私たちの学校には、学年には、すっごくテニスのうまい男の子がいる。年上の先輩にも勝っちゃうし、大会でもすごい結果を出しちゃうし、それでいて余裕な態度。カッコイイ顔立ち。英語だってペラペラなんだって。気にならない女の子なんているわけがない。もちろん私もその一人だし、友達の朋ちゃんだってリョーマ様ファンクラブを作るくらい大好きだ。そして桜乃は私たちの中の誰よりも先にリョーマくんと知り合ってたから、きっと誰より先にリョーマくんを好きになってた。

いや、はっきり言って最初から好きだったのか、そうじゃないのかは分からない。私たちは分からなかった。かっこいい男の子をカッコイイと思うのは当たり前のことだ。自然のことだ。だけど、そう、例えば朋ちゃんがリョーマ様リョーマ様と彼の試合を張り切って応援するのは、ファンクラブの人間として、一人の「ファンとして」なのか。桜乃がリョーマくんと一言しゃべるたびときめくのは「憧れ」からなのか。私がリョーマくんをカッコイイと思うのは、「周りに流された」からなのか。そのときの私たちはまだ分からなかった。考えようとも思わなかった。


桜乃とリョーマくんが付き合ってるという噂が流れ始めたのは、ごく最近のことだ。

確かに二人が一緒にいるところを見たことがないわけじゃなかった。だって、朋ちゃんとリョーマくんが二人きりでいるところをあんまり見たことないし、私がリョーマくんと二人きりでおしゃべりすることだってなかったのに。でも桜乃は違うんだと、私と朋ちゃんはうすうす気付いてた。でもソレに対して特に何か騒ぐわけじゃなかった。いや、たまに朋ちゃんが「桜乃ばっかりずるい〜っ!」と騒ぐこともあったっけ。

「今思えば、私たち好きな人が同じなのによく友達を続けられたと思わない?」

ベランダから身を乗り出していた朋ちゃんがふと振り返って私の顔を見た。その声は明るく、表情もいつもの朋ちゃんだった。あの噂を聞いて落ち込んだり、桜乃に問い詰めたりすると思ったのに、彼女は意外にも冷静。逆に冷静すぎた。いつもみたいに「もう!どういうことなのよ桜乃ぉっ!」って問い詰めてくれたら。桜乃を怒ることも許すことも、「おめでとう」っていうことも出来たのに。私たちは噂について桜乃に何もいわなかった。わざとその話をしなかった。一番ずるいのは私だ。朋ちゃんが桜乃に詳しく聞きだすのを隣で待つことしかしない。自分から聞くのは怖かった。…だけどもしかしたら、朋ちゃんも一緒なのかもしれない。

「だってそんなこと考えてなかったし。ただリョーマくんにキャーキャー言えてれば、私はそれでよかったもん」
「そうなの?私は違うよ?」


すばやく返ってきた答えに、私は耳を疑った。朋ちゃんは、口元だけで笑ったまま、足元を見た。「私は違う。リョーマ様に近づく女は年上だろうと誰だろうと阻止してやろうって思ってた。許せなかった。私に許可を取ってからにしてちょうだい!って」早口にそう朋ちゃんは言って、一呼吸置いてから力なく「許せないの」と呟いた。眉を下げたその苦笑いは、「なんだ私だけだったのか」とでも言いたげだった。私は朋ちゃんを見つめる。じっと、見つめた。

「じゃあ、私と桜、」
「そこが問題なのよ!」
「…え?」


びしっと人差し指を私の鼻先に突きつけて、朋ちゃんは「自分でもそこが謎なのっ!」と納得いかなそうに声をあげた。

「私はリョーマ様に近づくどんな女もやっつける自信があるの。許せないの。だけど」
「だけど?」
「…と桜乃には、そういう感情が生まれなかったのよ」


急に声を小さくして、消え入りそうな声で呟いた。視線を落として、地面を睨む。ああ、そうか。私はすぐに理解した。朋ちゃんが私たちと友達を続けてくれた理由はそれか。

「それってつまり、私と桜乃にならリョーマサマを取られてもいいって思ってたってこと?」

朋ちゃんがバッと大げさな効果音をつけて顔を上げた。わざと「リョーマサマ」を強調した私の声に、一度彼女は顔をしかめる。だけどしばらく考え込むような動作をして、そうなのかな、とポツリ呟いた。ぐるぐると苦い感情が胸の中に渦巻く。朋ちゃんは本当にリョーマくんが好きだったんだ。だけど私たちのことも好きでいてくれたんだ。じゃあ、私はなんなんだろう。桜乃とリョーマくんの噂を聞いて、一番に抱いた感情は、なんだっけ。

「……ねぇ、
「うん?」
「私たちって、ずっと友達なんだよね」


朋ちゃんは真っ直ぐに私の目を見た。彼女はいつだって、人と話すときは目を見てくれる。朋ちゃんのそういうところ、好きだ。だけど、真っ直ぐに見ているはずなのに、どこか自信なさげで、否定されたらどうしよう、っていう想いが透けて見えた。だから私は、彼女をどうしても安心させてあげたくて。数秒見つめあった後、こくりと頷いた。朋ちゃんはそれを見て、ほっとしたような、嬉しそうな、そんな表情を見せた。

「きっと桜乃のことだもん。噂を耳にしてるはずなのに何も言ってこない私たちに、すごく気を遣ってる」
「うんうん。絶対あの子ったら、『わ、私とまだ友達でいてくれるの?』って言うのよ!きっと!」
「言いそういいそう。当たり前なのにね」


当たり前なんだよ。自分で口にして、改めて思った。ほんの少しでも、友情にヒビが入る気がしてた自分が恥ずかしいね。いや、きっと他の二人も同じこと考えただろうけど。だって桜乃は私たちの前で、「リョーマくんカッコイイ」とは言っても「リョーマくんのことが好き」とは言わなかった。私も言わなかった。朋ちゃんもきっと口にしなかった。言ったとしても、軽い言葉に思えてた。だから今回の出来事で、ようやく自覚した気がする。

「桜乃って、変なとこ私たちに気ぃ遣うのよね」
「そこが桜乃のいいところだから」
「……うん、知ってる。私、あの子のそういうとこ好き」


朋ちゃんが笑ったから、私も笑った。二人でベランダから身を乗り出して、外を見た。テニスコートへ向かう男女二人の姿が見えた。「あれって、」と、最近視力が落ちてきた私が呟く。ソレに対して、視力2.0の朋ちゃんが「リョーマ様と桜乃じゃない」と小さく笑う。二人で顔を見合わせた。きっとお互い考えてることは一緒。

私たちはベランダからもっともっと身を乗り出して、大きな声で桜乃とリョーマくんの名前を呼ぶ。桜乃はすごくビックリした顔をしてたけど、私達はいつもみたいに笑って「ずるーい!」とか「見せ付けんなー!」とか、大きな声で騒いだ。そして最後に「幸せになりなさいよー!」と朋ちゃんが叫ぶと、桜乃は、目の悪い私ですらすぐ分かるくらい、ふええ、とか細い声で肩を震わせて泣いていた。リョーマくんはそんな桜乃を見て、それから私たちのほうに視線をやる。

「リョーマくん!桜乃幸せにしなきゃダメだからね!」

その言葉を聞いて、リョーマくんがきょとんと、あっけにとられてた。だけどすぐ、フッて笑う。




「ねえ、。私、男の子だったら桜乃を好きになってたかもしれない」
「…私は朋ちゃんを好きになってたかもしれない」


朋ちゃんが笑う。「私たちって男の子になっても、片想いなんだね」そう言って、私に見えないようにさりげなく目尻の涙を拭った。私も気付いたら少し涙が出てきてて、ああ私もリョーマくんが好きだったんだな、って改めて思った。だけどね。私たちの大切な友達を、私たちの大好きな人が幸せにしてくれるの。それってすっごく、幸せなことね。