どこへも行かないよ



例えば、「好きだ」なら言えるのに、「愛してる」という言葉はどうしても敬遠してしまうのは何故か。気恥ずかしいからか。感動的な映画やドラマの終盤に主人公とヒロインが囁き合う「愛してる」なら、まあ、普通に受け入れられるのかもしれない。けれど、実際問題、現実にその言葉を遣ってる人間が身近にいたら、どうだ。何にも苦労してないようなイチャイチャしたいだけの高校生カップルが、青春の用語集の中から抜粋して告げる「愛してる」だったら、ままごとみたいだと笑いを通り越して恥ずかしい奴らだと頭を掻き毟りたくなる。それくらい、何故か、一般市民の自分たちが遣うような言葉ではないような気がしてしまう。映画やドラマの中でしか遣うことが出来ないような、一つの「セリフ」なのだと思う。崖に追い込まれて逃げ場がなくなって、それでも好きな人の手を離したくないとき、最後にささやく言葉ならまあ、「愛してる」でいいと思う。けれど、メールでハートの絵文字付きで「愛してる」なんて言われたって、その言葉の意味は崖っぷちで囁く「愛してる」とは全く違うように思える。それくらい、軽々しく口にできやしない言葉だと思った。…ああ、まあ、こんなふうに説明したところで、お前は「恥ずかしいから言いたくないだけでしょ」って笑うんだろうな。そういうことにしとく。間違っちゃいねえし。


それでだ、「守る」も、口にするのが難しい。いや、何年か前…ずっと前、それこそ、高校生の頃くらいだったらわりと簡単に遣えたのかもしれない。けどこの歳になって、「守る」を遣う場面にたくさんぶち当たってきたからか、その言葉の意味とか重さをよく考えるようになった。自分の好いた人間に対して告げる「守るよ」は、「愛してるよ」と同じくらい、つかいどころを間違えると酷く寒気のする言葉になる気がした。例えば、お伽噺の中の騎士が遣う「守る」なら、まあ、その言葉本来の重さを持っている気がする。けど、俺が、好きな女に対して告げる「守る」は、なんだ?命を狙われているわけでもない。何かに追われているわけでもない。何から守る?どうして、「守りたい」と思う?具体的になんか分からなかった。ただ漠然と、俺が守りたいと、ずっとずっと思ってきた。


そう。ずっと、だ。俺はに昔、「待っていてくれ」と頼んだ。好いた女一人幸せにすること、とても時間がかかるものなのだと思って。ずっと待たせていた。何年も待たせた。その間にが気の迷いでも起こしてしまったらどうしようかとか、思わなかったわけじゃない。違う男を好きになるかもしれない。我慢ならずに、全てに絶望しきって生きることを投げ出すかもしれない。そう考えるたび頭がおかしくなりそうだった。今すぐにでも幸せにしたいのに。同時に、さんざん待たせて、もしも、もしもだが、幸せに出来なかったら、俺はどうする?そんなふうに考える日もあった。かっこわるいとか言うなよ?それくらいお前が大事だったんだ。


お前に結婚しようって言ったとき。やっとお前を幸せに出来る、って、俺がどれだけ嬉しかったか。けどまあ、同時に、不安もあった。ずっと待たせたからな。また繰り返すんじゃねえかって。無責任に「幸せにする」とだけ言って、なんにも実行できないんじゃねえかって。けど、結婚式のときに、…あいつが言ったんだ。はすげえ幸せそうだって。他人の言葉で聞いて、馬鹿みたいに安心した。


たぶん、俺は、守りたかったんだ。お前を傷つけるすべてのものから。「守る」がどれほど大袈裟で、くさいセリフだとしても、それ以外にふさわしい気持ちは見つからなかった。誰に笑われたって構わない。もちろん、本人に「大袈裟だ」って笑われようと。俺は、一生かけてお前を守るよ。お前を傷つけるもの全てから。悲しませるもの全てから。その相手が例えお前自身でも、俺だとしても。そんなふうに、あのとき誓った。




なあ、今でもお前は不安になるだろうか。俺の言葉が嘘みたいに聞こえるだろうか。
いつかは離れていくんだろって、俺を信じないんだろうか。
べつに、それでもいいけどな。一生かけて、信じさせてやるよ。
一生疑っていたっていいよ。死ぬときに初めて気付くのもありだろうな。
ああ、気づけば本当に、一生そばにいたんだなって。


…まあ、そうだな、いつか。愛してる、も、言うタイミングを見つけたら口にしてみる。