりきりと胸が痛くなる。ぎこちない笑顔をつくった後、観念したように私は恐々と彼の手に自分の指先を重ねようとした。どうしてこんなにこの胸は痛むんだろう。何に苦しんでいるのだろう。どうやったらこの痛みは消えるのだろう。どうして、こんな、斬首刑を待つような気持ちで私は震える指を差し出しているのだろう。

「あの、あのね、ごめんなさい。私、ほんとうは……」

 本当は。その先の言葉に詰まる。グリーンの石が、私をじっと見定めている。

「……私が好きなグリーンは、もっとギラギラしてて、もっと、うつくしいの」

 え、と彼が驚いた顔をする。耳を疑って、呆然とするような。私だって自分の言葉に驚いた。ああ、何を言っているんだろう。なんでそんなことを言ってしまったんだろう。ごめんなさい、なんでもないの、と誤魔化そうとした直後、私の手首が誰かに掴まれる。目の前の彼にではない。びっくりして顔を上げた。首を動かしてそちらを見た。目を疑う。
 グリーンの瞳が私をじっと、見下ろしていた。

「エ、」
「こんな石っころがコイツに似合うって?センスのねぇ男だな」

 言うが早いか、ぐいっとその手を引っ張られる。「おい、なんだアンタ!」とは、フィアンセの声。

「走れ!」

 怒鳴るような品の無い声が、レストラン中に響いた。どよめいた周囲を抑え込むように、黒いスーツの男たちが扉から侵入してきて、店内は騒然となる。私は、そんな男たちとすれ違うように、店の出口へと手を引かれたまま走った。背後から名前を呼ばれる。誰か捕まえろ、誰かいないのか、と彼が叫んでいる。私は振り返ることができなかった。ただ、私の手を引いて走る相手から目が離せなかった。

「エメラルド!」

 名前を叫んでも、彼女は振り返らない。走って、走って、背後の喧騒が遠ざかるまで足を動かす。私はもつれそうになる足を動かしてどうにかそれについていく。

「エ、エメラルド!まって、止まって!」
「うるせぇぞ!相変わらずトロいんだよ、お前は!もっと速く走れねぇのか!」
「駄目よ、ねえ、駄目だって言ったじゃない!私たち、だめなのよ!あの日さよならしたじゃない!戻ってよ、私、彼になんて言えばいいのか……」
「なら足を止めてみろよ、振り払ってみろ。できねぇくせに」

 めちゃくちゃだ、むちゃくちゃだ。こんなの、ひどい話だ。遠いあの日、関係を絶ったはずのマフィアのボスの娘が、今私を婚約者の元から拉致して、それを私は涙ぐみながら受け入れている。やすっぽい映画の中のフィクションだ。頭ではこんなの駄目だ、彼の元へ戻らないと駄目だとわかっているのに。

「逃げられるとおもうの?」
「べつに逃げてるんじゃない。俺は喧嘩を売ってやってるんだ。つかまえて、奪ってみろってな」

 奪ったのはエメラルドの方だ。自信たっぷりに告げる声に、私は困り果ててやっぱり涙がにじむ。

「逃げられないよ……」
「ああそうさ、逃げられない。お前はな。俺がお前を逃がすもんか」

 繋いだ手がぎゅっと力強く握られる。痛いくらい握りしめられる。そんなに力をこめなくったって、もうきっとどうせ逃げられない。私はずっと、逃げられなかった。あなたが私を映すその瞳の色が、ずっと、焼き付いて離れなくて、忘れられなくて、ずっと。

「ごめんなさい、私、好きよ、あなたが。あの日からもずっと好きだったの」

 震えた声でそう告げたら、彼女が振り返った。大好きだったグリーンの瞳が揺れる。泣きそうなそんな顔は、初めて見た。エメラルド、なんてうつくしい色。うつくしい人。私がずっと欲しかった宝石。