目が覚めた時、普段と違う視界が其処に有ると人間は暫く呆けるものだ。例に漏れず今の私もそうだった。体を起こして部屋をぐるりと見回し、何かが違うな、という少しの違和感と寝起きの頭に掛かる靄の対立が終わるのを静かに待つ。そこで違和感が敗北してしまえば「マァ善いか」と再度眠りについてしまう所だが、今回は無事勝利したらしい。ああ、そうか、と一つの答えを掴んで私は頷く。この場所自体は見慣れた自分の部屋だ。何処かぼんやりとした違和感の理由は、自分の起床場所がいつもと違うからだ。起きた時の疲れの取れ具合も違う。何故だ。何故布団で寝ていない。昨晩の記憶を辿ってみる。確か昨日は、いつもの酒場に足を運んで、いつもの連中と飲んだ筈だ。太宰、安吾、そして―…飲み仲間という言葉は正確ではないが、。そういえばは珍しく最初から参加したのではなく遅れて店に遣って来た気がする。そうだ、確か、奴が店に顔を出した時、その酷い有様に我々三人は一斉に「大丈夫か」と尋ねたのだった。その酷い有様とは一体何だっただろう。怪我をしていたのではなかった、ような、ああ駄目だ、記憶が曖昧だ。
 取り敢えず其れは置いて、何故自分が布団で寝ていないのか、と云うのが問題だ。草臥れて帰って、布団に辿り着くより先に意識を失ったのか。ふと自分を見下ろせば、上半身を起こした時にずり落ちてしまったが、腹には自分の上着と大きめのタオルが被せられていたらしかった。自分で掛けた訳ではない、と思う。眠る自分に、誰かが気を遣って、少しはましになるようにと掛けたものだろう。つまり自分が寝た後、誰かがこの部屋に居たという事になる。
 そこまで考えて、ふと、視線をもう一度部屋全体に向けた。とある一点に引っ掛かって、私は立ち上がった。普段の、寝床。いつもなら自分がそこで寝ていて、今朝も本当ならそこで目覚める筈だった場所。聞こえる寝息に、私は硬直する。しかし見ない振りは出来ない。誰かがそこに寝ている。小さな体を布団の中で丸めて、もっと小さくなっている。そうっと布団を捲って、顔だけでも、と覗き込む。すっかり見慣れている人物の、見慣れない寝顔がそこにあった。

「……?」

 声に出した名前に、んー、と鳴いて返事をした人物は、それきりまた寝息を立て始めたので、起きては居ないようだった。随分と、すやすや、心地よさそうに眠っている。私は暫くの間、呆然とその寝顔を眺めた。ようやくはっと我に返った時には、一歩後ずさっていた。
 何故此処にがいるのか。あの酒場で顔を合わせることは有っても、家に呼んだ事は一度もなかった。それが何故、今。微妙に混乱する頭を抱えて、私は取り敢えず、この事態の原因を知っていそうな人間に電話を掛ける事にした。自分の寝ていた枕元に置いてあった携帯電話を引っ掴むと、普段はあまり此方から掛ける機会が無かった番号を呼び出す。

「太宰か?」
『やあ、おはよう。随分珍しい相手からのモーニングコールだね』
「いきなりで悪い。訊きたいことが有るんだが」
『いいけど、私も訊きたい事が有るんだ。ちゃんはどう?まだ君と一緒にいるんだろう。風邪とか引いてない?』

 用件を告げる前に向こうから其の話題を投げかけてきた。声の調子はいつも通りだ。からかっている様子はない。私は眠っている人物を振り返り、その寝顔を見つめながら、返事をした。

「ああ、気持ちよさそうに寝ているが…そのの事で電話したんだ。太宰、なんでは俺の部屋にいるんだ?」
『…え?なに、忘れたの。織田作。君昨日そんなに飲んでたっけ?』
「どうも記憶が曖昧なんだ。済まん」
『昨日、雨だったでしょう。いつもの店にちゃんがやって来た時、彼女びしょ濡れでね。マスターがタオルを貸してくれて一応拭いてあげたけど、それでも心配だから家に送ろうって君が引き受けたんだよ』
「それで…何故の家でなく俺の家なんだ?」
『君、ちゃんの家がどこだか知ってるの?』
「いや…知らないが、場所を聞いて送ってやることは出来ただろう。何故昨晩の俺はそうしなかったのか…」

 相手が泥酔していたり、眠りこけていたり、そう云う状態であったなら、家の場所を聞き出すのが困難で仕方なく家に持ち帰るだろう。しかし酒を飲まないの事だから、そう云う訳ではなかった筈だ。の家が恐ろしく遠いので、近場の私の家に、という話になったんだろうか。私が電話の向こうで神妙な顔をしている事に気付いているかのように、太宰の愉快そうな声が耳に響く。

『さあ?下心でもあったんじゃない?いいなァ、織田作。本当は私が送ってあげたかったのに。可愛い女の子と迎える朝は気持ちが良いだろうねぇ』
「…思い出した。そういう云い方をするから、安吾が『太宰君には任せられません』とお前を縛り付けたんだったな」
『そうそう、椅子にぐるぐるとね。酷い差別だよ。いくら私だって間違っても彼女に対して“間違い”は起こさないのに。そんな事をしたら後で織田作と安吾に殺さねかねないし。マァそんな最期も中々かもしれないけれど』
「……そうか」
『それで、一応訊いておくよ』
「…」
『私と安吾に殺される予定はあるかい?』
「…無いな」
『そう』

 実際に目の前に居るわけではないのに、それは結構、とおどける太宰の姿が見えた気がした。言葉とは裏腹に、「なんだつまらないな」という色さえ感じられる。遠回しな云い方だが、「に手を出していないだろうな」と云う確認。流石にこの見た目も中身も幼い少女に変な気を起こすことはないだろう。無かった筈だ。そんな事があれば私にその手の信頼を寄せてくれた安吾がショック死しかねない。全く、後ろめたい事は何もしていない。それを裏付けるように、靄がかかったように曖昧だった昨晩の記憶も、少しずつ鮮明になってきた。善かった。思い出せないままでいたならば、夜道に太宰と安吾に背後へ回られるのを一生怯えて過ごさなくてはいけなくなっていたところだ。私はその後一言二言太宰と言葉を交わして、電話を切った。
 起きる気配の無い少女に改めて視線をやる。そう云えば、誰かと同じ部屋で眠ったのなんて、いつ以来だろう。