「ね、ねえ、フーゴ!この格好、やっぱりおかしくない?」
「だから、何回も言ってるでしょうが!おかしくなんかないって!ぼくの言葉が信じられないッて言うなら、他のヤツに聞いたらどうです!?」
「ウウッ……だってさぁ〜!」
「ああもう、そろそろ出発しないと間に合いませんよ!これ以上時間かけるようなら、送っていかないからな!」
「わかったってばー!」

 ぎゃあぎゃあ騒ぎながら、慌ただしく荷物をまとめる。何回も鏡を見るけど、「正解」がわからなくて不安になる。心臓もばくばく音を立てている。緊張、というか、なんというか。さっさとリストランテの駐車場に向かってしまったフーゴを追いかけようとして、ちょうど扉のところにミスタがやってきたことに気付く。

「ミスタ!今から食事?」
「ああ、そういうお前は……今から出かけんのか」
「うん。ちょうど行き違いになっちゃったね。あっ、ねえ!時間なくてケーキ食べられなかったの、奥のテーブルに置いてあるから食べて!それかピストルズにあげて!」

 食べようと思ったのよ、とりあえず何か食べて落ち着こうって。でも結局鏡を見ながらああだこうだ言っていたら、ケーキに手をつけないままあっという間に出発の時間になってしまった。私の言葉に、ぱっとミスタの頭の後ろから小さな妖精みたいな生き物が姿を現す。ヤッターヤッターと子どもみたいにはしゃぐ彼らに笑って、そのまま「それじゃあ」と外に出ようとして、足が止まった。ミスタが神妙な顔で私を見つめているからだ。

「……あー……そうか。『今日』だったな」
「ミスタ?」
「いーや、なんでもねー。楽しんで来いよ」
「うん? ありがと!」

 ミスタの前を通り過ぎて、リストランテの外へ出た。けれどその直後、ヘイ!とまるでナンパみたいに軽い調子の声が背中に掛けられて、私はまた足を止める。呼び止めた人物は、リストランテの扉に背を凭れながら、私を見ていた。

「いいオンナになったな、
「……へッ?」

 今まで言われたことのない褒め言葉に、私は耳を疑う。ニヤニヤわざとらしくからかってくれれば、もうちょっと違う反応もできたのに。ミスタの声がやけに落ち着いていて、感慨深いようにそう言うものだから。私はなんて返したらいいのかわからなくなる。ずっと前、私のことをガキンチョ扱いして、「そーいう目では見れねーなァ」なんて言ってた姿と重ならない。妙にむず痒くて、でもそれがミスタの「褒め言葉」なのだろうと受け取って、私は彼に向かって叫ぶ。

「あ、ありがと! いってきます!」







 なんだか様子のおかしいミスタに戸惑って、考え込みながらふらふら歩いていると、近くで車のクラクションが短く鳴った。先に車で待っていたフーゴが、「こっちだ」と合図してくれたものだった。私は慌てて助手席に乗り込んで、それを確認すると車が走り出す。

「ミスタに会いました?」
「あ、うん。なんか変だったけど」
「変?」
「うん。いきなり『いいオンナだな』って」
「……へえ。よかったじゃあないですか。だから言ったでしょ。今日の君の格好はおかしくない」
「本当かなァ〜」
「ええ、最初に見たとき驚いたくらいだ。ン、なんだろうな。雰囲気っていうか」
「いつもと違う?」
「そう。似合ってますよ、その口紅」

 運転中で、前を見ていたフーゴが、その言葉と一緒にチラッと私の方を盗み見る。ミスタに続いて、フーゴまでそんな褒め方をしてくるものだから、ますますむず痒くて私は肩を縮こませた。

「もう!なに?ふたりして!からかってる?賭けでもしてる?」
「ぼくらに言われたって嬉しくないって?」
「う……うーん、嬉しくないってわけじゃあないけど……ま、そういう『ドキドキ』はしないかな〜」
「ふーん。そいつは残念」
「ちっとも残念そうじゃあないね!」

 ミスタはやっぱり変わらず、私にとって「兄」のような存在だ。ちょっと年上だし、まあ、普段あんな感じではあるけど、ふとしたときに「ああ、オトナの男だな」って思わせてくる。フーゴはというと、頭は良いし大人びてはいるけど、自分と歳は変わらない。元から結構、「チーム」の中でも口喧嘩の相手で、親しい相手だったと思う。一時期、「決別」していたことが嘘みたいに、今また、軽口を叩き合っている。

「……フーゴが戻って来てくれてよかったな」
「…………」
「やっぱり、フーゴは凄いよ。ブチャラティのサポートをしていた頃も思ったけど、頭が回るし、頼りになる。目に見えてわかるもの。フーゴのおかげで、"ジョジョ"は随分動きやすくなったし、やりやすくなったと思う。彼のしたいこと、成すべきこと、いろいろとね」
「……どうかな」

 本心から褒めたつもりだけど、フーゴはそれを素直に受け取りはせず、苦い顔をするだけだった。まだそうやってたまに、負い目を感じているような素振りを見せる。今のフーゴは、"ジョジョ"に心から忠誠を誓っている。"ジョジョ"だって彼を信頼して傍に置いている。そんなのは誰が見たって明らかだ。誰かが野次ったら、私が怒ってやるわ。それくらいの気持ちだ。

「そんな顔しないでよ、フーゴ。最近誰かに何か言われた?シーラEに毒でも吐かれた?」
「……いや、べつに……なんでもない。ただ、君は、なにも言わないんだな、と思って。怒ったっていいくらいなのに」
「なにを?」
「……なんでもない」
「フーゴ……『なんでもない』ばっかりだね」
「ま…たしかに君の言う通り、組織にもちょっとした『余裕』ができたんじゃあないですか。だからこうして、君に『ご褒美』が与えられたわけだし」

 話をすり替えるように「ご褒美」という言葉を出されて、私はぎくっとする。忘れかけていた緊張が、また戻ってきた。そわそわと髪を耳に掛けながら、「そうね、ウン、そうだよね」と落ち着かない相槌を打つ。
 本当に、あのときはビックリしたな。急にジョルノに呼び出されて、いきなり「プレゼントがある」なんて言われてさ。「君はぼくが組織の長となりこの体制が整うまでの間、本当によく働いてくれた。これはそんな君への感謝の気持ちです」――そう言って、彼が私に与えたのは、一日の休暇と、とあるコンサートのチケットだった。私は鞄からそのチケットを取り出し、じっと見つめた。
 私の大好きな歌手の名前が書かれている。

「……そのチケットを手渡されたときの君の顔、傑作でしたね」
「ひ、ひどい! だって、しかたないでしょ!」
「ぼくはてっきり、用意される前に自分で買ってるもんだと」
「……買わなかったよ」
「CDは買ったのに」
「そ……それは、ほら、その……」
「"彼女"の歌がラジオで流れたら、音量上げて、その場にいる全員に『静かにッ!』なんて怒鳴って」
「だ、だって……CD買ったりラジオを聴いたりするのとは違うじゃない……」

 ぎゅ、とチケットの端っこを強い力で握りすぎて、少ししわになる。穴が開いてしまいそうなくらい、その紙に書かれた文字を、名前を、見つめる。そう、これはジョルノにもらったプレゼントだ。自分では、そのチケットを取る勇気なんてなかった。行く勇気なんて、なかった。
 若くしてCDデビューを果たした彼女の歌声は、それはもう素晴らしくって、もう、ほんとうに素敵で。私は毎晩毎晩、その歌声を聴いて眠るのだ。うっかり泣いてしまうくらい、そんな日々は幸せだった。だって、いつでも「彼女」の声が聞けるんだもの。おかげで一生、きっと、忘れることはない、って。ああ、あの声だ、って。
 繰り返すようだけれど、私に、それ以上の勇気はなかった。コンサートの開催が決定した、と聞いたときは、おめでとう!と祝福しつつも、なんともいえない気持ちになった。「もしも」を考えないわけじゃあなかったけれど、考えた直後から首を振った。そんなこと、できるわけないじゃあないか、って。

「なのにきっと、彼にはお見通しだったんだね」

 望んではいけないと思っていた「もしも行けたら」「もしも会えたら」を、ジョルノは簡単に叶えてしまった。私が「いけない」と思っていることすらわかりながら。いじわるだ。
 私は、チケットをじっと眺めて、フーゴが「ああ、もうそろそろ会場に着きますよ」と言った瞬間――そのチケットの端っこを、ぴり、と、

「うわあッ!! な、なにしてんですかッ!!おいッ!」

 ぎょっとしたフーゴが急ブレーキを踏んだ。そのまま道の端っこに車を一時停止させると、助手席の私の方へ身を乗り出す。

「なに血迷ったことしてるんだッ!!せっかくここまで来たっていうのに!」
「やっぱり無理だよ!無理!行けないッ!!フーゴ私の代わりに行ってきてよォ〜!」
「はあぁぁ!?」
「そうだッ!もう予定変更して、二人で美味しいピッツァでも食べに行こう!私のオゴリ!」
「ばかなこと言ってるんじゃあないッ!」
「会えるわけないよ!!」

 大きな声を出した勢いで、堰き止めていた何かが決壊したみたいに、ぽろっと自分の目から涙が零れる。それを見たフーゴが、思わず押し黙った。

「もう会えないんだって思いながらさよならしたのよ、あのとき。会っちゃいけないんだって。なのに、こんな形で会ったらズルだよ……」

「望んじゃあいけないのよ。だって一つ叶ったらもう一つ叶えたくなるに決まってる……私、今彼女に会ったら…」
「……『普通の女の子』になりたくなる?」

 フーゴの静かな声に、ますます涙が止まらなくなる。誰にも話してはいなかったし、誰にもバレたくはなかったけれど、フーゴのその言葉を、私は否定できなかった。そんな自分がいやだった。自分は、ちゃんと「覚悟」をもって此処にいたはずだ。誇りだってある。いなくなってしまった人たちの意志を忘れたくないという気持ちに嘘は無い。彼らに胸を張って、此処にいたくて。それなのに、今、覚悟が弱くなってしまったら。蓋をしていた思いを曝け出してしまったら。"彼女"とのあの別れも、決意も、嘘にするようで。
 私がすっかりめそめそし始めたせいで、フーゴは、ふう、と溜息を吐いて、ハンドルから手を離した。そして背中をぼすっと座席の背もたれに預けて、窓の外を見る。もう、コンサート会場は目と鼻の先だ。
 ふいに、電話が鳴った。フーゴの携帯電話だった。

「……もしもし。……ええ、そうです。あなたの予想通りでしたよ。……ハイ?……ああ、なるほど。わかりました」

 ずい、と目の前に携帯電話が差し出される。私はその携帯電話と、フーゴの顔を見比べる。「"ジョジョ"からです」
 そう言われてしまっては、取らないわけにはいかなかった。

「も……もしもし?」
『やあ、。ぼくからのプレゼント、あまり気に入ってもらえなかったようで申し訳ない』
「え、う、ううん、そういうわけじゃあ……」
『そこで代わりといってはなんですが、君に"ジョジョ"としての命令を一つ』
「え?」
『クビだ。君を組織から除名する』
「……え?」

 直後、思わず絶叫してしまう。隣にいるフーゴが顔を顰めて耳を塞いだ。いや、だって、そんな。あんまりにも横暴だ。私は携帯電話を強く握りしめ、もう縋るような思いで、電話の向こうの人物へ叫ぶ。ちょっと待って、あんまりだよ、話を聞いてよ、ねえ! 私の必死な様子とは裏腹に、やけに涼しい、それはもう落ち着いた声で、私たちの"ジョジョ"――ジョルノは、話しだす。

『ああ、すみません。言い方がマズったかな。表向きは、そうするってだけで。君の組織に対する忠誠はもちろん評価しているし、今までの働きを蔑ろにするわけではないんです』
「え……えぇ……わかんないよ……説明してよォ……」

 へにゃへにゃと力が抜ける私の姿がまるで電話越しに見えているみたいに、耳元でその人物がくすくす笑った。む、としている間に、フーゴが再度ハンドルに手をのせる。ゆっくりと車が動き出した。えっ、ちょっと、と思いながらもジョルノとの電話を中断する気にはならなかったので、何も言えない。ただ、車がコンサート会場へ向かっていることはわかった。

。君には本当に感謝しているんです。ディアボロとの闘いで、君はたくさんのものを失ったのに、悲観することなく、何にも屈することなく、ぼくを信じてついてきてくれた。君の助力もあって、今や組織も、ぼくの立場も、以前と比べてかなり安泰だ』
「それは……あ、ありがとう? あなた自身の力が大きいと思うけどね。あ、あとほら、最近はフーゴの力もあるし!ミスタも、ポルナレフさんも……」
『けれど、念には念を入れたい』

 ジョルノが声を落とす。ごくり、と自分の喉が鳴った。

『今の<パッショーネ>にある"嘘"を知っているのは、この世で……あの日ディアボロと闘ったぼくらだけだ。ぼくらと――ひとりの、組織とは無関係な少女だけ』

 あの日。先代のボスであるディアボロを倒し、事実上、ジョルノがこの組織を乗っ取った。けれど組織内で私たち以外にその事実を知る者はいない。表向きは――元々ジョルノがボスだった、今までその幼さ故に要らぬ反感を買うことを警戒し正体を隠していたが、力をつけた裏切り者がその正体を探り厄介な抗争に発展しかけたため、表舞台に正々堂々と姿を現すようになった、と。それを今、組織の誰もが信じている。かつてのボスがディアボロであったことを、私たち以外は知らない。

『しかし、もしその"嘘"をなんらかの形で知ってしまった者が現れたら、どうなると思う?』
「え……」
『ぼくらの内の誰かが秘密を漏らすことを疑っているわけじゃあない。そうだな……たとえば、他人の記憶や秘密を盗み見ることができるスタンドに遭遇してしまったら? こちらの意思とは関係なく、その事実を知られてしまう。"かつてディアボロという男がボスの座に君臨していて、現在のボスであるジョルノ・ジョバァーナはその男を陰で葬りその座を奪っただけにすぎない"――この一大スクープを利用して、反旗を翻そうとする輩が出てきてもおかしくはない』
「……それは、」
『くわえて、"そのディアボロの娘は今も生きていて、父親譲りの強力なスタンドを操るスタンド使いだ"なんて噂が流れたとしよう』
「――ッ」
『利用しようとして"彼女"に接触する人間は、必ずいる』
「そんなのッ、そんなの絶対…ッ」

 想像しただけでぞっとして、怒りに拳が震える。噛んだ唇から、血が滲みそうだった。フーゴがチラリとこちらを見た。電話の内容が聞こえているのかいないのか、何も言わない。

『ありえない話ではないはずです。ぼくはその最悪のシナリオを恐れている。……かつてのボスであるディアボロが、アバッキオのムーディー・ブルースの能力を恐れたように。"過去"は切り離せない脅威となる。完全に断つことは不可能だ』
「……」
『しかし、ぼくはディアボロとは違う。過去が露呈する火種となりえるからといって、"彼女"を殺せ……なんてことは命令しない』
「でしょうね。もしそんなこと命令しようものなら、私があなたを殺しに行くと思う」

 自分でも驚くくらい、命知らずなことを口走った。かつて一緒に闘った仲間とはいえ、今や一組織のボスで、人間一人簡単に消すことができる相手だ。「私だから」という理由で、見逃すことは無いだろう。だけど、その台詞は迷いなく私の口から飛び出した。これには思わずフーゴが「オイッ!」と焦った声をあげる。滅多なことを言うもんじゃあない、って。でも、電話の向こうの相手は、きっと変わらず涼しい顔をしていることだろう。私も、不思議と冷静だった。

「でも、そんな命令しないでしょう? じゃあ、どうして私を、"彼女"の元につれていくの?」

 話を聞くうちに、なんとなくだけれど、わかった。このコンサートのチケットを渡したのは、ただ純粋に「行きたがっていたでしょう?会いたいでしょう?一日楽しんでおいで」というだけのプレゼントではない。チラリとフーゴを見る。

「フーゴも、なにか知ってるのね。親切で『送っていくよ』って言ったんじゃあないのね。あなた、"ジョジョ"の命令で、私を送ったのね」

 車は、いつの間にか目的地に到着していた。フーゴは私のその言葉にはなんにも答えずに、車を停めると、運転席のドアを開けて外へ出た。私も追いかけるように、車から降りる。まるで見えているかのように、電話の向こうの声が「ああ、ついたみたいですね」と私に言う。

『殺せ、なんて命令はしない。むしろその逆だ。さっきも言ったように、ぼくの過去や記憶を探ろうとする人間が現れたとき、身近にいる仲間が狙われた場合なら、ぼくもすぐ対処ができる。けれど、一般人である"彼女"にまでは、ぼくの目はなかなか届かない。狙われたときの危険が一番高いのは、"彼女"だ。本当に、災難な人生だと同情してしまうけれど……また、誘拐だの、暗殺だの、そういうことに巻き込まれかねない。せっかく、すばらしい人生を歩み始めたばかりだっていうのに』

 私はジョルノの台詞を聞きながら、目的のコンサート会場を見上げた。入り口に続く階段を、ちらほらと人がのぼっていく。みんな、今日の"彼女"の公演を楽しみに、"彼女"の歌を聴きにきているんだ。

。ぼくが君に頼みたいのは、非常に重要な任務だ。君にしか頼めない』
「……」
『"また"彼女が巻き込まれる可能性があるというのなら……こちらも"また"同じことをするしかない』
「………」
『"トリッシュ・ウナを命に代えても護れ"、

 聞く者の背筋を、しゃんと伸ばす力がある、そんな声だ。けれど、こればっかりは。背筋を伸ばすどころか、引っ込めていた涙がまたぽろっと零れて、目の前が歪んで、見えなくなる。何か返事をしなくては、と思うのに、言葉が出てきてはくれなかった。ただ、泣くことしかできない。すすり泣く声がきっと電話の向こうにも聞こえているのだろう。それでも、彼の声はいつも通りの硬さがあった。

『君を除名すると言ったのは、表向きはそうしたほうが、部下たちへの説明が何かと都合がいいと思ったからです』
「……」
『だって君にはこれから、半永久的に、この任務に就いてもらうことになるのだから』
「……うん」
『君は、組織を抜けて、彼女のそばで、常に危険が無いか周囲に気を配って生活をするんだ』
「……、……」
『大変な任務だけれど、君になら任せられる』
「――ジョルノ、」

 あまり、外でその名前を出すなとは言われている。けれど思わず口にしていた。その名前を声に出すと、あの頃の、まだ組織のボスなんかではなくて、ただのジョルノ・ジョバァーナであった彼がそこにいてくれるような気持ちになる。電話越しに聞こえる声が、少し、やわらかいものになった。その声で、名前を呼ばれる。何故だか脳裏に、あのひとの顔が浮かんだ。大好きだった、かつてのチームのリーダー。
 わかっていた。一般人ひとりの監視くらい、理由を適当につけてしまえば、別の者にだって頼める。今のジョルノにできないことなんてほとんど無いに等しい。裏切り者がもし出てきたとしても、簡単に消せる力が彼にはある。だから、こんなのはただのこじつけだ。こんなのは、大変な任務でもなんでもない。こんなのは、ただの――私への、プレゼントだ。

『これは、ブチャラティの願いでもあるんです。かつて彼は言っていた。"全部が終わったら、には組織を離れて、普通の人間として生きてほしい。あいつは本当に優しい子で、こっちの世界にいちゃあいけない。きっと最初は首を横に振るだろうが、わかってくれるはずだ。今までたくさんつらく寂しい思いをした分、幸せになってほしい。"……それから、"そばにトリッシュもいたら、きっと、もっといいな"と』

 ああ、本当に、ブチャラティのその声で、聞いたような気持ちになる。電話口の声は、最後にこう言った。
("ジョジョ"として話すときの彼は、以前よりもずっと凄みのある、堂々とした口調で喋るけれど、時折以前のように敬語が混ざるのが、私はちょっぴり嬉しかった)

『どうか幸せに、。ぼくは君のその明るさや優しさに、ずいぶん助けられていたんです。ありがとう。さようなら』

 こちらこそ、ありがとう。震えた声でも、きちんと言えていただろうか。伝わっただろうか。私は、電話が切れた後も、しばらく耳元からそれを離せないでいた。だけどやがて、ひょいとフーゴがその携帯電話を私の手から抜き取る。

「電話、終わったんですね」
「……ウゥ…」
「"そういうわけ"です。送る役目にぼくが選ばれたときは……"ジョジョ"も意地が悪いな、と少し思いましたけど」
「フーゴ……」
「ほら、もう会場の中に入ったらどうです?ぼくはもう帰りますよ」
「か……帰るの?く、車で?私、置いてかれるの?」
「そうですよ。そこに捨てて置いてこいって言われてるんだから」
「ひ、ひどくない!?」
「もう帰ってこないように、ね」
「ひ……ひどくない!?」
「べつにひどくないだろ。感謝したっていいくらいなんじゃあないですか、君にとって」

 たしかに、ジョルノのしてくれたこと、全部ぜんぶ、神様みたいだ。でも、だって、だって、とまた私は急に不安になってしまう。もう一度チケットを破ってしまいたくなる。そんなことをしたら今度こそフーゴに引っ叩かれそうだけれど。それでもやっぱり冷静になっていられなくなって、私はおもわず、フーゴの腕にしがみついた。

「やっぱり無理があるッ!だって、なんて話せばいいの!も、もしトリッシュに拒絶されたら私帰る場所ないじゃないッ!いや、むしろトリッシュ私のことなんか覚えてないかもしれないし!どちら様ですか?って言われちゃう!いや、そもそも、そもそもよ!?どうやって話すのよ!?相手は今日のステージの主役なのよ!?歌い終わったところステージに乱入しろっていうの!?つまみだされるよ!?」
「ああもう!知りませんよッ!どーにかこーにかやってこい!」
「イヤ〜〜ッ!やっぱり無理!フーゴ、一緒に来てよォォ!!」
「絶ッ対イヤだね! さっさと行けって!」
「だって私、あわせる顔がない!」
「トリッシュにあわせる顔がないのは、ぼくの方だッ!」

 その言葉と、ぶんっと回した腕に振り切られて、私はフーゴから手を離す。はっ、と彼の顔を見た。フーゴも私を見て、少しバツの悪いような表情をする。

「……あのとき、ぼくは彼女を見捨てたんだぞ」
「フーゴ……でも、だって、それは……」
「ずっと、不思議だったんだ。君が何も言わないのが。ぼくに怒らないのが」

 フーゴが、かつての幹部であるブチャラティと決別したということを知る人間はほとんど、彼のことを当初、悪く言っていた。か弱き乙女とチームの仲間を見捨てて自分だけ助かろうとした薄情者だ、臆病者だ、と。そんなもの信頼していいのか、って。結局は、まあ、「ジョルノ様は慈悲深いお方だ」みたいな話で丸く収まるのだけれど。

「怒らないどころか、君、ぼくと再会した途端、なんの警戒もなく笑って駆け寄ってきたじゃあないか」
「……」
「『フーゴ、久しぶり。元気だった?』なんて言って……ぼくがどんな思いで、ジョルノたちの信頼をやっと取り戻したか、知りもしないで本当暢気にさ」
「ご、ごめん……? でも、だって、べつに怒る理由がなかったし、私、生きててほしかったもの」
「……」
「生きててくれるだけで、嬉しかったんだよ」

 生きていてくれるだけで。だってフーゴは生きるために、あのとき私たちと別の道を選んだ。そして事実、あの後、ブチャラティやアバッキオ、ナランチャは、命を落としたんだ。彼らはもういない。でも、フーゴは生きている。ここにいる。いろいろあったかもしれないけど、今、ここにいる。それだけで十分だ。
 私の言葉に、フーゴは目を瞠って、ぐっ、と何かを堪えるような表情をした。かと思えば、はあっと脱力するように肩を落とす。

「かなわないな、君には」
「……フーゴ?」
「今、改めて思ったよ。もう一度、ジョルノたちの元に戻ってきてよかった。このためだったのか、と思えるくらいだ」
「え?」
「ぼくが君の代わりになれる。ぼくがいない間君が任されていた仕事は、ぼくが引き継げると思う。いや、君以上の働きができると思いますけど」
「え?……えっ?ちょっとばかにされた?」
「なんでもない。つまり、君がいなくなっても問題ない状況ができあがってるってことです。さ、安心してどこへでも行ってください」
「え、えぇぇ……」

 フーゴにぐいぐいと背中を押される。情けない声を上げて、私はずるずる、少しずつ会場の入り口に近付いていく。そりゃあ、ここまでお膳立てされて、今更帰れないというのはわかる。でも、だって、やっぱり「だって」だ。

「今更、じゃない?やっぱり、ずるいよ……! 私からさよならしたのよ?なのに今更、都合がよすぎない!?」
「カッコ悪い、って?そんなの、どうとでもなりますよ。"今更"戻って来て忠誠を誓って、恥知らずだなんだって罵られたぼくが言うんだから、間違いないでしょう」
「あ、あーッ!そうやってさあ、ビミョ〜につっこみづらくなる自虐やめてくれない!?」
「ああもう、うるさいったらないな! いいかげんに、」

 突然、会場の入り口の方がワッと騒がしくなる。私もフーゴも、ぴたっと口を閉じてそっちを見た。なんの騒ぎだろう、と耳を澄ませたら、聞こえてくるのは、ひとりの名前だった。「トリッシュだわ、本物よ」「トリッシュちゃん、かわいい、すてき!」がやがや、老若男女問わずの喜びの声。目を凝らせば、入り口に人だかりができていて、恐らく、その中心に、きっと――"彼女"がいるんだ。

「ラ…ラジオで言ってた。トリッシュ、お客さんの反応を見るのが何よりうれしいって。できれば、歌う前と歌い終わった後、みんなの顔が見たい、って……」
「へぇ。そりゃあ、手厚いファンサービスですね。公演前からファンの前に直接出てくるなんて。パニックになったらどうするんだろ」

 そこに、彼女がいる。もう、少し近付けば顔が見れる。声が聞ける。触れることができる距離に。そう思ったら、どくんどくんと心臓がうるさくなって、喉がからからに乾いていく。人だかりを、じいっと凝視する。人と人の間に、どうにか頭だけでも見えないかって目を凝らすけど、見えない。そこに、きっといるのに。ずっとずっと会いたかったあの子が。ずっとずっと、忘れられなかったあの子が。私の心を掴んで離さない、かわいい女の子。

「行きたいんだろ。行けばいいじゃあないですか」
「わ……わかんないよ……わかんないよッ! どんな顔して会えばいいと思うッ!?」
「どんな、って……」
「わ、わたし、別れ際に、き、キスとかしたのよッ!?」
「は……はあぁ!?し、知りませんよッ!そんなこと言われても!!初耳だ、こっちは!!」
「どんな顔したらいいの!?私、トリッシュにどんな顔で会ったらいい!?」

 置いていかれるのを怖がる子どもみたいに、情けない声でフーゴに縋る。フーゴは私の顔を見て、はあっ、と溜息を吐いた。しょうがないなあ、もう!って言うみたいに。

「その顔だよ。泣きそうな顔。それでいいじゃあないですか」

 呆れたような声なのに、やけに彼の優しさが滲んでいた。私はそれを聞いたらなんにも言えなくなってしまう。

「ほら、あの人だかりに混ざってくればいい。あなたのファンです、とか。好きです、とか。なんだって言えるはずでしょう」
「……フーゴ、」
「行けよ、。"ぼくたち"は、君の幸せを此処から祈ってるから」

 フーゴの言う、"ぼくたち"は、だれのことを指すのだろう。自分と、ジョルノ?ミスタもきっとこのことを知っていたんだろうから、ミスタも入っている?――ううん、なんだか、もっとたくさんの名前がある気がした。ナランチャ、アバッキオ、それと、ブチャラティも。堪えようと思っても、やっぱり涙が出てきてしまって、フーゴが笑った。困ったように。
 ありがとう、って、それだけでは足りる気がしない。みんなみんな、愛してる、って言ってしまったらだめかしら。

「さよなら!私、あなたたちのこと、大好きよ!」






 そう泣きながら笑って、彼女はフーゴに背を向けて走っていった。フーゴはそれを見送って、やれやれだ、みたいな様子で肩を竦めて、笑った。心の内で、こう思う。「出会ってしまったんだな、"運命"ってやつに」――そしてそれは、逃げられないものらしい。彼女がどんなに躊躇おうと、拒もうとしようと。

 君を、幸せにしたくってついてまわるものなんだろう。