アニベルセル



「センパーイ!ご結婚おめでとーございます!」

背の高い、黄色い髪の男が満面の笑みで俺の元へやってきた。おめでとうっす、なんて砕けた言葉を遣うことを想像していたのに。習いたての言葉のように、おめでとうございます、とはっきりと発音するそいつ。昔だったら照れ隠しにどついたりしたのだろうが、今の俺は呆れたようなふりをして、心からの礼を言うだけに留めた。久しぶりだな、来てくれてありがとな。俺の言葉ににこにこ笑って、「当たり前っスよ」と答える。高校の頃となんにも変わっていない。そのむかつくくらいきらっきらした笑顔とか。

「花嫁さん、綺麗っスね」

そう言って、黄瀬が視線をやった先。綺麗な格好して、綺麗な化粧して、綺麗な髪して、その「花嫁」が、今の俺と同じように高校時代の友人と笑って話していた。友達に何かを囁かれて、恥ずかしそうに相手を小突く様子を眺める。「花嫁さんのこと見てる時って、いっつもそんな優しそうな顔してるんスか?センパイって」ふいにそうからかうような声が耳に入り、バッと顔を黄瀬の方に向け直す。なんだ、俺、にやけてたのか?かーっと恥ずかしさがこみ上げてくるが、相手は黄瀬だ。「うっせーバカ」と言いながら肩パンしたら、たいして痛くもないだろうに、笑いながら「痛いっすよ!」と身を引いた。俺も小さく笑みがこぼれる。何されようが何言われようが、多分、今日の俺はまともに言い返せないんだろう。幸せっていうものが、何より勝ってしまって。何年も前から、本当にずっとずっと前からのことを見てきたけど、今日の彼女が一番綺麗だ。自然と浮かぶ笑みをさりげなく濃くして、それから、視線を別の場所へ移す。会場を見渡して、俺の両親との母親がうれしそうに、楽しそうに、会話しているのを見つけた。結婚するって報告したとき、「やっぱり!そうなると思ったの!」と俺の母親は涙ぐんでたっけな。の母親はただただ、ありがとうと俺に言ったっけな。

「…さんのお父さんって、……あー、…スイマセン、なんでもないっス」

俺の視線の先を追っていたのだろう。黄瀬は言葉を濁すと、申し訳なさそうに頬を掻いた。花嫁の父親の姿は無い。式に出席した人間なら、まあ、そこに気付くだろう。疑問を持つだろう。大抵の場合、感づいて、何も聞かないけれど。俺は苦笑いして、黄瀬の顔を見た。「呼ぼうか、って思ったんだ。けど、もうずっと連絡取ってなくてどこにいるのかも生きてんのかもわかんねーし。もう次の家庭を持ってんなら、来て欲しいって頼むのも迷惑かもしれない、ってが言ってな。…まあ、来辛いだろうし、会いづらいだろうし、これで良かったんだろう」黄瀬にそう説明しながらも、自身に言い聞かせるような気持ちになる。結局、妻と娘が家を出て行った後、すぐに父親もあの家を手放した。逃げるようにどこかへ消えた。思い返す。あんなにはっきり覚えていたの父親の顔が、少し、ぼやけてきたんだ。声も、俺とどんなふうに接してくれていたのかも、よく思い出せない。は「私だってそうだよ」と笑った。嘘かもしれない。本当かもしれない。たった一言、話したかったなとも思う。を俺にくださいって、言いたかった。もう俺に許可とんなくてもいいだろ、って笑うだろうか。…、ああ、そうだ。想像して、しっくりきた。あの人の笑った顔、こんなんだったな。

「複雑なんスね。さんの家」
「…まあ。そうだな」
「苦労してきたんスねぇ…」
「はは。一時期ほんと、死にそうな顔ばっかりしてたしな」
「マジすか!?全然想像つかないっスよ!」

声のボリュームを上げて、心底驚いたような顔で俺を見る。不意打ちを食らったように、俺もぎょっとする。黄瀬はそんな俺を見て、慌てて前のめりになってた体を引っ込めた。二、三度まばたきして、それから何かを汲み取ったようにふっと微笑んで、俺に言う。

「だって俺、あーなんて幸せそうに笑うひとなんだろう!って思ったんスよ。センパイの隣に並んださんのこと見て」

その言葉を聞いた瞬間、自分の中の何かが弾けた。ずっと解けなかった問題が解けたときみたいだ。すうっと頭の中が片付いていく。たったひとつの答えを残して。それまでたくさん迷って、悩んで、あちこちに靄がかかっていたっていうのに、そんなもの全部無かったみたいに、たったひとつの光だけが残った。ああ、そうか、そうなんだ。肩が少し軽くなったような錯覚。俺はもう一度、黄瀬に言う。今度ははっきりと、笑って言えた。「ありがとな」それを聞いた当の本人は、ちょっと照れくさそうにへらりと笑う。そんなことをしていたら、ふいに横から名前を呼ばれた。とびきり幸せそうな声で、幸せな俺の名前を呼ぶ。そんなの、一人しかいない。黄瀬も顔をそちらに向けて、微笑んだ。「わあ!黄瀬くん、来てくれてありがとう!」彼女が言う。世界で一番幸せそうに笑うが、これからずっと、俺の隣にいるんだな。実感したら、少し泣きそうになった。かっこわりいかな。今日くらい、いいのか。いや、泣かねえけどさ。多分。


さん、おめでとうございます。お幸せに、っス!」


そう言われて、照れくさそうに笑う顔。ああほんとだ、幸せそうな顔だ。こんな幸せそうに笑う人間、見たことないってくらい。俺はお前を幸せに出来てるらしい。今日ほど実感したことはない。今日ほど幸せな日を迎えたことはない。きっと、いいや絶対、俺もお前も、これから二人で幸せになれるよ。しあわせになろう、ずっと。絶対。