永四郎と大喧嘩したのは三日前だ。私は無駄に意地っ張りな性格だし、永四郎は永四郎で意外に頑固だし、些細な言い合いはしょっちゅうあったけど、三日間全く連絡を取らないという本格的な喧嘩はたぶん付き合ってから初だと思う。最初はただの小言の言い合いだった。もともと永四郎は声を荒げて私に怒るだとか手を上げるだとか、そんなことをする人間ではないので、その日もねちねちじわじわ嫌味を言ってくるだけだった。だけど、なんだか私はその日とってもイライラしてしまって、そのいらいらがふいに爆発してしまい、気づいたときには大声で怒鳴っていたのだ。「うるさい!バカ!!大っ嫌い!!」思い返しても笑えるくらい子供っぽい文句だけど、私は本当に本当に気が立っていたらしく、その言葉を永四郎にぶつけると背を向けてさっさとその場を走り去った。家に帰ってもメールも電話もしなかった。謝る気なんてさらさらなかった。自分が悪いとは全く思ってなかったし。永四郎が謝ってきたら許してやろうと思ってた。だいたいいつもいつも喧嘩のたび、最初に連絡を入れるのは私なんだ。永四郎は絶対に折れない。私から謝ったり、わざといつもどおり話しかけて適当に有耶無耶にすることはあるけど、永四郎から謝られたことなんてほとんどない。それを思い返したら余計にムカムカしてきて、今回ばかりは絶対に謝らないと決めた。だけど、いくら待ってもメールの一つさえよこさない。

「あい?まだ謝ってなかったんばあ?」
「なんで私が謝るの前提なの?」
「そりゃ永四郎から謝るはずないさあ」
「……」
「うり、携帯貸してみー。わんが代わりにメール打ってやるんどー」

ほれほれと手のひらをこっちに出して、携帯を貸せと促してくる平古場を睨みつけて、あっかんべーをする。するとヤツはにやにや笑いながら、ホントは謝りたいくせに、と小さな声でからかってきた。むかつく。こいつのことだからただ面白がってるだけだ。私の代わりにメール打つとか、絶対「ごめんなさい!私が悪かったです(泣)永四郎許して!私永四郎に嫌われたら生きていけません><永四郎大好き愛してる(はぁと)」とか打つに決まってる。馬鹿にしてる。むかつく。何そのニヤけ面。はあ、と大きく溜息を吐いて、私は自分の手の中の携帯電話に視線を移す。永四郎からのメールはあの日以来一件もない。こういうとき違うクラスだというのは、いいんだか悪いんだか。いや、でも違うクラスといっても隣のクラスだぞ。廊下でばったり、とかあってもいいのに、私はこの三日間一度も永四郎の顔を見ていない。平古場に訊いたら「普通に登校してるし部活にも出てる」らしいし。つまり向こうが意図的に私を避けているんだ。むかつくけど、あいつならやりかねない。簡単に出来そうだそれくらい。さっきも隣のクラスの前を通るときさりげなく教室内を覗いたけど、永四郎の姿は無かった。友達に訊いたら「ついさっき教室を出て行った」と言っていたし。(むかつく!)

「ふん!それほど私に会いたくないってことか!逃げたな!逃げてるんだなあのチキン野郎!」
「…やーがそうやって余裕なくなってくのを待ってるんさー、永四郎は〜」
「いや私べつに余裕なくなってないし。それが相手の狙いならいいし私余裕たっぷりに構えてやるし絶対折れたりしないし私から謝ったりしないし!」
「へ〜ふーん」
「何それ!ねえなにその返事!」
「やー、永四郎のクラスがグラウンドで体育やってるとき窓の外ずーっと見つめてたやっしー」
「!」
「それが原因で数学教師に立たされた時は笑えたさあ」
「!!」
「んで、自分のクラスの体育の時間にはボーっとしすぎてバスケ中に転んで?踏まれて?怪我して?」
「……誰だろうねそんなことしちゃった馬鹿は」
「やー以外にいるわけないだろーがよ」

平古場に言われて、右足がぎくぎくっと痛んだ。けどまぁたまに思い出したように痛むくらいで、歩くことに支障はない。怪我の具合なんかよりも、そんな間抜けをやらかしたこと自体が問題。しかも理由バレてるし。……いや、べつに、永四郎のこと考えてたわけじゃないしただちょっとぼーっとしただけだしホント違うし。ブツブツ胸の中だけで言い訳をしていたら、平古場が呆れたように頭の後ろで腕を組んで、「素直じゃねーなあ、やーも永四郎も」と呟いた。その「永四郎も」という言葉に引っかかって、私が口を開き一歩詰め寄ったところで、横からひょいともう一人のテニス部員が姿を現した。

「凛ー、今日部活出るだろー?」
「お。裕次郎ー、いいところに来たやし」
「ん?」
「永四郎と、どっちが先に謝るかわんと賭けれー」
「謝るって……まだ謝ってなかったんばあ!?」
「だからなんで私が謝るの前提なの」
「へ〜…今回はやけに粘るやっさー」

イラァ。甲斐が感心したようにうんうん頷くので、私は持っていた通学鞄で思いっきりヤツの背中をバンッと叩いた。抗議の声を上げる甲斐を無視して、鞄をギュッと持ち直し、教室の出口へ向かう。「おいおい!体育で足捻ったんじゃねーの。ちゃんと歩けるんかやー?」さっきまで情けなく私に痛い痛いと文句を言っていたとは思えないくらい、心配そうな甲斐の焦った声が背中にくっついてきた。私はくるりと振り返って、甲斐と平古場の顔を見る。おろおろ狼狽えたような顔してるのは甲斐だけで、平古場は頬杖ついたままじぃーっとこっちを見つめているだけだった。その視線をこちらからも押し返すように、わざと目をそらさない。そんな私と平古場を交互に見て、甲斐が余計に居心地悪そうに肩をすぼめた。

「…あー…ー?凛も、そんなに睨まなくても…」
「ん。あーうん大丈夫。意外と軽い怪我だし、全然歩けるからさー」
「おーい。永四郎に伝言はないんばあ?」

平古場が呑気にそんな質問をしてくるから、私は口元を引くつかせながら、「無い!」と返事をした。あ、「バーカ」くらいの伝言なら頼んでも良かったかもしれない。しくった。…あーもう!いらいらするなあ!











「………」
「………」
「…何故君はそこに寝ているのかな」
「……」
「そんな所に寝ていたら踏まれますよ」
「……」
「踏まれたいんですか」
「…」
「踏みますよ」
「ぐえっ」

足では踏まれなかった。ただ、廊下で倒れている私の背中にゴスッと誰かの鞄が落下してきた。そんなに痛くは無かったけど思わず「ぐえ」っと声を出してしまった。誰が鞄を落としたのか、落ちてきたのは誰の鞄なのか。そんなのは考えなくても分かったし、考えたくもなかったし。そろそろこの体勢が屈辱以外のなにものでもなくなってきたので、私は腕にぐぐぐっと力を入れて、体を起こそうとする。上半身がちょっと持ち上がってきたところで足に力を入れたら、途端にビキッとした痛みが走ってまた体が地面に吸い込まれる。ボテッと。あーなんかもうどうでもよくなってきた。もうここで一夜を明かそうかな。再度起き上がる気配もなくシーンと沈黙している私に、先ほどの人物がまた上から声を掛ける。

「大方予想はつきますよ。つまらないことに苛立ち周りが見えなくなった君は走って帰ろうとでもしたんでしょうね。体育で負傷した足を酷使して。そして何かの拍子に思い切り転び、怪我の具合が悪化し、立ち上がることも出来なくなった、と」
「…なんでわかんの。実はこっそり見てたんでしょ。趣味悪い」
「頭の足りない君の行動くらい簡単に予想がつくと、そう言ってるんです。単純ですからね」
「……なんで私が体育で足ケガしたって知ってんの」
「授業の後平古場クンから速報としてメールが入りましたよ。君の無様な転びっぷりが目に浮かびます」
「…(平古場殺す)」
「俺が来るまで大人しくそこで伏せっていたということは、誰かが通りかかるのを待てばいいと、自分の力で立ち上がるのを諦めていたんでしょう。這ってでも自力で帰る、くらいの気合は見せたらどうなんです。君は甘え過ぎなんですよ。情けないですね」
「っうるさい!!大っ嫌い!!永四郎のバーカ!!」

そうそう、こんなかんじだった。三日前の喧嘩。あの日とまったく変わらない。私の口から吐き出される子どもみたいな抗議も、永四郎がつらつらと並べる刺のある言葉も、変わらない。しかしあの日より苛立ちと悔しさは増している気がする。私はやけくそになって、腕に力を入れ永四郎の言う通り「這って自力で」帰ろうと試みる。ほふく前進。ダイエットによさそうだ。家までの距離をコレで帰ったらいったい何分かかって何カロリー消費するのだろう。考えていたら、ぐいと右の二の腕を掴み上げられた。強制的にほふく前進は中断される。

「何をしているんですかね君は」
「はあ?有難い助言通りに自力で這って帰ろうとしてるんですけど?」
「制服が汚れるでしょう。それくらいも分からないんですか」
「関係ないでしょ永四郎には。離してよ」

バッと腕を掴んでいたその手を払ったら、顔は見えないけれど永四郎の機嫌がますます悪くなる気配を肌で感じた。ただでさえ、先程から永四郎の言葉にはいつも以上に刺がある。私をわざと怒らせたいのかと疑うくらいには、ひどいことばっかり言ってくる。いつもはこんなにあからさまに私を傷つけてきたりしないのに。長い付き合いなので、何となく分かる。永四郎は今すこぶる機嫌が悪い。ここに転んでぶっ倒れてる私と遭遇したときから、本当に本当に機嫌が悪い。もしかしたら、私がここに転がってるなんて永四郎にとっては不測の事態だったのかもしれない。あれだけ私を避けてきたんだ。よっぽど会いたくなかったんだろう。その避けてきた相手が、目の前で倒れている。舌打ちしたい思いでいっぱいだったと思う。見捨てると面倒だから、渋々声をかけてやった、というわけだ。そうに違いない。くそう。屈辱だ。だけど私だって、べつに永四郎に助けてもらいたかったわけじゃない。どーぞご勝手に見捨てて帰ってくれて構わない。私は永四郎以外の人間に助けを求めよう。鞄の中に携帯が入っていたはずだ。倒れた拍子に手から離れて傍に転がっていた自分の通学鞄に手を伸ばしたら、その鞄がパッと私の視界から消え失せた。永四郎が取り上げたのだ。これに私の怒りは頂点に達した。怒りに任せて「あのねえ!!」と怒鳴ったら、その直後永四郎が私の腫れ上がった右足首をなんの遠慮も無しに掴んだ。怒鳴り声は途端に引っ込んで、同時に声にならない悲鳴が吐き出すタイミングを失って飲み込まれる。信じられない!!とんでもなく痛い。痛すぎる。だけど声を上げたら負けな気がして、唇を噛みながら永四郎を睨む。三日ぶりに、まともに永四郎の顔を見た。だけど、その瞳を見た瞬間、びくりと私は息を呑む。(目が、こわい)

「痛いんでしょう。少し力を入れただけで」
「…、痛…っ」
「『大した怪我じゃない』『全然歩ける』…周りにはそう押し通したらしいじゃないですか」
「だって…」
「授業のあとも、『平気だから』と保健室へ行くことを拒否」
「…え、えいしろ」
「平気じゃないでしょう」
「……」
「平気かどうかもまともに判断できない大馬鹿が、何故一人で無茶しようとするんです」
「だって、永四郎が…っ」
「倒れてる君を見つけて、…俺が、どれだけ焦ったと思ってる!」

ぴしゃりと叱りつけられて、私はきゅっと目をつむる。怒鳴られた。永四郎に、怒鳴られた。その事実がじわじわと頭に広がっていく。そして、ほとんど引っ張り上げられるような形で、私は体を無理やりに起こした。でもやっぱりその足で立ち上がることが億劫になる。正座を緩く崩したような座り方で、私はその場にへたりこむ。永四郎の目は、どこまでも冷ややかだった。怒鳴った直後は熱のこもった目をしていたのかもしれないけれど、今の彼は、黙り込んだまま私をじっとりと見下ろしていた。怒っている。普段じゃ考えられないくらい、怒ってる。怒らせたんだ、私が。謝らなきゃ。違う、でも、謝ったら負けだし、でも、でも、そうじゃなくて。

「…永四郎、部活は」
「……」
「永四郎、」
「はあ…今から行きますよ」
「そう、なんだ…はやくいったほうがいいんじゃないの」
「………本当に可愛くないですね、君は」
「うん」
「部活が終わったら迎えに来ますから、教室で待っていなさいよ」
「どうして?」
「家まで送ると言ってるんです」
「……」
「…」
「部室の前で待ってる」
「邪魔だから駄目です」
「……」
「……」
「保健室で待ってる」
「…ほう。行く気になったんですか」
「うん」
「しかし保険医に事情を話したら、親の迎えを呼べと言われるでしょう」
「うん」
「そのときは、俺が送るからいいんだと断りなさい」
「どうして?」
「俺が家まで送るからです。何度同じ事を言わせるんですか」
「そーだぞー。やーの怪我が悪化しようがしまいが永四郎は最初から一緒に帰ってやるつもりだったんばーよ」

私と永四郎の横を見向きもせずすたすたと通り過ぎた人物がすれ違いざまにそう言った。平古場だ。私も永四郎もバッと首を捻る。その平古場の後ろを歩く甲斐が何か言いたげに…というよりは野次馬のようにこっちを見ていた。永四郎が数秒沈黙して、やがて眼鏡をくいと上げながら「平古場クン、余計なことは言わなくて結構です」と一言文句を言う。私は平古場の後ろ姿と永四郎の顔を交互に見た。その視線すら面倒そうに、永四郎は溜息を吐く。平古場は歩みを止めずに、しゃべるのも止めずに遠ざかっていく。

が体育で怪我したこと教えた時の永四郎は笑えたさぁ。冷静なフリして怪我の具合やら原因やらわんに聞いてくるわ、放課後教室に引き止めておけーなんて言ってくるわ」
「あ〜!そういうことだったんばあ?んで、教室に来る途中で、ぶっ倒れた見つけて焦っ」
「君達がそんなにゴーヤを欲しがるなんて珍しいですね」

甲斐の言葉を遮って永四郎がそう言うと、二人は顔を見合わせてちょっとだけ笑いながら、逃げろ逃げろと足早に去っていった。そんな様子につられてぷっと小さく噴きだしたら、永四郎がこっちを睨んだ。サッと顔を逸らす。なんだ、永四郎、心配してくれたのか。怒ってたんじゃなくて、心配。いや、心配だから、なんで心配させるんだよって、怒って。ああ、そっか。つい一瞬前は笑ってしまったというのに、途端になんだか、無性に泣きそうになる。そんな私に気づかずに、永四郎が「とりあえず、行くんでしょう。保健室」と自分に負ぶさるよう促す。ぼんやりと永四郎の背中を眺めて、次の瞬間にはぎゅうっとその首に抱きついていた。

「苦しいからやめなさい」
「…永四郎」
「……なんですか」
「ごめんね」

思ったよりも自分の声が震えていて、カッコ悪いなあなんて思って。きっとカンの良い彼のことだから、今の一言で、私が泣きそうだということには気づいただろうけど。どうせ、嫌味の一つや二つが飛んでくるんだろうな。ほんとに君は泣き虫だとか、いいから離しなさい暑苦しい、とか。だけど本心はきっと、もっとあったかいんでしょって、分かる。そう思っていたら、首に回した私の腕に、永四郎が手を添えてくる。「俺も、」囁くくらいの小さな声。「口が過ぎました。君を傷つける言葉をたくさん吐いたこと、反省していますよ」正直、耳を疑った。あんなに聞きたいと思っていた永四郎の謝罪の言葉が、こんな形で聞けること。その声がやけに優しくて、ほんのすこし弱々しいから、びっくりした。本当に。

「君が、怪我をしたと聞いた時も、倒れているのを見つけた時も、俺は本当に、焦りました。それに少し、怖いとも思った」
「こわい?」
「平古場クンから聞かなかったら、俺は君が怪我をしたことも、倒れたことだって知らないままに、君からの『ごめん』を待つだけだったでしょう。情けない話だと笑えてきます。だけどそんなことを平気で出来たであろう自分が、勝手すぎて。怖いですね、俺は君に嫌われる想像も、君がいなくなる想像も出来ないくらい平和ボケしているらしい」

そう言って、永四郎が首を捻って私と視線を合わせた。肩に抱きついていたせいでとても近い距離。そんな距離で、永四郎がふっと笑う。その表情が卑怯なくらい優しくて、直前に聞いた永四郎の言葉だって私が今まで聞いたどの言葉より、愛おしくて。ああもう、ずるいなあ。嫌いになんかなれなくなっちゃうよ。離れたくなんかなくなっちゃうよ。もっと好きになっちゃうよ。ああもう、ずるい、なあ。好きだなあ、もう。





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